吐く男 IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。

静かな田舎町デリーで、27年前と同様の連続児童失踪事件が発生。そんなある日、幼少時代に事件に見舞われ、真相に立ち向かったルーザーズ・クラブのメンバーの元に、「COME HOME COME HOME(帰っておいで…)」という不穏なメッセージが届く。“それ”が再び現れたことを確信した彼らは、かつてかわした約束を守るべく、町に戻ることを決意する。

IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。 | 映画-Movie Walker

(映画『IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。』オフィシャルサイト

前作の批評はこちら(”それ”はITかジョージーか、記憶と想像について IT/イット “それ”が見えたら、終わり。 - kitlog - 映画の批評
IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。
(映画『IT/イット THE END』US版予告2 2019年11月1日(金)公開 - YouTube

弱まったピエロの誘惑、狂人からの招待

母親に野球場に連れられて来て野球を見ていたが、少女には退屈だった。すると、蛍がやたらと大きな音を立てて飛んできて、自分のところに止まったかと思ったらどこかへ行ってしまう。彼女は母親が野球観戦に夢中になっているのを確認して、蛍を追いかけていく。野球場のバックヤードで、蛍の光が消えたかと思うと暗闇からペニーワイズが顔を出す。彼女は少し怖いと思いながらも名前を呼ばれたので興味を持って、そのピエロに話しかける。彼女は「こっちに出てきて顔を見せて」というが、ペニーワイズは「皆が自分の見た目をからかうから、このままの方がいい」という。彼女は顔に生まれつきの痣があって「私もこれのせいで皆にからかわれる」という。ペニーワイズは「その痣を取ってあげよう」といって、彼女にもっと近づくようにいう。ペニーワイズは彼女が近づいてきたところで噛み殺してしまう。

それまでの退屈さと、何かの好奇心を刺激するもの、その人がずっと気になっていることを巧みに使って、ペニーワイズは子供を上のように引き寄せることができる。『IT』の前編(”それ”はITかジョージーか、記憶と想像について IT/イット “それ”が見えたら、終わり。 - kitlog - 映画の批評)では、それらはうまく機能して子供をうまく誘惑したり怖がらせたりする様子が描かれていた。デリーという街には謎があり、多くの子供が行方不明になっている。そこで、街の歴史を調べたり、街の地図を調べたりして、その行方不明者の謎を解いていくことが好奇心とともに恐怖の正体を明らかにすることとつながっている。特にビルは弟のジョージーが排水溝に流されて死体がどこに行ったのか、まだ生きているのではないかとして、その謎を解くのに強い動機を持っている。

しかし、今作ではそれはうまくいかない。主人公たちが大人だからだ。それに彼らはペニーワイズがいた頃のことをすっかり忘れてしまっていることになっている。彼らを街に引き寄せるものは自然には存在しない。彼らを街に呼び寄せるために、二十七年間、街の図書館にこもりペニーワイズに関する文献を読みつくし、街の全員にインタビューをしてペニーワイズの謎を追いかける人物が必要だった。そのような狂った人物がいなければ、おそらくペニーワイズは無視されたままだっただろう。その人物はルーザーズの一人のマイク(イザイア・ムスタファ)なのだが、彼がルーザーズの皆に連絡をし、同時にこの二十七年の間にペニーワイズの謎を解いてしまっている(と思っている)。それゆえに、それ以降謎解きは存在せず、ただマイクの言うとおりに皆が従うだけという展開になってしまう。ルーザーズの皆が皆とても裕福になってはいるものの、子供の頃のトラウマを内心に抱えていて、子供の頃と同じ行動や環境に囚われてしまっている、それからの解放が必要というだけでは前編とほとんど同じことをすることになってしまう。少女を誘い込むような、「蛍」は存在しないかのように見えるが、それでもこの物語は謎を残している。

(『恐怖の哲学 ホラーで人間を読む (NHK出版新書)』では著者が「人はなぜホラー映画を楽しめるのか」という問いを立ててノエル・キャロルを援用してホラーは恐怖とともに人々の好奇心を満たすことから、恐怖よりも価値のあるものを提供しているように見えるのだという。この本では恐怖はそもそも不快ではないという唯物論的な仮説も立てているが、これはどうなんだろう。)

好奇心は喜びでありますので、すべての新奇なものはそうですが、人がそこに自分自身の地位を高めるという正しい、あるいは誤った意見を感じとるような新奇さについてはとくにそうであります。といいますのは、そのようなばあいには、それらは、トランプが切られているあいだ、すべての賭博者に希望を抱かせているようなものであるからであります。(p98)

法の原理』ホッブズ

子供っぽさと同性愛

IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。
(映画『IT/イット THE END』US版予告2 2019年11月1日(金)公開 - YouTube

映画の冒頭の場面、デリーのお祭りで水鉄砲の射的が行われている。ピエロの口に水鉄砲で水を入れてそれで膨らんだ風船を最初に割ったものが賞品としてぬいぐるみがもらえる。子供だけの参加者のうちに一人だけ大人が混ざっている。もちろん大人の彼が一番になり、ぬいぐるみをもらう。するとパートナーの男がやってきて「おい」と大人気ないぞという風に子供に注意をうながし、彼女にぬいぐるみを与える。その後、彼ら男二人はキスをして、街のチンピラに絡まれ、顔をボコボコに殴られ、その射的をしていた彼エイドリアン(グザヴィエ・ドラン)は川に突き落とされてしまう。パートナーの彼が川原まで降りてエイドリアンを探しているとペニーワイズがエイドリアンを捕まえ噛み付いている。橋の下から無数の赤い風船が落ちてきてペニーワイズらを隠し、そのまま彼らはどこかにいなくなってしまう。

ここでは今までと違うことが起こっている。エイドリアンは何かを怖がっているようには見えない。それにピエロの誘惑にもあっていない。射的で赤い風船を割っただけだ。けれどペニーワイズにとらえられている。エイドリアンについていえることは、子供に混ざって射的をやってしまう子供っぽさ、大人気なさと同性愛者であることだけである。それらがおそらく今作のペニーワイズのターゲットである。しかし、やはり同性愛を嫌悪し恐怖するものでなく、同性愛者のほうが狙われるのはひっかかる。エイドリアンは喘息で喘息といえばエディだが、彼に関することも少し匂わせている。

閉鎖の恐怖と開放の恐怖

IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。
(映画『IT/イット THE END』US版予告2 2019年11月1日(金)公開 - YouTube

この映画には二種類の恐怖がある。一つは、閉じ込められることの恐怖だ。マイクは友人のビルにペニーワイズの倒し方を教えるからといって、何も言わずにドラッグ入りの水を飲ませる狂ったやつだが、倒すためにはチュードの儀式をすることが必要なのだという。そのためには、ルーザーズの一人ひとりがこの街の思い出を振り返って、思い出の品を探して儀式のために捧げなければならないのだという。ベバリー(ジェシカ・チャステイン)は自分の生家を訪ねると知らない老婆が住んでいて、あなたの父はもう亡くなっていると告げる。せっかくだからお茶とクッキーでもと招かれるのだが、老婆の正体はペニーワイズでベバリーが父に支配されていたことを思い出させ、そこに閉じ込めようとする。彼女が逃げようとしてアパートの扉が開かないことがそのことを示唆するが、彼女はペニーワイズにFワードを言い捨ててその部屋を脱出する。何かが迫ってきてるのに扉が開かないというのはいつでも恐怖を呼び起こすが、これはまさにそれである。

ビル(ジェームズ・マカヴォイ)は死んだジョージーに招かれて閉じられた排水溝に引っ張られることをなんとか回避する。エディは誰もいない地下で不潔なゾンビのような男に遭遇するが、逆に絞め殺してしまい、閉じられた地下から脱出する。ベンはペニーワイズから逃げて隠れたロッカーにペニーワイズがあらわれてそこから抜け出る。これら閉じ込められる、そこから抜け出るという恐怖と対照をなしているのがリッチーの恐怖だ。

特異なのは、牛乳瓶の蓋のようなメガネをかけ、眼が強調されたリッチー(フィン・ウルフハード)である。彼は彼ら「ルーザーズクラブ」のなかで唯一恐怖に感じるものがなかった。彼らがピエロに会ったことがあるか?いつピエロに出会った?何が怖い?とお互いに話しあっているときにリッチーは自分の経験や過去にある対象ではなくピエロが怖いという。彼にはそれまでピエロが出てこなかったのだが、みんなの話を聞いて怖いと思うようになったのだろう。

”それ”はITかジョージーか、記憶と想像について IT/イット “それ”が見えたら、終わり。 - kitlog - 映画の批評

前作のときはリッチーは恐怖の明確の対象がないのが特異だと書いていた。リッチーはピエロが恐いとだけいっていたのだが、その意味が今作で明らかになった。リッチーは子供の頃の軽口そのままにスタンダップ・コメディアンになっていて、子供に言い寄られるほど有名らしい。彼はマイクに思い出の品を取ってくるようにいわれて、ゲームセンターへ行く。彼は子供の頃を思い出し、ストリートファイターで遊んでいて、一緒に遊んでいた男の子に「もうちょっと遊ぼう」と誘ったのだが、ヘンリーたち街の不良集団が現れて、リッチーを同性愛者扱いして「俺のいとこに手を出すな」とからかい、リッチーはそこから逃げ出してしまう。彼が広場に出るとペニーワイズがあらわれる。巨大なきこりのポール・バニヤン像が動き出し彼に向かって襲い掛かってくる。リッチーのいる場所はどこか閉じられた場所ではない。だだっ広い広場であり、逃げ場所がない。このことが他の皆とは明らかに違っている。襲い掛かる巨像に対して、彼は逃げられず、目をつむって「これは本当じゃない、これは本当じゃない」と言い聞かせることしかできなかった。彼は同性愛者なのだ。広場の比喩はそれを広められることの恐怖だろう。彼は「これは本当じゃない」と隠して閉じ込めてそのことを見ないようにして生きることにしたのだ。だから、前作でピエロについて何も言わなかったし、単に「ピエロが恐い」といったのは同性愛者だと広められることが恐かったのだ。彼だけ恐怖の性質が異なっていた。

なぜ彼は死んだのか

IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。
(映画『IT/イット THE END』US版予告2 2019年11月1日(金)公開 - YouTube

ルーザーズの中で死んでしまうのはスタン(アンディ・ビーン)とエディ(ジェームズ・ランソン)である。スタンはデリーに皆が集まる前にペニーワイズの恐怖で自殺したことになっている。彼は妻が旅行の計画か何かを話しているときに、1000ピースくらいあるパズルをしていたがなんとなく冒頭に出てきたエイドリアンと同じ子供っぽさを感じさせた。リッチーはスタンがいた教会でスタンのことを一人で思い出すシーンがある。スタンは教会で皆が集まっている中で大人になるための演説を行っていたのだが、「僕はルーザーのままでいい。子供のままでいい」といって教会から飛び出してしまう。そこにいたリッチーは一人、スタンに向かって拍手をおくる。

問題はエディである。映画の冒頭では同性愛者がペニーワイズに殺された。しかし、エディはおそらく同性愛嫌悪者であり、その嫌悪、恐怖ゆえ死んでしまったのではないかと思われる。彼はリッチーのことを避けている。ペニーワイズはエディのもとに二種類のかたちであらわれている。子供の頃の回想では、薬局の地下から母親の声がして、行ってみると母親が縛られており、その先にゾンビのようなものがいてこっちに迫ってきている。エディはなんとか母親を助けようとするが、間に合わないと思いそこから逃げ出してしまう。母親とそのゾンビがキスをしているようなカットでその回想は終わる。大人のエディはその回想をもとに地下へ降りて行き、母親がいた場所のカーテンを開ける。誰もいないが、振り返るとゾンビがいる。彼は咄嗟にゾンビの首を絞めて反撃すると、コミカルな音楽が流れてきてゾンビはゲロを吐きエディに浴びせる。エディはそこから逃げることができた。

これらのシーンと重なるようなシーンが映画の中に配置されている。前作でもそうだが、リッチーはエディに対して「お前の母親と寝た」とかそういう冗談を平気で言う。リッチーは秘密基地の回想でエディとハンモックに乗っているときにそういっている。前作でエディが出かける前に母親が頬にキスをするようにいうのをみて、リッチーは「僕もキスをしましょうか」などといっている。これはエディの子供時代に出てきたペニーワイズの場面と一致している。ゾンビが母親にキスをしにやってくるのだ。そしてもう一つの場面。大人になったリッチーはマイクから二十七年ぶりにペニーワイズが出たぞという連絡を聞いて、ゲロを吐く。汚いなと思ってみていたのだが、これがエディが大人になったときにあらわれたゾンビがゲロを吐いているのと同じなのだ。顔にゲロというのは前作でもあったのだが、そのゲロをリッチーが吐いているのを見ると、エディが恐かったのはリッチーなのではないか。エディはリッチーに好かれていることを知っていたのではないだろうか。ペニーワイズを倒しに皆で井戸の家へ行き、ビルとリッチーとエディの三人になったときに、スタンの生首の怪物が現れて襲い掛かってくる。その生首がリッチーの顔に覆いかぶさって噛み付くか何かしようとしているのにエディはおびえて何もせず、その様子を見ているだけだった。ビルは「リッチーがピンチなのに何やってるんだ」とエディを非難するのだが、エディが恐いと思っていたのはスタンの生首なのかリッチーなのかあるいはスタンとリッチーには語られていない関係があって、何かを思い出したのかもしれない。ただ、その恐がり方は何か異常だった。エディがリッチーを恐がっているあいだはルーザーズはペニーワイズに対して結束することができなかっただろう。

記憶と感情の問題

IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。
(映画『IT/イット THE END』US版予告2 2019年11月1日(金)公開 - YouTube

いちばん初めに引き金を引いた刺激は、印刷されたり語られたりした言葉によって結ばれた、頭の中の一連の画像であったかもしれない。このような画像は徐々に消えるもので、そのまま保持しておくことはむずかしい。輪郭も脈動も変化する。やがて、なぜ自分がそれを感じているのか充分な確信がないまま、自分が感じているもののみを知っている過程に入る。消え去る画像はほかの画像にとって代わられ、次いでそれも名前とか象徴に代わられる。しかし感情はひきつづき代替のイメージや名前によって喚起されうる。(p25)

観念が間接のものであると同じように、行為による結果も間接のものである。認知は間接的であり、その情緒に与える効果のみが直接的である。刺激を受け情緒を動かされ、反応する、この三つの過程のうち、刺激はどこか見えないところからやってくる。それに対する反応もどこか見えないところへ到達する。ただ情緒のみが個人の中に完全なかたちで存在する。子どもの飢えについて彼にはある観念しかない。子どもの救済行為についてもある観念しかない。しかし助けたいという自分自身の願望については実際に経験する。(p27,28)

世論 (下)』リップマン

エディがもしもリッチーに対する嫌悪や恐怖を思い出してしまったとしたら、それはリッチーがヘンリー(ティーチ・グラント)を殺してしまった時に起こったのだろう。ヘンリーは父殺しのために二十七年間精神病院に入れられており、赤い風船でペニーワイズの復活を喜び「正気」を取り戻してルーザーズたちを全員殺しに行く。リッチーに似たゾンビのゲロを浴びたエディがホテルで顔を洗っていると、突然ヘンリーがあらわれてナイフでエディの頬を刺す。薬局で腫瘍かもとからかわれた(?)箇所だ。そのあと、エディは頬のナイフでヘンリーを刺し返して、追っ払う。ヘンリーは人間がもたらす恐怖を代表している。それがペニーワイズのもたらす潜在的な恐怖と結びついて、リッチーのことを思いださせはじめたのかもしれない。ヘンリーが今度はマイクを襲ってナイフで刺そうとしているところで、リッチーがヘンリーを殺してしまう。その時にエディの恐怖は決定的になったかもしれない。

これらの忘れているかもしれないこと、は単に示唆されているだけで決定的というわけではない。忘れていたことが決定的になり、完全に思い出されるのは上の画像でエディとリッチーの間にいるベン(ジェイ・ライアン)とベバリーである。最後のペニーワイズとの戦いで六人は四つに分かれる。マイクは一人になり、ビルは一人で過去のジョージーとの記憶と対峙し、エディとリッチーはすごく恐い・恐い・恐くないの三つのドアの前に立たされ、ベンとベバリーはそれぞれの過去に引き離される。エディとリッチーの方は驚くほど何も起こらず拍子抜けのシーンが続く。ドアを開けると上半身のない何かがいて、他のドアを開けると子犬がいるがそれが怪物に変わるだけだ。それが終わると元の場所に引き返して戻るだけで何も起こらない。これはおそらくリッチーの同性愛のことについて触れられなかったからだと思われる。

対照的に、ベンとベバリーは恐怖の過去の時間に戻ることで記憶違いを解決し結ばれることになる。子供の頃に詩を書いた匿名の手紙を送ったのも、ペニーワイズによって浮かされ放心状態だったのをキスして助けたのもベンだったのに、ベバリーはそれらのことをビルがやったことだと記憶違いをしている。ベバリーは「街から離れると街にいた頃の記憶が薄れるが、その時の感情だけはおぼえている」といって、ビルのことを思い出している。そこに過去の恐怖がもう一度自分のことを思い出させる。恐怖と好奇心が同時にやってきて過去の記憶の謎を解き始めるのだ。ベンは秘密基地の泥の中に閉じ込められ、ベバリーはいじめられていた女子トイレの個室の中に閉じ込められる。恐怖の中で好奇心がトランプを配りなおしている。彼らはもう一度新しいペアについて考えることができる。匿名の手紙の内容が暗号を解く鍵として彼らを互いに閉じ込めるものから開く。
9/10/2020
更新

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