控えめな音楽の帰還 くるみ割り人形と秘密の王国

愛する母を亡くし、心を閉ざしたクララ(マッケンジー・フォイ)がクリスマス・イヴにもらったもの、それは鍵のかかった卵型の入れ物。「あなたに必要なものはすべてこの中にある」———母が遺した言葉の意味を知るために、クララは鍵を探し始める。その晩開かれた名付け親であるドロッセルマイヤー(モーガン・フリーマン)のクリスマス・パーティーで、彼からのプレゼントを受け取る糸をたどるゲームに参加したクララは、いつの間にか不思議な世界へ足を踏み入れていた。

鍵を追ってクララが迷い込んだのは、息を飲むほど美しく幻想的な世界。それは、色とりどりの花と緑で覆われた“花の国”、キャンディやマシュマロでできた“お菓子の国”、雪と氷がクリスタルのように輝く“雪の国”、そして謎の多い“第4の国”からなる誰も知らない<秘密の王国>。プリンセスと呼ばれ戸惑うクララだったが、やがて、この世界を創り上げたのが亡き母であることを知る。だが、マザー・ジンジャー(ヘレン・ミレン)が支配する“第4の国”が反乱を起こし、王国は消滅の危機に瀕していた。

母が愛した王国を救えるのは私しかいない———心優しい“くるみ割り人形”フィリップ(ジェイデン・F・ナイト)とともに、“第4の国”へと旅立つクララ。それは、この美しい世界に隠された<真実(メッセージ)>を探す、驚くべき冒険の始まりだった…。

作品情報|くるみ割り人形と秘密の王国|ディズニー公式

パントマイム(そしてとりわけ手と指のゆっくりした生気、ここでもまた、それは固まるパン生地のようなものである)は、石化、鉱物化への傾向に他ならない。パントマイムほど反ロマン主義的なものはない。ロマン主義の主要な考えは人間と事物との間の対立という考えである。ロマン主義はその視覚上のこだわりに置いてすぐれて美学的なのかどうかと問うてみればよい。真のパントマイムは事物のパントマイムである。それは充溢した存在の獲得である。そして感情が事物になるとき、私たちは憎しみや愛を身ぶりで表すことになる。ポンジュは、事物が感情になることを望む。彼は次のように述べている。「なぜといって、幾千もの感情が認識されなければならず、経験されなければならないからだ……。やれやれ!私はどうしても言いたい。私はといえば、私とは全く別の事物であって、例えば、ネズミやライオンや網に共通する私の所持するあらゆる質のほかに、ダイヤモンドの質を私はもっているぞと主張し、さらには、私は海と連帯し、それと同じように海が押し寄せる崖やそれから生じる小石と連帯するのだ」。ポンジュ、あるいは反パントマイムとはこういうことだ。パントマイムは反対に感情を事物に変える。だが、これらの反対のものが一つの同じ世界に属しているということ、そして事物が感情になる限りにおいてのみ、感情は事物に変容するということを忘れないようにしよう。(p300,301)

『基礎づけるとは何か』ジル・ドゥルーズ

今年もクリスマスがやって来ようとしているが、シュタールバウム家では母のマリーが亡くなり空気が重い。次女のクララが屋根裏部屋で科学と技術と運を駆使した装置による手の込んだネズミ捕りを楽しんでいると、お手伝いが呼びに来る。子どもたちがクリスマスツリーに集められると、父のベンジャミン(マシュー・マクファディン)は母からクリスマスプレゼントがあるという。子どもたち三人にそれぞれ別のプレゼントが与えられた。クララの姉のルイーズ(エリー・バンバー)には母の形見のドレスが弟のフリッツ(トム・スウィート)には兵隊の人形がプレゼントされ、それぞれ満足して嬉しいものをもらったようである。しかし、クララにプレゼントされたのは鍵のかかった銀の卵型の箱だった。鍵がかかったままで鍵がなく、プレゼントが入っていた箱には「あなたに必要なものがこの中に」とメッセージが添えられていた。彼女が受け取ったのは「謎」であり、それは嬉しいとか悲しいとかいう以前のものだった。それは彼女に「迂回せよ」と言っていた。

クララたち家族は毎年クリスマスイブ恒例のドロッセルマイヤー主催のパーティーに向かっていた。クララは卵型の箱にドロッセルマイヤーの頭文字があるのを見て、彼なら何か知っているかもしれないと思っていた。パーティーに向かう馬車の中でクララの父はクララとルイーズに舞踏会で一緒に踊ろうと約束していた。父としては母が亡くなっても家族が大丈夫なことを確かめたかったのかもしれない。しかし、クララの方は母から贈られた謎に夢中で、踊りの約束の時間にドロッセルマイヤーに箱のことを相談に行き、約束を破ってしまう。クララの父はクララを見つけると「お前はなんで自分のことばっかり」といって非難するが、クララの方も父に対して「そっちこそ自分のことばかり」と返してしまう。クララとしては母が亡くなっているのになぜクリスマスを楽しまなければならないのかと思っていただろう。

くるみ割り人形と秘密の王国
(Disney's The Nutcracker and the Four Realms - Final Trailer - YouTube

その後、ドロッセルマイヤーが子どもたちにプレゼントを配る時間がやってきた。中庭から伸びた自分の名前付きの紐をたどっていくと、プレゼントが手に入る仕組みになっている。クララも他の子供達と同じように紐をたどっていく。どこまでも続いていきそうな紐をたどっていくと、雪が深く降り積もった馴染みのない場所に出てしまった。紐はまだ続いている。クララは紐の先にある木に金色の鍵がぶら下がっているのを見つける。すると、一匹のネズミがどこからか現れて鍵を持っていってしまう。彼女はそれを必死に追いかける。追いかけた先で、一つの橋と眠っている男に出会う。その男はくるみ割り人形で橋の警備をしているらしく、名前をフィリップという。クララが橋を渡ろうとすると、われわれは第四の国と戦争中で向こうへ行くのは危険だという。彼女はロンドンが通じない別の世界に来てしまった。彼女は第四の国へ鍵を探しに行ったものの、第四の国を治めるマザー・ジンジャーに追い返されてしまう。

異世界は四つの国で構成されている。お菓子の国、花の国、雪の国、第四の国である。第四の国は本来はLand of Amusementで遊びの国なのだが、他の三国と第四の国は戦争状態にあり、第四の国を遊びの国ということは禁じられている。お菓子の国、花の国、雪の国、遊びの国、これら四つの国はクリスマスの構成元素のようなものだろう。クリスマスケーキがありクリスマスツリーがあり外では雪が降っていてクリスマスプレゼントが交換される。クララにおいては、母が亡くなったために遊びの要素が失われてしまっている。「クリスマスが来たけど、母がなくなってどうして楽しまないといけないの」という風に遊びの国が封印されているのだ。つまり、この世界はクララの『インサイド・ヘッド』(ヨロコビとカナシミのモーニングワーク インサイド・ヘッド | kitlog)のようなものなのだ。『インサイド・ヘッド』は楽しみたいのになぜ悲しみが必要なの?だったが、『くるみ割り人形と秘密の王国』の方は悲しみたいのになぜ楽しまなければいけないの?という点でほとんど反対だ。ただ、それは『インサイド・ヘッド』ほど明瞭ではない。第四の国が秘密なのは、クリスマスプレゼントの卵型の箱の中身が秘密にされていることにも関係があるだろう。そして母がなくなった四人家族は四つの国に対応しているかもしれない。第四の国はコミュニケーションがうまくいっていない父にあたるだろう。

シュガー・プラム(キーラ・ナイトレイ)はクララにこの世界を救ってほしいと頼む。この世界を作った女王マリーの娘のクララはプリンセスだ。そういってクララに豪華な衣装を着せる。それはおそらく姉のルイーズが母の形見のドレスをもらったことの比喩だろう。もしクララのもらったプレゼントがドレスだったら、がここで行われているのだ。クララはプリンセス気分を味わう。シュガー・プラムはマリーの物語をバレエ演劇で披露する。そこでは第四の国だけが異様なものとして描かれ、ネズミがネズミ同士で背中のゼンマイを巻きあっている。シュガー・プラムは第四の国が今にも攻めてこようとしているという。国を守るために軍隊が必要で、軍隊を作るためにマリーが発明した機械を動かさなくてはいけない。それには鍵が必要だ。その鍵は卵型の箱の鍵と同じだった。クララは軍服を着て軍隊を従えて第四の国へ向かう。兵士の人形はフリッツがもらっていた。第四の国は荒れ果てた遊園地のようで、クララの屋根裏部屋のようでもあった。彼女は屋根裏部屋からネズミに降ろされてマザー・ジンジャーと対面し、そこでマトリョーシカの兵士らの妨害にあうが、なんとか鍵を持ち帰った。彼女は城に戻る途中で卵型の箱の鍵を開ける。それはオルゴールだった。クララは「何も入ってない」というとそばにいたフィリップが「音楽がある」という。するとクララは「ただの音楽じゃない」といってがっかりした様子だ。彼女は帰りたいと言い出すが、フィリップがマリーのような勇気や意志を持つクララのことがまだ必要だと言って思いとどまらせた。

マリーの残した機械は、おもちゃを人間サイズにして単純な生命をあたえ、人間をおもちゃにするものだった。ブリキの兵隊にその機械の光を当てると、兵隊が巨大化し光を当てた人間の命令を聞くようになる。シュガー・プラムはその機械で兵隊を量産した。彼女はそれを城の守備に使うと言っていたが、第四の国へ侵攻するといいはじめた。クララは騙されていた。この世界を支配しようとしているのは、第四の国のマザー・ジンジャーではなくシュガー・プラムのほうだった。彼女はクララやフィリップたちに邪魔されないよう閉じ込める。ここで疑問なのは「なぜシュガー・プラムはこの世界を支配しようとしているのか」だ。彼女はマリーがこの世界に来なくなって寂しいと言っていた。同時にマリーがこの世界を見捨てたとも思っていて裏切られたとも感じていた。だから、母の作った世界に復讐を試みているのだ。それでは、なぜその復讐の対象がマザー・ジンジャーに向いているのか。クララ目線では母が亡くなったから楽しむ気分ではないのだ。シュガー・プラム目線ではどうか。シュガー・プラムは本質的にはマリーのおもちゃであることを知っているからだろう。彼女は自分がマリーのおもちゃであることを拒否したいのだ。シュガー・プラムが遊びの国を第四の国と言いかえるのは、遊びつまりおもちゃであることを拒否するためだ。第四の国は自分たちがおもちゃであることを自覚していて、皆に知らしめている。それが我慢出来ないのだ。マリーのおもちゃであることを拒否するために、おもちゃであることをまず拒否しなければならない。そのために、おもちゃの国であるような遊びの国を滅ぼし、同時にマリーの残した機械によって、自分よりも低級な生命を作り出し、自分がマリーから独立していることを示したいのだ。それはクララにおいては家族を離れることを意味するだろう。クララとシュガー・プラムは同じなのだ。彼女たちの欲しいものの鍵が同じであることがそのことを表している。卵型の箱の中にオルゴールしか入ってないことで、母に裏切られたと感じたクララと同じなのだ。クララはオルゴールが回転し鏡があることに気づく。そこで彼女は自分の重要性(自信)とシュガー・プラムとの鏡像関係に気づくのだ。クララはマザー・ジンジャーと協力し、シュガー・プラムの陰謀を止めようとする。クララは機転を利かせて母の残した機械でシュガー・プラムをおもちゃに変え、ブリキの兵隊たちの動きも止めた。彼女はそこで母の死に関する感情を物質化したのだ。シュガー・プラムはクララにとっての母の墓になった。

現実に戻ってきたクララは、マザー・ジンジャーと和解したように父とも和解する。クララは父に踊ってほしいという。クララは卵型の箱を開けオルゴールを鳴らす。すると、父は「マリーと初めて踊った曲だ」という。それはクララが初めて聞いたときに思ったような「ただの音楽」ではなかった。マリーはクララに大切なものを残していた。音楽とともに遊びの国が帰ってきた。
9/10/2020
更新

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