ヨロコビとカナシミのモーニングワーク インサイド・ヘッド

いつでも笑っていたいのに、なぜカナシミは必要なの?

11才の女の子、ライリーの頭の中に存在する5つの感情たち---ヨロコビ、イカリ、ムカムカ、ビビリ、そしてカナシミ。彼らは、ライリーを幸せにするために奮闘の日々。だが、ライリーを悲しませることしかできないカナシミの役割だけは、大きな謎に包まれていた…。
そんなある日、見知らぬ街への引っ越しをきっかけに不安定になったライリーの心が、感情たちにも大事件を巻き起こす。頭の中の“司令部”からヨロコビとカナシミが放り出され、ライリーは2つの感情を失ってしまったのだ! このままでは、ライリーの心が壊れてしまう! 果たして感情たちは、ライリーの危機を救うことができるのだろうか? そして、カナシミに隠された、驚くべき<秘密>とは…?
作品情報|インサイド・ヘッド|映画|ディズニー

インサイド・ヘッド
(Inside Out - Official US Trailer 2 - YouTube

「最大の変更点はたぶん……最初は、ヨロコビとビビリが一緒に旅に出ることになるはずだったんだ。僕は中学生の時、怖れによってかなり突き動かされていた。人々がどう思うだろうか、とか、ちゃんとした服を着ているかな、とかね。それで、ヨロコビとビビリをペアにしたんだんだけど、それはあまりいい組み合わせじゃないことに気づいた。もし、ヨロコビのストーリーを大事にするなら、ビビリを取り除いて、カナシミと組み合わせるべきだと思ったんだ」。監督がこのアイデアを思いついた時、映画づくりは進んでいた。それでも監督は決断する。11歳の子が変化し、成長していくドラマを描くためには、カナシミという感情は絶対に必要だったからだ。「もし、カナシミにとってテーマがあるとすれば、それは喪失だ。それは、人生で何かが失われるという事実と向き合う手助けをしてくれる。成長する時に、それはどうしようもないことだ。そうだろう? 避けることは出来ない。それは悲しいことだ。なぜなら、子供時代にはイノセンス(無邪気さ、純真さ)があるけど、成長と共にそれはなくなってしまい、決してまた手に入れることは出来ないからだよ」。そこにはドクター監督の父親としての視点も盛り込まれている。「両親としてとても重要なことは、子供たちが世界に出て行く準備をさせることだ。父親として、子供たちと走り回って、遊んだり、ふざけあったりするのがなくなることは悲しいよ。なぜなら、僕の娘は大きくなって、昔とは違うやり方で触れ合うようになっていったからだ。そういった複雑さが、作品を興味深くしているんだと思う。もしすべてが悪くて、すべてが良ければ、あまりに白黒がハッキリしすぎている。この映画には、リアルな深みがあるんだ」。
人生に“カナシミ”が必要な理由は? 監督が語る『インサイド・ヘッド』|ニュース@ぴあ映画生活(1ページ)

ミネソタの田舎町で明るく幸せに育った少女ライリーは、父親の仕事の都合で都会のサンフランシスコに引っ越してくる。新しい生活に慣れようとするライリーを幸せにしようと、彼女の頭の中の司令部では「ヨロコビ」「カナシミ」「イカリ」「ムカムカ」「ビビリ」の5つの感情が奮闘していた。しかし、ある時、カナシミがライリーの大切な思い出を悲しい思い出に変えてしまう。慌てて思い出を元通りにしようとしたヨロコビだったが、誤ってカナシミと一緒に司令部の外に放りだされてしまう。ヨロコビは急いで司令部に戻ろうと、ライリーの頭の中を駆けめぐるのだが……。
インサイド・ヘッド : 作品情報 - 映画.com

ライリーはサンフランシスコに引っ越したのだが、引っ越しの荷物が何日経っても届かない、父親が仕事の電話でピリピリしてる、部屋が狭い、友達もいないなどの理由で新しい環境に馴染めず、転校先の学校の最初の登校日に自己紹介でミネソタでの楽しかったことを思い出して泣いてしまう。まわりの生徒は「変な子」みたいな目で見ているのだが、その時ライリーの頭の中ではヨロコビとカナシミが司令部から吸い出されて頭の中をさまよっていた。

特別な思い出は、ライリーの性格を形作る島になる。頭のさらに深い部分は、迷路のように入り組んだ思い出保管場所など、テーマパークのよう。白眉は抽象概念化ゾーンだろう。入り込んだヨロコビたちはバラバラにされ、平面になり、図形化される。制作陣は心理学者や顔の表情の研究者らに、綿密な調査をしたという。その成果が存分に盛り込まれた。
「インサイド・ヘッド」(米) : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

インサイド・ヘッド
(Inside Out - Official US Trailer 2 - YouTube

記憶がボールの中にビデオテープのように記録されていて、その一つ一つが感情を伴っているという描写や潜在意識、抽象化、想像、夢、忘却など頭の中で行われているとされている様々な過程をファンタジックな形で観ることができる。科学的な知見を大いに取り入れているとのことだが、ファンタジックと評するのは(もちろん科学とエンタメの融合という意味で間違ってはいないのだけど)ライリーの頭のなかの五種類の感情それぞれに感情や記憶があるように見えるからだ。ヨロコビに感情や記憶が存在しているとすれば、彼女の頭の中にも小さい「ヨロコビ」「カナシミ」「イカリ」「ムカムカ」「ビビリ」が存在しているのだろうかと想像してしまう。とすると、その「ヨロコビ」にも小さな「ヨロコビ」が存在しという風にどんどん入れ子状に小さな「ヨロコビ」が存在することになって、最終的に無限に小さな「ヨロコビ」に達するのだけどそれは一体何なのだろう。

そういう疑問が湧いてくるが、ストーリーは一人の少女がうつ病から回復するというものである。引っ越しは子どもにとって大きな喪失になりうる(『子どもの悲しみの世界―対象喪失という病理 (ちくま学芸文庫)』)。

S・フロイト(Freud.S)の論文「悲哀とメランコリー」の中に「悲哀の仕事」という概念がある。
(中略)
定義的にいえば、「悲哀の仕事」とは、人間が愛着や依存する対象を失った結果として起こる心の中(精神内界)の変化過程のことである。私たち人間はその過程を経ることで徐々にその愛着対象や依存対象からの離脱をはかり、再び心の安定を獲得して日常生活の平静を取り戻す方へと向かっていく。その心の作業が「悲哀の仕事」である。(P36)

ところが、もし「悲哀の仕事」が円滑に行われず中途半端な状態で悲哀を回避しようとしたり、忘却しようとしたり、また、失った対象に対して奇妙なイメージを作り上げてしまったりすると、その不十分さが、たとえば亡霊に魂を奪われてしまうかのごとく後々まで尾を引き、大問題となる。それが、子どもでは人格形成の上での歪みとなって、うつ状態に限らず種々の精神病や神経症、あるいは問題行動となって現れる。したがって、もう一度「悲哀の仕事」を十分やり直すことが、こういう場合の心の治療につながるのである。(p38)
子どもの悲しみの世界―対象喪失という病理 (ちくま学芸文庫)』森省二

インサイド・ヘッド
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例えば、ライリーが幼いころの空想上の友達ビンボンが泣いているとき、ヨロコビはビンボンをどう慰めていいか分からない。だが、カナシミは、ビンボンがなぜ悲しいのか、話に耳を傾け、そっと気持ちに寄り添い、一緒に悲しむことでビンボンを慰めてあげたのだ。すると、ビンボンは気持ちがすっきりし「ありがとう、カナシミ」と感謝を述べる。それを見たヨロコビは、いままで泣かせることしかできないと思っていたカナシミの存在にハッと気づかされ、観客もまた、カナシミに感情移入していくことになる。
“シンデレラ”も涙した『インサイド・ヘッド』…誰もが“カナシミ”に夢中? | シネマカフェ cinemacafe.net

この物語は頭の中がテーマになっているということで、メタに考えざるをえない。つまり、ヨロコビとカナシミが想像力である「ビンボン」と出会って一緒に行動するということは主体的にはどういうことだろうとか、ヨロコビとカナシミが夢の中に現れるというのはどういうことだろうとか言ったことを考えざるを得ない。もちろんそういったこと全てに象徴的な意味を見出すのは困難だろうが、ヨロコビが忘却の谷に落ちてしまうシーンは重要だろうと思う。ヨロコビは物語の中盤あたりまでカナシミを単にウザいやつとか邪魔な奴として徹底的に拒否するが、それは彼女が楽しく幸せな思い出だけがあればいいと思っているからだ。しかし、そういった楽しい思い出だけがあればいいということはそうじゃない思い出は忘却されることを意味する。ヨロコビは数々の楽しい思い出からライリーはホッケーが純粋に好きだホッケーには楽しい思い出しかないと思っていたが、カナシミが「ライリーは大事な試合で終了間際にシュートを外してしまって負けたことを悔やんで、ホッケーを辞めたいと思っていた。」というのを聞いて、ホッケーの楽しい思い出のチームメイトに胴上げされているシーンはその少し前にライリーがシュートを外したことで泣いていてチームメイトがそれを励まそうとしてやってくれたことだと思い出す。ヨロコビはそれを忘却の谷で思い出すのだが、それまでヨロコビは忘却という概念自体を忘却していたことを思い知ることになり、カナシミの必要さを思い知ることになる。それはヨロコビが悪いということなのだろうか。

3歳のころ、動物にはまっていたライリーが大好きな動物を掛け合わせて創り出した“空想上のともだち”。見た目は猫や象で綿あめのような肌感、さらに鳴き声はイルカで、涙はキャラメル味のキャンディ。ヨロコビ、カナシミが、頭の中の司令部から放り出された先で出会う
ビンボン|インサイド・ヘッド|映画|ディズニー

忘却の谷へはヨロコビと一緒にビンボンも落ちてしまう。ビンボンは小さいころの想像上の友だちということだが、想像上の友だちということはライリーが孤独な時にそれを埋め合わせるために頭の中につくりだしたキャラクターだということだろう。自分でまだ何もできない子どもにとって孤独はほとんど耐え難い苦痛で、喪失体験、カナシミに等しいものである。『子どもの悲しみの世界―対象喪失という病理 (ちくま学芸文庫)』にもあるが、子どもにとって両親が一時的にでもいないということは、もしかしたらそれからずっといないかもしれないということを想像させる。自分で何もできない子どもが、自分が何かしてほしい時に親がいないとしたらどうだろう。それは喪失にも等しいものであるが、その苦痛をやわらげたり忘れたりするためにビンボンが生み出されたのではないか。ということは、カナシミを忘却させようとしているのはヨロコビではなく三歳の頃に生まれていまだ活躍中のビンボンなのだ。忘却の谷でヨロコビはビンボンに別れを告げ、カナシミを認めるようになることは子供の頃の孤独のカナシミに対する抑圧からの解放だろう。

公開された映像で描かれるのは、生まれたばかりのライリーを中心に、家族の幸せがあふれる一幕。優しい両親に見守られるライリーの頭の中には"ヨロコビ"も誕生し、"ヨロコビ"が感情の操作盤に触れると、ライリーは幸せそうに笑う。その笑顔を見た両親もうれしそうな表情を見せ、幸せに包まれたライリーの誕生が印象的なワンシーンになっている。

続けて、両親が「はじめまして、ライリー」と語りかけると、ライリーの頭の中には、人生初の思い出ボールが出現。幸せにあふれた思い出として、"ヨロコビ"と同じ黄色に輝くボールがライリーの人生における最初の思い出となる。思い出ボールの意味を理解した"ヨロコビ"がボールを転がすと、進んでいくボールに併せて真っ暗だった壁に幻想的な風景が浮かび上がる。このように映像では、人生で初めて生まれる感情が"ヨロコビ"であることが明かされる。
人生で最初に生まれる感情はヨロコビだった!『インサイド・ヘッド』冒頭映像 | マイナビニュース

生まれた時にヨロコビが最初に生じる。それは本当だろうか。映像でしか見たことがないが、生まれてくる赤ちゃんはだいたい泣きながら生まれてくる。赤ちゃんは子宮から外の世界に出てくるのだが、それは人間の最初の引っ越しでライリーがミネソタからサンフランシスコへ引っ越しするということと何ら変わらない。環境を変えることはヨロコビもあるがカナシミも同時に伴うし、環境を変える瞬間はカナシミの方が大きいのではないだろうか。環境を変えるカナシミで赤ちゃんは泣きながら外の世界に出てくるが(泣きながら生まれてくる動物はいるのかな他に)、それを見て両親は赤ちゃんを慰めようとしたり楽しませようとしたりして大事にしようと思うのではないか。物語の冒頭からカナシミはすでに忘却されていたのかもしれない。

インサイド・ヘッド
(Inside Out - Official US Trailer 2 - YouTube
12/7/2020
更新

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