経験と計算 楽園追放から

ナノハザードにより廃墟と化した地球。
人類の多くは地上を捨て、データとなって電脳世界ディーヴァで
暮らすようになっていた。

西暦2400年、そのディーヴァが異変に晒されていた。
地上世界からの謎のハッキング。
ハッキングの主は、フロンティア・セッターと名乗った。

ハッキングの狙いは何か。ディーヴァの捜査官アンジェラは、
生身の体・マテリアルボディを身にまとい、地上世界へと降り立つ。
地上調査員ディンゴと接触しようとするアンジェラを待ち受けていたのは、
地上を跋扈するモンスター・サンドウォームの群れ。
アンジェラはそれを迎え撃つため機動外骨格スーツ・アーハンを起動する。
荒廃した地上のどこかに、フロンティア・セッターが潜んでいるはず。
アンジェラとディンゴの、世界の謎に迫る旅が今、始まった。
楽園追放に関する特集 | アニメ!アニメ!

この映画はディーヴァ内でデータとして存在していたアンジェラがフロンティアセッターを現実世界の地上で追うために身体を持つところから始まります。彼女は身体に慣れていないというよりも、身体の限界を知らない。寝なくても大丈夫だと思っているあたりがその典型でしょう。ディーヴァ内で暮らしていれば寝ることもないし疲れることもないし死ぬこともないのかもしれません。それはある意味生身の人間の理想ですね。技術の進化はそういったことを確実に目指している面があります。人間が長生きするように老いないように疲れないように。

そういった理想をある意味体現したアンジェラが身体を持った直後、彼女はディンゴの粋なはからいでサンドワームの群れに襲われます。ここで彼女は面白いことを言います。

「意地でも無駄弾は使わない」

その口ぶりはまるで熟練者のようですが(あるいはノーダメでゲームをクリアしようとするゲーマー)、ディーヴァの端末であのデカイ虫の種類を調べたことから彼女はそれについて全く知らなかったことが推理できます。その初めて出会った怪物に対して無駄弾を使わないということはその怪物のことを知るつもりがないということではないでしょうか。敵に対して何が有効なのかは色々試してみない限り実際にはわかりません。彼女は目の前に対面して生存の脅威として存在している相手にまるで興味が無いのです。直後にディンゴの「頭だ頭」のジェスチャーを理解し彼女はその怪物の弱点の頭をその全ての頭をディーヴァが計算した弾道の誘導ビームで潰します。ここで分かるのはアンジェラは知ったらできるが知ろうとすることができない、計算することはできるけど発見する能力が劣っているのです。次のインタビューが表しているのはそのことでしょう。

―AA
印象に残っているシーンを教えてください。

―釘宮
映像としては終盤の、アンジェラが空高く飛び上がって、地上を見下ろした時の風景の広がりです。アンジェラというキャラクターについては、風邪を引いて寝込んだ時の「がんばらなかったことは無いわよ、いつだって」というセリフです。それまで彼女に対して少し隔たりを感じていたのですが、そのセリフを読んだ時に彼女のことを理解できた気がして、とてもポイントになった部分です。

―三木
アンジェラは、いつも何かに頼ってるんですよね。ディンゴは自分で狙いを定めて引き金を引くけれど、アンジェラは照準を合わせるのすらオートでメカ頼り。地上に降り立った時にサンドワームの大群に追いかけられた時がまさにそうで、最初から明らかに違う。

―釘宮
自分が努力をしてるつもりで全部バックボーンに頼っているんです。

―三木
だから「がんばらなかったことは無い」と本音を吐露した時、彼女自身もそのことに気づいたんだと思います。この流れ、すごくいい。

―釘宮
もちろん努力していなかったわけではなくて、最後の最後では自力じゃなかっただけという見方もできるし、視点の置き方によって心情の違いが見えてきます。
釘宮理恵さん、三木眞一郎さんインタビュー-後編- 「楽園追放」“大人の女性が16歳の女の子の姿” | アニメ!アニメ!

サンドワームとの戦闘後、計算は使えなくなります。何かを計算してディーヴァと通信していては、それを凌駕するフロンティアセッターに場所が特定されてしまい動きにくくなるだろうというディンゴの判断からでした。ディーヴァが知っていたことに頼っていたアンジェラはここから最後の戦闘までほとんど仕事らしいことはしてないんですが、普通に何かに驚くような顔を見せたり素直にディンゴに尋ねるようになります。自分で何かを発見することを覚え始めたのですね。最後には空中の戦闘シーンでピンチの際に地上の在りし日の幻覚のようなものを目にしますが、そのような理想をつまり今は未だ「ないもの」「見えないもの」を想像することが何かを発見することのプロセスなのです。誰もが当たり前に使っている電話でさえ、距離を越えて話をするという理想がなければ生まれることはなかったでしょう。

この映画の題材になっている理性と経験とか精神と身体といったような哲学における対立は古典的なものです。だからといってこの映画の価値が下がるわけではありません。ネットが日常になり、人工知能とよばれるものがいくつかの面で人間の脅威になろうとしているなかで新たな価値を持つと思います。フランシス・ベーコンは「知は力なり」と言いましたが、それは当時の既存の学問の体系を知識ならぬものとして糾弾するのが目的でした。その学問体系とはどういうものかといえば、アリストテレス的なもので、学問の目的が論証や説得にあるというものです。そこでは何か真理として既知のものがあるのが前提で、それが常に正しいのだからそれをいかに人に説得し教えるかということだけが問題となります。ベーコンはそれを過去の業績だけに満足する怠惰な保守主義だと批判しました。そこからは新しいものが出てこないだろうと。ベーコンは既知の真理の量は少ないものだと仮定し、発見するということに重点を置きました。発見するというのはどういうことかというと、すでに語られている真理が従順に受け入れられるものではなく経験によってテストされるものに変わることを意味します。古典的だと思われているものも再びテストされなければならない場合があるのです。(『ノヴム・オルガヌム―新機関』フランシス・ベーコン)

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9/10/2020
更新

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