暴力への信頼と英雄殺し ブラックパンサー

アフリカの秘境にある超文明国家ワカンダは、すべてを破壊してしまうほどのパワーを秘めた希少鉱石・ヴィブラニウムの産出地だった。歴代のワカンダの王はこの鉱石が悪の手に渡らないよう国の秘密を守り、一方でヴィブラニウムを研究し、最先端のテクノロジーを生み出しながら、世界中にスパイを放つことで社会情勢を探り、ワカンダを世界から守っていた。国王であった父ティ・チャカを亡くした若きティ・チャラ(チャドウィック・ボーズマン)は即位の儀式に臨み、すべての挑戦者を降伏させる。儀式を終えた彼は国王にして国の守護者・ブラックパンサーに即位するが、まだ王となる心構えを持てず、昔の婚約者ナキア(ルピタ・ニョンゴ)への思いも断ち切れず、代々受け継がれた掟と父の意志の間で葛藤する。そのころ、ワカンダを狙う謎の男エリック・キルモンガー(マイケル・B・ジョーダン)は武器商人のユリシーズ・クロウ(アンディ・サーキス)と手を組み、行動を始める。二人は大英博物館からヴィブラニウム製の武器を盗み、取引の目的にワカンダへの潜入を企てる。ティ・チャラはワカンダのスパイからこの情報を聞くと、天才科学者の妹シュリ(レティーシャ・ライト)が改良したスーツをまとい、親衛隊ドーラ・ミラージュの隊長オコエ(ダナイ・グリラ)とナキアを連れ韓国・釜山の取引現場に乗り込む。そこには、クロウの取引相手を装ったCIA捜査官エヴェレット・ロス(マーティン・フリーマン)がいた。おとり捜査がばれ、クロウたちは逃亡するが、ブラックパンサーとクロウ一派のデッドヒートの末、ロスがクロウを拘束する。しかし、クロウを奪還しようとするキルモンガーの奇襲を受け、ナキアをかばったロスが重傷を負う。ティ・チャラはロスを救うため、掟を破って彼をワカンダに連れて戻る。一方、ワカンダに潜入し、国王の座を狙うキルモンガーは、ヴィブラニウムのパワーを手に入れ、世界征服を目論む。ティ・チャラはワカンダと世界を守ることができるのか?

ブラックパンサー | 映画-Movie Walker

ブラックパンサー
(Marvel Studios' Black Panther - Official Trailer - YouTube

ブラックパンサー(つまりワカンダの国王ティチャラ)は「現状維持」を重視する点において、スーパーヒーローの中では例外的なキャラクターである。このジャンルでは通常、目標に向けてのミッションの遂行が物語の基本要素なので、本作はある意味“異常”とも言える。

この映画にはある大きなテーマが存在する。それは、マーベルの作品で繰り返し語られてきた「大きな力には大きな責任が伴う」という命題に対する再考である。人々を守ったり助けたりできるパワーを持つ者は、そうしなければならない道義的責務を負わなければいけないのだろうか?

マイケル・B・ジョーダンが演じる印象的なヴィラン(悪役)、キルモンガーはこうしたテーマの表現に貢献している。ティチャラが伝統を守り、ワカンダのテクノロジーを隠し通すために全力を尽くす一方、キルモンガーは勧善懲悪の意識と正義感に駆られて行動している。良いヴィランは観客が共感できる人物でなくてはならないと言われるが、キルモンガーはまさにそのようなヴィランの典型だ。

ブラックパンサー - 映画レビュー - Marvel's Black Panther Review

例えばわれわれは子供の頃から自然と民主主義を学ぶ。学校では学級委員長を選んだり生徒会長を選んだりする。それは投票によって多数決によってなされる。そうやってある組織や集団のなかでリーダーを決定する。それがくじ引きではなく投票で行われるのは、政治家や総理大臣を決定する手続きが投票によって行われているからだ。国家の最も根幹にある決定が民主的な方法で行われているからだ。民主的な方法は正しいという了解がある。もしも総理大臣を決める方法がくじ引きであると正統化されていれば、学校の生徒会長決めもくじ引きになっているだろう。

『ブラックパンサー』の舞台であるワカンダという架空の国では、国王を決める儀式の最後のところで殺し合いが控えている。ワカンダは五つの部族からなる国であり、それぞれの部族が代表を選びその中から王を選ぶという仕組みになっている。『シビル・ウォー(超人が超人であるために シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ | kitlog)』の爆破テロにより、前国王のティ・チャカが亡くなって息子のティ・チャラが王になることが決まり、そのための儀式が行われることになった。ティ・チャラはその儀式の中で他の部族の代表から挑戦を受けなければならない。それはおそらく歴史の再現、国家の起源の再現のためだろう。ワカンダの神話では五つの部族が王位を争って、それをブラック・パンサーが治めたことになっている。そうやって彼らは伝統を守っている。その制度はこれまでは形骸化していて大した問題が起こらなかったのだろう。ティ・チャラ以外の部族の代表は挑戦を放棄することでティ・チャラを王として承認する。しかし、今回は五つの部族の中でアウトサイダーとして国の中枢にかかわらなかった一つの部族がティ・チャラに挑戦を申し込む。挑戦を受けたらそれを拒むことはできない。そのことが伝統的なルールになっている。ティ・チャラとジャバリ族のエムバクは底が見えない滝壺の真上で互いに槍を持ち本気で殺し合う。ティ・チャラは苦戦し刺し傷を負いながらも、なんとかエムバクを退け降参させる。こうして彼はワカンダの王になることが決まった。問題はこの国の最も大事なことを決定する場面に殺し合いがあることだ。われわれが総理大臣を決めるときに殺し合いが必要だとしたらどうだろうか。生徒会長を決めるときも殴り合いをしなければならないのだろうか。この国では何か重要なことを決定するに際して異論が出た場合どうやって決着をつけているのだろうか。

この問いにこの映画は答えてはいない。けれど、この国の根源に暴力がありそれを保存しているのは確かである。王位決定に物理的な暴力が用いられているということは暴力が信頼されているということだ。そのことが悲劇をもたらす。ワカンダでは王位決定に暴力が潜んでいるとはいえ、それはほとんど稀なことでありたいていはそれぞれの代表が挑戦放棄をして終わる。それはワカンダに長年住んでいれば常識になっているのだろう。しかしワカンダに住んではいないがワカンダの歴史について熱心に知って憧れているという人物がいたらどうか。純粋にその歴史や知識を持ったものがいたらどうか。この映画のヴィランとされているキルモンガーはその父ウンジョブとともにアメリカのオークランドに住んでいた。ウンジョブはキルモンガーにワカンダの神話的な歴史について詳しく語った。この映画はウンジョブがキルモンガーにワカンダの歴史を教えるところから始まる。そしてワカンダは故郷であり、とても美しいところだと聞かされる。彼はそこに憧れを持って関心を持ち、ウンジョブが隠し持っているワカンダの英訳文献をこっそり読んだりもしている。彼はワカンダに行ったことがなく知識としてしかそこを知らない。そして王位継承の儀式についても知ったのではないだろうか。ワカンダの根源に暴力があることについても。その時彼は何を思っただろうか。

彼の運命を決定づけるものに父ウンジョブの存在も関係している。ウンジョブは名目としてはアメリカでスパイとしてヴィブラニウムやその情報が世界に拡散していないか見張っていた。もしもヴィブラニウムの存在とともにワカンダの存在が露呈したらワカンダが危機に陥ってしまう。しかし実際は、彼はアメリカ、オークランドの現状を見て弱者がとても虐げられていることに怒り、彼らに戦うための武器を与えたいとヴィブラニウムを横流ししようとしていた。彼らを救うことができるのに、スパイとしてそれを見過ごさなければならないのには耐えられなかったのだろう。そのことを察知した当時の王ティ・チャカは彼に国に戻って裁きを受けるようにとやってくる。ウンジョブはそれに従わず銃を向けたため、ブラックパンサーの鎧を着たティ・チャカの爪で殺されてしまう。ティ・チャカとウンジョブは兄弟だった。ここでは王位継承の儀式が反復されている。子供のキルモンガーはUFOのようなものが空に消えていくのを見て自分の部屋に戻る。彼には父の腹にある傷がブラックパンサーの爪であるとわかったはずだ。父が死んだとき、キルモンガーは泣けなかった。父の亡霊が「私のために泣いてくれないのか」というと彼は「誰でも皆死ぬものだよ」という。父の亡霊は「私は育て方を間違えたかな」と独り言のようにつぶやく。その光景を見て大人のキルモンガーは泣いている。子供のキルモンガーが泣けなかったのは、ワカンダのルールに殺し合いが書き込まれているためだろうか、それとも彼の住むオークランドで殺人が耐えなかったためだろうか、ただ単に父の死の否認のために間違った論理を展開しているのだろうか。キルモンガーはその後MITに自力で入学、卒業しCIAの工作員として戦地をまわる。彼はその過程で自分の殺した人間の数を自分の身体に書き込んで、それを誇っていた。それは王位継承という殺し合いの儀式の予行演習ではなかっただろうか。殺し合いに勝ったものが権威を得ると錯覚していなかっただろうか。

法/権利を基礎づけるだけの作用や定立するだけの作用などは存在しないし、したがって法/権利を基礎づけるだけの暴力も存在しない。ましてや、法/権利をただ維持するだけの暴力が存在しないのはもちろんのことだ。定立するということがすでに、反復可能性であり、自己を維持するための繰り返しに助力を求めるということである。維持作用の方でも、なおも基礎づけのやり直しをする。それによって維持作用は、自分が基礎づけたいと思うものを維持することができるのである。(p120)

『法の力』ジャック・デリダ

物語はクロウというワカンダのヴィブラニウムの存在を知り、ワカンダからそれを盗み出すことに成功した唯一の人物の動きで展開する。彼はある博物館のアフリカ民族の展示品のなかにヴィブラニウムでつくられたものがあることを知り、それを盗み出す。その計画にキルモンガーも同行していた。クロウたちはそれを売りさばくために韓国の闇カジノへ向かう。取引相手はクロウを追っているCIAのエヴェレット・ロスだった。クロウはヴィブラニウムを股間のジッパーから取り出し、それを包む袋にはFRAGILE(割れ物注意)と書かれている。もちろん壊れやすいのはヴィブラニウムではなく地球や世界の方だ。クロウは罠を察知しそこから脱出するも、ブラックパンサーに捕らえられる。クロウはロスにヴィブラニウムについて尋問される。そこでワカンダがヴィブラニウムを大量に保有していることが明らかになってしまう。ロスにそのことを尋ねられると、ティ・チャカはあんな奴の言うことを信じるのかといって誤魔化そうとする。彼は嘘をついているのだ。その時爆発が起こり、尋問部屋の壁が抜ける。そこからキルモンガーらが銃撃を行って、クロウとヴィブラニウムを持ち去ってしまう。この時ティ・チャラはキルモンガーがいとこだと知る。キルモンガーはその後クロウを裏切り、クロウの死体とヴィブラニウムをワカンダへの入国のために使う。

キルモンガーはそれらを土産にワカンダに入国する。彼は手錠をかけられて王のもとに連れて行かれるが、王の間に入ったところで自分の名、自分が王族であること、父が前国王に殺されたことを皆に知らしめる。父が殺された理由も述べる。身の回りで困っている、虐げられている人を救う力を持っているのになぜそれを使ってはいけないのかと。ティ・チャラはそれに反論することができない。彼は外のことをほとんど知らない様子だ。彼は外国でスパイとして活動している恋人のナキアに外のことを聞かされて、難民を受け入れたほうがいいんじゃないかと思うシーンもあるが、それは彼の問題にはなっていない。キルモンガーは怒りに満ちているようにみえるかもしれないが、勇気とは短期的な怒りであり、勇気は現状に対して力強く問う。キルモンガーにはそれがあるが、ティ・チャラにはそれがあるようには見えない。ティ・チャラの頭のなかには、弟を殺してまで現状維持を選んだ父の亡霊が棲みついている。

「<大>犯罪者のすがた」が人々にとって、感嘆の気持を抱かせるほどの魅惑的力をもつ理由は、次のように説明しうる。すなわち、ある人がこれこれの犯罪を犯したがゆえに、その人に対して人々が密かな感嘆の気持ちを覚えるのではない。ある人が、掟に刃向かうことを通じて、法的秩序そのものの含む暴力を赤裸々に示すからこそ、人々はその人に対して心ひそかに感嘆するのである。(p104,105)

『法の力』ジャック・デリダ

キルモンガーは王に挑戦する。自分は王族であり、権利があるという。ワカンダのルールに照らして、誰もそれを拒むことができなかった。彼はこの時をずっと待っていた。ティ・チャラがどういう経緯で今の地位にいるのかわからないが(そのことで主人公としての存在感が少し薄い)、キルモンガーはこの儀式のために自分がこれだけの人を殺してきたということを体の傷で見せつける。ティ・チャラはこの戦いで負けてしまい、滝壺に投げ落とされてしまう。ワカンダがキルモンガーに乗っ取られてしまった。しかし、それはワカンダのルールに照らして全く合法である。次いで彼はブラックパンサーになるための儀式を受ける。ヴィブラニウムの混じったハーブを飲み、砂で埋められると夢の中で彼は父に出会う。父ウンジョブが「私は育て方を間違えたかな」といったところで、キルモンガーの目から涙がこぼれる。父と同じことをしようとしていたはずなのに、父に否定されてしまったからだろうか。それは実際の父ではなく、彼の良心が表れたものなのだろうか。それとも、ハーブの力がワカンダの伝統を守らせるために作用しているのだろうか。キルモンガーは夢から覚めると、ブラックパンサーのハーブをすべて燃やすようにいう。彼は王族を集め、各地にいるスパイに武器を届けるように命令する。今、虐げられているものに武器を与えるためだ。王族は反対するが、ボーダー族という国の境界を守っている部族のリーダーが「他の国の技術力も年々あがっている。征服される前に征服しないといけない」と煽りそれらの反対を退け、王に加担する。キルモンガーは武器を配り、ワカンダのルールで世界を征服しようとする。

ティ・チャラは偶然、最初の儀式で挑戦を行ったジャバリ族に助けられ治療されていた。ティ・チャラの妹シュリは燃やされる前に摘んでおいたハーブで彼を復活させる。ティ・チャラはキルモンガーを止めに向かう。ジャバリ族やロスの協力もあってキルモンガーの計画は未然に防ぐことができた。キルモンガーはティ・チャラに胸を刺され、瀕死の状態である。ティ・チャラはキルモンガーが見たいという美しいワカンダを見せようと肩を貸す。まだ王位継承の儀式は終わっていない。決着はどちらかが死ぬか、降参するまでである。ティ・チャラは彼に生きるようにいうが、キルモンガーは牢に入っているくらいなら死んだほうがいいと言い、自ら胸に刺さった槍を抜き死を選ぶ(死んでない可能性もある、なにしろワカンダの技術力の底が知れないので…)。彼の死とともに、夕日が沈もうとしている。沈んでいく太陽の前で、ティ・チャラは闇夜に浮かぶ月のような役割でしかないのではないかと思わせる。この内戦のあと、結局ティ・チャラは国を開き技術や資源を共有することを国連で宣言することになるのだが、それはキルモンガーが夢見たことと同じであるが手段が違っている。彼のなすことはキルモンガーの存在によって照らされ、背中を押されているようにみえる。キルモンガーは目的が正しければ手段は正当化されると思っていた。ティ・チャラは手段を再考した。しかし、手段が適正であればそこから正しい目的や結果が生じてくるだろうか。ワカンダはその伝統を守っていれば常に正しい指導者が王位につくと思っていなかっただろうか。この問いには、論理的な意味ではおそらく決着がつけられない。

自然法が、あらゆる現行の法を、その手段を批判することによってのみ判定しうるとすれば、実定法は、あらゆる未来の法を、その手段を批判することによってのみ判定しうる。正義が目的の批評基準だとすれば、合法性が手段の批評基準だ。だがこの対立にもかかわらず、二つの学派は、共通の基本的ドグマをもつことにおいて一致する。すなわち、正しい目的は適法の手段によって達成されうるし、適法の手段は正しい目的へ向けて適用されうる、とするドグマである。自然法は目的の正しさによって手段を「正当化」しようとし、実定法は、手段の適法性によって目的の正しさを「保証」しようとする。もしこの共通のドグマ的な前提が誤謬であって、一方の適法の手段と他方の正しい目的とがまっこうから相反するとすれば、解決のできない二律背反が生まれるだろう。しかしこの点を明晰に認識するためには、まず圏外へ出て、正しい目的のために適法の手段のためにも、それぞれ独立の批評基準を提起しなくてはなるまい。(p31,32)

『暴力批判論』ベンヤミン
9/10/2020
更新

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