大衆の反逆 リロ&スティッチ

リロ&スティッチ
「リロ&スティッチ」吹替版クリップ「この子の名前!スティッチ!」編|大ヒット上映中! - YouTube

両親を亡くした少女リロと姉のナニ。

ひとりでリロを育てようと奮闘するナニだったが、若すぎる彼女は失敗ばかり。

離れ離れになってしまいそうな姉妹の前に現れたのは、家族の愛を知らない暴れん坊のエイリアン、スティッチ。

予測不可能な彼の行動は、平和な島に大混乱を巻き起こすが、その奇跡の出会いはやがて、希望を失いかけた姉妹を変えていく…。

実写映画『リロ&スティッチ』公式サイト|ディズニー公式

迫害を逃れて

ドラゴンボール
【公式】ドラゴンボールZ 第1話「ミニ悟空はおぼっちゃま! ボク悟飯です」 - YouTube

二〇〇二年のアニメ版『リロ&スティッチ』は、試作品626号と呼ばれる遺伝子改良された実験体が、ある宇宙船で生まれ、頑丈でIQも高い上に破壊のみをプログラムされていて危険だということで処刑されそうになるところから始まる。その試作品はのちにスティッチと呼ばれるが、スティッチは機転を利かせて小型のポッドで宇宙船を脱出し、ハワイに不時着する。宇宙船からはスティッチを作った科学者と地球に詳しい案内人が二人でスティッチを取り戻そうとする。

スティッチだけに注目すると、この話はほとんど『ドラゴンボール』と同じに見える。ある星から逃れた宇宙人が地球にやってきて、その後その宇宙人を取返しにくるものがやってくる。主人公のカカロットは、サイヤ人の星である惑星ベジータで生まれる。直後にフリーザが惑星ベジータに現れ、サイヤ人の成長性や潜在能力が自分に対する脅威になるという理由で、その星を粉々にしサイヤ人を絶滅させてしまう。赤ん坊のカカロットは星が爆発する前にポッドに乗せられ脱出し、地球に落ちる。そのポッドを孫悟飯が見つけ、孫悟空として育てる。悟空は初めは狂暴な性格だったが、頭を打ったことがきっかけでおとなしい性格になる。その後、天下一武闘会やピッコロ大魔王との戦いなどで地球を救い、仲間を得て、大人になり、結婚し子供を得たあとで、サイヤ人の生き残りが悟空を迎えに来る。

ここで作品同士の影響関係を確定したり強く推したりするつもりはない(カメハメハとかドラゴンという単語が頭をよぎる)。『ドラゴンボール』も『スーパーマン』から影響を受けているだろうし、他の様々な何かから影響を受けているだろう。『スーパーマン』もさかのぼれば、アメリカ建国時の清教徒に影響を受けた何かに影響を受けているのかもしれない。問題はスティッチが何か模倣的な何かに見えることである。ここで模倣的とは別の虚構から模倣しているように見えるということである。スティッチは虚構的に独りぼっちなのだ。ある世界から模倣されただけで、スティッチ自身は固有なものを持たず破壊性や高IQなど性質があるのみで、別の世界になじんでいない。スティッチはハワイに不時着するが、そこでは持ち前の破壊の本能を使うような場所がない。劇中でスティッチが『吸血原子蜘蛛』の真似をしたり、『みにくいアヒルの子』を読んで心を動かされたりするが、それは自分以外に世界になじんでないものを発見したからだろう。そんな中でスティッチはハワイの固有性、破壊できない何かを発見する。

ある民族が誇り高く、高度な固有の文化を持っているとき、その民族は奢りたかぶり、あまり外部のものを真似ることができない。プライドが許さないからである、これに対して、民族的に混血を繰り返している、いわば流動的状態にある民族は、そのような硬直的な文化観がなく、したがって新規なアイデアが外部にあれば、貪欲にそれを摂取する傾向が高い、つまり、民族的あるいは文化的ヘテロジニィーティ(混血性)の高い民族は、エミュレーション性が高い。(p50,51)

エミュレーションとは「模倣+アルファ」であり、このアルファには二つの意味がある。その一つは「競争状態」であり、もう一つは「外部性」である。前者は、競争で模倣が行われることを示し、後者は、模倣だけでなく、何か外から別の技術を連結したり、融合させたりすることを示している。(p11)

『テクノヘゲモニー』薬師寺泰蔵
リロ&スティッチ
「リロ&スティッチ」吹替版特報60秒|6月6日(金)劇場公開! - YouTube

ハワイの歴史的縮図

リロの世界にスティッチは飛び込んでくる。

リロ&スティッチ2002
Hawaiian Roller Coaster Ride (From "Lilo & Stitch") - YouTube

リロとナニは姉妹二人で生活しており、両親は車の事故で亡くなっている。ナニはリロが言うことを聞いてくれないので、手を焼くことが多くあり、福祉局として現れているバブルスにも家庭がうまくいっているのかどうか目をつけられている。リロは友達となじめず、フラの練習の前に魚にサンドイッチをあげたり、他の子供たちが遊んでいる市販の人形ではなく手作りの人形を大事にしていたりと、何かこだわりが人より強い子と思われている。

これはよくある貧困家庭を扱った物語なのだろうか。おそらく違うだろう。この映画の最後でリロが大事にしていた両親とナニとリロ、家族四人の写真にスティッチがコラージュされたものが映る。リロは親友が欲しかったのでこの映画を経てスティッチという親友を得たということなのだが、そこに両親の顔もはじめて映る。つまり、リロはこの映画の過程でリロだけでなく両親も何かしらの意味で獲得している。リロが獲得した何かしらの意味での両親とは何なのか。それはハワイの歴史そのものだろうと思う。リロはハワイの先住民の子供であると思われる。両親がいないこと、経済的に困窮していること、こだわりが強いために友達がいないこと、これらはおそらくハワイの先住民としての歴史が無いものにされていることの表象なのだろう。

ここまで「だろう」とか「おそらく」という単語を幾度も使ったが、この映画はディズニー映画なので歴史的なことについてはほとんど示唆するような表現しかしていない。例えば、蚊がそうである。ハワイで蚊というと何を思うだろうか。暖かいし水が多いから蚊が多いのかとか思いつくかもしれない。地球通で研究員のプリークリーは地球が蚊の生息地で地球を保護しなくてはいけないといい、元CIAのバブルスは蚊で宇宙人から地球を救ったなどといい、蚊が何か大事なことのように扱われている一方で大した説明がなされないのでギャグのようになってしまっている。蚊がなぜ重要かは「オハナ」という言葉に関わってくる。

タロイモは、ハワイ先住民の祖先たちがハワイに到着したとき、主食として持ち込んだ大切な植物だった。日本人が傾斜地に千枚田を開くように、かつてハワイ先住民は幾枚ものタロイモの水田を扇状地に開いた。

タロの主根はマクアと呼ばれる、マクアとはハワイ語で人の「親」をも意味する。(……)主根から出た小さなイモは、ケイキと呼ばれるが、ケイキとは子どものことでもある。この主根から出ている小さなイモは、別にオハとも呼ばれる。このオハから、人間の家族をさすオハナという言葉が生まれた。

つまり、タロの生態はハワイ先住民の家族社会を象徴するものであり、タロの成長は人の生殖と対応して理解されるのである。

(p33)『ハワイ』山中速人

オハナという言葉は単に家族やfamilyと翻訳される以上のもの、先住民の伝統的な生活や彼らがそこに住む自然などの意味を含んでいる。リロが最初に海で魚にサンドイッチをあげてからのシーンはこのことを示唆しているのかもしれない。

ワイキキの本格的な開発の決定的な引き金になったのは、一八九六年に成立した法律第六一号だった。(……)

ワイキキが公衆衛生上の深刻な問題を抱えていたというのは、ワイキキの養魚地や水田が、大量の蚊の発生源になっていたからである。観光開発を促進したい政府にとって、ワイキキのイメージダウンをさせる蚊は、深刻な問題だった。

ただ、考えてみれば、湿地に蚊がいるのは自然なことである。自然の生態系が維持されていれば、たとえ蚊が発生しても、それを食べる天敵が適度にコントロールしてくれる。だから先住民たちは、長い間たいした問題もなく蚊とつきあってきたのである。

しかし、当時のワイキキの湿地は、自然の浄化能力を失いつつあった。というのも、ワイキキの保養地としての開発が進むにつれて、別荘やホテルからの排水が直接養魚地や水田に流れ込み、水質が悪化し続けていたからである。

この問題を解決する方法として成立したのが、先の法律第六一号だった。

この法律は、政府保健局に特定地区の衛生状態を判断する権限を与えた。そして、保健局が不衛生と認定した土地の使用者はその改善を義務づけられ、改善ができない者は政府の強制的な改良事業を受け入れなければならなかった。(……)ていのよい土地取り上げであった。(……)

こうして、衛生改善の名目でワイキキの多くの水田や養魚地は埋め立てられ、新たに造成された土地の使用権はリゾート開発のために業者に転売されていった。

(p97-99)『ハワイ』山中速人

この開発によって埋め立てられた土地だけでなく、周辺の土地も塩害や水質汚濁で環境が破壊され、農業や水産業が成り立たなくなり、それを基盤としていたコミュニティは失われてしまった。ただ、これはハワイの先住民が受けた苦難の一つにすぎない。

十九世紀以降のハワイには西洋からさまざまなものがもたらされた。新しい知識や技術、貿易がもたらす富の恩恵を受ける者が一部にいる一方で、貧困や病気に苦しんだハワイアンも多かった。梅毒や麻疹(はしか)など、それまで存在しなかった病に蝕まれ多くの人が命を失った。また、生活の苦しさから逃れるため、コミュニティを離れて外の世界に出ていったものも多かった。その結果、ネイティブ・ハワイアンの人口は急速に減少し、十八世紀末には三〇万といわれた人口が、一九世紀の半ばには七万ほどになっている。

(p19,20)『ハワイの歴史と文化』矢口祐人

ハワイが多民族社会になった理由には、二つの要因が関係している。一つは、クックとの接触以降、ヨーロッパ世界から持ち込まれた病原菌によって先住民人口が激減したこと。もう一つは、一九世紀以来、白人起業家たちが始めた砂糖きびプランテーションのために必要な農業労働者を、おもにアジアから大量に移民させたことである。

(p48)『ハワイ』山中速人

実写版の方が分かりやすくアジア系の労働者が多くいることが見て取れるが、それは単にハワイの多様性として認識されるものではなく、ハワイの歴史的な苦難の結果である。しかし、そのような歴史的な認識を重要視すること自体がめんどくさいことにされている。他の子どもが市販の人形で遊んでいるところに、リロが手作りの少し奇妙な人形を持ち出して来て、子どもたちが気味悪がって逃げてしまうのはその表現だろう。他の子と違ってリロは商業主義的なコピー商品では満足できないのだ。

リロ&スティッチ
「リロ&スティッチ」吹替版特報60秒|6月6日(金)劇場公開! - YouTube

過去のない怪物

歴史的知識は、成熟した文明を維持し継続するための第一級の技術である。それは、さまざまな生の衝突――生は常にそれまでのものとは変化していく――の新たな様相に積極的な解決策を与えてくれるからではなく、以前の時代を知らないことによって起きる間違いを回避させてくれるからだ。だが、もしあなたが年寄りになり、あなたの人生が困難なものになり始めたばかりでなく、過去の記憶をも失ってしまったなら、あなたは自分の経験が利用できず、すべてが不利になってくる。

(p175)『大衆の反逆』オルテガ・イ・ガセット著 佐々木孝 訳
リロ&スティッチ
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リロは友達ができないことを悩み、流れ星に友達ができるように願う。そうして出会ったのがスティッチであることに何か少し罠を感じてしまう。リロが欲しかった親友というのが、全く過去を持たないものだからだ。リロは亡くなった両親と彼らに象徴される忘れられようとしているハワイの伝統や言葉や文化に思い入れがあるにもかかわらず、スティッチにはそういったものが何もない。リロはスティッチに対して自分の鏡像のようなものを感じていて、物を壊したりいたずらしたりするスティッチに「さびしいからなんでも壊しちゃうの?」みたいなことをいう。二人が似ているとはいえ、その言葉を二人に使うと全く意味が違ってくる。スティッチにその言葉をかけたとして、スティッチには過去がないために、「さびしい」をその場の感情以上にさかのぼることができない。それゆえ、スティッチは『みにくいアヒルの子』に頼らざるを得ない。リロにとって「さびしい」はハワイの忘れられつつある文化そのものにかかっている。スティッチだけに注目するとハワイの過去を忘れてしまう恐れがある。

実写版の映画はこの罠を踏んでしまっているのではないだろうか。蚊と公衆衛生とリゾート開発の関係を上述したが、公衆衛生によって土地が奪われた先住民と児童福祉によって家族が引き裂かれそうになっているリロとナニは少し似ている。アニメ版は福祉局の人間が元CIAで彼が宇宙人を見ているのか、リロとナニを見ているのか曖昧なところがある。そして二人が離ればなれになることはない。実写版は福祉を重視して福祉職員が独立して存在するようになり、ナニはこの福祉を受け入れてしまっている。ナニは優秀で大学へ行く能力があるが、リロの面倒をみるためにそれができない状況だ。そこで、リロとナニを引き離し、ナニは奨学金でカリフォルニアの大学へ行き、リロは職員の手配で知り合いのお隣さんに預かってもらうことになり、二人とも不満のないかたちで結末を迎えた。それに宇宙人のワープ銃(?)があるので、それがあればいつでもゲートを開いて二人は会うことができる。『コーダ あいのうた』(直接性と間接性の間で コーダ あいのうた - kitlog - 映画の批評)と似たような状況で、能力のある人物が能力を認められる場所へ行けることはいいことだろう。しかし、アニメ版でハワイの歴史を断片的にでもあらわしているなかで、行政が介在したそのような善意の物語も引っかかるところが出てきてしまう。

エリック・エノス氏に登場いただき、彼の個人史をたどってみたい。(……)

一九四九年、ワイアナエの貧しい農民の子どもとして生まれた彼は、当時の一般のハワイ人少年たちの羨望の的だったカメハメハ・ハイスクールに入学を許可される。

当時この学校は、彼の言葉を借りれば、「白人支配を支えるためのハワイ人エリート」を養成する全寮制の学校で、選ばれた優秀な先住民子弟が集められ、白人同化主義の教育が行われていたという。教員たちは、「おまえたちは、あの貧しく愚かなハワイ人にもどりたいか。戻りたくないなら、ハワイ人意識を捨てろ」と繰り返したたき込んだそうだ。

(p171,172)『ハワイ』山中速人

このようなことが現在でも行われているとは思わないし、カリフォルニアの大学とは何の関係もないだろう。ただ、アニメ版と実写版の違いは実写版のほうがハワイの文化を邪魔者扱いしているのではないか、先住民の文化や歴史と商業主義を比較して安易に後者をとっているのではないかと考えたくなるような部分がある。その改変がダメかどうかはおいておくとしても、アニメ版と実写版は同じように見えてかなり違ったことを伝えている。

リロがリゾートホテルのプールでくつろいでいるのは微妙なところだが気になる。序盤で最も気になるのは、リロがフラを中断させてしまうシーンだ。アニメ版ではリロが魚にサンドイッチをあげるのに、ツナのサンドイッチだと共食いになるからピーナッツバターを塗ろうと思ったが、なかったので買いに行っていて遅刻した、魚の名前はパッジで天気を操ってる、などとフラの仲間の前で遅刻した理由を説明していると、同じ年頃の白人の女の子に「気持ち悪い」みたいなことを言われ、リロはその子を叩いてしまう。ここでは子供のケンカではあるが、先住民の文化が白人に否定されるという厳しい側面を描こうとしている。実写版でもリロは確か白人の子だったかに嫌がらせを受けるのだが、彼女はそれで癇癪を起して暴力の向かう先が、その同世代の女の子ではなく、これもおそらくだが先住民の大人のフラのダンサーを舞台から押し出してしまう。オリジナルがなければ何も思わなかったかもしれないが、その違いのせいで実写版のほうは先住民の文化を押し出そうとしているのではないか疑ってしまう。それに、リロが流れ星に欲しいと願った友達はスティッチのような宇宙人ではなく人間の友達だったはずだ。アニメ版では最後にケンカになって失敗したフラをスティッチも加えて皆で踊るシーンがある。リロと叩かれた子の間に何があったかわからないが、何らかの相互理解があったことは予想できる。つまり、叩かれた子がフラを続けているのは、以前より少しでも何かハワイの先住民のことを知ったのではないかと予想できる。しかし、実写版はスティッチと姉のナニがいて満足という閉じた終わり方をしている。

ジャンバとプリークリーの変装が高度な人間のコピーになっているが、二人とも白人である。これが単に白人ということなら、白人のジャンバとプリークリーがスティッチという移民を追いかけてつかまえるというかたちで現在のアメリカを描いているのかもしれないが、それではハワイを描いたことにならなくなってしまう。おそらく単に白人の表象というわけではなく、アニメ版の二人の監督であるクリス・サンダースとディーン・デュボアの表象で、実写版の映画がアニメ版が描いたものから逃れていい映画を作るみたいなメタなことをやっているのではないかと思う。その結果としてアニメ版で描かれたようなハワイの先住民文化が脇に置かれてしまっているのではないか。

エリック・エノスさんの個人史には続きがあり、それはほとんどリロのモデルといっていいほど似通っている。彼はその後ヴェトナム戦争でアイデンティティが揺らぐ。そして先住民の非行少年たちに美術を教えるようになり、彼らに自信を持たせるには先住民文化を復興しなければと思うようになる。非行少年がスティッチだとしたらどうだろう。

彼はこのハイスクールを卒業後、ハワイ大学に進学する。彼が専攻したのは美術だった。そして、そこでヴェトナム反戦運動に出会う。

ヴェトナム戦争では、貧しいハワイ先住民たちからも多くの若者が戦争に駆り出されていった。(……)運動のなかで、彼はそれまでの生き方を揺り動かされることになった。同胞を蔑み、白人のようになろうとしてきた生き方の延長に、ヴェトナムに侵略する指導者たちの姿が重なって見えたのである。

アイデンティティが揺らぎ、目的を失ってぶらぶらしていたエリックを運動に誘ったのは、ハイデン&ブアナニ・バージェス夫妻だった。少年院から戻ってきた非行歴のある若い先住民少年たちの更生のために、ワイアナエで彫刻教室を開催しようと考えていた夫妻の目に彼が止まった。夫妻は、彼にその教室での指導を依頼したのである。

自信や誇りを失って非行に走った少年たちとのつきあいを通して、彼は、自分の民族性を逆に自覚するようになる。少年たちに自信と誇りを取り戻すには、自分たちがハワイ先住民であるという誇りを取り戻すことが根本だと考えるようになった。そして、それは、彼自身にとって、失われたアイデンティティを再び取り戻すことであった。

彼は、自分に流れるハワイ先住民、日系人、白人とそれぞれ違った民族の血のなかから、先住民の血を選ぶことを決めた。(……)エリックは生まれた土地ワイアナエに留まり、主体的に運動に身を投じたのである。

(p172,173)『ハワイ』山中速人
リロ&スティッチ
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7/10/2025
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