家族を抑圧する「歴史」からの解放 リメンバー・ミー

主人公は、ミュージシャンを夢見る、ギターの天才少年ミゲル。しかし、厳格な《家族の掟》によって、ギターを弾くどころか音楽を聴くことすら禁じられていた…。ある日、ミゲルは古い家族写真をきっかけに、自分のひいひいおじいちゃんが伝説のミュージシャン、デラクルスではないかと推測。彼のお墓に忍び込み美しいギターを手にした、その瞬間──先祖たちが暮らす“死者の国”に迷い込んでしまった!

そこは、夢のように美しく、ガイコツたちが楽しく暮らすテーマパークのような世界。しかし、日の出までに元の世界に帰らないと、ミゲルの体は消え、永遠に家族と会えなくなってしまう…。唯一の頼りは、家族に会いたいと願う、陽気だけど孤独なガイコツのヘクター。だが、彼にも「生きている家族に忘れられると、死者の国からも存在が消える」という運命が待ち受けていた…。絶体絶命のふたりと家族をつなぐ唯一の鍵は、ミゲルが大好きな曲、“リメンバー・ミー”。不思議な力を秘めたこの曲が、時を超えていま奇跡を巻き起こす!

作品情報|リメンバー・ミー|ディズニー公式

リメンバー・ミー
(「リメンバー・ミー」MovieNEX 予告編 - YouTube

映画の冒頭、『ブラックパンサー』ほど壮大ではないものの、家族の歴史が語られる。主人公ミゲルの高祖母(ひいひいおばあさん)イメルダの夫は音楽で成功するために家を出て行ったきり戻らなかった。イメルダは落ち込んでばかりはいられないと靴職人を目指し、商売を成功させる。その後音楽は家族を引き裂いたとして、ミゲルたち家族の間では禁止になりそれから代々家業として靴の製作販売をしている。彼らの住む街は音楽で溢れている。そこらじゅうにギターを手に持つ人がおり、かつての偉大な音楽のスター、エルネスト・デラクルスは彼らの憧れであり、それは街の中心に銅像がたつほどである。ミゲルの家だけが強迫的に音楽が禁止されている。彼らの家だけがまるで別の国のようだ。ミゲルは靴職人の一家の中で見習いとして靴磨きをしており、お客探しのためによく街の広場に出ていた。お客にはミュージシャンもいるのだが、それを見つけるやミゲルの祖母エレナはサンダルを手にして追っ払ってしまう。エレナはミゲルが隠し持っていたギターも無惨に破壊してしまう。音楽は絶対的に禁止されてしまっている。ここまで来ると家族のルーツ以外の別の要素が彼らを縛っているのではないかと疑わざるを得ない。

私どもはつぎのような告白をせざるをえません。すなわち、強迫ノイローゼのこれらの症状、つまりこれらの観念と衝動――それは、どこからくるのかはわからないが、とにかく現れてきて、ふだんは正常な心的生活のあらゆる影響力に抵抗して、あたかもどこか未知の世界からきた非常に力の強い客であり、死すべき者の群れにまじりこんだ不死なるものであるかのような印象を患者自身に与えるのですが――そうした観念と衝動とのなかに、たぶん他の領域の心的活動からは隔離されたある特殊な領域があることが、きわめてはっきり示されている、という告白です。(p378)

精神分析学入門』フロイト

この家で音楽の他にタブーになっているものがもう一つある。それは出ていったきり戻らなかったとされるイメルダの夫の正体だ。メキシコの家庭では亡くなった家族の写真を祭壇に飾るのが風習だが、イメルダの夫の写真は顔だけが切り取られていて、誰なのかがわからない。ミゲルは家族の中で自分だけが音楽に興味があることの原因を求めている。彼は家族に見つからない秘密の部屋に音楽の英雄デラクルスのレコードやポスター、ビデオなどをコレクションしていた。彼はデラクルスの演奏を見てギターの指運びを学び歌うことを学んだ。彼はデラクルスが昔の映像でインタビュー応えているのに励まされて、音楽コンテストに出場することを決意した。彼が「チャンスを掴め」といったからそうするのだ。ミゲルは彼の言うことなら信じられるような気がしていた。そのあとにミゲルは切り取られた写真が折られているの気づき、顔のない男がデラクルスのギターを持っているのを目にして、彼の高祖父はデラクルスであるとほとんど確信してしまった。途中で祖母にギターを壊されてしまい、出場が危ぶまれるも「チャンスを掴め」の言葉が彼の背中を押し、ミゲルはデラクルスの大きな墓に飾ってある彼のギターを盗もうと窓をこじ開ける(道徳的に言ってまずいことをしているが後のシーンを見るとそうしたことに納得できる)。ミゲルがそのギターの弦をジャーンと鳴らすと、生者の国と死者の国の道になると言われているマリーゴールドの花弁が彼の周りを舞う。すると、彼の体は透けてしまい死者の国の住人になってしまった。ミゲルが混乱していると、それを彼の死んだ家族が発見する。彼らは骸骨の姿になっているが、ミゲルはそうなってはいない。ミゲルをもとに戻すため彼らは死者の国へ向かう。ミゲルの死んだ家族がミゲルを治療するという目的で死者の国に行くのだが、実際はミゲルは知らないうちに彼ら一族全体の治療をしに行くことになる。フロイトのいう”心的活動からは隔離されたある特殊な領域”へとミゲルは向かう。

私どもがある症状につきあたるごとに、この患者には特定の無意識的な過程が存在しており、まさにその過程こそがこの症状の意味を内包していると推定してよい、と。しかし同時に、症状が成立するためには、この意味が意識されていないことが必要なのです。意識的過程からは症状は形成されるものではありません。無意識的過程が意識されるようになるやいなや、症状は消失せざるをえないのです。(p380)

ノイローゼは、まさしく一種の無知、すなわち知っているべきはずの心的な過程を知らないでいることの結果だということになります。(p381,382)

精神分析学入門』フロイト

死者の国と生者の国の国境はさながら現実の空港のようであり、死者の国の住人は顔認証を受けてそれが生者の国の祭壇のどれかの写真と一致しなければ生者の国に行くことはできない。ある男が有名人になりすまして顔認証を突破しようとするが、通らず彼は無理矢理マリーゴールドの橋を渡ろうとする。しかし、その花びらは正規の出国者以外を認めず、他の人には硬いマリーゴールドの地面は彼の足元だけ沼のようになって進行を妨害し、その男は国境の警備員に連行されてしまう。

国境の管理者によれば、ミゲルがもとに戻るためには家族のゆるし(blessing)が必要なのだという。ちょうどそこにはミゲルの死んだ家族たちが集まっている。イメルダはマリーゴールドとともにミゲルにゆるしを与えるが、音楽をやってはいけないという条件付きだった。生き返ったあとでミゲルがギターを鳴らすと死者の国に強制的に戻されてしまった。ミゲルは他の家族に条件無しで元の世界に戻してというが、誰も首を縦に振らない。ミゲルはデラクルスなら自分が音楽をすることを認めてくれるだろうと思い、家族から逃げて彼を探しに行くことにする。

ミゲルは逃亡中にデラクルスの知り合いだという人物に出会う。国境の警備員に連行された男だ。彼は尋問中に「おれはデラクルスの知り合いだ」国境を通してくれたらコンサートのチケットをやろうなどと言って警備員を買収しようとするが無視されてしまった。その会話をミゲルが聞いていた。ミゲルは彼に事情を話して、デラクルスに会わせてほしいという。彼はミゲルが生者だと知って、自分はどうしても国境を渡りたい、そのために自分の写真を祭壇に置いてもらう必要がある、デラクルスと会えたら写真を置いてきてほしいと取引をする。彼らは手を組む。彼の名前はヘクターという。ヘクターはデラクルスがコンサートのリハーサルをする場所を知っているといいそこへ向かう。しかし彼はそこにいなかった。デラクルスだけはリハーサルをしないでパーティをしているのだという。リハーサルをしていたデラクルスの楽団の連中はヘクターを指さして「あいつはチョリソーを喉につまらせて死んだんだって」と笑っている。ヘクターは「そうじゃない、あれは食中毒だった」といって言い返すも信じてもらえず、彼はどうやら笑いものにされているようだ。それから、ミゲルとヘクターの二人はパーティ会場で演奏する音楽家を決めるコンテストを開催していると知ってそこへ向かう。

その前にギターが必要だった。今度は前のように盗む訳にはいかない(おそらく二つの意味で)。ヘクターの住む街へ向かう。そこはヘクターのように写真を祭壇に飾られず、誰にも知られていない人たちの寂れた溜まり場だった。老人の骸骨がギターを抱えてハンモックで寝ている。ヘクターは彼にギターを貸してくれという。彼は最初は拒むが、身体の奇妙な震えのあとで、このギターで一度歌ってくれとヘクターに頼む。彼はヘクターがギターを弾けるのを知っている。ヘクターの歌の後で、彼は灰のように消えてしまう。ミゲルが尋ねると、生者の国で皆に忘れられてしまった死者は、死者の国で二回目の死を迎えるのだという。身体の震えは忘れられる前兆だった。

コンテストでのミゲルの身体の震えは死者のそれとは違っていたが、ヘクターはなぜか場慣れしている感じで本番前のリラックスの仕方を彼に教える。嘘っぽいがヘクターはデラクルスの師匠なのだといっている。ミゲルが一度も人前で演奏したことがないのに音楽家を名乗っていることにヘクターは驚いていたが、演奏してみるとミゲルは才能があるようで会場を沸かせヘクターはお前が絶対優勝だという。しかし、そこにミゲルの家族が彼を連れ戻しにやってくる。ヘクターは自分もあの骸骨のように消えそうなのを知っていて早く写真を置いてきてほしいと思っていた。家族がいるならすぐに写真をおいてこれたはずだ。ミゲルは家族がデラクルスしかいないと嘘をついていて、彼らは仲違いしミゲルは一人でデラクルスのパーティ会場へ向かう。途中ミゲルはイメルダに追いつかれる。ミゲルは子供一人分の幅の格子を抜けて彼女から逃げる。すると、イメルダはミゲルは呼び止めようと歌を歌い始める。ミゲルは足を止めて「歌は嫌いなんじゃなかったんだね」という。ミゲルは「どうして家では家族と音楽が両立できないの、なぜどっちかを選ばないといけないの」とイメルダに尋ねるが彼女は何も答えずミゲルはそのまま行ってしまう。

ミゲルはコンテストの優勝楽団に紛れて会場に潜入する。そこではDJが音楽を会場に響かせており、デラクルスの生前の主演映画が壁のスクリーンに映し出されている。ミゲルはデラクルスの名を呼ぶもDJの音楽がうるさくて届かない。すると、あるデラクルスの映画のシーンが流れてきて「普通にやって届かないのなら」のセリフに背中を押されて、彼は会場で目一杯ギターを鳴らす。DJはその音に耳を止めボリュームを下げていく。ミゲルは自分があなたの孫の孫だとデラクルスに告げる。彼はそれを喜んでいる風に肩車をして、ここまで来てくれたミゲルを祝福する。彼らが二人きりになったところでミゲルは帰るためのゆるしが欲しいという。そこにヘクターがやってくる。「写真を持っていってくれる約束じゃないか」と。そしてデラクルスに言う。「俺が忘れられようとしているのはお前のせいだ」と。デラクルスはインタビューなどで作詞作曲は全て自分でやったといっており、ミゲルもそう思っていた。しかし、それはすべてヘクターが書いたものなのだという。デラクルスとヘクターはバンド仲間で一緒に活動していた。ある日、その途中でヘクターがそれを抜けて家族の元へ帰りたいといったので、このままでは音楽ができなくなると思いデラクルスは彼を毒殺してヘクターが作った歌を自分のものにしてしまった。彼はそのことを誰にも言わなかった。自分の歌っている曲がヘクターのものだとも。その事実を隠すためなのか無意識の発現なのか、デラクルスは自分の映画の中でヘクターが毒を飲まされるシーンを再現し、今度は彼がヘクターを演じて相手の毒殺を見破り相手を打ちのめすという歴史修正をやっていた。彼はヘクターになりたかったのだ。しかし世界に二人ヘクターは存在できないため彼は本物のヘクター殺しその記録も抹消してしまった。そして死者の国でもその事実の抹消を反復しようとしている。デラクルスはヘクターの写真を取り上げヘクターとミゲルを洞窟に放り込んだ。

洞窟の中で、ヘクターはどうしても死者の国で二回目の死を迎えるわけには行かないのだとつぶやく。自分は家に帰ろうと思っていたのに、娘に会いたいと思っていたのに途中で死んでしまった。そしてその事実を娘に伝えるものは誰もいなかった。彼の娘はもうすぐ死んでしまう。ヘクターの身体の震えがそれをあらわしている。娘の死=忘却である。このままでは娘の死と入れ違いでヘクターも死者の国で死んでしまう。ヘクターはココと娘の名前をつぶやく。ミゲルはココはうちのひいおばあちゃんの名前だよといって驚く。ミゲルの本当の高祖父はヘクターだった。

リメンバー・ミー
(「リメンバー・ミー」MovieNEX 予告編 - YouTube

ここまで来ると、ミゲルの家の事情がどういう背景なのかが見えてくる。ミゲルたち家族に音楽を禁止しているのは、家族の掟ではなくて街の歴史である。それはデラクルスがヘクターの痕跡を抹消してつくりあげた歴史だ。この街はデラクルスを音楽の英雄に祭り上げている。しかしそれはヘクターの痕跡がないことが前提だ。なにしろデラクルスの歌はすべてヘクターのものなのだから。そしてヘクターの痕跡を有するのはミゲルの曾祖母のココだけである。ココはヘクターが音楽の出稼ぎに行く前にヘクターの作った歌を聞かされていた。しかし、その自分の思い出の中にだけある歌が、ヘクターがいなくなったあとはデラクルスの歌として世間で流通しているのだ。ココはあれは自分の父の歌だと皆に告げなかっただろうか。それを聞いた皆はどういう反応をしただろうか。ヘクターはデラクルスによっていないものとされているのに、ココの言い分を誰が信じることができただろうか。ヘクターが「チョリソーを喉につまらせて死んだ」といわれたみたいに、馬鹿にされなかっただろうか。何にせよ、ココだけが知っている事実を知らせることは音楽の英雄であるデラクルスの名声を傷つける行為であるとみなされるだろう。そんな環境の中で、ココは沈黙せざるを得なかったのではないだろうか。子供の頃からひいひいおばあちゃんになるまでの間。彼女はその百年の孤独の中で街を害さないように記憶を封印してきたのではないか。音楽はそれを思い出させるために封じられてきたのだ。

タブーは知性の意見を聞くことがなく、きっぱりと知性的行為を制止するものであった以上、個人の観点から見れば非合理なものだが、社会と種に利益をもたらすものである限りでは、タブーは合理的なものであった。(p175)

道徳と宗教の二つの源泉』ベルクソン

ミゲルとヘクターのもとへイメルダと犬のダンテが助けに来る。彼らはヘクターの写真をデラクルスから取り返そうとコンサート会場に乗り込む。彼らはそこでフィクションとしての映画ではなくドキュメンタリーとしての現実に近い映画を撮ることで歴史の修正をもう一度修復しようと試みる。デラクルスはヘクターを確実に抹消しなければならない。デラクルスはヘクターたちを追い詰めるも、その一部始終はコンサート撮影用のカメラで撮影され会場で流されていた。その「映画」の中でデラクルスは自分がヘクターを毒殺したことを認め、邪魔なミゲルを塔の上から投げ落としてしまった。その大スペクタクルのシーンの中でイメルダの猫型のアレブリヘがミゲルを救い、観客はよしっ!と熱狂する。

デラクルスに投げ飛ばされたときにミゲルは写真を落としてしまった。ヘクターはいいんだといって、ミゲルに条件無しでゆるしをあたえる。ミゲルは生き返るとデラクルスのものと思われていたヘクターのギターを持って急いで家へ向かい、曾祖母のココにヘクターのことを忘れないでと懇願する。ココは認知症なのか、以前は自分の娘の名前も忘れてしまっていた。そこにエレナたち家族が集ってくる。エレナはまたギターなんか持ってとミゲルを叱ろうとしている。ミゲルはイメルダが歌で彼の足を止めたように、ココにこっちを振り向いてほしいとギターを拾って「リメンバー・ミー」を歌う。エレナはそれをやめさせようとするが、ミゲルの父はちょっとまってとミゲルを見守る。その歌を聞くとココは目を見開いて、忘れていた娘エレナの名前を思い出す。そしてココは何もかも思い出したというふうに引き出しを開けて、ここに手紙があるといってそれを見せる。そこには破られていたヘクターの顔と彼が生前娘に宛てた手紙が保存されていた。そこには、彼が娘のために作った歌が書かれていた。デラクルスの歴史の反証になる手紙だ。

言語、神話、芸術、宗教においては、われわれの情動は、単なる行為に変えられるだけでなく、《作品》に変えられるのである。そして、こうした作品は、消え失せることなく持続し、存続するものである。肉体的反応は即座の一時的な慰めを与えうるにすぎないが、象徴的表現は青銅よりも恒久なる力になることができる。(p80)

国家の神話』カッシーラー

ミゲルたち家族は青銅よりも恒久なる力を再び得て、おそらく百年ぶりに皆で歌を歌う。「リメンバー・ミー」はもともと彼らの歌なのだ。その歌に象徴されているものは彼らのことで、ヘクターがココのためだけに宛てた歌なのだ。


9/10/2020
更新

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