自然の大きさ アントマン
やる気も能力もあるのに、なぜか空回りばかりのスコット・ラング(ポール・ラッド)は、仕事も家庭も失って絶体絶命。別れた妻と暮らす最愛の娘の養育費すら払えなくなった彼に、最後にして唯一の仕事のオファーが舞い込む。それは、身長わずか1.5cmに変身できる特殊なスーツを着用し、驚異的な能力を持つ“アントマン”になることだった。アントマン・スーツを着れば、誰でもアントマンになることが可能。とはいえ、それとヒーローになることは別の話だった。スーツを着用したスコットは、アントマンのパワーを使いこなすため、満身創痍でトレーニングに奮闘する。だが、思い描いていたカッコいいヒーローになるには、あまりにも長く険しい道のりが待っていた。最愛の娘のために猛特訓を開始した彼は、本当のヒーローとなり、人生のセカンド・チャンスをつかむことができるのか?そして、アントマンに託された決死のミッションとは……?
アントマン | Movie Walker
(Marvel's Ant-Man - Trailer 1 - YouTube) |
このブログでは映画についてあれこれ書いているのだが、(kitlog: 初めに愛があった インターステラーから)、(kitlog: ミラーレスな『変身』 西荻窪駅徒歩20分2LDK敷礼2ヶ月ペット不可)、(kitlog: 交換と了解 そして父になる)、(kitlog: 存在しないものへの感情移入 ジュラシックワールド)のあたりで書いてある主題が複合してうまく表現されているように感じた。
アントマンは体長1.5cmと宣伝されているが、リミッターを外せばどこまでも小さくなれる。もしも自分の力でぶち破ることのできない金属が目の前に現れたら、彼は原子や分子のサイズ、量子論の世界にまで小さくなることができる。そして金属分子の網をすり抜ける。しかしそこにはそのサイズから帰ってこれない元に戻ることができない危険があるのでリミッターがかけられている。彼はラストにその危険を犯して量子論の世界に飛び込むのだが、このリミッターが外れてアントマンがどんどん小さくなって極小の世界の中に無限の世界があるように描写された画はとても興味深かった。ここでは、(kitlog: 初めに愛があった インターステラーからを思い出した。
ハンク・ピム(マイケル・ダグラス)は娘のホープ(エヴァンジェリン・リリー)に危険な仕事をさせたがらない。ピムはアントマン一号なのだが、その時に相棒だった妻をソ連のミサイルを空中で解体するという任務中に亡くしている。ピムは娘に同じ目にあってもらいたくないと思っているが、娘のホープはピムが自分の過去を隠していることもあってそのことが理解できない。(このあたりは劇場で見ないとちんぷんかんぷんだと思うのでぜひ映画館へ!)ホープは自分がアントマンをやりたいのに、どこで見つけてきたかしらないコソ泥で自分より能力が劣ると見えるラング(ポール・ラッド)にアントマンを任せることに納得がいかない。そのことで父娘が対立するのだが、ラングはホープに対して「”I'm expendable.”(ピムにとって)僕は使い捨てだ。だから、君ではなく僕がスーツを着るんだ。」と説得する。ピムにとってラングは交換可能だがホープは交換不可能だという。ホープは直後に「あなたを警察に通報した時、あなたに娘がいることを知らなかったの」というのだが、ここは(kitlog: 交換と了解 そして父になる)を思い出した。ただ『アントマン』では、このようなシリアスなシーンもラングや三バカの絶妙なコメディシーンで辛気臭くならないように、また単に茶化しているだけに見えないようにとても良いバランスが取れている。
(kitlog: ミラーレスな『変身』 西荻窪駅徒歩20分2LDK敷礼2ヶ月ペット不可)アントマンでこれを思い出して、見返してみるとちょうど蟻の絵を使っていた。”ある夜、スコット・ラングが気がかりなスーツを着て目ざめたとき、自分がバスタブの上で一匹の小さな毒虫に変ってしまっているのに気づいた。”『アントマン』は主人公が小さくなることが特徴だが、小さくなることで映画にどういった効果を生んでいるだろうか。
ハリウッド映画には、『ミクロの決死圏』『ミクロキッズ』など科学の力で人間が小さくなることで、見える景色が一変する世界を扱ったSF映画の系譜がある。今回も、一般家庭のありふれたアイテム(じゅうたんや鉄道模型など)が壮大な冒険の舞台へと一瞬で早変わりして楽しませてくれるが、そもそも目線の高さの違う者同士が対峙するシチュエーションというのは、映画的な空間設計にうってつけ。しかもアントマンは、小さくなったり元に戻ったりと自在に視点を変えられるし、巨人(巨大化)と違って動きも機敏だ。特撮技術がこれだけ進歩した今のハリウッドで、アクション映画の主人公にこれほど相応しいキャラクターが他にいるだろうか?
『アントマン』 身長1.5センチのニューヒーロー - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース
それは(kitlog: 存在しないものへの感情移入 ジュラシックワールド)で考えたことと関係している。
全体のなかの部分や契機の相関性においては、これらの部分や契機はつねに、それらが相互に対して存在するものであるにすぎない。このようにして、それらは自己自身へのあらゆる意味関係を失うことになる。それらはそれ自身で一つの大きさや意味をもつことがない。それらにはパスカルが「自然の大きさ」と呼んだもの、探求する有限な人間としてのわれわれにとって手がかりや規準となるものが欠けている。
『哲学の現在 (1984年)』ロムバッハ p179
そのような手がかりや規準がなければCGを見ても感情移入することは難しい。パスカルが「自然の大きさ」(上の本では訳注で未詳となっているが)と呼ぶものは『パンセ』で書かれている無限と虚無の中間にあるものくらいの意味だろうが、それはつまり人間にとって経験的なもののことである。アントマンは小さくなることでCGのリアリティを経験的なものに変換することに成功している。象徴的なのは最後のイエロージャケットとの戦闘シーンだ。近景でMARVELお得意のド派手なアクションが繰り広げられるが、カメラを引いて遠景から見てみるとそれは子どもの遊びと変わらないと言わんばかりに小さい彼らが現実に及ぼす影響は大したものではないよという演出がなされている。近景で勢い良くふっとばされた列車は、遠景では子どもが遊んで投げ飛ばしたみたいにカランコロンと床を転がるだけだ。この映画ではそのような近景と遠景のギャップが幾度も描かれる。遠景で描かれた彼らが現実世界に及ぼす影響は完全に経験的な出来事として理解ができる。ソーのハンマーがどれだけ「重たい」のかは経験的にはほとんどわからない。とても重たいのだろうとは理解できるが、そこまでで幾分抽象的(思弁的)である。しかし蟻のような小さい存在が、子どもが普段遊んでいるようなおもちゃを投げ飛ばしているとしたらどうだろうか。これは完全に経験的に理解できる。(近景はカメラが寄った画、遠景はカメラが引いた画くらいの意味で)
すでに公開されている国では、過去のマーベル作品を観たことがない小さな子どもたちからも好評を集めているという。「そもそも子どもはヒーローが大好きだし、アントマンは小さくなることで“子どもの目線”になるんだよ。それに“小さくなってどこかに潜り込んでみたい”という子どもの好奇心や想像力を刺激するのかもしれないね」
初心者も子ども楽しめる! 監督が語る『アントマン』の魅力|ニュース@ぴあ映画生活(1ページ)
新規の子どもファンも集めているとのことだが、アントマンの強さが彼らにとって経験的に理解できるということがとても重要な要素になっているのではないかと思う。単に強いだけではない独特の近さがある。
小さいものが同じ画面の中で小さく見えるための工夫もとても興味深い。
――アントマンが小さくなるシーンの数々がリアルかつ楽しいですが、あの縮小表現はどのように撮影したのでしょうか?
リード:過去の「縮小映画」を超え、今の時代を代表する「縮小映画」を作るために、ジェイク・モリソンと撮影監督のラッセル・カーペンターとたくさん話をしました。我々は現代の技術を結集して、なるべくリアルに、実写に見えるように努力したんです。
まず、普通のアクションを拡大したセットで撮ります。次に、実物大の小さなセットを用意して、フレイジャー・レンズ(被写界深度の深いレンズ)を付けたカメラを使う、マクロ撮影のチームが撮影します。そして、それらの映像を合わせるんです。
こうすることで、小さくなった時にいきなりアニメっぽくならず、木目の表面や絨毯の繊維が実際に見られ、縮小後に光がどう見えるか、ホコリがどう舞っているかなどが、非常にリアルに表現できました。
実写のセットを使うと、物を動かしたり、色んな角度で撮ったりというのを直接できるのがいいんです。CGは進歩しましたが、個人的にはCGばかりの映画というのは好きではないので、なるべくリアルに感じられるように撮りました。
なので、ポール・ラッドやコリー・ストールのモーション・キャプチャーも行い、CGが実写のキャラクターと同一人物に見えるようにしています。
ヒーローがコスチュームを着たら役者から離れて、あとは完全にCGに演技をさせてしまうような作品だと、観客がキャラクターに愛着を持てないと思いますからね。
縮小表現の秘密。『アントマン』ペイトン・リード監督にインタビュー | コタク・ジャパン
「アントマンをフレーム(枠)の中でいかに小さく見せるかに思考錯誤を繰り返した。普通のミディアムショットで撮るとスケール感が分からなくなってしまう。だから、横に大きさを比較できる物を置くなどして、思い切りフレームの中で小さく見えるようにしたんだ。あとは、(カメラが)“寄り”になるときは中途半端に近づくのではなく、目だけを思い切りクローズアップにするとかね。そんなふうにいろんなショットを組み合わせていったんだ」とミニチュア世界を表現する“裏技”を明かした。
[アントマン]ペイトン・リード監督に聞く 1.5センチのヒーローを表現する裏技とは? | マイナビニュース
──とても格好良かったです。ふつう、ヒーローのモチベーションは「世界を救うこと」が多いですが、スコットのそれは「娘のヒーローになること」。いそうでいないヒーロー像でした。アントマンを演じたことで、ラッドさん自身もお子さんにとってのヒーローになれましたか?
「僕には10歳の息子と5歳の娘がいて、2人が僕の出演した映画を観るのはこの『アントマン』が初めてになる。でも、娘はまだ5歳だから映画を観るのはもう少し後になるかな。息子はすでに観ていて、『大好き!』って言ってくれるし、僕がアントマンを演じたことを誇りに思ってくれている。よく絵を描いてくれるし、友だちにも『うちのパパはアントマンなんだよ!』ってね、嬉しいよ。ただひとつ、映画のなかで僕(スコット)が刑務所に入れられたことについては、あまり快く思っていないみたいだけどね(笑)」
【インタビュー】ポール・ラッド、史上最小のヒーロー“アントマン”になるまで | シネマカフェ cinemacafe.net
われわれは、あらゆる方面において限られているので、両極端の中間にあるというこの状態は、われわれのすべての能力において見いだされる。われわれの感覚は、極端なものは何も認めない。あまり大きい音は、われわれをつんぼにする。あまり強い光は、目をくらます。あまり遠くても、あまり近くても、見ることを妨げる。(中略)過度の性質は、われわれの敵であって、感知できないものである。われわれはもはや、それを感じることなく、その害を受けるのである。(中略)極端な事物は、われわれにとっては、あたかもそれが存在していないのと同じであり、われわれもそれらに対しては存在していない。
『パンセ (中公文庫)』パスカル p47,48
9/10/2020
更新
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