悪夢の隣人 MINAMATAーミナマター

1971年、ニューヨーク。アメリカを代表する写真家の一人と称えられたユージン・スミスは、今では酒に溺れ荒んだ生活を送っていた。そんな時、アイリーンと名乗る女性から、熊本県水俣市にあるチッソ工場が海に流す有害物質によって苦しむ人々を撮影してほしいと頼まれる。水銀に冒され歩くことも話すことも出来ない子供たち、激化する抗議運動、それを力で押さえつける工場側。そんな光景に驚きながらも冷静にシャッターを切り続けるユージンだったが、ある事がきっかけで自身も危険な反撃にあう。追い詰められたユージンは、水俣病と共に生きる人々にある提案をし、彼自身の人生と世界を変える写真を撮る──。

映画『MINAMATA―ミナマタ―』公式サイト

MINAMATA―ミナマタ―
9月23日(木・祝)公開『MINAMATA―ミナマタ―』/本予告 - YouTube

悪夢の続き

犯罪の協力者になると、降伏する者は罪の共犯者となり、共犯意識が生む認知的不協和音を上手に処理できるようになる。ナチスの反ユダヤ主義的宣伝の空疎さを軽蔑と嫌悪感をもってみながら、「より大きな価値のために」沈黙を決め込んだ人々が、数年後には、大学の幸運な清潔さと、ドイツ化学の純粋性を誇りにする人間に変身する。彼ら自身の合理的反ユダヤ主義は、

"ユダヤ人迫害が激化するにつれ、ますます確信犯的になっていった。その理由は重苦しくとも単純なものであった。巨大な不正義の進行に、たとえ半信半疑でも気づきながら、それに反発するだけの強さと勇気がないとき、人々は良心の呵責から逃れるため、自然と犠牲者を非難しはじめる。"

さまざまな形でドイツのユダヤ人の孤立は決定的なものとなった。いまや、彼らは隣人のない世界に生きている。(p237,238)

近代とホロコースト』ジグムント・バウマン

初期の現地の疫学的調査の精神がさらに受けつがれて進展していたならば、つまり、汚染された地区の住民が、臨床的にどのような健康障害を示しているかという問題が、継続的に追究されていたならば、その後の水俣病の研究の発展も異なったものになったに違いない。しかしそういう作業は、水俣というチッソ支配の城下町ではきわめて勇気のいることで、ほとんど不可能に近いことであったろう。(p27)

水俣病』原田正純

MINAMATA―ミナマタ―
9月23日(木・祝)公開『MINAMATA―ミナマタ―』/本予告 - YouTube

ユージーン・スミス(ジョニー・デップ)は写真家としてのキャリアを終えようとしている。彼はニューヨークの暗室の中でおそらく最後の現像作業を行っている。時折、薄暗い部屋の中から薄汚れた窓越しに外の世界にカメラを向けてシャッターを切るがそれが何のためのものなのかよく分からない。要は行き詰っているのだ。最後の個展を開こうと、馴染みの『LIFE』編集長のロバート・"ボブ"・ヘイズ(ビル・ナイ)に頼みに行くが断られる。退職金代わりの小切手を握らされるが、ユージーンはそれを断り帰っていく。

しばらくして、ユージーンに二人の男女が会いに来る。富士フィルムのCM撮影のために来たのだという。そのうちの一人アイリーン(美波)がCMの内容を説明するのだが、それはカラーフィルムの宣伝だった。ユージーンはモノクロフィルムしか使わないので、それを断ったが、アイリーンが「契約なので」と強く言うと、ユージーンの方が折れてCMへの参加を受ける。この映画では何度も、ここで起こったようなユージーンが断り、アイリーンが説得するというシーンがある。

そのアイリーンから個人的にユージーンに頼みごとがあるのだという。「日本の水俣でとてもひどいことが起こっている。それを写真にとってほしい。」と。しかし、彼はそれを断る。彼は日本はもうこりごりだという。彼は沖縄戦で従軍カメラマンとして、その惨状を目撃し、自らも銃弾を受け、トラウマになっている。眠ろうとしてもその時の光景がランダムに浮かび、逆向きに彼を襲ってきてそれを妨げる。彼は寝ていた体を起こし、アイリーンが置いていった水俣の資料に目を通す。戦争の夢を見るのは、それを恐れているからなのか、それがまだ終わっていないからなのか。彼の中ではおそらく後者で、水俣の資料には彼の悪夢の続きが記されていた。ユージーンは『LIFE』社に乗り込んで、水俣へ行かせてくれと直談判する。

MINAMATA―ミナマタ―
9月23日(木・祝)公開『MINAMATA―ミナマタ―』/本予告 - YouTube

「ppm」に触れる

MINAMATA―ミナマタ―
9月23日(木・祝)公開『MINAMATA―ミナマタ―』/本予告 - YouTube

昭和三十一年五月二十八日に発足した水俣市委員会、保健所、チッソ(当時、新日窒)附属病院、市立病院、市役所の五者による奇病対策委員会は、六月中には多数の患者を確認し、さらに、これらの奇病が地域的に限局多発していることから、とりあえず伝染病の疑いで患者の隔離、消毒を行なうと同時に、七月八日には湯堂から二名を、七月二十七日には附属病院にすでに入院していた八名を日本脳炎の疑いで隔離病棟に移した。隔離病棟に移したについては、細川院長や市役所には、そう処置することで市民の不安を解消し、患者の医療費が免除されるという、好意的なまた政治的な配慮もあったのであるが、患者はそれを嫌ったし、結果として患者への他の人々による差別を増長することとなった。(p15,16)

水俣病』原田正純

社会的に重要なほとんどの行動が、複雑な因果関係と機能上の連鎖的依存関係によって媒介されると、道徳的ジレンマは視野から離れ、意識的な道徳的選択や熟慮の機会は減少する。

同じような効果は(さらに大きな規模で)犠牲者が心理的に不可視にされたときにも生起する。これは近代戦争において人的犠牲を格段に増大させた最大の要因の一つである。フィリップ・カブートの見方によると、戦争の基本的特質は「距離と技術の問題である」という。「高性能の武器で遠距離から人を殺すことほど容易なことはない」。(p68,69)

近代とホロコースト』ジグムント・バウマン

水俣でユージーンと通訳のアイリーンが電車を降りると、日常におかしな混乱が紛れ込んだ世界が広がっている。男が白い布に包まれた子供を抱えて通り過ぎていく。豪雨の中で少年がアコーディオンを弾いている。彼らは、その日泊めてくれるというマツムラ夫妻の家に向かう。彼らの娘アキコは産まれた時から水俣病に罹っている。食事が出され、食卓には刺身も並ぶ。どこで獲れた魚だろうか。彼らは何も言わない。ユージーンはもともと戦争での怪我のせいで、固形物が食べられないのだという。彼もそのことは言わない。食事には手が付けられず、撮影の交渉が行われる。ユージーンは「娘のアキコを撮影させてほしい」というのだが、父のタツオ(浅野忠信)は「それは勘弁してください」と断る。彼は多くを語らないがチッソの運転手として働いている。

患者たちはこのチッソの支配する町のなかで、なるべく病気を隠そうとした。たとえば四十五、六年になってすら、私たちはしばしば診察を拒否され、申請を拒否する人々に出会った。その理由は、「チッソがなくては水俣は成り立たない、チッソをつぶしてはいけない」というのである。さらには、「娘がいて、縁談に差しつかえる」とか、「魚が売れなくなるから、漁協のみんなに申しわけない」とか、「人から金ほしさに申請したと言われるのがくやしい」という理由など、さまざまである。(中略)患者たちは、「チッソが傾けば水俣も傾く」という。しかし、この人たちは、いったいチッソからなにをしてもらったというのだろう。少なくとも漁師にとっては、それはなんらプラスにもならなかったはずである。魚はとれなくなり、漁場はうばわれ、おまけに肉親やみずからの体までむしばまれたにもかかわらず、彼らはチッソがないと、自分たちはやっていけないというのである。(p170)

水俣病』原田正純

翌日、ユージーンはカメラを手に水俣を練り歩く。そこでは普通に生活をしている人もいるが、彼らはユージーンがカメラを向けると目を背けるか、顔を隠そうとする。水俣病の患者はおそらく家の中に隠されているか、単純に症状のために外に出ることができないのだろう。そこは昨日来たばかりのユージーンの入れる場所ではない。彼は撮ろうと思っていた対象が見つけられず、撮ることができず途方に暮れる。彼はたまたま出会った水俣病の患者のシゲル(青木柚)に愛用のカメラをプレゼントしてしまう。シゲルは手の指が外側に曲がっていて、足を器具で補助しており、彼を撮るのでは足りないのかという疑問が少し残る。彼らの後ろでは子供たちがサッカーをしている。ユージーンは「自分は運動は嫌いだ」という。「言ったとおりに並ばされて、あぐらをかかされる。足が組めないんだ。」「自由に撮ってくるといい。」シゲルに同情して言ったのかもしれないが、それだけではないだろう。運動する、動くのは人間だけではなく、大規模なメディアが登場して以降イメージや言葉も動く。シゲルは自由に動けないかもしれないが、彼が作り出したものやイメージが自由に動くという別の自由を与えたかったのかもしれない。それはユージーンが欲していることでもある。また、水俣病には視野狭窄の症状がある場合もある。彼のリハビリテーションになればと思ったのかもしれない。

その後、ユージーンは町の人たちの協力を得て、撮影を再開する。自身も水俣病を発症していてビデオカメラで水俣の町の様子を撮影しているキヨシ(加瀬亮)らは、協力してニューヨークにあるユージーンの暗室を水俣にほぼ再現する。チッソの社長ノジマ(國村準)にも、水俣に外国人カメラマンが来ていることが耳に入る。彼はそのことを快く思っていない。彼は部下に「彼は一人で来たのか?」と意味深に尋ねる。ノジマはユージーンと「交渉」しようとする。ノジマは最初、水俣病の原因は自分の会社にはないかのように説明する。チッソは水銀を除去する装置をすでに設置していて、そこから排出された水を自分で飲んで安全を確認したのだと。彼は唐突に「ppmを知っていますか」という。彼はチッソから流れている水銀の量はppm単位のごくごく小さい量だと語る。そして、水俣病を訴えている患者もppmつまり、少数だという。彼は明らかに”道徳的責任を技術的責任に置き換え(『近代とホロコースト』)”ているし、ppmはそこにいる人間を見るには抽象的すぎる表現である。ノジマはユージーンに写真とネガをおいて水俣を出ていくようにいう。「水俣の問題は、日本で、地元の共同体と裁判所で決着をつける」のだと。ノジマはユージーンもppmだとみなしている。ユージーンは拒否する。

水俣に再現した暗室にカメラを持ってシゲルがやってくる。フィルムを現像してほしいのだという。アイリーンはユージーンに「現像の仕方を教えてあげたら?」というと、面倒くさそうにそれを拒否する。アイリーンがユージーンを睨むと彼は「こうやるんだ」といって、シゲルの手にあるカメラに手をかける。シゲルは「僕に触るの、おとろしくなかと」という、アイリーンが通訳をする、ユージーンは「怖くない」という。シゲルはユージーンに抱きつく。それはユージーンとシゲルの物理的距離がゼロになった瞬間であり、ユージーンと水俣の精神的距離が客観的にゼロになった瞬間でもある。シゲルはppmではないのだというユージーンとチッソの社長の態度との対比がおそらくこの映画のピークだと思われる。ユージーンは水俣で信じられていることを、水俣の人のように(あるいは日本人のように)は信じてはいない。ここにある差別は、長期間、制度的に作られていることが明らかになった瞬間であり、それゆえ感動的でもある。他人に触れることが何度か禁止された世界で、嫌でもシゲルの気持ちが分かってしまう。

MINAMATA―ミナマタ―
9月23日(木・祝)公開『MINAMATA―ミナマタ―』/本予告 - YouTube

時間を無駄にする嘘

MINAMATA―ミナマタ―
9月23日(木・祝)公開『MINAMATA―ミナマタ―』/本予告 - YouTube

昭和四十三年九月、水俣病についての政府の正式見解が発表された。「熊本水俣病は、新日窒水俣工場のアセトアルデヒド酢酸設備内で生成されたメチル水銀化合物が原因であると断定し、新潟水俣病は、昭電鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造工程中に副生されたメチル水銀化合物を含む排水が中毒発生の基盤をなしたと判断する。」

奇病が正式に発見された三十一年五月以来、実に十二年(p108)

四十六年五月の県議会で、はじめて、衛生部長は、必要とわかれば、一斉検診をするという答弁をした。六月一日には、水俣市長も、水俣病の一斉検診に、積極的に協力することを述べた。またこのころ、水俣病の発生から実に十五年もたって、はじめて「水俣市報」で水俣病認定申請手続の方法を広報するのであった。(p197)

水俣病』原田正純

映画は過失を認めないチッソと真実の水俣を撮ろうとするユージーンの対立が主なものとなっているように思う。水俣の市民がチッソと闘う様子が描かれているが、それを描くにはおそらく映画では時間が足りない。実際の歴史では、チッソや国が彼らの時間を相当無駄にしたからだ。

三十一年十二月に、熊大の喜田村教授が、よそから持ってきて短期間水俣湾内で飼育した魚や、短期間湾内に生息する回遊魚が、いずれもすみやかに毒性を帯びるという事実をつきとめ、これによって恐るべき湾内の毒性を証明したにもかかわらず、これらの研究は全く行政に無視されたのである。原因は排水中の物質であることはわかっていても、これが原因物質だというものをとり出して突きつけないと、責任をとろうとしない企業と、いかに危険だとわかっていても、原因物質がわからない限り、なにもなそうとしない行政の姿が、はっきりここで現れている。(p28)

魚はとってもいいが、食べないようにという奇妙な指導がなされたのはこのときである。(p28)

水俣病』原田正純

このあと、熊大の研究室や他大学の研究室は工場が排出しているという十数種類の有毒物質のなかで、どれが水俣病の原因なのかを大学の研究費や自腹で一つ一つ実験していくことになる。チッソや行政は協力的でなく、排水そのものを採取することができなかった。その間にもチッソの排水は止まらない。魚を食べないようにと指導してはいるが、少量なら食べても問題がないので、有毒だと信じない人たちも出てくる。また、昔から食べてきたものを急にやめることはできない。それに貧しさもある。完全に原因物質が解明されるまで、七年かかっている。それから、政府が公式に原因だと判断するまでさらに五年かかっている。その間に何人の人が魚介類を食べ発症しただろうか。その間、胎児性水俣病の患者が発見され同じメチル水銀による水俣病が新潟でも起こっている。

チッソは、こうして諸説をズラズラと書きならべることによって、このようにいろんな説があったし、その原因究明については、これほどの大先生方が苦労したのであるから、私たちにそれを予見する能力はなかったと自己弁護している(p45)

三十四年というのは、実にめまぐるしい動きのあった年である。すなわち熊大が水銀説をさらに有機水銀へと追い詰めていく過程で、いままでそれらの努力を無視してあざ笑うかのように余裕のあったチッソ(当時、新日窒)工場が、がぜんその反論を展開し、爆薬説やアミン説を次々と登場させてくるのである。これらの「学説」は研究者にとっては問題にならない反論であったが、少なくとも、追い詰められた患者たちにとっては、「行き先いつになったら水俣病の原因はわかるのであろうか」という、不信感不安感を植え付けるには十分であり、世論に、なかなか水俣病は早く解決しないのではないかという印象を与えた点では成功であった。ことに許されないのは、チッソは、細川院長らの研究によって、工場排水のなかにすでに有機水銀が含まれているという可能性を知ってから、つまりみずからの排水のせいであることを知りながら、一方では反論を出して世論を惑わし、患者たちに不安を与え、そうしておいて補償交渉を、急いでまとめようとしたことである。(p57)

水俣病』原田正純

MINAMATA―ミナマタ―
9月23日(木・祝)公開『MINAMATA―ミナマタ―』/本予告 - YouTube

生き延びる眼

ユージーンはチッソへのデモを取材中に集団に巻き込まれ、先頭に押し出され倒れる。彼はそこでチンピラに踏みつけられ、腕や目を負傷する。『アオラレ』でも『ザ・スーサイドスクワッド』でも目を突かれた者は大体死んでいる。ユージーンは片目を負傷するもアイリーンの助けを得ながら、マツムラ夫妻の娘アキコの写真を撮る。
MINAMATA―ミナマタ―
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10/19/2021
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