「自分のことを知ってほしい」 僕のワンダフル・ライフ
少年イーサンに命を救われたゴールデンレトリバーの子犬ベイリーは、イーサンを慕い、彼と固い絆を結んでいく。最愛の人との日々を過ごすベイリーだったが、人間よりも犬の寿命は短く、やがて別れの時がやってくる。しかしベイリーはイーサンに会いたい一心で生まれ変わり、3度の転生を経てついに再会。そして、自分の大切な使命に気付く。
僕のワンダフル・ライフ | 映画-Movie Walker
(『僕のワンダフル・ライフ』予告編 - YouTube) |
そして、4度目の犬生で飼い主に捨てられた僕は、ついにイーサンと再会した! 僕の心もしっぽも喜びではちきれそうなのに、もちろんイーサンは僕だとわからない。その時、僕は気付いた。なぜ何度も生まれ変わったのか、僕の真の使命は何なのかに──。
ストーリー | 映画『僕のワンダフル・ライフ』公式サイト
人工知能に関する思考実験で「中国語の部屋」というのがある。この映画はこのことと関連している。
事実の問題として、私はまったく中国語がわからない。中国語で書かれたものと日本語で書かれたものを区別することさえできない。しかし次のような場面を想像してみよう。私は中国語の記号が入った箱をもってある部屋に閉じ込められている。私にはルールブック、要するにコンピュータ・プログラムが与えられている。それを使えば、私は中国語で出題される質問に答えることができるという次第、私は、部屋の外から理解できない中国語の記号を受け取る。それが質問だ。私は、用意されたルールブックを使って、箱から記号を拾い上げ、その記号をプログラムのルールに従って操作する。そうして要求された記号を質門にたいして返せば、それは回答だと解釈される。ここから次のように考えてみることができる。なるほど私は中国語を理解しているかどうかのチューリング・テストに合格した。しかし、それにもかかわらず、私は中国語を一文字たりとも理解していない。適切なコンピュータ・プログラムを実行して事にあたった私が、それでも中国語を理解できなかったとすれば、そのプログラムを実行して事にあたる他のいかなるコンピュータも同様に理解は覚束ない。なぜなら、私がもたないツールは他のコンピュータももたないからだ。
私が中国語ではなく英語で質問に答えることになったところを併せて想像してもらえば、コンピュータの「計算」と実際になにかを理解することのちがいがわかる。先ほどと同じ部屋で私が英語の質問をうけとる場合を想像してみよう。私は質問に答える。外から見ると、英語の質問にたいする私の答えと中国語の質問にたいする私の答えはどちらもきちんとしている。私はいずれのチューリング・テストにも合格する。しかし、内側から見ると、そこにははなはだしいちがいがある。いったいどんなちがいがあるだろう?英語の場合、私は言葉の意味を理解している。中国語の場合、私はなにも理解していない。中国語では私はたんにコンピュータにすぎないのだ。(p123,124)
『マインド―心の哲学』サール
何も前情報を見ずに行ったので、犬が心の声を喋っていることと犬が死んでも転生して別の犬としてよみがえることに驚いた。この犬、最終的にベイリーと呼ばれるのでベイリーと呼ぶが、ベイリーは生まれてきてから「僕は何をすればいいのだろう、楽しく生きてればいいのだろうか」などといって自問している。その心の声は観客にわかる言語で語られているが、映画内の登場人物はそれを知らないし、ベイリーはもちろん人間の喋っていることを理解もしていない。例えば、ベイリーは一度目は注射で安楽死させられ二度目は強盗の拳銃に撃たれて死ぬのだが、注射も拳銃もなにかを「うたれた」というだけで両者を区別はしていない。もしも人間の言葉がわかるならそれら二つが違うものだと分かっただろう。ベイリーが心の中で何か話をしていたとしても、その明るい口調とは裏腹にそれは常に独り言にすぎずどこにも届いていない。
ベイリーは一度目の人生でイーサンという少年と出会う。ベイリーは保健所を抜け出したが男たちに捕まってしまい、男たちはこの犬は高く売れるぞといって車にのせ、そこから去る。途中男たちが休憩のために車を降りた際に、ベイリーは車内に置き去りにされ脱水症状になってしまう。そこを救ったのが、イーサンたち家族だった。ベイリーはこの時イーサンとは離れないと心の中で誓った。イーサンの父親は犬があまり好きではなかったが、イーサンはベイリーを家で飼うことが許された。ベイリーはベイリーと名付けられ首輪にネームプレートがつけられた。イーサンが子供のときには、ベイリーは彼の兄弟や友人のようだった。父親がキューバ危機の際に「ソ連がキューバにミサイルを運んでる、世界の終わりだ」などと暗い話をしてる時や両親が喧嘩をしてるときなど、イーサンはそこから離れてベイリーと一緒に遊んでいた。ベイリーに「キャプテン・アメリカならミサイルくらいすぐに撃ち落としてくれるのに」などと言ってみたりする。イーサンはキャップが盾を投げるように空気のない凹んだボールを遠くに投げるとベイリーはそれを拾いに行った。そのあとボール投げ拾いを続けながら、彼らは二人でフリスビーキャッチの要領で独自の技を開発する。
イーサンは高校生になった。彼はアメフトで活躍していて大学からスカウトくるほどだ。ハンナという彼女もできた。遊園地でイーサンが射的のうまいハンナを見ていたときに、ベイリーが「あの人を見ているイーサンから変な汗の匂いがする」とかいって、ベイリーはハンナの方に向かって匂いをかぎに行き二人は出会う。父親は仕事をやめて酒浸りになってしまった。イーサンが子供の頃、会社の上司と家で会食の機会があったのだが、イーサンとベイリーのせいでそれは失敗に終わり、父親は会社勤めができるよう上司に頼んでいたのだが、そもそものその会社で仕事をすること自体も危うくなってしまったのかもしれない。父親は自暴自棄になり、イーサンは父親に家を出ていくように言う。イーサンは大学のスカウトが見ている試合でチームの勝利に貢献し、大学の推薦を勝ち取る。ハンナは自分も勉強して同じ大学に行くのだという。けれど、彼の活躍に嫉妬したチームメートがイーサンの父親は酒乱だとバラすなどと大学への推薦を邪魔するようなことをしようとし、イーサンはその彼を殴ってしまう。殴られた彼は、いたずらのつもりでイーサンの家に郵便受けから花火を投げ入れる。ベイリーは匂いでその男がやってきたこと花火が投げ入れられたことを察知し、イーサンを起こそうとするも、花火の火は予想以上に広がり、家全体が家事になってしまった。イーサンはベイリーに起こされ飛び起きて母親を助けに行き二階の窓からシーツを使って、母親とベイリーを地上におろす。イーサンは二人を助けたあとで、シーツを離してしまったため飛び降りざるを得ず、そのときに足を骨折してしまう。彼は推薦が取り消しになり、農業学校へとすすむ。ハンナとも同情されたくないといって別れてしまった。ベイリーはイーサンと一緒にいたかったが、イーサンは遠くの学校に行くためにそれができなかった。ベイリーはハンナがどこかへ行ってしまうことを避けたかったが、ハンナの投げたボールにつられてそちらの方に注意が行きその間にハンナは泣きながらどこかへ行ってしまった。イーサンとハンナがいなくなってベイリーは急に老衰したようになってしまった。どこへもいかず、あまり食べず、遊ぼうともせず、じっとしていた。やがて病気であることがわかり、最後にイーサンと再会して注射を打たれそのまま亡くなった。
(『僕のワンダフル・ライフ』予告編 - YouTube) |
「僕は何のために存在しているのか」とベイリーは自問していた。ベイリーは三度目の転生で再びイーサンと出会う。それまで二度の人生でベイリーは彼の犬としての役割について知る。その二度の人生はちょうどイーサンと暮らしたときの経験を分割する。一つは嗅覚が優れたセンサーとしての犬であり、もう一つは人間の代わりあるいは人間の媒介としての犬だ。
ベイリーとして死んだあと、彼はエリーというシェパードのメスとして生まれ変わった。彼女は警察犬だ。カルロスという刑事と一緒に現場へ出かける。彼女に求められるのは、センサーとしての犬の役割を果たすことだ。失踪した人間の持ち物や事件現場に残された物品から人や物を探すのが仕事だ。求められているのは彼女の嗅覚である。カルロスとエリーは同じ部屋で暮らしているが、カルロスはエリーを必要としていないようにみえる。カルロスと女性の二人が写った写真が部屋にあるがどういう関係なのかまではわからない。エリーはこの犬の人生をつまらないという。カルロスもエリーのおかげで実績を積むのだけど、どこかつまらなそうな顔をしているという。誘拐事件がおこり、カルロスとエリーは被害者の持ち物の匂いから居場所を探す。犯人を追い詰めたところで、エリーはカルロスをかばうような形で銃で撃たれてしまう。これは火事の時にイーサンの代わりに自分が犠牲になればよかったということなのだろうか。
三度目の生で足の短いコーギーとして生まれ変わり、マヤという一人が好きな黒人の女子大生に拾われる。ベイリーはティノと名付けられた。彼女は人を避けて生きていて、クラスメートから勉強会に誘われても何か理由をつけて断っていた。彼女はティノとずっと一緒にいて家から出なかった。ティノはイーサンとハンナが出ていったあとのベイリーのように引きこもった状態になって、やはり病気になってしまった。死ぬ前のベイリーのように白い服を着た人に注射を打たれたが、今度は死ななかった。マヤは医者に「運動不足ですね、散歩させることが大事です」といわれた。マヤはティノを散歩させるために公園に行った。イーサンのときはベイリーがイーサンの汗の匂いに気づいて行動したが、ティノのときは自分が気になる犬を見つけて、その犬の匂いをかぎに行くとその犬の飼い主が、前に話しかけてきたマヤのクラスメートだった。それがきっかけでマヤとそのクラスメートは仲良くなり結婚して子供もできた。けど彼らはなぜか最後に別れてしまった。その後マヤの話を聞きながら、ティノは疲れたように眠ってしまった。
四度目の生でベイリーはセント・バーナードに生まれ変わる。しかし拾われたのがダメなカップルで彼は庭に長い間放置されてしまう。何処かに行きたいのに鎖につながれたまま整理したり掃除されることのない庭で独り座っている。やがて近所の人に通報され、動物虐待の疑いで注意されると、男はベイリーを連れて車で遠くまで走り、そこにベイリーを置き去りにする。ベイリーは自問する。「飼い主のところに戻ったほうがいいのだろうか。でも戻りたくないな」といって途方に暮れ歩いている。すると、ベイリーは懐かしい匂いを見つけて、見たことのある風景に遭遇する。だいぶ年老いていたがイーサンがいた。ベイリーにはイーサンのことはわかったが、イーサンにはベイリーのことはわからなかった。ベイリーはゴールデン・レトリバーとして死んだのだし、今のベイリーの見た目はセント・バーナードだし、昔のことを話すこともできない。イーサンはベイリーを保健所に一旦送るが、その晩ひとりで夕飯を食べていて昔のことを思い出したのか、ベイリーを取り戻しに行く。イーサンはベイリーに相棒という意味のバディという名をつけ首輪に刻印した。ベイリーはイーサンに再開する前に見つけた懐かしい匂いがハンナであることを思い出し、彼女の家を見つけイーサンとハンナを再会させる。二人は再び結ばれることになったが、ベイリーには自分がバディではなくベイリーであることをイーサンに知ってもらうことがその後の課題となった。ベイリーはここで初めて自分の同一性が揺らぐ経験をした。だからそれを取り返したいのだ。
(『僕のワンダフル・ライフ』予告編 - YouTube) |
ここで中国語の部屋の問題が出てくる。中国語の部屋には、例えば相手が(A)といえばこちらは(A')といえばいいという風にマニュアルがあって、中国語の部屋の中の人物が誰かということは問われない。マニュアル通りにやっていれば、中の人はだれでもかまわないのだ。(A)といえば(A')を返せばいいというやりとりは警察犬のそれと似ている。警察犬も(A)というものの匂いを嗅いで(A')というそのものの持ち主の場所の情報を返すという意味では中国語の部屋の状況と同じだ。(A=ものの匂い)→(A'=ものの持ち主の居場所の情報)。それは人が近くに来たら電灯がつくといったようなただのセンサーと同じなのだ。(A=人が近くにいる)→(A'=電灯をつける)。これは機械的に行われる。ベイリーは気づいた。自分は匂いをかいでその情報を人間に渡すだけでいいのか、それとも人間の代わりになったり人間の出会いの媒介になるだけでいいのか。いくつもの生を全うしてきたベイリーにとってはそのことすら機械的に思われたに違いない。中国語の部屋の住人は、自分が何者なのか知ってもらいたいと思ったのだ。そのときはじめて(A)→(A')の矢印は必然ではなくなる。ベイリーとイーサンを本当の意味で再会させたのは、ここでもひとつの暗号だ。その暗号はなんにでも解釈できるような文学のようなものではない。自分の尻尾を噛んでその場でぐるぐる回る犬なら他にもいるかもしれない。けれど、とうの昔に物置の隅に放ってあった空気のないボールをひっぱり出してきて、昔と同じフリスビードッグのような真似をし、「ボスドッグ」といわれて「ワン」と吠え返す犬はベイリーしか存在しない。
9/10/2020
更新
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