ミニオンズはボスを探して 進撃の巨人 ATTACK ON TITAN

人類が誕生する遥か昔、黄色い生物として誕生したミニオン。Tレックスからナポレオンまで、絶え間なくその時代の最も強いあらゆるボスに仕えてきたが、いずれも失敗ばかりで長続きしなかった。やがて仕えるボスがいなくなり、生きる目的を見失った彼ら。ミニオン滅亡の危機が迫る中、兄貴肌のケビン、バナナのことで頭がいっぱいのスチュアート、そして弱虫のボブが仲間たちを救うべく、ボス探しの旅に出る――。
ミニオン語はインド料理&中華メニューを参考に?『ミニオンズ』監督が明かす裏話 | シネマカフェ cinemacafe.net

百年以上前、突如現れた巨人たちに、人類の大半は喰われ、文明は崩壊した―。
この巨人大戦を生き残った者たちは巨人の侵攻を防ぐため、
巨大な壁を三重に築き、内側で生活圏を確保して平和を保っていた。
だが百年、壁が壊されなかったといって、
今日、壊されない保証はどこにもない―。

まだ見ぬ壁外の世界を夢見るエレンは、
壁に守られ安穏と暮らす人々に日々苛立ちを募らせていた。
しかし、そんな日常はある日、音を立てて崩れ去る―
想定外の超大型巨人によって壁は破壊され、
穿たれた穴から無数の巨人が壁の中へと侵入してきたのだ。
無残に喰われていく人々。響き渡る断末魔。
長年にわたる平和な代償は、惨劇によって支払われることとなった―。

それから、二年。活動領域の後退を余儀なくされた人類は、
対巨人兵器、立体機動装置によって武装した調査団を結成。
奪われた土地を巨人から取り戻すべく、外壁の修復作戦に踏み切る。
決死の行軍の最中、巨人の急襲を受け手負いとなったエレンは
仲間のアルミンをかばい、
巨人に飲み込まれてしまう―
映画『進撃の巨人』公式サイト

軍隊等の組織についての憧れがあるとしたら、日常に見られないような何らかの規律があること、有能な上司がいるかもしれないことなどが挙げられる。先週の金ローでやっていた『永遠の0』も宮部久蔵のような有能な上司がいたかもしれないということが描かれ、そのことがエンターテイメントを成立させている。ミニオンズは細胞として発生してから、そのようなボスを探す。しかし、Tレックス、ホモ・サピエンス、吸血鬼、ナポレオン等のボスに仕えるがどうもうまくいかない。一度はボスを探すことを断念し、氷の洞窟で自分たちだけで生活するが、なにか物足りない、盛り上がらない。そこで、ミニオンズを代表してケビン、スチュアート、ボブの三人が新しいボスを探しにニューヨークへ旅をする。これはコメディーだが彼らには自分の足りないものが少なくとも分かっている。

『進撃の巨人』これがただのゾンビ映画であってくれたら、どんなに良かっただろうと思う。巨人はゾンビで、彼らが人間を捕食するのは人間を体内でゾンビに変えるためなのだ。体内で運良く生き残った個体はゾンビ巨人として生まれ変わる。生殖器のない彼らが仲間を増やす方法はそれしかないのだ……。

ホラーのような演出が多々見られるが、この映画ではそれが自家中毒をおこしているように思う。怖いというのは一回性の問題と関わっている。どんな怖がらせる方法も何度もやられては、怖くなくなってコメディか何かへと転じてしまう。それは体験としての恐怖だが、その体験が恐怖となりうるには一回目の経験であることが要請される。「こんなのはじめてー」巨人が巨人を攻撃しているときのハンジのセリフだが、エレンたちが入隊した軍隊らしきものは、ホラーの要請で何もかも未経験の素人集団として描かれている。なぜ喋ると巨人が寄ってくると言われているのに、くだらないことを喋っているのだろう。車のエンジン音、走行音はどうなのだろうか。途中で状況確認のため暗闇の中、隊の皆が車を降りるがその後の展開がただの肝試しにしか見えない。なぜ皆バラバラに動くのだろう。はぐれてどこか遠くへ行ったエレンたちだけではなくて集団全員がそうなのだ。何に従って何を探しているのか何を確認しようとしているのかよくわからない。暗闇で喋ってはいけないのなら、灯りによる信号やハンドサインでコミュニケーションをとるような考えを誰かが思いつくはずだが、そうはならない。なにしろ「こんなのはじめてー」なのだ。集団を維持するような規律やルールを何も持ち合わせていないし、集団や軍隊としての経験知もほとんど感じない。なぜこのようなところに皆いるのだろうか。巨人が攻めてくる前に少なくとも兵がいて壁の周辺を警備していたのだから、何らかの知性を感じさせるルールはありそうなものだが後半の展開ではそんなものはまるで存在しないように見える。志願兵でも何でもなく、たまたま徴兵された人がバラバラに集まってしまったのだ。それの何が面白いのかさっぱりわからない(『アベンジャーズ』のような能力者集団ならまだしも)。立体機動装置もある程度高い建物が一定程度以上の通路の幅で存在してなければ、少しも有効性を発揮しないと思うが、この映画内の環境において誰が何を思って発明したのだろうか。

暗闇で巨人に襲われ、エレンたちの上司のような人間は全て巨人に食われるか勝手に逃げるかして、早々といなくなってしまう。彼らはミニオンズのような状態に置かれるのだが(はじめからずっとそうだったのかもしれないが)、一人ひとりがなぜかとてもシリアスなミニオンズだ。

体験そのものを切断する一回性としての死への恐怖は、体験の恐怖とは別だ。物語の序盤、エレンはアルミンの父親が巨人に捕まっているのを指摘するが、それ以上そこから話は展開しない。アルミンの父親は、街で無名の人として死んでいくものの血の塊、格子から飛び出す手と何ら変わらない。アルミンの父親の死の一回性は人波に押し流されることで強引に物語から消されてしまう。全てはホラー演出のために?
9/10/2020
更新

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