オリジンにお手本は必要か スパイダーマン:スパイダーバース

ニューヨークのブルックリン。マイルス・モラレス(声:シャメイク・ムーア、日本語版:小野賢章)は、頭脳明晰で名門私立校に通う中学生、そしてスパイダーマンだ。しかし、その力をまだうまくコントロール出来ずにいた。そんなある日、何者かにより時空が歪められる大事故が発生。天地を揺るがす激しい衝撃によって歪められた時空から集められたのは、全く異なる次元=ユニバースで活躍する様々なスパイダーマンたちだった。マイルスは、長年、スパイダーマンとして活躍してきたピーター・パーカー(日本語版:宮野真守)指導の下、一人前のスパイダーマンになるための訓練を開始。さらに、女性スパイダーマンのスパイダーグウェン(声:ヘイリー・スタインフェルド、日本語版:悠木碧)もマイルスの前に現れる……。

スパイダーマン:スパイダーバース | 映画-Movie Walker

(映画『スパイダーマン:スパイダーバース』 | オフィシャルサイト | ソニー・ピクチャーズ

スパイダーマン:スパイダーバース
(映画『スパイダーマン:スパイダーバース』予告3(3/8全国公開) - YouTube

父とおじとコミック

主人公のマイルスは寮のある名門校に通っている。それは警官である父ジェファーソンのすすめだ。マイルスは父のパトカーに乗せられて学校へ向かう。その様子はまるで、逮捕されたかのようで、知り合いが窓の外にいてばつが悪い。マイルスは「選択の自由はないの?」というが、あっさり「今はない」といわれる。彼は囚人のように生活態度を改めるよう強いられるのだろうか、彼は学校のエリート主義に嫌気がさしている。学校では彼だけが大変な思いをして、大量の本を抱えてクラスを移動しているように見えるのは、要領が悪いのか完璧主義なのか。彼は学校を辞めようと100点がとれるテストをわざと0点の解答で提出するが、先生に見破られてしまう。

マイルスは悩み事があるとジェファーソンの弟つまりおじのアーロンに会いに行く。アーロンは何の仕事をしているかわからないが、自由な発想の持ち主でマイルスのやりたいグラフィティやストリートアートのようなものにも理解を示してくれている。気になる女の子がいたら「肩ポン」すればいいんだよとアドバイスをくれる。その日もアーロンが仕事中に見つけたという地下鉄の使われていない場所へ案内し、ここなら好きなものが描けるという。マイルスは自分のことを表現して、『大いなる遺産』(原題:Great Expectations)についてのレポートが宿題になっているのとかけて「大いなる誤算(Great misexpectations)」と壁に描く。彼はそこで放射性の蜘蛛に噛まれて、スパイダーマンの身体になってしまう。

マイルスは指先に物がくっついたり、足が伸びたり、他人の感情に敏感になったりと自分の体の変化にとまどう。彼はそれは思春期のせいだと言い聞かせるのだが、やがてコミックを見つけて、スパイダーマンと同じであることに気づく。このアメコミ映画の世界では、アメコミであることが意識されていて、アメコミ自体が存在している。映画の冒頭、マイルスの世界のスパイダーマンであるピーター・パーカーは何度も町を救って、その後自分の活躍がコミックになりおもちゃなどのグッズになったことを公言する。マイルスはコミックを見て、自分もこれと同じかもしれないと思うが確信を求めて蜘蛛に噛まれた現場に戻ってみる。すると、本物のスパイダーマンの戦闘シーンに遭遇する。マイルスはその戦闘に巻き込まれるが、ピーターに助けられる。ピーターはスパイダーセンスでマイルスもスパイダーマンなのだと理解する。そしてピーターはスパイダーマンとしてどうすればいいかあとで教えるというのだが、彼はその戦いで死んでしまう。

蜘蛛に噛まれるまではマイルスの悩みは、父の言うように厳格に生きるか、それともおじのように自由に生きるかという問題だった。しかし、ここでコミックの問題が入り込んでくる。しかも、それはこの映画特有の特殊な問題、悩みだ。マイルスはピーターが死んでスパイダーマンとしてどうすればいいのか分からない。そこで彼はコミックを頼りにする。スパイダーマンとして一人前になるためにはどうすればいいか。それはコミックに書いてあることになっているのだ。彼はコミックを真似て高層ビルの屋上からダイブする。ここで問題になっているのは、町をどうやって救うかとか、自分の大事な人をどうやって助けるかといったようなヒーロー的な悩みではなくて、どうやったらコミックのようにできるだろうかという、一種のメタ的な悩みなのだ。その悩みに関する世界観のなかでは町のことや彼の友人についてのことは影の薄いことになってしまう。それらはコミックには出てこないからだ。彼は何を守りたいのだろうか。『僕のヒーローアカデミア』([第1話]僕のヒーローアカデミア - 堀越耕平 | 少年ジャンプ+)の主人公が何の能力もないまま友達を助けるためにヴィランに立ち向かおうとするのと正反対のことだ。最近では『ミスター・ガラス』(スクリーンは反射して透過し最後に割れる ミスター・ガラス | kitlog)にもコミックが出てくるが、「彼はコミックの中の人物なのか?」と気にするのは能力のある人物本人ではなく周りの人間である。
Spider-Man: Into the Spider-Verse
(A behind the scenes look at Spider-Man: Into the Spider-Verse | Adobe Creative Cloud - YouTube

おもちゃ屋のスタン・リー

「スパイダーマン映画史上、アメコミ映画史上最高傑作」との声すら上がっている本作の大きな魅力となった、観客がコミックの中に入り込んだかのようなビジュアルはいかにして誕生したのか? クリエイターによる本編映像の解説のほか、実際に3DCGと手描きが融合する製作の模様も収められている。

マーベル映画『スパイダーマン:スパイダーバース』メイキング映像 ─ 手描きとCGの融合をクリエイターが自ら解説 | THE RIVER

この映画ではコミックが意識されていて、3DCGの画面の中に手書きの書き込み、網掛けやオノマトペが足されていたり、画面全体が一瞬コミックのコマに置き換わったような演出がなされたりしている。これはコミックについての表現レベルの話だが、それが物語のレベルにまで侵食していることを示すのが、上に描いたマイルスの悩みだ。そして、マイルスの世界ではこれほどコミックが登場しているのに、作者がスタン・リーではないようなのだ。彼はおもちゃ屋でスパイダーマンのグッズを販売している。スタン・リーはマーベル映画ではカメオ出演といって、ほんの少しだけスパイスのように気の利いた台詞を喋るというやり方で映画に出演しているが、それはアメコミの原作者として彼だけが映画のメタレベルにたっているという証だ。原作コミックのある世界で彼だけが(デッドプールを除いて)コミックを見ているのだ。

ほかのマーベル映画はコミックのない世界だが、この映画はコミックが存在している。そのコミックをスタン・リーが描いていないとしたら彼の居場所はどこになるのだろう。彼はもう特権的な場所にいるようには思えない。この映画では彼の居場所はおもちゃ売り場だった。おもちゃは基本的には原作の二次創作である。原作がなければおもちゃもない。このことに深い意味はないのかもしれないが、ヒーローやヴィランとは何なのかという問題を回避するためにわざと二次的な立場におかれているのではないだろうか。この映画は善悪に対する関心といったような原作のヒーローが抱えるような悩みが薄くて、その出来合いのコミックにどう近づくかというコスプレ的な悩みが先立っている。どうやってコスプレするかどうやってコミックにあわせるかというのは二次的な悩みだ。オリジンの位置をおもちゃ的な二次創作の位置にずらす、映画ではコミック原作者のスタン・リーをおもちゃ屋にすることで、オリジンの問題をないことにしているのではないだろうか。

スパイダーマンたちの計画経済

歴史的に見れば、自由放任の資本主義から計画への移行を促した危機は、社会的な変動ではなくて、戦争だったのです。すなわち、この変化の背後にある原動力は、社会的正義への要求ではなくて、国家的能率への要求でありました。(p51)

新しい社会』E.H.カー

この傾向は別の平行世界からほかのスパイダーマンたちが来ても変わらない。彼らはマイルスの人生に干渉して、スパイダーマンはこうでなくてはいけない、こういうことがあるけど、スパイダーマンにはよくあることなんだと、メタ視点からのアドバイスをする。要するに彼らもコミックに合わせろというのだ。彼は自分でヒーロー的な資質に目覚めて、蜘蛛の糸をだすシューターではない別の発明を行い別のまったく違ったヒーローになったかもしれない。実際、彼は他のスパイダーマンと違って、透明になれたり、電撃を手から出せたりする。彼はスパイダーマンを真似しなくても自分のオリジナルのヒーローになる資質を秘めているのだ。しかし、彼はそうすることはできない。彼は映画の中で二、三日で能率的に手早くスーパーヒーローになることを余儀なくされる。そのためにマイルスは自分のことを考える時間がないのだ。これではエリート主義の学校に入ったのと同じである。

ウォーレン議員は、Google、Facebook、Amazonが市場に及ぼしている巨大な支配力は脅威であり、それなりに対処しなければならないと(Mediumにてはっきりと)発言している。

「25年前、FacebookもGoogleもAmazonも存在していなかった。今ではそれらは、世界で最も価値が高く有名な企業となっている。それは素晴らしい話だが、政府が独占企業を分割し、市場の競争を促進させなければならない理由も明らかにしている」

「彼らは競合他社をブルドーザーで排除し、私たちの個人情報で利益を得て、他の企業の活躍の場を歪めてしまった。その過程で、彼らはスモールビジネスを痛めつけ、イノベーションを封じ込めた」と彼女は書いた。

エリザベス・ウォーレン上院議員がGoogle、Amazon、Facebookの分割を提案 | TechCrunch Japan

父とおじとコミック再び


マイルスの慕っていたアーロンはヴィランの戦闘員の一人プロウラーだった。マスクをかぶっているマイルスはプロウラーに追われつかまり殺されそうになるのだが、マスクを脱いで自分の正体をばらす。アーロンが戸惑っていると、ヴィランの親玉キングピンが彼を射殺してしまう。アーロンはマイルスに「お前には才能がある、そのまま進め」といって亡くなる。弟がヴィランとして死んでいることに直面したジェファーソンは、自分が厳しすぎたことに反省してか、マイルスに対して「自分の思うとおりにやっていい、そうすればうまくいく」という。ジェファーソンは、マイルスが自分よりアーロンのほうに懐いていることを知っていたが、アーロンが亡くなった今となっては、彼はアーロンの役割や考えも引き受けないといけない。ここでマイルスは覚醒し、他のスパイダーマンにぐるぐる巻きされた糸を電撃で解く。彼は能力を自分でコントロールできるようになった。

彼はスパイダーマンとして一人前になり、町の問題を解決するのだが、その証はコミックになることなのだ。どのスパイダーマンにもコミックの導入部があり、それはどれもみな似通っている。マイルスもそのコミックを踏襲して同じようなコマが描かれる。最初にスパイダーマンたち6人が集合したとき、それぞれにコミック的な自己紹介をして、それがみなあまりにも同じなので別の世界から来たスパイダーマンの一人のピーター・B・パーカーが「もういいよ」という感じで中断させるのだが、その「もういいよ」という感じのそれを最後にもう一回持ってきているのだ。ヒーローはコミックに予め描かれていることと同じようにやらなければいけないのか、この物語は高層ビルから落ちていくスパイダーマンが飛んでいるように見えるといった風に転倒されて、ヒーローが主体ではなくコミックが主体となってしまっている。

宗教によってあたえられると約束されていた「意味」は常にアンビヴァレントだった。一方では、意味が約束されることによって、それまで社会文化的な生活形式にとって本質的だった要求が維持された。それは、なぜ現に起こっているようなしかたで物事は生じるのか、また、自分たちがおこなうこと、おこなうべきことはどのようにして正当化されうるのか、こうしたことを知りたければ、ひとはつくり話によってではなく、ただ「真理」によって満足するのが当然だという要求である。他方では、意味の約束にはいつも慰めの約束も込められていた。というのも、提供された解釈は不安のもととなる偶然的な事態をたんに意識させるだけでなく、それに耐えられるものにする――それを偶発的なこととしてかたづけることがまったくできない場合であっても、いやまさにそういう場合にこそ耐えられるものにするからである。(p214)

後期資本主義における正統化の問題』ハーバーマス

参考(岸辺露伴があらわれない ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない | kitlog
9/10/2020
更新

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