語り手と聞き手、昔からの読者 THE FIRST SLAM DUNK シン・仮面ライダー

THE FIRST SLAM DUNK
映画『THE FIRST SLAM DUNK』公開後PV 30秒 【絶賛上映中】 - YouTube

観客と昔からの読者たち

提示〔showing〕と叙述〔telling〕(模倣〔mimesis〕と物語〔diegesis〕)――さらに最近の用語を用いるなら、言説〔discours〕と物語=歴史〔histoire〕――のような物語的言説を形成する古典的な二極性は、命名に関わる最初の錯綜状態と相関をなしている。人間に関わる言説が指示的かどうかを明言するのが不可能であるのと同じように、それが模倣的か物語的かを決定するのは不可能である。物語の可能性は、語り手、すなわち人間について語る人間の仮構的な存在を前提にしている。それはまた指示的な検証可能性という問題を提起するような行為の必要性を前提にしており、この切りつめられない認識論的な契機は、すぐさま聴衆や読者といった形象=比喩によって表象される。(p291,292)

『読むことのアレゴリー』ポール・ド・マン

現在、同時期に公開している『THE FIRST SLAM DUNK』と『シン・仮面ライダー』はともに原作がかなり昔に最終回を迎えていて、そこからスラムダンクの方は約三十年、仮面ライダーの方は五十年経っている。そのような言わば昔の作品を現代に蘇らせる上で、両者とも似たような工夫をしているように見える。映画をつくるにあたって単純に物語の語り手と聞き手、作者と観客がいるというだけでもいいのかもしれないが、それらはそうなっていない。それらには、物語の語り手、聞き手だけでなく、昔からの読者の比喩が存在している。ここでは聞き手や読者、観客はほぼ同じものとみなしている。昔からの読者は『THE FIRST SLAM DUNK』ではこの映画で主役として描かれている宮城リョータの母親・カオルであり、『シン・仮面ライダー』では緑川ルリ子として表れている。彼女らの共通点は家族が亡くなっていることが示されており、喪失感を抱えていることだ。それは原作の最終回を何十年か前に経験した読者の心情と似ている。原作の終わりと家族の死が重ねられている。喪失感を抱えた彼女らが再びスラムダンクを見る、再び仮面ライダーを見るということが物語の根底にある。そして、彼女らの置かれている状況の違いが物語の親しみやすさの成否を分けている。

THE FIRST SLAM DUNK
映画『THE FIRST SLAM DUNK』公開後PV 30秒 【絶賛上映中】 - YouTube

プロローグ

いつも余裕をかましながら
頭脳的なプレーと電光石火のスピードで相手を翻弄する
湘北の切り込み隊長、ポイントガード・宮城リョータ。

沖縄で生まれ育ったリョータには3つ上の兄がいた。
幼い頃から地元で有名な選手だった兄の背中を追うように
リョータもバスケにのめりこむ。

高校2年生になったリョータは、
湘北高校バスケ部で、桜木、流川、赤木、三井たちとインターハイに出場。
今まさに王者、山王工業に挑もうとしていた。

PROLOGUE | 映画『THE FIRST SLAM DUNK』
公式サイト(映画『THE FIRST SLAM DUNK』

二つの映画でで大きく違うのは、それぞれの映画の中で現在の観客として登場している人物の性質だろう。『THE FIRST SLAM DUNK』では二階の応援席に赤木晴子や桜木軍団、三井や流川の応援団、山王高校の応援団、全国大会連覇中の山王のファン、親に連れられてきたがバスケの試合に興味がなくゲームを始める子供、コートサイドには湘北、山王それぞれの監督やマネージャー、補欠そして審判団や来賓席の人たち全員がコートでバスケットボールをしている選手を見ている。ゲームをしている子供も他の観客の熱気に押されてコートに熱中しはじめる。彼が新しい観客であることは言うまでもない。バスケは選手の交代が自由で何度でもできるので、出場している選手も交代でベンチに下がって、しばらくの間観客の位置にいることになる。安西先生は桜木を一度ベンチに下げて試合をちゃんと見るようにいう。体育館にいる様々な全ての人がコートでプレイしている選手たちを見ている。そこに昔からの読者の比喩でもある宮城リョータの母親・カオルも加わる。現在の観客も昔からのスラムダンクファンも皆が見ているという構図ができあがる。

THE FIRST SLAM DUNK
映画『THE FIRST SLAM DUNK』予告【2022.12.3 公開】 - YouTube

宮城リョータの家は五人家族だった。リョータが小さい頃、父親が亡くなり、母親のカオルが悲嘆に暮れているのを見て、リョータと兄で中学生のソータはこの家を守っていこうと誓うのだが、ソータもあとを追うように釣りの事故で亡くなってしまう。ソータは沖縄では有名なバスケの選手で、地元の誰からも母親からも将来を期待されていた。ソータはリョータの目標で、リョータは適わないながらも1on1でソータに何度も挑んでいた。リョータはバスケでは周りにあまり期待されていなかった。ソータが亡くなってもリョータはバスケを続けようとしていたが、カオルはバスケをするソータの影を見るようで耐えられなかったのか、リョータを拒絶して見なくなってしまう。宮城の家族は沖縄から神奈川に引っ越す。近所のハーフコートで出会った三井寿にリョータもソータの影を見るのだが、のちに拒絶することになる。三井はバスケをやめて不良になっていたからだ。リョータは本物のソータを求めて地元の沖縄に戻り、二人の隠れ家で子どもの頃の思い出と高校バスケで全国優勝する夢を再発見し、バスケをやり直す。そして神奈川県予選を突破し、夢だった全国への切符を手にする。大会へ出発する前日がリョータとソータの誕生日でケーキを食べ、その後もう寝る時間になってカオルは昔のソータがバスケをしているホームビデオを見ていた。ソータのシーンがテレビに映り、カオルは自分に何を問いかけただろうか。リョータが沖縄に一度戻って本物のソータを探しに行ったのと同じことをカオルもしようとしたのだと思う。すると不意にホームビデオはリョータを映し出し、ソータの影がリョータでといったような曖昧な像が分かれてリョータとソータが別個に存在していることをカオルは見る。ビデオの中でソータもいたしリョータもいたの過去形が、ソータはいないけどリョータはいるの現在形になり、昔のホームビデオを撮った時の感覚でまた、リョータをつまり、現在の物語を見れるかもしれないと思ったのではないかと思う。リョータはそのことを知らないが、カオルに感謝と全国大会に行ってきますの手紙を書く。カオルがリョータの出ている試合を見るのを妨げるものは何もない。

これが昔からの読者という巨大な比喩で『THE FIRST SLAM DUNK』が観客を求める映画なら、『シン・仮面ライダー』はいわば無観客試合の映画になっている。

シン仮面ライダー
『シン・仮面ライダー』追告 - YouTube

公安の過大評価

望まぬ力を背負わされ、人でなくなった男。与えられた幸福論に、疑問を抱いた女。
SHOCKERの手によって高い殺傷能力を持つオーグメントと化した本郷猛(池松壮亮)は、組織から生まれるも反旗を翻した緑川ルリ子(浜辺美波)の導きで脱走。
迫りくる刺客たちとの壮絶な戦いに巻き込まれていく。
正義とは? 悪とは? 暴力の応酬に、終わりは来るのか。

力を得てもなお、“人”であろうとする本郷。
自由を得て、“心”を取り戻したルリ子。
運命を狂わされたふたりが選ぶ道は。

『シン・仮面ライダー』追告 - YouTube
『シン・仮面ライダー』公式サイト
シン仮面ライダー
『シン・仮面ライダー』追告 - YouTube

『シン・ウルトラマン』もそうだったが、『シン・仮面ライダー』もかなり話の展開が急で詰め込まれた印象になっている。約百二十分の間にライダーと怪人との戦いが八回もある。仮面ライダーシリーズであれば怪人は秘密裏に行動して人間に危害を加えようとすることが多いので、まず怪人と遭遇すること探すこと自体に時間が必要となるのだが、この過程を全てすっ飛ばしている。例えば、ある場所で不自然な事件や事故が起きる、ライダーの仲間がそれを見つけるあるいはメディアで報道される、ライダーが調査する、怪人を見つける、戦うといったような流れが考えられるのだが、『シン・仮面ライダー』では特に何かが起きた兆候もなくほとんど全てを先回りしたように、怪人を見つける、戦うというプロセスが繰り返される。その結果どうなるかといえば、誰も怪人を怖がっていない物語ができてしまう。誰もライダーを見ていないし、誰も怪人を見ていない。そして怪人と怪人慣れしている人物だけが語りを行う。出てくる一般人は皆怪人に操られている。そこにあるはずの恐怖や驚きなどが全て省かれている。ケイという世界観測用自立型人工知能が全てを見ていることになっているが、反応に乏しく、データを集めて保存しているだけでほとんど物語に関わりがない。しかし、その表情のない仮面だけのような存在が、この映画の唯一の観客の比喩候補である。

ここまで誰にも見られていない状況だと、何か仮面に特別な機能を新たにつけたとしてもライダーがなぜ仮面をつけているのか疑問に覚えてくる。仮面の下の顔を怖がっているのは本郷だけだ。コウモリオーグのいる観客のいないホールが画として象徴的だろう。観客の誰もいない=誰にも見られることのないホールで、コウモリオーグは怪人化して顔が変化しているがその顔を隠していない。そのホールにコウモリオーグに操られた被害者が多数押し寄せてくるが、彼女たち(?)は大勢というだけで視線すらなく、映画を見ている観客には何も分からないまま死んで消えてしまう。

シン仮面ライダー
『シン・仮面ライダー』追告 - YouTube

十五分に一度の戦闘という圧縮された物語をつくる上で、二つの設定が用意されている。一つはSHOCKERから抜け出してその壊滅を狙う緑川ルリ子の存在。もう一つはサポート役の政府と情報機関の男(まとめて公安と呼ぶことにする)の存在だ。ルリ子はSHOCKERにいたので、怪人の人数を知っていて怪人と知り合いだし怪人のアジトも全て知っている。そのため怪人が今何を計画しているかに関係なく、知っている怪人を順番に倒していくことになる。彼女は自分が用意周到だというが、それは物語を平板にしている。ルリ子を昔からの読者(仮面ライダーの場合は視聴者)の比喩だというのは、そのことと関わりがある。彼女は生体電算機として生まれていて目から脳に直接データを入れることが可能だという。彼女は父親の運転するバイクの後ろに乗った記憶(情報)はあるが、体験はしていないのだという。彼女はまずこのような外形からして視聴者のような存在である。ただ、『THE FIRST SLAM DUNK』のカオルとは違って、ルリ子は物語に介入しすぎている。言い換えると仮面ライダーのことをよく知っている昔からの視聴者が物語のネタバレをしすぎている。怪人のアジトを全て知っていてそれを教えるというのは、仮面ライダーの第何話の敵は何々でこういう事件を起こそうとしているかもしれないけどアジトはここだからここに行った方がいいと言うのと同じで、ネタバレそのものだろう。この映画ではそのよく仮面ライダーを知っている昔からの視聴者が、このシン・仮面ライダーに赤いマフラーを渡して、最初は認めないでいたけど、徐々に認め始め、最後にはそのマフラーが似合うといって認める。

シン仮面ライダー
『シン・仮面ライダー』追告 - YouTube

テレビ版の仮面ライダーでは戦わないサポート役は主に科学者や研究者だった。それは本郷猛が大学の研究員だったことから自然だっただろう。実験の研究者は何か資料など研究材料が存在していないと研究することはできない。怪人が何か事件を起こすと痕跡が残るので、事件から採取したものを研究材料を扱う要領で研究所で調べてもらうという過程がテレビ版では存在していた。つまりショッカーによる事件や事故がすでに起きてしまっていて仮面ライダーはその後に怪人に対処するという流れで、研究者というサポート役はその順序を体現していた。しかし、サポート役が公安ということになると話は違ってくる。公安は何かが起こり始める前に事態に対処しなければならないとされるからだ。公安はネタバレと相性がよくその相乗効果で物語は加速していく。はやすぎる公安は仮面ライダーが改造されて誕生したその日に本郷猛と接触している。何かが起こる前に対処するということを公安が完璧に行ったために『シン・仮面ライダー』の本郷猛は一度も、変わってしまった自分を変わる前の自分を知っている人にさらすリスクにあうことがない。公安自体が秘密そのものを行う仮面のような存在だが、公安の協力のもと、また同じ疑問だが、仮面をつけている、顔を隠す意味はあるのだろうか。

シン仮面ライダー
『シン・仮面ライダー』追告 - YouTube

一九三七年にはもうソ連共産党内にスターリンと事を構えようとする反対勢力は見あたらなかったが、それが却って彼には、敵が潜行する術を身につけた証拠と見えたようだ。その年、またもやスターリンは、飢饉が最悪の状況を迎えていたころと同様、国家のもっとも危険な敵は無害で忠実に見える者だと言いだした。すべての敵は、たとえ姿が見えなくとも、仮面を剥いで撲滅しなければならない、と。(p164,165)

ヒトラーとちがってスターリンには、このような政策の実行にあたって思いどおりに使える道具があった。かつてはチェーカー、その後はOGPU、やがて〔一九三四年七月以降〕NKVDと呼ばれた国家警察だ。(p165)

『ブラッドランド 上』ティモシー・スナイダー

リバウンドの物語

THE FIRST SLAM DUNK
映画『THE FIRST SLAM DUNK』予告【2022.12.3 公開】 - YouTube

『THE FIRST SLAM DUNK』の主人公は宮城リョータだったが、原作の漫画版では主人公は桜木花道だった。この違いはどう表れているだろうか。

リバウンド――それはシュートの外れたボールをとること

リバウンドを多くとれば それだけ味方ボールになる機会が増え 必然的に攻撃の時間が長くなる

逆にリバウンドをとれないチームは 常に攻められてる感じを味わうことになる

バスケットにおいてリバウンドは勝敗に大きくかかわってくる要素なのだ!!

さらにリバウンドが強いと周りの選手も思い切りのいいシュートがうてるものだ(p55)

『SLAMDUNK#5』井上雄彦

漫画版の序盤は「リバウンドを制する者はゲームを制す」と「あきらめたらそこで試合終了ですよ」という言葉が物語を象徴する言葉になっていて、それがバスケの試合に表れるのは主にリバウンドだった。リバウンドは誰かのシュートが外れてリングに弾かれたとき、それを拾うことだ。ディフェンス側でリバウンドをとればオフェンスに転じることができ、オフェンス側でリバウンドをとればオフェンスを続けることができる。どちらにしても、攻撃をやり直す時にはリバウンドは欠かせない。セカンドチャンスを得られるかどうかで勝敗の行方が変わってくる。桜木はシュートはレイアップしかできないが、大事なところでリバウンドを拾ってセカンドチャンスをつくりだし、諦めない姿勢をプレイで示してチームを勢いづけることができた。宮城のプレイあるいはポイントガードというポジションでチームの勢いそのものを印象付けるようなプレイを持続することは難しいように思う。チームのムードメーカーは桜木なのだ。

海南戦になると様子は変わってくる。桜木はレイアップかダンクしかできないので、リバウンドをとった後の選択肢が少ない。レイアップには助走が必要だし、ダンクをするにはゴールのほぼ真下でフリーになる必要があるが、落ちてくるボールの位置は毎回違うし、リバウンド争い後のゴール下は選手で密集している。海南戦の最後のようにゴールから離れた位置でリバウンドを拾うと桜木はパスを出すしかない。試合終了間際、逆転を狙った三井のスリーポイントが外れて桜木がリバウンドを拾いパスをするのだが、時間に追われてかパスミスをしてしまいそのまま試合終了を迎えて湘北は負けてしまう。リバウンドに意味がないわけではないのだが、やはり点を取らないと相手に勝てない。この試合を反省して桜木はボーズになるが変わろうとしているのは外見だけではない。ここから単にリバウンドの物語、単に諦めない物語ではなくなる。

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映画『THE FIRST SLAM DUNK』予告【2022.12.3 公開】 - YouTube

四点プレイの幽霊

桜木はジャンプシュートを覚える。陵南戦の前まではゴール下のシュートを、全国大会の前にはミドルレンジからのシュートを習得する。これは単に桜木のオフェンスの選択肢が増えるというだけではない。それは彼が奇襲の起点になることを意味する。

安西 君は極めてゴールに近い位置からしかシュートできないということだ インターハイで戦う相手は恐らく湘北のそういうデータを持っている もし私が相手のコーチなら君のことはほったらかしでしょう ゴール下以外入らない10番はほっとけほっとけ そのかわり得点力のある11番に2人つけ ところが… あっバスだ どーせ入らんほっとけ …… ニヤリ スパッ ガーン 相手はまさかこの短期間に入るよーになってるとは思いもよらないからフリーでうたせる どうだね桜木君 ワクワクしてこないかね(p133-135)

『SLAM DUNK#22』井上雄彦

兵力の絶対的優勢が得られなかった場合にも、兵力を巧みに運用すれば、決定的な地点に相対的優勢を配置するという手立てが残されているし、また実際にそうするよりほかに途がないのである。(p295)

前章では、決定的地点に相対的優勢を投入するという方針について論じた、そしてこれは戦闘一般に通じる方針であった。ところでここからまたいま一つの方針が生じる、従ってこれもまた一般的な方針でなければならない、すなわち敵に奇襲を加えるということである。戦闘においては奇襲は、多かれ少なかれ一切の企図の根底に存する、実際これがないと決定的地点における相対的優勢ということさえ考え得られないのである。(p298)

ここで言うところの奇襲とは、有りとある方策を講じ、特に兵力を巧みに分割して行う攻撃手段のことである。かかる意味での奇襲は、防御においても十分に考えられ得るものであり、戦術的防御においては特に主要な要件になるのである。(p298)

『戦争論 上』クラウセヴィッツ

山王戦の出だしは宮城と桜木が試合前に打ち合わせた奇襲のアリウープではじまる。これは普通の意味で相手の準備が整う前に攻撃するという意味の奇襲だが、クラウセヴィッツは兵力の相対的優勢を得る手段という意味で奇襲という言葉を使っている。バスケは5対5のスポーツだが局面局面では攻撃で2対1や3対2というシーンを作り出したり、身長差の違う相手、スピードの違う相手をマッチアップさせてミスマッチを狙ったりして有利に試合を進めていく。もしもシュートのできる桜木がオフェンスでほっておかれるなら、その状態ですでに奇襲は九割がた完成している。彼はフリーでボールを受け取るという相対的優勢を得て得点につなげるだろう。

陵南戦でその萌芽が見られていた。陵南の監督は桜木と控えの木暮を湘北のマイナス要因とみなしマークを緩めていた。そのおかげで相対的優勢が発生し、木暮は桜木のパスを受けてフリーでスリーポイントを決めた。マイナス要因だと決めつけられているものが相手選手の注意を動かして有利なシーンをつくる。桜木の存在そのもの(陵南戦では木暮も)が奇襲なのだ。山王戦、後半早々山王のゾーンプレスで得点で大差をつけられる。宮城得意のドリブルでプレスは脱するのだが、オフェンスの方法がないまま点差を広げられる。安西監督は桜木をベンチに下げて試合をベンチから見るようにいう。安西は湘北のオフェンスリバウンドを桜木が取れたら、山王が速攻をするチャンスが消え二点分の働きになり、さらに得点も決められれば二点が入って合計四点分の働きになるという。桜木は今までにないチームからの期待に嬉しくなると同時に期待された役割をこなす。オフェンスリバウンドもそうだが、素人の彼が相手の知らない期待された役をこなすだけで、それは奇襲であり四点プレイなのだ(不良が日本一に近いバスケットマンになるというのもある意味奇襲だ)。以降桜木のプレイは伝染し、体力を削られて立っていることがやっとの三井がスリーポイントシューターとして役割をこなし、点取り屋の流川が1on1でパスを選択し、いつも1対1を2対1や3対1の相対的優勢に見せかけながら相手を切り崩して点を重ねていく。それは流川のラストパスにつながっていく。

THE FIRST SLAM DUNK
映画『THE FIRST SLAM DUNK』予告【2022.12.3 公開】 - YouTube

桜木の奇襲の役割はオフェンスだけではない。クラウセヴィッツが述べているようにそれは防御にも当てはまる。陵南戦では「桜木がなぜいる そこに(p34)『#21』」と相手の監督が驚きや、山王戦『#30』のp20、p36のシーンが典型だ。もともと桜木はスタメンじゃなかったりすぐに交代させられたり、ボールを追いかけてカメラマンが構えているところに飛び込んだり、観客にやじったり、観客を味方につけるために来賓席に乱入したりとバスケのコートの中にとどまらない存在だ。彼はどこにでもあらわれる。そのどこにでもあらわれること、そのものがディフェンスとして機能している。#30のp20では幽霊のように山王の沢北の前にあらわれ、p36で宮城が分析しているように実質的な1対2という相対的優勢の状況を作り出している。

桜木が主人公の場合にはこのような奇襲の物語、マイナス要因だったものがマイナスも同時にプラスに変えて四点プレイにしていくような物語が中心だった。映画の場合はどちらかというと宮城の人生における逆境を乗り越えることが山王戦に勝つことに重ねられていて少し違ったものになっているように思う。それでも子どもの頃や一度地元に帰省した時の宮城リョータのように昔の箱を開けたくなるような作品であることは間違いない。

THE FIRST SLAM DUNK
映画『THE FIRST SLAM DUNK』公開後PV 30秒 【絶賛上映中】 - YouTube
5/20/2023
更新

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