魔法の分解と責任の分解 アナと雪の女王2

なぜ、エルサに力は与えられたのか――。

命がけの妹アナによって、閉ざした心を開き、“触れるものすべてを凍らせてしまう力”をコントロールできるようになったエルサは、雪と氷に覆われたアレンデール王国に温かな陽光を取り戻した。そして再び城門を閉じることはないと約束した。それから3年――。
深い絆で結ばれたアナとエルサの姉妹は、王国を治めながら、失われた少女時代を取り戻すかのように、気の置けない仲間たちと平穏で幸せな日々を送っていた。しかしある日、エルサだけが“不思議な歌声”を聴く。その歌声に導かれ、仲間のクリストフやオラフと共に旅に出たアナとエルサは、エルサの持つ“力”の秘密を解き明かすため、数々の試練に立ち向かう。果たしてなぜ力はエルサだけに与えられたのか。そして姉妹の知られざる過去の“謎”とは? 旅の終わりに、待ち受けるすべての答えとは――。

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アナと雪の女王2
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物語の前提、少数民族の問題

首都オスロから北へ1,000キロ余り。ノルウェー北部の町、カウトケイノです。冬はマイナス30℃にもなる厳しい極北の地で、トナカイの遊牧など伝統的な生活文化を守ってきたのが、先住民族「サーミ」の人たちです。ノルウェーの人口のおよそ1%、4万人いるとされるサーミの人たち。彼らが話すサーミ語は、公用語のノルウェー語とは全く違う言語です。

ノルウェー政府は、1980年代まで、サーミの人たちに対する「同化政策」を進めていました。公の場でサーミ語を話すことを禁止したほか、子どもたちは親から引き離され、学校で徹底した「同化政策」が行われたのです。その結果、サーミであることを名乗る人は激減。多くが都市部に移り住み、土地に根づいた独自の文化も失われようとしていました。
(中略)
議会ができたおかげで、サーミの人たちは政府と対等な立場で交渉できるようになり、独自の文化を守る権利が法的にも認められました。ノルウェー社会の一員としての地位を確立したサーミの人たち。1994年のリレハンメルオリンピックでは、かつて公の場で禁じられていた歌を披露しました。

サーミ議会の議長を務める、アイリ・ケスキタロさんは、オリンピックの開催が、ノルウェー社会の多様性を、世界に訴えるきっかけになったと言います。

サーミ議会 アイリ・ケスキタロ議長「ノルウェーは単一文化、単一言語の国とされていたが、それは違った。五輪はサーミの文化を目に見える形で世界に披露する場となった。」

先住民族の文化を守れ ~サーミとアイヌの事例から~ | 国際報道2019 [特集] | NHK BS1

サーミはトナカイと一緒に季節ごとに移動しながら、過酷な自然のなかで暮らしてきました。もともとはトナカイを狩猟していた民族ですが、9世紀からはトナカイの飼育を始めて遊牧するようになったのだとか。なかには数千頭のトナカイを飼う大きな遊牧家族もいたそうです。

とはいえ、サーミはアイヌやアメリカン・インディアンのような先住民と同じく、北欧の多数民族から常に差別を受けてきました。19世紀後半に入ると北欧諸国はサーミに対し、独自の文化や言葉を放棄させようとする同化政策を施行しますが、20世紀に入ると、スウェーデン国家は分離政策へと方向転換します。

この分離政策というのは、サーミはスウェーデン人よりも人種的に劣っているという考えに基づいた法律。トナカイ遊牧のサーミ人が土地を購入して定住したり、ほかの仕事に就いたりすることを禁止するものでした。

「アナ雪」にも登場した、迫害された北欧の少数民族/映画『サーミの血』 | 女子SPA!

(「ノーサルドラ」と「サーミ」:アナと雪の女王2でディズニーが宣言する「今できる正しいこと(The Next Right Thing)」(ネタバレあり考察) - westergaard 作品分析

(Red Notebook 『アナと雪の女王2』痛みを抱えて前進せよ

これらの記事に書かれているが、前作の『アナと雪の女王』公開時に、モデルになっている少数民族のサーミが適切に描かれてないのではないかという批判が出ていた。今作はそれらの批判を受けたプロットになっていて、少数民族が物語の中で隠されていたのはアナ雪の世界の中の過去に原因があったのだという風になっている。過去の真実が明らかになり、少数民族が解放されることになる。

サーミの人々が直面する問題は気候変動だけではありません。水力発電用のダムをはじめとした大規模エネルギー事業も彼らの生活を脅かしています。

ダムは川の流域に沿って移動するトナカイの進路を妨げる上、川の自然な流れを変えてしまいます。通常ならば川は冬よりも夏の方が勢いよく流れています。ところがダムが夏に水を溜め込み、冬に放流するせいで、氷床をいっそう薄くさせています。バンナ氏が暮らすサーミの村は高い土地にトナカイを移動させなければなりませんでした。

350 Japan – 1.5℃の重要性 〜北欧・サーミ〜

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死んだ人間のいる物語

劇中でオラフがやっているように、前作『アナと雪の女王』がどのような物語だったのか振り返っておこう。

子供の頃、魔法の使えるエルサと使えないアナの姉妹は城内で雪や氷を使って遊んでいたが、ちょっとした事故でエルサの魔法がアナにあたってしまい、アナは意識を失う。彼女たちの両親は二人をトロールの元へ連れて行き、国王であり父のアグナルはアナの魔法に関する記憶を別の楽しい記憶で上書きし、エルサは部屋の外に一歩も出さないことに決めた。アグナルと王妃のイドゥナはその後、航海に出て船が沈没し帰らないままになってしまう。両親が死んでしまったため、両親の言いつけがそのまま修正もされず保存されてしまう。そして彼女たちはそのまま大人になってしまう。アナはエルサとの楽しい記憶を持ち「部屋から出てきてよー」「雪だるまつくろー」とエルサが閉ざしているドアの向こうに声をかけ続けるが、エルサは父の言いつけを守って外に出ることができない。この物語はそれ以降、エルサに声をかけ続けるアナと父の言いつけを守って外に出ないエルサという関係が繰り返されることになる。この映画の悪役はハンスということになっているようだが、実際の悪は彼らの両親がエルサの能力を恐れたまま途中で死んでしまったことだろう。そのために、エルサとアナの間に「開かれないドア」が象徴的に存在することになってしまった。氷の宮殿やマシュマロウもそうだろう。ハンスもアナとエルサを遠ざける閉じられたドアのような役割をするが、物語上はアグナルの偽者のように機能している。ハンスにはアナやエルサを閉じ込める力もないし、それを咎めることもできない。勝手に外に出てしまったエルサに対して父のように振舞おうとするハンスに、アナが反抗して物語はハッピーエンドを迎える。

『アナと雪の女王2』も死んだ人間が悪い影響力を持ち続ける物語だ。今作のアグナルやイドゥスは直接的にも間接的にも悪い役割を担ってはいない。アグナルは魔法の森の昔話を幼いアナとエルサに聞かせるのだが、前作のアナのように記憶の一部が霧がかかっているかのように欠けているところがある。それがそのまま霧がかかった魔法の森としてあらわれている。アレンデールは魔法の森に住むノーサルドラ人に友好の証としてダムを建設するのだが、その工事完成の祝いの式で急にアレンデールとノーサルドラの戦いが起こる。すると、魔法の森の精霊たちが怒って魔法の森全体を出口なしの霧で閉じ込めてしまう。子供のアグナルもその戦いに巻き込まれていたのだが、いつの間にかその靄を脱出していたのだという。アナは急に戦いになった理由について知りたがるが、両親は答えることができない。代わりに、イドゥナはすべての過去の記憶が保存されているという北方の川の伝説について歌で聞かせる。劇中で「子守唄ってなんで恐いイメージを含むのだろう」みたいな会話がなされるが、イドゥナの子守唄も「その川の記憶を得たら、溺れてしまうかもしれない、すべてを失くしてしまうかもしれない」といったような警句に満ちている。

今、知性が特定の点で社会の凝集を破る恐れがあるなら、社会が存続しなければならないなら、これらの点に関して、知性にとっての対重が存在しなければならない。本能の場がまさに知性によって占められている以上、この対重が本能そのものではありえないなら、本能的潜在性、というよりはむしろ、知性のまわりに存続する本能の残滓が同じ効果を産出しなければならない。この本能の残滓は直接的に作用することはできないが、知性が表象に対して作用する以上、それは「想像的なるもの」を引き起こし、これらの「想像的なるもの」は実在的なものの表象に対抗し、ほかならぬ知性を媒介として、知性の働きを妨げるだろう。このような仕方で、作話機能は説明されるだろう。(p163)

道徳と宗教の二つの源泉』ベルクソン

宗教擁護のため活動していた(と自認していた)当時の信仰深い人たちは、この新しい探求精神に向かって飛道具を持出し致命的な射撃を加えた。中世期の科学の戦場にはこうした兵器が散乱しているが、それは妖術、すなわち《悪魔との不当な結託》という攻撃であった。

この飛道具は効果的だった。これから数世紀の間、この武器は偉大な自然探求家のすべてに向けられることになる。(p96,97)

『科学と宗教との闘争』ホワイト

不思議なことに魔法はアレンデールを支えている。映画序盤の「ずっとかわらないもの」というのは魔法を前提に存在している。アレンデール国民は代わらない国家の繁栄を歌にし国旗を掲げる。エルサはその中で一人、遠くの声を聞き自分や身の回りの存在に疑問を感じている。その疑問や好奇心が頂点に達したとき、魔法の森の精霊が力を使い、アレンデールの自然環境をめちゃくちゃにする。火は消え、風は人々を押し流し、大地は揺れ不安定になってしまう。エルサは自然が荒れている原因を探しに魔法の森に行くことになる。それは魔法と国家をある意味一度解体し再構築する行為である。

物語の外で私が疑問に思うのは、なぜ魔法がアレンデールを守っているのかということだ。魔法の森の霧は当時の王でアナとエルサの祖父ルナードが犯した罪を隠すために存在しているように見える。ノーサルドラ人は精霊の力を使って豊かに暮らしていたが、アレンデールの当時の王はその力を恐れてノーサルドラを滅ぼそうとした。建設したダムもノーサルドラの力を弱めるためだった。それらのことを魔法・精霊はなぜ隠さなければいけないのだろうか。それらのことが明るみになっていれば、ルナード王の正当性が揺らぐ、あるいは国家の存続も揺らぐかもしれない。そのことを魔法が隠そうとするのはなぜなのだろう。精霊はノーサルドラ人とうまくやっていたはずだが、何も悪いことをしているように見えない彼らを三十四年間も閉じ込める理由はどこにあるのだろうか。もし魔法がアレンデールを守っているとしたら、自分たちの守護者を脅威として攻撃しようとしたのはなぜなのだろう。そのことが隠された結果が繁栄した前作『アナと雪の女王』の世界である。

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魔法の分解、オラフの不安

クラーク・マクスウェルは、幼いころ、なんでも一々説明を聞かずにはすまぬ癖があって、或る事柄について曖昧な言葉だけの説明で打ち切られたりすると、もどかしげに「わかったよ、だけどホントノコトを話して欲しいんだよ」といって相手を遮ったと伝えられている。(p144)

プラグマティズム』W.ジェイムズ

子供たちが、オラフの部品を不思議そうに眺めて腕の小枝を頭に刺すなどして遊んでいる。それはそのままオラフの不安をあらわしている。エルサはアレンデールや魔法について再認識しようとしている。それは科学的な調査でよくあるように、部品ごとに分解され中身を調べられ分類されるといったようなことに近い。オラフは自分もそのような分類、分解の対象になっていることに気づいている。

オラフはたくさんの雑学を語ったり、自分に以前はなかったような感情が芽生えてきたりしている。エルサに氷の船で遠くに飛ばされ、エルサが勝手に一人で行ってしまったことに怒っていたが、怒っているようには見えなかった。最も注目すべきはオラフが「水には記憶がある」と突然いい始めることだろう。「水に記憶がある」というフレーズはエルサが水の記憶を氷の像として実体化することで現実味を得る。けれど重要なのはそれだけではない。

今作では魔法が要素としてあらわれ、それぞれ火、水、風、土と四つの要素があるとされている。問題はオラフはそれらの要素に還元されてしまうのかどうかということだ。人間の体内は半分以上が水分だが、人間は水に還元されることはない。しかしオラフの場合はおそらくほぼ百%水分である。オラフは自分がただの水ではないかということに不安にならなかっただろうか。その不安をあらわすかのようにオラフは森の中で一人はぐれ、四つの精霊たちに翻弄される。

魔法や国家の秘密を探そうということで、世界観が少し科学とか哲学のほうに寄っている。エルサたちの旅の初めからオラフの秘密も明かされる可能性があった。エルサの秘密はオラフの秘密でもある。そこで予防的に考え出したのが「水には記憶がある」ではないかと思う。オラフはそのことで自分の根源が何であるかを言い当てている。劇中で前作や今作の再現ドラマを演じてみたりと過剰なサービスが目立つのはオラフの記憶の強調と不安のあらわれである。

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責任の分解、『天気の子』の少し先

過去と未来にわたる世界の永遠性という見解において、アラブの哲学者イブン・ルシュド(またはアヴェロエス、一一二六―九八)によって教えられたアリストテレス主義は、キリスト教的解釈を絶対に受けつけないものをもっていた。それはすべての霊的な生活を、すべての個々人の知性を包括する唯一つの知性の顕現とみなし、それゆえに人間の自己の行為に対する個人的責任を否認する。これは、個人の不死と責任を教えるキリスト教に矛盾するものである。(p106)

科学と技術の歴史』フォーブス、デイクステルホイス

『天気の子』(全ては太陽を隠すために 天気の子 - kitlog - 映画の批評)ではノーサルドラが霧で覆われているように、雨雲で覆われていた。雨雲にはその原因や理由が開示されず雲の上も空っぽだったが、それに対する対処法だけは存在していた。少女が生贄になればいいというものだ。原因が分かれば皆で対処することができるが、そこは劇中隠されたままで、一つしか対策が示されない。問題が認識されないまま選択だけが用意されている。それはあたかも自然に意志があって、自分に従うか従わないかという脅迫のようでもある。そこでの自然が何かの比喩であるとしたらそれは集団的無責任の表象だろう。そのような無責任をこの映画は放置している。

人倫的意識が掟にしたがっていたにしても、それは本質的にいって直接的なしかたでしたがっている〔にすぎなかった〕という消息である。直接性というこの規定のうちに存している事情は、人倫の行為のなかへ自然一般が入りこんでいるということだ。人倫が現実にあるありかたによって開示されるものは、矛盾と破滅の萌芽とであるにすぎない。その萌芽を、人倫的精神がしめす美しい調和とその静謐な均衡とが、ほかでもなくこの静謐さと美しさそのものにあってはらんでいたのだ。なぜなら直接性には矛盾した意義がふくまれており、それは自然の無意識的な安定であるいっぽう、精神が不安定な安定をみずから意識していることでもあるからである。――この自然性のゆえに総じてこの人倫的民族〔ギリシア人〕は、自然によって規定され、かくて制限された個体性であり、かくてまた他の個体性のもとでみずから廃棄されることになる。(p73,74)

精神現象学(下)』ヘーゲル

『アナと雪の女王2』では魔法同様、責任も分解する。それは物語の重要な要素を担う人物が女王という権力者という点も大きいだろう。なんらかの解決を示さなければならない。ただ単に「精霊が暴れている」なら『天気の子』と同じだが、その表象にとどまらず先を描いている。自然の意志のように見えるものは個人の意志、エルサとアナの祖父の恐れであったこと、自らが属する国家の過去に過ちがあることを認める。それは前述のサーミの描き方もあるが、ディズニー作品も過去のものを今見ると表現としてひどいと思われるものがあるだろうが、それでもこれからは正しいことをしようという(『The Next Right Thing』)決意の表れでもあるだろう。
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エルサのジェスチャーゲーム

物語の最後、アナとエルサは離れ離れになってしまう。アナは風の精霊を使ってエルサに手紙を送り「今度ジェスチャーゲームをしよう」と伝える。ジェスチャーゲームは、ジェスチャーをする人とそのジェスチャーが何なのかを当てる人がチームになって行う。紙にジェスチャーをするものの名前が描いてあって、いくつジェスチャーを当てることができたかを競う。物語序盤のジェスチャーゲームでオラフは自分の形をいくらでも変えられるので、ユニコーンなど複雑な形態もそれらしく見せることができた。問題はエルサである。彼女は紙を引いて何かのジェスチャーをやりはじめるのだが、誰もそれが何なのかを当てることができない。アナがエルサが引いた紙を見てみるとお題が「氷」でとても驚いていた。エルサは声に導かれて氷の魔法の秘密を知ろうとしているので、その認識について定義しなおそうとしている最中でうまくできなかった、あるいは単に聞こえてくる声にずっと動揺していてゲームどころではなかった、などと考えられるかもしれない。いずれにしても、紙に書かれているものとエルサのジェスチャーの間に乖離や飛躍があることは確かである。

そのような飛躍や乖離が物語を支配しているのではないかという印象を受ける。エルサは魔法や責任を分解していくが、そのために分解されたもの同士は結びつきが弱くなってしまう。それで物語自体もどこかそれぞれのエピソードがバラバラに見えるのではないだろうか。分解されたものの結びつきのために、風が吹いたとか声が聞こえたということが利用されて、展開が強引に進んでいるように見えてしまう。(映画ーミニオンズ=動く絵本 グリンチ - kitlog - 映画の批評)『グリンチ』ではそのような自然の代わりにナレーションが入っていた。

劇中で精霊の四要素を統合する第五の要素としてエルサの氷、エルサとアナの結びつきが描かれる。それはオラフが不安に感じて出した答えの記憶を持つものとしての精霊である。記憶がバラバラに存在している四つの要素を統合する。記憶が外からもたらされることで魔法の森はもとの安定を取り戻す。それは物語も同じだろう。物語がバラバラに見えるとしたら、それらを統合するための記憶がまだ足りていないのである。アートハランにはまだ発掘されるべき記憶が残っているのではないだろうか。
9/10/2020
更新

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