キングスマン ドランクモンキー酔拳
「英国王のスピーチ」でアカデミー賞を受賞したコリン・ファース主演、「キック・アス」のマシュー・ボーン監督&マーク・ミラー原作によるスパイアクション。表向きは高級スーツ店だが実は世界最強のスパイ組織「キングスマン」で活躍する主人公ハリー・ハートをファースが演じ、ハリーに教えをこう若きスパイのエグジーに、新星タロン・エガートンが扮する。その他、マイケル・ケイン、マーク・ストロング、サミュエル・L・ジャクソンらが共演。ブリティッシュスーツを華麗に着こなし、スパイ組織「キングスマン」の一員として活動しているハリー。ある日、組織の一員が何者かに殺されてしまい、その代わりに新人をスカウトすることになる。ハリーは、かつて命を助けてもらった恩人の息子で、密かにその成長を見守っていたエグジーをキングスマンの候補生に抜擢する。一方その頃、頻発する科学者の失踪事件の首謀者ヴァレンタインが、前代未聞の人類抹殺計画を企てていた。
キングスマン : 作品情報 - 映画.com
ハリーがバーでチンピラを倒すシーンと教会で暴れるシーンは、映画館で観ていて「どうやって撮ってるんだろう」と少し前のめりになった。様々なガジェットや仕立屋の秘密基地のような仕掛けは懐かしくてニヤニヤしてしまった。顔横に埋め込まれたチップがクラゲ雲を上げて世界中の要職者の頭部を爆発させる花火のシーンは悪趣味で笑ってしまった、中々忘れられないだろう。この映画はキングスマン(スパイ)のハリーがキングスマン(追記:キングスマンの試験を受けた人物、試験中に死んだ)を父親に持つエグジーをスカウトしキングスマンとして育てるというストーリーだ。それは劇中でもメタに言及されるが『プリティー・ウーマン』や『マイ・フェア・レディ』などと似た構造である。
最大の見せ場である教会でのアクションシーンは、たった1台のカメラで撮影されていたと明かし、それ故に編集の技術ではなく、実際のアクションによってダイナミックさを表現しなければいけなかったと熱弁。「キック、パンチ、フックとやってカットがかかり、それをまた今度は別の角度からのショットで繰り返すといった手法で撮影されたカットもある。そうすると動きを覚えなければいけないものの、それを短いピースごとにやることができる。ところが、教会のシーンでは、それができない。舞台のように、ダンスやバレエのように、やらなければいけなかったんだ。上手くいかなければ、頭からやり直しだ」。
コリン・ファース、ジャッキー・チェンのトレーナーたちとアクション猛特訓! - シネマトゥデイ
Harry:"Manners maketh man." Do you know what that means? Then let me teach you a lesson.
ここから少し不満を述べることになる。「マナーが人間を作る」「マナーが人を紳士にする」ハリーはそう言うのだが、ハリーがエグジーに何かを教えるというシーンはこの映画ではとても少ないように思った。キングスマンの基地に着くといきなり他の候補生がいて、エグジーは選抜試験を行うことになる。ここでハリーとエグジーはほとんど会ったり話したりする機会が無くなってしまう。おまけにハリーは襲われた敵から逃げるために使った爆弾の影響で意識を無くしてしまう。これでハリーとエグジーの絡みは全くなくなってしまう。その間、エグジーが黙々と試験をこなしていくということになるのだが、この構成はどうだっただろうか。なぜハリーを意識不明にしておいたのかよくわからない。劇中で言われる「これは映画じゃない」だから、スパイも万能ではないということを伝えるためだろうか。
上の英語で引用したセリフを聞いて私がまず思い浮かべたのがジャッキー・チェンの『酔拳』だった。ちょうどコリン・ファースがジャッキー・チェンのスタントチームと訓練したのだという((コリン・ファース、ジャッキー・チェンのトレーナーたちとアクション猛特訓! - シネマトゥデイ))。『酔拳』はフェイ(ジャッキー・チェン)が日頃の悪さの積み重ねで父親に勘当されるが、その父親が酔拳の達人である蘇化子にフェイの教育を頼み、それを受けてフェイが成長していくというものだ。『酔拳』が優れていると思う点はフェイが蘇化子の訓練をサボったり逃げ出そうとしたりする点にあると思う。蘇化子はただの父親から依頼されたというだけの人物で、フェイが蘇化子のいうことをまともに聞いて訓練をするという理由や動機はどこにもない。『キングスマン』のエグジーにもそういった動機がない、あるいは小さいように思うのだ。だから彼は最後のところで、JBを銃で撃つことができなかった。どうしてもキングスマンになりたいというわけではなかったのだ。
『酔拳』では『キングスマン』と違ってフェイと蘇化子はずっと一緒にいて訓練をする。その中でフェイがまじめに訓練をしようという気を起こさせる出来事が二つ起こる。一つは、水がめから別の水がめへ水を移すだけの修行中にフェイは蘇化子を出し抜いて逃げ出すのだけど、その逃げた先で殺し屋のシンに遭遇し完膚なきまでに叩きのめされ挫折を味わうこと。もう一つは蘇化子に酒を買うように頼まれていたのだが、そのお金を自分の食事代に使ってしまい、酒にお金の足りない分は水を混ぜて持ち帰ったことだ。また、贅沢なご飯を食べていたために帰るのが遅くなってしまった。その間に蘇化子が棒術の使い手に襲われてしまうのだが、酒が無いために酔拳を使えず敗北を喫してしまう。蘇化子は無敗伝説を誇っていただけに、自分のせいでそれを損なってしまったことにフェイは罪悪感を抱く。そして、それを償おうと思うのだ。
『酔拳』ではこのように師匠と弟子が同じ時間空間にいるために様々な葛藤が生じ、物語に深みを与えていると思う。『キングスマン』ではハリーが意識不明になっていることそのものが、試験という一律な選抜方式がエグジーの葛藤を前景化することを封じている。一言でいえば、エグジーは真面目すぎる(ように見えてしまう)のだ(前半ではチンピラの車を盗んでバックしながら警察の追跡をかわすというヤンチャをノリノリでやったにも関わらず)。しかし、それは仕方がない。愚痴を言える人物もいないし、不真面目にしていれば試験に落ちてしまうのだから。わたしとしてはそのことが物足りない。ハリーとエグジーはもっとぶつかるべきではなかっただろうか。ハリーが死んでしまった(ように見える)と同時に世界の危機を知ったことをきっかけにエグジーは立ち上がるのだが、銃の訓練のシーンすらなかったような気がするし、ハリーとエグジーの関係も少し弱いような気がして、唐突な感じが否めなかった。銃の訓練もそうだが、マナー講座のような時間をもう少し増やしても良かったのではないだろうか。蘇化子がフェイに酔八仙を教えるように。
9/10/2020
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