2018映画ベスト10

評価したものは映画館で見たものだけです。基本的にブログで言及したものは良い映画だと思います。十個におさまりきっていませんが、十数作品。

クレイジー・リッチ
(Crazy Rich Asians Soundtrack - Can’t Help Falling In Love - Kina Grannis - YouTube

1.クレイジー・リッチ!

(すべてを台無しにしようとする「母」のために クレイジー・リッチ! | kitlog

2.リメンバー・ミー

(家族を抑圧する「歴史」からの解放 リメンバー・ミー | kitlog

地域の歴史の嘘が歌の意味の変化とともに暴かれる。それとともに家族の分断が回復される。『リメンバー・ミー』はそれが地域や共同体レベルで行われるが、『くるみ割り人形と秘密の王国』では家族レベルである物の意味が変わることで家族の結束が描かれる。

くるみ割り人形と秘密の王国

(控えめな音楽の帰還 くるみ割り人形と秘密の王国 | kitlog

3.レディ・プレイヤー1

(ゲームと現実を行き来するパントマイム レディ・プレイヤー1 | kitlog
『シュガー・ラッシュ:オンライン』と対照となる作品。どちらもフィクションのキャラクターを多用している。『レディ・プレイヤー1』はキャラクターを操作するプレイヤーがいるので、キャラクター世界を相対化可能だが、『シュガー・ラッシュ:オンライン』ではキャラクターのいるインターネット世界は何か悪いことが起こったとしてもそれが絶対的なものとして描かれている。

シュガー・ラッシュ:オンライン

(アルゴリズムは廃墟に向かうのか シュガー・ラッシュ:オンライン | kitlog
『シュガー・ラッシュ:オンライン』では、インターネットが自然のように扱われている。前作『シュガー・ラッシュ』では、シュガー・ラッシュというゲームには作者がつくったゲームプログラムが存在しているために、ある人物によってそれが改変され悪用されておりゲーム自体が支配されていた。主人公たちはそれにアクセスすることが可能で、世界を変えることが可能だった。それが自然なものではなく人為的なものだからだ。『シュガー・ラッシュ:オンライン』にはもはやそのようなプログラムは可視化されず、インターネット空間のアバターたちは環境を所与のものとしてつまり自然なものとして受け取っている。それ自体が変えることのできないものとして存在しているように映画はつくられている。なぜインターネットは変えることができないのか。外側が問題を抱えていて、それを変えることができないとしてしまえば、問題はすべて内側に転嫁されることになってしまう。下のようにNOという主体がいない。

「子供のために安全でシンプル」な動画ブラウジングを目的に、2015年に登場したYouTube Kidsアプリ。

でもその中身はインターフェイスが子供向けなだけで、ジャンクフードの広告がバンバン流れたり、子供向けにコスプレした大人が意味不明なイタズラを繰り返すエルサゲート動画、ブタのキャラクター『ペッパピッグ』が漂白剤を飲むアニメなどなど、子供に悪影響を与える動画もアルゴリズムに応じて表示されるなど無法地帯のようになっていました。
……
3才児にYouTube動画を見せていた私も、大人が人形を使ったおままごと動画や、子供たちが高価なおもちゃで遊ぶだけの動画、はたまたゲーム『Grand Theft Auto』をベースにキャラクターたちが意味不明な行動をしているだけのものなど、何も学ぶものがない映像を子供が自ら選んで見てしまう状況に激しい抵抗を感じています(なのでチャンネルをブロックしまくり、時としてスマホ取りあげてしまうことも)。
YouTube Kids、ホワイトリストで子供が見る動画を制限できる機能をリリース | ギズモード・ジャパン

4.グレイテスト・ショーマン

(形式と内容をめぐって グレイテスト・ショーマン | kitlog

5.インクレディブル・ファミリー、ブラックパンサー

(そしてヴィランは不可視になった インクレディブル・ファミリー | kitlog
(暴力への信頼と英雄殺し ブラックパンサー | kitlog

コミックであるためか、問題の解決が暴力と通じてしまうことの悲哀が描かれている。

6.スリー・ビルボード

(死者の埋め方、その反復 スリー・ビルボード | kitlog

7.ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生

(1920年代の精神の危機 ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生 | kitlog

8.デッドプール2

(映画における無責任と俳優の人格 デッドプール2 | kitlog

人物の解体(フィルムの解体、モンタージュ)が映画の本質の一つであると告げるとともに、それに抵抗して人格の一貫性を訴えている。

9.ボヘミアン・ラプソディ

(映画が観客を見なくなるまで ボヘミアン・ラプソディ | kitlog

10.クワイエット・プレイス

(音、中間のメディア クワイエット・プレイス | kitlog

新しく変化した環境への適応が興味深く描かれるが、その適応の中に環境に対してカウンターとなる要素を見つけ、動物性ではなく、事態を打開しようとする人間性を表現している。

ミツバチの蜜房やクモの巣を作ることだけに制限されていないさまざまな表象力を人間がもっていて、その範囲の中では動物の技能の能力に劣るとしても、まさにそのことによって、その表象力はより広い展望を得る。人間には改善の余地がないほど完璧に作れる作品が何一つない。しかし、人間には多くのことに関して鍛錬したり、みずからをたゆみなく改善したりするための自由な空間がある。思考内容はどれも自然による直接的な産物ではないが、まさにそのことによって、それは人間自身の所産になる。(p42)

『言語起源論』ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー

次点

アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー

(おおきながんとれっと、アイアンマンという希望 アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー | kitlog

続編の『アベンジャーズ/エンドゲーム』がもう四ヶ月後に迫っていて、それが公開されたらまた改めて何か分かるのではないかと思う。その時にサノスが何なのかもより明確になるのだろうと思う。

私は、私たちが漕ぎつけようとしている岸辺の予想よりも、むしろ、後にして来た廃墟の方に郷愁の眼を向けている人たちと不断の戦いを続けなければならないからです。そして、この郷愁の中でも油断のならぬ現代的形式は、知識人の謂わゆる「中立」という口実で、これが有名な象牙の塔というものであります。この塔の特徴は、窓という窓が過去の廃墟の方にのみ開かれているという点にあるのです。オークショット教授〔イギリスの政治学者〕は、最近政治教育の講義を開始するに当り、政治の世界というものは、「果てしの知れぬ、底も知れぬ海」で、「避難する港もなければ、錨を下ろす海底もなく、出帆港もなければ、予定の目的港もない」もので、政治家の唯一の仕事は、「いつも船を水平に浮かせておくこと」だけだ、と述べております。船がどこの港に向うかを知りもせず、また、そんなことは考えもせず、ただ浮かせているということは、あまりにも、人間の努力を見くびった考え方のように思われますし、これは、また、恐らく、絶望的な必死の危機に臨んだ場合は別として、人間の実際の行動を正確に写したものとも言えますまい。確かに、人間の努力は弱いこともありましょう。また、人間の野心が誇大に考えられていることもありましょう。といって、それらを一口に非難するのは当を得ておりません。それらは、人間が大事業を成し遂げるための原料なのです。(p24,25)

『新しい社会』E.H.カー

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9/10/2020
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