『失敗の本質』の失敗 ゴジラ-1.0
戦争によってなにもかもを失った日本は、焦土と化していた。戦争から生還するも、両親を失った敷島浩一は、焼け野原の日本を一人強く生きる女性、大石典子に出会う。戦争を生き延びた人々が日本復興を目指すなか、追い打ちをかけるかのように、謎の巨大怪獣ゴジラが出現。圧倒的な力を持つゴジラに、人々は抗うすべを模索する。
ゴジラ-1.0:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画
(【予告】映画『ゴジラ-1.0』《2023年11月3日劇場公開》 - YouTube) |
『失敗の本質』
敷島浩一は零戦の特攻隊員だったが、作戦を抜け出し、機体の整備のためといって大戸島に戻ってくる。彼は両親に何としても生きて帰ってくるように言われていた。そのために、彼は機体が壊れていると嘘をついた。島の整備兵が敷島が逃亡してきたことを察して「一人くらいそういうやつがいてもいい」という。敷島は戦争からは逃れられたが、そこにゴジラが襲い掛かってくる。以降、彼が人並みの暮らしを生きようとするたびにゴジラは牙を向けてくる。
大戸島でゴジラに遭遇した際、整備兵は塹壕のような場所に隠れ、敷島に零戦の機銃で応戦するようにいう。敷島は零戦に乗り込むが、ゴジラを撃つことができない。ゴジラが近づいてきたことに恐怖して、一部の整備兵は制止するも彼らの何人かが手持ちの銃をゴジラに向け撃ってしまう。すると、ゴジラは整備兵の方に突進してきて、敷島と整備兵の橘以外を殺してしまう。橘は敷島に「全員死んだぞ、なぜ撃たなかった」と責める。ここで、特攻から逃げたことの責めがゴジラと戦わなかったことの責めに置き換わる。つまり、アメリカとの戦争に関わることは脱色されて、敷島のなかで戦争はゴジラに対するものとして認識される。ただ、だからといってこの映画でゴジラ=アメリカが成り立つかは怪しい。
戦争が終わり敷島が東京に帰ってくると、両親は空襲で亡くなっており、隣に住む太田澄子は子供を亡くしていた。太田は生きて帰ってきた敷島を非難する。戦争で子供を亡くした怒りや悲しみが全て敷島に向けられているかのようだ。太田はパイロットの一人にすぎない敷島をまるで軍の責任者か何かであるかのように非難する。敷島は両親に生きて帰るようにいわれていた。彼は特攻の作戦に参加して死ねばよかったのだろうか。それで戦況が変わっていたかどうかは疑わしいが、ゴジラに機銃を撃たず、その結果整備兵が皆死んでしまったことは具体的である。敷島が戦争で戦わず生き延びたせいで日本が負け太田の家族が死んでしまったかは分からないが、敷島がゴジラに攻撃しなかったせいで整備兵が死んだことには考える余地がある。映画を見てゴジラの再生力を知っている人間からすれば、あそこで機銃を撃つのは無謀で、ゴジラのことを何も知らないまま恐怖に任せて攻撃するというのは自殺行為である。なので、ゴジラに対して機銃を撃てという命令は、特攻作戦と同じく命を軽んじられ敷島は囮や捨て駒にされようとしていたも同然である。敷島は何も言わないが、それを拒否する。場合によっては、隠れていることや様子見をすることが一番いい場合もある。しかし、それは積極的ではないため罪なのだ。
短期決戦志向の戦略は、前で見たように一面で攻撃重視、決戦重視の考え方とむすびついているが、他方で防禦、情報、諜報に対する関心の低さ、兵力補充、補給・兵站の軽視となって表れるのである。(p280)
信賞必罰は陸軍部内では公正でなかった。積極論者が過失を犯した場合、人事当局は大目にみた。処罰してもその多くは申し訳的であった。一方、自重論者は卑怯者扱いにされ勝ちで、その上もしも過失を犯せば、手厳しく責任を追及される場合が少なくなかった。
このような陸軍人事行政は、つぎつぎに平地に波瀾をまきおこして行く猪突性を助長する結果となった。(林三郎『太平洋戦争陸戦概史』)(p334)
『失敗の本質』戸部良一/寺本義也/鎌田伸一/杉之尾孝生/村井友秀/野中郁次郎
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敷島はそのような猪突性が足りなかったゆえに、橘や太田から非難されている。この映画の序盤、ゴジラは敷島の戦場から逃げた罪悪感のようなものとして現れてくるが、戦後になりゴジラが東京を襲い、それに対抗するために様々な人々が関わるようになってくると、ゴジラはまた別の様相を見せる。人々は戦争の反省を口々にいうようになる。人命を軽視していた、食料の現地調達を命令した、末端の兵士に情報を隠したなどと、敷島が機雷除去の仕事で出会った秋津淸治や野田健治はいい、ゴジラとの戦いでは旧日本軍と同じ轍を踏まないように呼びかける。作戦の参加者全員を集めて、それを披露し、作戦が絶対成功するわけではないことを認め、失敗した場合のプランについてもある程度言及する。また作戦自体の参加も強制ではなく任意である。作戦で命を落としたくないものは参加しなくてもよいとされる。ここに来て、戦中に良いとされてきた猪突性は悪いものとして転換している。ゴジラと戦う者たちにとって、猪突性は単なる反省の対象ではない。いまや彼らは猪突性を体現するものとしてのゴジラと戦っている。
帝国陸軍は、物的資源よりも人的資源の獲得が経済的により容易であったという資源的制約と、人命尊重の相対的に稀薄であった風土のなかで、火力重視の米軍の合理主義に対し白兵重視のパラダイムを精神主義にまで高めていったのであろう。(p351,352)
戦車の威力が弱ければ、技術的に強力な対戦車装備(対戦車戦車、対戦車砲、対戦車地雷など)が開発されるはずはなく、最後は地雷、爆薬を持った歩兵が戦車に対して白兵戦を挑むことになったのである。(p355)
帝国海軍も、陸上の白兵銃剣主義が戦闘の雌雄を決するというのと同じような、艦隊決戦という戦略原型を定着させてきた。それは、海戦において勝利を決するのは、主力艦船同士が相対する砲戦にあるとする見方で、ほとんどの海戦の背後には、艦対艦の決戦は最終的には戦艦の主砲に依存する、という「ものの見方」があった。(p350)
『失敗の本質』戸部良一/寺本義也/鎌田伸一/杉之尾孝生/村井友秀/野中郁次郎
ゴジラは戦艦の主砲によって大きなダメージを受けるが、驚異的な再生力で回復し、その回復力をあてにして防御を考慮せずに突っ込んでくる。ゴジラは、機械的な仕掛けを有した、核攻撃に匹敵する熱線を放つことができる。ゴジラは、帝国陸軍が物がなくても人はいるといった条件の中で理想としたような、人命軽視で防御軽視を体現する回復力と、帝国海軍が理想としたような匹敵するものがない主砲を持っている。ここでは、ゴジラは帝国陸軍と帝国海軍の象徴の混合物、亡霊であるように見える。敗戦で反省した敷島らは、言葉の上であるいは戦時のプロセスの上でのみ反省するのではなく、その反省や学習を通して旧日本軍そのものと戦うという構図になっている。それは、ある意味でアメリカのように戦うということかもしれない。ゴジラを撃破したときに礼を尽くすのも、ゴジラが旧日本軍を象徴しているからだろう。
ハワイ奇襲作戦で成功したのは日本軍であり、マレー沖海戦で英国の誇る「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」を航空攻撃で撃沈したのも日本軍であった。しかし、二つの敗退から学習したのは、米軍であった。米軍はそれまであった大型戦艦建造計画を中止し、航空母艦と航空機の生産に全力を集中し、しだいに優勢な機動部隊をつくり上げていった。(p326)
『失敗の本質』戸部良一/寺本義也/鎌田伸一/杉之尾孝生/村井友秀/野中郁次郎
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政治のない戦争
米国が欧州および太平洋における複数国との戦争に対して、連合国と共同作戦を展開しえたのに対して、日本は枢軸同盟国の独伊との連携はほとんどできないままに終わった。(p277)
『失敗の本質』戸部良一/寺本義也/鎌田伸一/杉之尾孝生/村井友秀/野中郁次郎
敷島は、見ず知らずの赤ん坊を抱えた大石典子と闇市で偶然出会う。敷島は彼女を居候させ、赤ん坊の明子が大きくなるまで一緒に暮らすことになる。その後ゴジラが銀座に襲来し、ゴジラの熱線の衝撃で典子は吹き飛ばされ二人は離ればなれになる。ゴジラが去ったあとの銀座は瓦礫の山と化し、生き残った敷島はその光景を見て典子が死んだものとして葬式をあげる。機雷処理の仕事で出会った秋津は「なぜ典子を嫁にしなかったのか」というと敷島は「戦争がまだ終わっていない」からだという。敷島はPTSDのような症状を示し、戦争の悪夢でうなされるが、それも全て最初の大戸島でのゴジラとの戦いについてだけである。そして、最後に生きていた典子から「戦争は終わりましたか」ときかれる。ゴジラを倒して敷島の戦争は終わったのだろう。しかし、それは厳密には戦争ではなく、ゴジラとの戦いである。戦争中にゴジラとの最初の戦闘があり、それが続いていたにすぎない。戦争と同じ装備を用いてゴジラと戦っているから、加えて敷島以外の復員兵が敗戦の反省によって行動しているので、それは戦争と同じようにあるいは戦争を再現しているように見える。敷島が戦争でなしえなかった特攻をゴジラに仕掛けて、戦中の特攻とは違って生きるやり方で作戦を成し遂げて、彼の心は治癒される。しかし、これは戦争ではない。理由の一つは例えば、単純にゴジラに何か戦略があると思えないからである。ゴジラは熊が山から下りてくるのと同じように突っ込んでくるだけだ。
戦争は他の手段をもってする政策の継続にすぎない、という最も有名なクラウゼヴィッツの言葉は、戦略家にとっての憲章となっている。(p191)
重要なのは、政治的目的の有無が戦争と無分別な暴力を分け隔てると主張している点だ。
戦争理論家としてのクラウゼヴィッツの偉大さを決定づけたのは、その成熟した思考の核にある、戦争は「特異な三位一体」をなしているという考え方である。
特異な三位一体の構成要素の一つめは、原初的な暴力、憎悪、敵意で、盲目的な本能ともみなされるものだ。二つめは、戦争を自由な精神活動たらしめる偶然性や蓋然性といった賭けの要素である。三つめは、政策の手段として用いられる戦争そのものの従属的性質である。この性質により、戦争は純然たる知力の支配下に置かれる。
クラウゼヴィッツの戦争理論は、これらの三要素の活発な相互作用を拠り所としている。この三位一体論は、前述の「政策の継続」という言葉に取って代わる意味をもつ。
『戦略の世界史 上』ローレンス・フリードマン
そこで見られるのは、『失敗の本質』がその本の内容を限定しているような意味での戦争における戦い方だけを見せるやり方である。ゴジラとの戦闘は、戦争の戦い方だけを抽出している。それなのに主人公は戦争をしている気でいる。
本書は、なぜ敗けたのかという問題意識を共有しながら、敗戦を運命づけた失敗の原因究明は他の研究に譲り、敗北を決定づけた各作戦での失敗、すなわち「戦い方」の失敗を扱おうとするものである。(p22)
『失敗の本質』戸部良一/寺本義也/鎌田伸一/杉之尾孝生/村井友秀/野中郁次郎
戦い方だけが問題になるので、映画内の作戦会議ではゴジラをどう駆除するかということしか話し合われない。上のクラウゼヴィッツの考えに従えば、ゴジラとの疑似戦争にあるのは三位一体の一つめの原初的な暴力、憎悪、敵意だけである。そのようなバランスを欠いた戦争の中で、ゴジラは極めて残虐な目にあうことを運命づけられている。制限のない原初的な暴力、憎悪、敵意が対ゴジラ作戦をどこまでも工夫してバリエーションを示していく。元海軍の野田はワダツミ作戦を披露した。それはゴジラを深海に沈めて水圧でつぶす、それで倒せなければ急浮上させ減圧によってゴジラを破壊しようというものだった。このシーンで2020年日本公開の『ミッドウェイ)』という映画で、日本の海軍がアメリカ軍の捕虜に錨を結んで生きたまま海底に沈めるシーンがあったことを思い出した。ゴジラがかわいそうという意味ではなくて、ただ単にやり方が極めて残酷なのだ。そこまで残酷にならなければ倒せないゴジラとは何なのだろうか。
(【予告】映画『ゴジラ-1.0』《2023年11月3日劇場公開》 - YouTube) |
(「ゴジラ-1.0」山崎貴監督「戦争が怖い。だから映画に」 - 日本経済新聞)
ネタニヤフはパレスチナ人達を「動物」と呼び、他の人々は「野蛮」と呼びました。あるいは、これは覚えておくべきですが、パレスチナ人達は単に「戦略的問題」として理解されました。
【翻訳】パレスチナ人の命も守れ:ユダヤ人の学者ジュディス・バトラーがイスラエルの「ジェノサイド」を非難|カフェ・フスタート
イスラエルがパレスチナ自治区ガザの地下トンネルに海水を注入できる大型ポンプのシステムを組み立てたと、米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)が4日、米当局者の話として報じた。(中略)報道によると、イスラエル軍は11月半ば、シャティ難民キャンプから北に約1.6キロの場所で少なくとも5つのポンプの設置を終えた。1時間に数千立方メートルの水を移動することが可能で、数週間でトンネルを浸水させられるという。
イスラエル、ガザ地下トンネルに海水注入を検討=WSJ | ロイター
上にすでに書いたが、ゴジラは旧日本軍を象徴している。それゆえ旧日本軍を止めるために市街地に原爆を落とすような残酷な作戦がとられたのと同じように、ゴジラに原爆とは違ったバリエーションの残酷な作戦が用意されている。アメリカが日本を止めるために原爆投下が必要だったかどうかは議論があり、そのあたりを『オッペンハイマー』で見られるのかもしれない。旧日本軍を誰かが止める必要があるとして、仮に日本人が旧日本軍を止めるために原爆投下が必要ということになったらおかしな話になってしまうだろう。しかし、この映画は戦争の政治的な部分を抜いて描こうとして、そのようなおかしなことを本気でやっているのではないかと思う。戦争の中の個人を描くのが狙いとはいえ、これでは戦争のことは何もわからないのではないか(戦争を子供の視点で描こうとする『君たちはどう生きるか』や『窓ぎわのトットちゃん』にも同じような感想を持った。前者は空想しているうちに戦争が終わっていて、後者は子どもの非現実的な空想と似たようなものとして戦争が現れる)。
ヨーロッパにおけるヴェルサイユ体制の崩壊にともない、日本の急進論は柳条溝事件をきっかけとして逐次中国大陸に進出することに焦慮し、軍閥が推進力となってついに一九三七年の日支全面戦争が勃発した。日支戦争が長期化するに従い、日本の行動は世界世論の反撃をうけ、九ヵ国条約違反の行為として国際連盟や米英政府の弾劾をうけた。
『第二次世界大戦外交史(下)』芦田均
それにしても日本が対支戦争を勝利に導くためには、蒋介石政府に対する軍需品輸入を防遏する必要に迫られ、いわゆる援蒋ルート切断のため、仏印、ビルマに実力を傾ける南進政策がスタートを切った。日本の大東亜共栄圏政策は、戦争指導者の窮余の一策とも見るべきであったが、それが枢軸諸国の世界制覇と軌を一にするものとして、あまねく自由主義国の指弾を蒙った。そしてヴェルサイユ会議に端を発した日米間の論争は、ある意味において真珠湾に落ちた時限爆弾ともいうべきであったろう。
この爆弾をコントロールすることは、統帥権に一言の文句もつける権限なき日本の政治家にとっては不可能にひとしい仕事であった。近衛がその手記において統帥に対する政府の無力を嘆いているのは、当時の為政者の最大の痛恨事としたところであったに違いない。(p58)
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サバイバルはしない
敷島は典子と赤ん坊の明子を家に置いていたが、戦後の不景気な東京で長いことそうすることはできないという。典子は「パンパンにでもなれっていうの?」と怒り、敷島は「こんなご時世だから」といって二人を突き放そうとする。パンパンは戦後すぐのアメリカ兵向け売春婦の意味だが、その歴史的な位置づけや意味は置いておいて、典子はここではただ単に生きることを目標にして生きることを否定している。パンパンはただ単に生きることの意味で使われている。典子の背景があまり描かれていないのだが、もしも彼女が戦後ただ単に自分が生きることを目的としていたならば、自分とは全く関係ない赤ん坊を、託されたとはいえ連れ帰って守ろうとは思わなかっただろう。闇市で典子が敷島に赤ん坊を一時的に託したとき、それは一種のテストとして機能して、典子は敷島を自分と同じようなタイプの人間だと思っただろう。その分、典子の敷島に対する失望は大きかっただろう。事情を知った隣人の太田澄子が彼らに自分の白米の備蓄を分け与える。彼らを単に生きることから解放しようとする。
かつては都市の市場に奉仕し、都市の仕事に人を送り出し、あるいは都市の技術、都市の移植工場、都市からの収入を受け取ってきた経済が、最終的にはそういった都市とのつながりを失うこともある。そうなると人々の生活は、農村的最低生存の暮らしに落ち込む。しかし、まったくの最低生存の生活に適応しているうちに、人々は以前の実践経験や技術の多くをすてさり、失ってしまう。たとえば、エジプトでは、パピルスから紙をつくるのは古代において定着していた実践経験だった。ローマ帝国の時代までは、紙はエジプトの主要輸出品だった。しかしその後、エジプトのほとんど全土が農村的最低生存の生活に落ち込んだとき、製紙業は放棄された。(p195)
ローマの経済はその名残りをヨーロッパ各地に残し、その程度は地域によってまちまちだが、ヨーロッパが最低生存の生活に落ち込むにしたがって、いかに多くのものがすてさられ、そしてまったく忘れられたことか。作物の輪作という実践経験でさえ、生き延びるためにすてられ、そして次には、それが可能であるということさえも忘れられた。金属の農器具が摩耗しても取り替えられもせず、それらをつくる技術もすてられ忘れられた。パンを焼くことが放棄されるにつれ、オートミールのかゆがヨーロッパ共通の穀物食品となった。経済活動の中で、一連の工業製品や工芸品が消え、上質の織物が消え(例外は、北海沿岸の低地帯にある小さな飛び地で、ここではその技術が保たれた)染色した毛織物、安い大量生産の陶器類、写本、ガラス製品も消えた。人々は衰退した最低生存の生活の中で保持されていたわずかな残存部分に頼って、より原始的な生活を営みながら、より創造的だった過去に頼ってより貧しい生活を営んでいた。ローマにおいても、六世紀の経済活動では、もはや鉱石を採掘したり溶解したりすることがなかったために、金属が必要になると、人々が扉から蝶番を略奪し、泉から管を略奪したときには、文字どおり過去からの経済的残存部分に頼って生活していたのである。(p207)
『発展する地域 衰退する地域』ジェイン・ジェイコブズ
その後、敷島は復員兵の仕事で機雷処理をすることになる。それが単に生きることでない生の一つの回答でもある。戦後、東京湾にアメリカが設置した機雷がそのままになっていて、自由に船が航行できるようにそれを取り除かなければならない。敷島が機雷処理の仕事を典子に話したとき、典子は危ないからと言ってやめさせようとするが、後のゴジラ退治の作戦会議で集められた元兵士の一人がいったように、敷島はその仕事は戦争よりは楽なことだと思ったに違いない。機雷を処理するには、離れた船から機銃を撃ち、機雷を爆発させなければならない。戦争に行かなかった船員の水島はなかなか機雷に命中させることができないが、敷島は零戦パイロットの訓練を活かして楽々と機銃を操り、機雷に命中させる。ここに見られるのは、敷島の戦中と戦後の連続性である。彼は自分の技術や知識を活かしただけなのだが、敗戦したからといって、それらのものを捨て去ってしまうことはなかったし、それらをないものとしてただ単に生きるということをしなかった。これがこの映画の最も重要なことの一つで、もしも敗戦したからといって戦中の技術や知識を全て忘れ去ってしまうようなことがあったら、人々はゴジラとは戦えなかっただろう。そしてそのまま最低限度の生活に落ち込んだままだっただろう。それは敗戦の比喩が使われる現代にもいえる。
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