ベイマックスとドラえもん
孤独な少年と心優しいロボットの絆や冒険を描いたディズニーの長編アニメーション。最先端の技術が集う都市サンフランソウキョウに暮らす14歳の天才少年ヒロは、自ら開発したロボットを使い、アンダーグラウンドのロボット格闘技に夢中になっていた。ヒロの良き理解者でもある兄タダシは、そんな弟を案じ、自身の通う大学にヒロを連れて行く。タダシの研究仲間やロボット工学の第一人者キャラハン教授と出会い、感銘を受けたヒロは、大学で最先端の科学を学ぶことを決意。しかし、そんな矢先、不慮の事故でタダシは帰らぬ人となってしまう。目の前で兄を失ったヒロは殻に閉じこもってしまうが、そんなヒロの前に、タダシが人々の心と体の健康を守るために開発したケアロボットのベイマックスが現れ、そのおかげでヒロは少しずつ元気を取り戻していく。そして、兄の死の裏に巨悪が潜んでいることに気付いたヒロは、兄のためにも戦おうと立ち上がるが……。
ベイマックス : 作品情報 - 映画.com
(Disney's Big Hero 6 - Official US Trailer 2 - YouTube) |
藤子・F・不二雄生誕80周年を記念して製作された「ドラえもん」シリーズ初の3DCGアニメーション。原作から厳選されたエピソードを再構成し、ドラえもんとのび太の出会いから別れまでを描いた。「フレンズ もののけ島のナキ」を手がけた八木竜一と「永遠の0」「ALWAYS 三丁目の夕日」の山崎貴が共同監督。何をやらせても冴えない少年のび太のもとに、22世紀の未来から、ネコ型ロボットのドラえもんがやってくる。のび太の孫の孫にあたるセワシが、ご先祖様であるのび太の悲惨な未来を変えるために送り込まれたドラえもんだったが、当のドラえもんはあまり乗り気ではない。セワシはそんなドラえもんにやる気を出させるため、のび太を幸せにしない限り22世紀に帰ることができないプログラムを仕込む。かくして仕方なくのび太の面倒をみることになったドラえもんは、のび太がクラスメイトのしずかちゃんに好意を抱いていることを知り、のび太としずかちゃんが結婚できる明るい未来を実現するため、数々の未来の道具を駆使してのび太を助けるが……。
STAND BY ME ドラえもん : 作品情報 - 映画.com
Hyperionこそが、「ベイマックス」に実写のような美しいイメージと深みを与えているものだ。同ソフトウェアが開発されるまで、Disneyは光をこのように使うことができなかった。Chris Williams氏とともに監督を務めたDon Hall氏によると、この光がベイマックスに透き通った輝きを与え、ベイマックスの内側で光が乱反射するのを可能にしているという。両氏はさまざまなテストを実施して、内側の骨格がよく見えるようになったベイマックスに観客がどう反応するのかを確認したところ、そのベイマックスが個性や魅力の多くを失ってしまったことに気づいた。ベイマックスは、柔らかく輝いているように見せる必要があった。
「私が最初からこの映画で目指していたのは、極めて実写的な作品に仕上げることだ。『ベイマックス』は、カメラワークと照明効果を実写の水準まで押し上げ、可能な限りライブアクションカメラに近づけながらも、戯画手法を維持する好機に思えた」(Hall氏)
ディズニー新作「ベイマックス」制作の舞台裏--新技術で挑んだ「アナ雪」超える光の表現 - CNET Japan
個人的に夜の描写が多い、綺麗と感じたのはこのためでしょうか。
『ベイマックス』のもととなったマーベル・コミックでは、東京が舞台でしたが、どのようにして、マーベルの世界から物語を抽出して再構築するかを考えた時、東京の要素をキープしつつサンフランシスコと合わせたら、観客が行きたくなるような魅力的な世界が作れるのではないかと感じたんです。原作は"日本のポップカルチャーへのラブレター"だったので、それをさらに広げて、"環太平洋地域へのラブレター"として展開しました。現在の世界を反映するような、マルチな文化的な世界を作りたかったです。
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あらゆる風景に漢字とかひらがながいっぱい出て来たり、看板が変なキャラクターになってたり、単純に見てて楽しいですね。ここ上野っぽいなとかここ代官山っぽい(ロケに行ってないかも…)なとか、渋谷の高架の線路もうないんだなとか。
結果的に「ベイマックス」の脚本が完成するまでには、2年以上の時間を要した。「少年とロボットの交流」という“種”は、思春期特有の迷いや葛藤、愛する兄を失った主人公の喪失感と再生、そして「目に見えない故人の思いが、誰の心にも生き続ける」という普遍的なメッセージとして見事に開花。子どもたちが心踊らせる冒険ファンタジーにとどまらず、大人世代にこそ響く感動的なヒューマンドラマに昇華した。
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少年とロボットの交流ということで言えば、同じ3DCGでつくられた『STAND BY ME ドラえもん』もそのような話でした。両者はラストシーンもどこか似ています。共に少年がロボットとの別れを経験した後に、ロボットの配慮(奇跡)を通じてロボットが帰ってくるという点で。
両者を比べるとヒロの孤独がよく分かります。ヒロには両親がいない上にロボット工学における飛び級の天才ということもあってか同世代の友人がいないというか、そのような人物が全く描かれていません。兄に大学に連れて行かれるまで、ずっとロボット作りとロボットファイトを繰り返していたのでしょうか。象徴的なのはラストのヒロがベイマックスと抱き合うシーンです。
ドラえもんはタヌキと言われると怒りますね。自分のことを猫だと思っているからです。ベイマックスはヒロと同じ世代のロボットをあまり理解していないような子供が出てこなかったので、ベイマックスを比喩的に理解するということがありませんでした。ベイマックスはベイマックスだと皆が思ってる。もしそのような子供が出てきたら、「風船お化け」とか言ったり、いたずらで風船に穴を開けてみるなんてことをやったかもしれませんが、それでもベイマックスは全然怒る気がしません。黙って穴を塞いだりしてるでしょう。ケアロボット以上でも以下でもないんですね。それがリアルなのかもしれませんが、そのためにベイマックスに個人的にあまり魅力を感じられません。なので、抱き合う対象がドラえもんでなくベイマックスというふうになった場合、なにか変というか交流なのだろうか?という気がするのです。ヒロはほとんどずっとベイマックスに命令していただけに見えましたが、これは交流なのでしょうか。のび太がドラえもんのために何かをするというのはジャイアンとの喧嘩のシーンですが、ヒロがベイマックスのために何かをしたということはあったでしょうか。
もちろん、ベイマックスはただのロボットではなく兄の作品であり形見でもあるわけですから、最後の抱擁はただの少年とロボットの交流以上の意味があります。それが”「目に見えない故人の思いが、誰の心にも生き続ける」という普遍的なメッセージ”なのでしょう。しかし、生きている人間が死んだ人間にいつまでも引きづられることがあってはならないということもまた真実だと思います。『BORDER』のように死んだ人間にずっととらわれ続けるバッドエンドであれば別です。もし物語でハッピーエンドを目指すのであればロボットは目的でなく媒介として存在するのが良いと思うのです。ドラえもんではそれを強引な要素があるにせよのび太としずかちゃんの恋愛でクリアしてますが、ベイマックスではロボットを媒介にして新しい関係が築かれたように結果的に見えません。同時上映の『愛犬とごちそう』はまさに媒介として犬が(機械ではありませんが)男女の仲を取り持つ話でしたね。ヒロには兄を通じて大学のヒーローの仲間はできたでしょう。ではなぜ、最後のベイマックスの復活のシーンで彼らが出てこないのでしょう。なぜヒロとベイマックスだけの関係だけが殊更注目されるのかわかりません。それではヒロの孤独は何も解消されていないのではないかと思いました。ヒロはおもちゃで一人で遊んでいるだけだったと言ったら言いすぎでしょうか。
ベイマックスが何かより劣っているとかダメな作品だとか言うつもりはないのですが、何か変なんですよね。文化の違いでしょうか、あるいは科学に重点を置きすぎているのか、何でしょうね。
(Disney's Big Hero 6 - Official US Trailer 2 - YouTube) |
製作総指揮:ジョン・ラセター
製作:ロイ・コンリ
監督:ドン・ホール、クリス・ウィリアムズ
脚本:ジョーダン・ロバーツ、ダニエル・ガーソン、ロバート・L・ベアード
音楽:ヘンリー・ジャックマン
作品情報|ベイマックス|映画/ブルーレイ・デジタル配信|ディズニー
9/10/2020
更新
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