なぜ手品なのか アントマン&ワスプ

頼りなさすぎるヒーロー、アントマン(ポール・ラッド)と完璧すぎるヒロイン、ワスプ(エヴァンジェリン・リリー)。2人の前に、すべてをすり抜ける神出鬼没の謎の美女ゴースト(ハンナ・ジョン・カメン)が現れる。ゴーストが狙うのは、アントマン誕生の鍵を握る研究所。敵の手に渡れば、世界中であらゆるもののサイズが自在に操られてしまう。さらに、金目当ての武器ディーラーからの襲撃や、アントマンを監視するFBIの追跡も加わり、人や車、ビルなど全てのサイズが変幻自在に変わる“何でもアリ”の大騒動に!ユニークなパワーと微妙なチームワークで、アントマンとワスプは世界を脅かす“秘密”を守り切れるのか……?

アントマン&ワスプ | 映画-Movie Walker

アントマン&ワスプ
(Marvel Studios' Ant-Man and The Wasp - Official Trailer #2 - YouTube

アントマンであるスコットは『キャプテン・アメリカ シビル・ウォー』でキャップ(キャプテン・アメリカ)側に協力したために、無法者、危険人物とみなされ自宅軟禁状態におかれていた。彼はFBIに監視され、電子足輪をつけられ全く逃げられない状況だった。アントマンに関係するピム博士やホープには会えなかったが、娘のキャシー(アビー・ライダー・フォートソン)やルイス(マイケル・ペーニャ)たちを家に招いて家全体を蟻の巣に改造したりして遊んでいた。しかし彼らが家に来てくれる時間は短い。彼は一人でできる趣味を探して、電子ドラムを叩いたり、手品を覚えたり、玉入れで遊んだり、本を読んだりしている。中でも手品は自分のためだけでなくてキャシーを喜ばせるために使われたり、一度電子足輪が家の外に出てFBIが様子を見に来たときも責任者のウー(ランドール・パーク)がなぜか手品にすごく興味を持って仕事中に隠れて練習したりと注意を向けるよう促される。まるでそのことが伏線であったかのように、ヴィランであるゴースト(ハナ・ジョン=カーメン)との戦いでも手品が使われるのだが、何かそれほど大したことをやっているようには見えない。それはなぜなのだろうか。

考えられることは敵が弱いことだ。敵の強さといったものは、簡単に測れるものではないと思われるかもしれないが、前作の『アントマン』(自然の大きさ アントマン | kitlog)と比較するとわかりやすい。『アントマン』のヴィランはアントマンだった。敵も小さくなったり大きくなったりと同じ能力、加えてビームみたいのも撃てるのでアントマンよりも少し性能的には上だった。しかし、今回のヴィランのゴーストは、言ってみれば小さくなれないアントマンなのだ。ゴーストは子供の頃に実験の失敗で被害にあい、身体の分子が安定しなくなり、体全体が引き裂かれるような痛みを感じると同時に物体をすり抜ける能力を得た。その能力のためにゴーストは見えないところから急に攻撃したり、相手の攻撃を自分が消えたみたいにかわすことができる。これはアントマンでもできることである。彼は小さくなって見えないところから急に攻撃をし、攻撃が来そうなときには急に小さくなってかわすことができる。『アントマン』では敵のほうが強かったが、『アントマン&ワスプ』では敵のほうが弱い。

ガリレオとケプラーが明らかにした、天文学上の世界のもつ予想外の複雑さと秩序ある荘厳さとが、一時代前の人びとにとって、哲学的に頭を悩ませる問題であったのとほとんどおなじように、顕微鏡下の世界における生物体の無限の複雑さは、当時の人びとにとって哲学的な難問であった。とりわけ、微小な生物の厖大な変種は、「神による創造」の概念に、新しい論点を与えるとともに新しい難点をつけ加えた。これは、とくにフックの先駆的著作『ミクログラフィア』の結果であった。(p319)

『科学思想のあゆみ』Ch.シンガー

ゴーストが小さくなる能力を持たないことによって、この映画には手品が必要になった。それは想像力が自宅軟禁されているかのように使うことを制限されているからだ。この映画に出てきたのは本物の蟻の巣ではなくて現実の人が入れるダンボールの蟻の巣だが、今作では本物の蟻の巣のスケールがほとんど排除されているのだ。それはゴーストが小さくなれないためである。『アントマン』では小さな鞄の中で文房具やiPodが飛び交うなかで戦ったり、子供部屋に散らかったおもちゃのスケールで戦うことができた。それは敵のイエロージャケットがアントマンと同じく小さくなれたからだ。彼らの戦うフィールドから、小さい空間の中にも複雑さや秩序があることがわかる。われわれの部屋は通常、家具とそこに収めるもので構成されている。部屋が散らかっているというときには、ちらかっているのは家具ではなく本やおもちゃなどの小物の方だ。われわれは家具を壁に平行に置く。そうしないと隙間が生じ、隙間があるとデッドスペースができてしまい、部屋が狭くなる。だから家具は地形のように整然としている。しかし、部屋に置かれる小物たちはそうではない。テーブルの上に本を置いておくときに、壁と平行かどうかを気にする人はあまりいないだろう。そうやって何も気にしないで本をテーブルに積んだ結果、散らかった空間ができあがる。それはゴミ屋敷のようにならない限り、ちょっと散らかっていても通常は気にならないものだ。しかし、アントマンのように小さくなると違う。今まで小物だと思っていたものが地形になるのだ。それは部屋の中で家具がバラバラに置かれているようなものである。

日々の生活の中では、植物など当たり前の存在だと、つい考えてしまう。しかし、顕微鏡でのぞき込めば、葉を茂らせた隣人たちが驚くほど複雑なことがわかる。

顕微鏡で見る植物細胞、驚きと美しさに満ちた世界 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

『アントマン』にはその二つのスケールを行き来する面白さがあった。それはいわば人間のスケールと『トイ・ストーリー』のスケールである。アントマンは小さくなったときに『トイ・ストーリー3』の子供がおもちゃでめちゃくちゃに遊ぶ幼稚園のような状況に置かれる。観客はその二つのスケールを行き来する中で細かいもの、小さいものにも注目せざるを得なくなる。その小さなものがもしかしたらアントマンを助けるかもしれないし、あるいは窮地に立たせるかもしれないからだ。床に散らばっているシャープペンシルがアントマンを助けるかもしれない。そうやって観客の視線は誤って動く。その二つの世界の延長に、小さな世界にも秩序があるのだと量子世界についての想像も喚起できる。今作はその視線の動きというものを手品のミスディレクションという、非常に限定したかたちでしか表現できなかったのではないかと思われる。ゴーストと戦うときアントマンとワスプの映像は通常の人間のスケールでしか描かれない。


今作はゴーストと戦うだけでなく、量子世界に閉じ込められたピム博士の妻ジャネットを救う物語でもある。ゴーストはジャネットを救う技術でジャネットに代わって自身の存在の安定化を目論みスコットたちのジャマをするのだが、非情に徹しきれず作戦は失敗しジャネットの生還をゆるしてしまう。ピム博士とジャネットが量子トンネルから船で帰ってくるのだが、その軌道上にホープとゴーストが戦っていて彼女たちと船がぶつかりそうになってしまう。スコットは巨大化して手を伸ばし助けようとするのだが、彼はホープは助けてゴーストは助けなかった。ヴィランだから助けなかったというだけで特別な意味はないのかもしれないが、アントマンは本当にヒーローなのかと疑問に思ってしまった。ゴーストがそのまま船に轢かれていく様がショックで違和感をもった。手品のミスディレクションは人の注意を限定する方法だが、人助けのときにそれを発揮しなくてもよかったのではないだろうか。
9/10/2020
更新

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