生存戦略と英雄精神 アベンジャーズ/エンドゲーム

アベンジャーズのメンバーを含む全宇宙の生命は、最強を超える敵“サノス”によって半分が消し去られる。大切な家族や友人を目の前で失い、地球に取り残された35億の人々のなかには、この悲劇を乗り越えて前に進もうとする者もいた。そんななか、地球での壮絶な戦いから生き残ったキャプテン・アメリカ(クリス・エヴァンス)、ソー(クリス・ヘムズワース)、ブラック・ウィドウ(スカーレット・ヨハンソン)、ハルク(マーク・ラファロ)、ホークアイ(ジェレミー・レナー)と、宇宙をあてもなく彷徨いながら新たなスーツを開発し続けるアイアンマン(ロバート・ダウニーJr.)は、決して諦めてはいなかった。大逆転へのわずかな希望を信じて再び集結したヒーローたちは、失った者たちを取り戻す方法を探る。残された人々と今ここにいない仲間たちのために、アベンジャーズは最後にして史上最大の逆襲に挑む……。

アベンジャーズ/エンドゲーム | 映画-Movie Walker

アベンジャーズ/エンドゲーム
(Marvel Studios' Avengers: Endgame - Official Trailer - YouTube

アメリカの船乗り

ヨーロッパの船乗りは、慎重の上に慎重を期してやっと海に乗り出す。風向きがよくなければ出航せず、予期せぬ事故が起これば港に戻り、夜には一部帆を巻く。そして、陸地の近くで海が明るくなると、速度を落として日の出を待つ。
アメリカの船乗りはこうした注意を無視して、大胆に危険を冒す。嵐がまだ唸っているのに出航し、昼夜を問わず帆を全開して帆走する。雷で傷んだ船を航行中に修繕し、漸く航路の終わりに近づいても、すでに港を見つけたかのように、陸地に向けて突進を続ける。
アメリカ人はしばしば難破するが、アメリカ人以上に海を速く渡る船乗りはいない。同じ仕事を他人より時間をかけずに行なうのだから、費用を安くできるのである。
ヨーロッパの船乗りは、長途の航海を目的地まで到達するには、その前に何度も航路を試して見なければならぬと考える。寄港地を探し、そこから出航する日を待つのに貴重な時間を費やす。そして、停泊中は毎日入港税を払っているのである。(p401,402)

私の考えをもっともよく表現するには、次のように言うほかない。すなわち、アメリカ人はある種の英雄精神を通商の流儀にもちこんでいると。(p403)

合衆国の住人は、だから仕事上のいかなる格言にも決して囚われず、あらゆる職業的偏見から免れている。ある特定の作業体系に執着することがなく、新しいやり方より古いやり方に引き付けられることもない。自らいかなる習慣をつくることもなければ、他国の習慣が精神に働きかけようとしても、その力を簡単に振り払う。なぜなら、自分の国は他のいかなる国にも似ておらず、彼のおかれた状況はまったく新しいと心得ているからである。(p404)

アメリカのデモクラシー 第一巻(下)』トクヴィル

『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』はサノスの物語だった(おおきながんとれっと、アイアンマンという希望 アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー | kitlog)。彼は、自分の望む結果を得るための最短のルートを選び、そのためならいかなる犠牲も厭わなかった。それは六つのインフィニティ・ストーンの収集であり、娘同然に育ててきたガモーラ(ゾーイ・サルダナ)の惑星ヴォーミアでの生贄である。サノスは自分の星が資源不足で崩壊しており、それが全宇宙で繰り返されることを防ぐために、全宇宙の人口を半分にしようとした。彼には回想されるべき過去があった。そのために『インフィニティ・ウォー』はサノスの物語足りえていた。彼は目的の良し悪しはどうあれ「アメリカの船乗り」だった。アベンジャーズは彼の過去に振り回され敗北した。

『アベンジャーズ/エンドゲーム』ではこれが裏返しになる。アベンジャーズの側が犠牲も厭わずに彼らの目的を達成するために奮闘する。彼らには仲間たちの死を前にして語るべき過去があるのか。そのことを確かめるために、すでに語りつくされたかに見えるMCUの過去の作品に文字通り入っていく。

文学的自由と政治的自由、なぜ自由の前に改革を欲したのか


現実の社会構造は、まだ伝統的で、混乱的であり、不規律であった。そこでは、法律は多種多様で矛盾しあっており、身分ははっきりと差別されていたし、地位は固定されていたし、負担は不平等であった。そういうわけで、この現実社会の上に、少しずつ空想的社会が築かれていった。この空想的社会ではあらゆるものが単純であり、整然と等位置に並置されており、一律的であり、公正であり、理性に合致しているようにみえた。(p332)

ここに一つの注意すべきことがある。それは、革命を準備したすべての理念とすべての感情のうちで、本来の公共的自由の理念と好みとが、最後に現れているのであるが、また最初に消滅したということである。(…)ヴォルテールも、自由を殆ど考えていないくらいであった。(…)彼はその傑作の一つとして、イギリス論を書いているが、その中で彼は、議会についてほんの少しだけしか語っていない。事実上、彼はイギリス人については、ことにその文学的自由を羨んでいる。けれども彼は、政治的自由についてはほとんど関心を示していない。彼にとっては、そこでは文学的自由が政治的自由なしに、長い間存在することができたかのようである。(p353)

経済学者たちにとっては、過去は限りない軽蔑の対象である。ルトローヌは次のように述べている。
「国民は何百年もの昔から、誤った原理によって支配されている。そこでは、あらゆるものが偶然の成り行きによってつくられているように見える」
この理念から出発して、経済学者たちは活動を始めている。彼等は、制度が彼等の計画の均斉な状態に有害で、うまく当てはまっていなければ、その制度の廃止を要求しているのである。彼等にとっては、フランスの歴史には、非常に古い制度で、しかも非常に根深い制度というものは存在していないのである。(p355)

「フランスの状況は、イギリスの状況よりも限りなくすぐれている。なぜかというと、フランス人では一瞬のうちに国の全状態を変える改革が完成され得るが、イギリス人においてはそのような改革は、常に諸党派によって妨害され得るからである。」
それ故に、経済学者たちにとっては、王の専制権力を破壊するのでなく、それを改善するだけでよいのである。(p359)

アンシャンレジームと革命』トクヴィル

サノスは『インフィニティ・ウォー』で宇宙のバランスについて語っていた。彼は自分の大きな指にナイフの真ん中を乗せて、幼いガモーラにこれがバランスだと教えて聞かせる。彼のバランスについての考えはおそらくそのような文学的なイメージだけである。天秤の右側と左側があって、両者の数が等しければそれでいいのだ。そして片方の人々だけが石の力で消される。消される片方の人々にはそれについて意見を述べる自由はない。なぜなら、サノスにとってはまず最初に改革が必要だからである。全宇宙という見渡すことが不可能な空間を一気に変えるなかで、ほとんどのものは省みられない。人は悪いことが起こると宇宙の中の出来事に比べたら小さな出来事だと語ることがあるが(ライプニッツ)、それと同じである。そこでは人は一つの点か一つの数字であるだけの無力な存在としか捉えられていない。人々はトロッコ問題に登場するような名前のない群れである。

惑星ヴォーミアでの出来事はそのことを集約している。そこでソウルストーンを得るためには、自分が愛している人を星に生贄として捧げなければならない。ソウルにはソウルをという等価交換だというわけだ。サノスはそのためだけにガモーラを連れてきた。ガモーラに自由はない。彼にとっては改革とそれによる均衡が何よりも重要だからである。同じことが『エンドゲーム』でも別の形で繰り返される。クリントとナターシャが石を得るために惑星ヴォーミアにやってくる。彼らはどちらかが犠牲にならなければならないと知り、彼らは二人ともヒーローとして自分が犠牲になるべきだと思っている。そして同時に、二人はヒーローとしてもう一人が犠牲になろうとするのを止めようとする。この犠牲と救助のループは終わりがない。彼らには話し合う(助け合う)自由があるからだ。そして、それゆえにこの二つのうちの選択は一層残酷である。英雄の精神はその自由の中で他の選択肢を発見する、例えばタイムトラベルのように。しかし、ここではその等価交換、バランスという文学的な環境がそれを許してはくれない。惑星ヴォーミアはサノスのように頭が固い。

アベンジャーズ/エンドゲーム
(Marvel Studios' Avengers: Endgame - Official Trailer - YouTube

タンタロスの神話

タンタロスの神話のメッセージはこうである。人は、無垢な存在である限り、幸せでいられる。いや、少なくとも、この上なく幸せで悩みもないというのは、その限りにおいてである。幸せをただ享受して、自分を幸せにしてくれるものが何であるかを知らず、それをいじくり回そうともせず、ましてやそれを「自分の手中に」おこうなどとはしない限りにおいて、人は幸せなのである。そしてもし、何かを手中におこうとあえて自ら行動を起こしたとしても、この上ない幸せが再び訪れることはけっしてない。それは、無垢の状態でしか得ることができないものである。(p16,17)

コミュニティ』ジグムント・バウマン

二〇一四年のサノスは自分の思考の変化について語っている。彼は『インフィニティ・ウォー』の時点では石の力を使って全宇宙の人口が半分になれば、資源についての悩みも争いも起こることなく平和と均衡が訪れるものと思っていた。しかし、二〇一四年のサノスは、「指パッチン」のあと二〇一九年のサノスがアベンジャーズの復讐によって無残に殺されたことを知り、考え方を変えた。変えなかったというべきかもしれない。彼は一貫して人間を動物か物扱いしている。

「指パッチン」によって数が半分になった主体が、物や動物であれば環境の変化に気づかないかもしれない。彼らは、「指パッチン」後の世界を適応してしかるべきものとして生きるだろう。しかし、人間の場合は記憶がある。記憶と消えてしまったものたちとの間の齟齬が人を苦しめてしまう。全世界で人口が半分になれば、誰かが何かをしたことが分かってしまう。二〇一四年のサノスは人間が動物や物ではないことが分かったので、今度の「指パッチン」は一度すべてを滅ぼして、皆を無垢の状態にし、自分以外の全てやり直すことにする。つまり、人々を動物か物の状態に戻そうというのだ。「そうすれば、彼らは与えられたものだけを享受し、だれも過去のことを知らず、変化に気づかない」とサノスは言う。彼の考えによれば、だれも余計なことをしなければ幸せなのだ。そうすれば、だれの生存も脅かされることはないのだという。それは全宇宙の生存戦略であるというよりは彼の生存戦略である。全てをゼロからやり直した後で彼だけが過去を持っている。彼だけが原因を有していて、彼以外は偶然の世界を生きていることになる。

”成功者の離脱”からの離脱

(ゲーティド・コミュニティの)居住者が法外な金を払ってまでも手に入れようとするのは、侵入者を寄せ付けず、平穏に生活する権利である。「侵入者」とは、だれであれ、自分自身の行動指針をもち自分自身の流儀で暮らすという罪を犯している人々をさす。他の行動指針や別の生活様式が身近にあることは、「さっさと終えてまた最初から始める」という快適さを損なう。(p83)

コミュニティ』ジグムント・バウマン

サノスは「指パッチン」のあと、惑星に一人きりで農業をしていた。彼は目的をすべて達成し引退していたのだ。同時にアベンジャーズの目的もつぶしていた。彼は石の力で石を破壊していた。石は消え去ってしまって、誰も宇宙を「指パッチン」前の状態に戻すことはできなくなってしまった。サノスは復讐にやってきたアベンジャーズに囲まれながらも自分の大義について語るが、途中でソーが怒りにまかせてサノスの首を刎ねてしまう。『インフィニティ・ウォー』の戦いの続きは決着がついたが、宇宙は「指パッチン」後の世界のままであり、それを救う手段もなくなってしまった。

それから五年が経って、ソーは引きこもって一日中ビールを飲みながらゲームのフォートナイトをして過ごし、トニーは助かった妻のポッツ(グウィネス・パルトロウ)と娘の三人で田舎で暮らしていた。サノスが目的を達成して引退したのと同じように、彼らは目的を失って引退してしまったのだ。タンタロスの神話の教訓のように、何も得ようとしなければ苦しまないといったような無垢な状態にまで戻ってしまった。ソーもトニーも過去のことを忘れようとしている。ソーは『マイティ・ソー バトルロイヤル』のヴァルキリーのように酒漬けになっている(戦争の記憶と民主主義者の限界としてのTownship マイティ・ソー バトルロイヤル | kitlog)。

彼らに訪問者が思い出を抱えてやってくる。引きこもっているソーのもとにはハルクが「引きこもっていた自分を助けてくれたのはソーだ」といって『マイティ・ソー バトルロイヤル』のことを思い出させる。トニーのもとには、キャップとナターシャ、スコット(ポール・ラッド)がやってきてタイムトラベル(time heist)のアイデアを語り協力してくれるよう説得しに来るが、彼はそれを一度は断る。しかし、奥にしまわれたピーター(トム・ホランド)との二人の写真を取り出すとタイムトラベルのアイデアを実現することを決意する。彼は自分が新しいことを思いつくことを止めることができない。

思い出を探しに


アベンジャーズ/エンドゲーム
(Marvel Studios' Avengers: Endgame - Official Trailer - YouTube

アベンジャーズは石を得るために、まだ石が破壊されていない過去へとタイムトラベルを行なう。それは石を探すと同時に思い出を探す旅でもある。彼らはサノスによって天秤に乗せられ、物扱いされ、半分が消された。彼らは過去の作品へと戻り、自分たちが物ではないことをサノスと同様過去を持つことを確かめに行く。ソーは消滅前の、母親が死ぬ前のアスガルドに戻ってうじうじしているところをロケット(声ブラッドリー・クーパー)に「何かを失ったのは自分だけだと思っているのか」と説教されるが、それはサノスに対してもいっている。彼らが進んできたと同時に失って取り戻せないものもここで見せられるのだ。ソーは過去の世界で母親を助けようとするが、母親はそれをやめさせる。「過去を変えようとしないで」と「そのままを受け入れて」と「未来を救って」と時間の連続性を壊そうとしないようにいう。

私とトインビーとの違いは、彼が歴史を繰り返すものと見るのに反して、私がそれを連続的なものと見る点にあります。彼にとっては、歴史とは、同じことが多少の変化を伴なって異なった文脈に繰り返し現れるということになりますが、私にとっては、歴史は事件の連続であって、これについて一つ断言できることは、それは絶えず前進して行くもので、二度と同じ場所へ戻って来ないということだけであります。(・・・)

トインビーの見方は、シュペングラーの見方と同様に、二世紀近く歴史的思想にからみついている歴史と科学との類推の上に立っているのです。この類推は誤っています。確かに、科学では同じドラマの繰り返しです。というのは、登場人物が過去の意識を持たぬ動物か無生物だからです。これに反して、歴史では、ドラマの繰り返しは不可能であります。なぜなら、二度目の上演の時は、登場人物がすでに予想される結末を意識しているからです。ですから、最初の上演の本質的な条件は、二度とこれを組み立てることが出来ないわけです。(p8,9)
新しい社会』E.H.カー

物(扱いされたもの)の逆襲

アベンジャーズ/エンドゲーム
(Marvel Studios' Avengers: Endgame - Official Trailer - YouTube

「アベンジャーズ、アッセンブル」多くの役者が出ている中で、最もいい演技をしていたのはムジョルニアではないだろうか。ムジョルニアは『マイティ・ソー バトルロイヤル』で破壊されたハンマーでソーのような高潔な人物しか持てないとされていた。『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』ではアベンジャーズの打ち上げパーティーでキャップがムジョルニアを少し動かすことが描かれるが、それがこの映画の伏線になっている。

二〇一四年のサノスがアベンジャーズのタイムトラベルと同じ方法で現在にやってきて、アベンジャーズ基地を襲う。アイアンマンとキャプテン・アメリカ、ソーがサノスに立ち向かうが、サノスに石の力がないにもかかわらず彼らは歯が立たず、ピンチに陥る。その時ムジョルニアがガタッと震えてキャップの手元におさまっていく。そして三人はまた戦いの勢いを取り戻す。ムジョルニアは人々の代表なのだ。人々はサノスによって物扱いされていた。サノスの星に起こったことはどこでも起こることにされ、人々の意志やアイデアは反映されなかった。それらは繰り返す歴史の単なる一部分でしかないとされた。そして人々は強制的に天秤に乗せられ、物として数として扱われ、半分が消されてしまった。ムジョルニアの演技はそれら物扱いされたものたちの物からの逆襲の象徴である。ムジョルニアにさえ過去がある。われわれはそのことに驚くのである。

映画のルーペは生組織の個々の細胞を我々の眼の前にもたらし、具体的な生の素材と実体をふたたび我々に感じとらせる。それはきみの手がなでたり打ったりしているのに、少しもきみが注意を払わず気づきもしないその手の動きをきみに示す。きみの生が手の中でいとなまれているのに、きみはそれを見向きもしないのだ。それはきみの生き生きとしたあらゆる身振りの内証をきみに見せる。その身振りの中にきみの魂が現れているのだが、きみはそれを知らない。映写機のルーペは、きみが気づかずにそれと共に生きている、壁に写るきみの影を示してくれるだろう。また何も知らないきみの手の中にある巻煙草の冒険と運命をきみに示してくれるだろうし、きみの道連れであり互いに生を形成し合っているすべての事物の――注意をはらわれないがゆえに――秘められた生を示してくれるだろう。(p83-85)

視覚的人間』ベラ・バラージュ

トニーは一九七〇年に戻ったとき、死んだ自分の父親ハワードに出会う。彼は別れ際にハワードにハグをして「Thank you for everything」と息子の気持ちでいうのだが、ハワードはトニーが自分の息子だと知らないので少し変な空気になり、トニーは「you've done for this country.」と付け加えごまかして一人の国民として感謝を述べている。この咄嗟の言い直しが、父としてというだけではない最後の行動に影響しているのだろう。
11/17/2020
更新

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