ワープの行方、自由の行方 ハン・ソロ

Luke Skywalker: [on first seeing the Millenium Falcon] What a piece of junk!

Han Solo: She'll make point five past lightspeed. She may not look like much, but she's got it where it counts, kid. I've made a lot of special modifications myself.

『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』

『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』(以下『Ep4』)でハン・ソロはルークとオビ=ワンからレイア姫の故郷、惑星オルデランまでの運転手を依頼される。ハン・ソロは「一万でどうだ?」というと、ルークは「一万?宇宙船が買える金額だ」といってこんな金額をふっかけるなんて信じられないという感じだが、オビ=ワンは「前金で二千、成功報酬で一万五千払う」といって彼の提示金額より多く払い、ハン・ソロはそれを喜んで引き受ける。ルークはハン・ソロに宇宙船のミレニアム・ファルコンを見せられると、「オンボロじゃないか」といって心配したような顔をする。すると、ハン・ソロはこの船は光速の1.5倍の速さで移動できるという。ようするにミレニアム・ファルコンは光より速いのだ。これは自然法則を超えているように見えるが、何を意味しているのだろうか。

物理法則であれ、社会法則であれ、道徳法則であれ、どんな法則も彼らの目には命令と映る。…ある一定の一般性にまで達した物理法則がわれわれの想像力にとって命令の形を取るのに対して、万人に向けられる強制的要請は逆に、いささか自然の法則のようなものとしてわれわれには現れる。これら二つの観念はわれわれの精神のうちで出会い、そこで一種の交換を行う。法則は命令からその強制的な性格を手に入れ、命令は法則からその不可避性という性格を受け取るのだ。社会秩序への違反はこうして反自然的な性格を帯びる。つまり、たとえ違反が頻繁に繰り返されるとしても、違反は、自然にとっての怪物のごとく、社会にとっての一つの例外としての効果をわれわれに及ぼすのである。(p12,13)

道徳と宗教の二つの源泉』アンリ・ベルクソン

通常、移動するとは地点Aから別の地点Bに向かうことをいう。地点Aと地点Bが遠い場合、映画はその移動の過程すべてをスクリーンに映すことができない。今の場所から隣の県まで車で移動するのに二時間かかる場合、その移動だけで映画が終わってしまう。なので、映画では通常モンタージュが行われる。例えば、今の場所で車に乗って出発したシーンを映したあとに隣の県を車で走るシーンにつなぐことができる。モンタージュはそのようにして、地点Aと地点Bを一瞬でつないでしまう。この一瞬でつなぐこと、つまり移動すること、それはワープのことであろう。『Ep4』では帝国軍に追われてミレニアム・ファルコンはワープを行うが、ワープした座標の星がデス・スターに破壊されていたということが起こる。ワープが通常のモンタージュと違うのは、ワープの移動が超高速のために、その移動の間の時間がすべてスクリーンに映ることである。ミレニアム・ファルコンで高速で移動するとき、見えていた星々は一瞬にして後退しその軌跡だけが映る。ハン・ソロがワープを行って地点Aから地点Bへ移動する。これはハン・ソロ自身がモンタージュを行っていることと同じではないだろうか。モンタージュを行うとき映画監督は自然法則から自由である。彼はこのときに『デッドプール』と同じような映画における自由を享受してはいないだろうか。この自由は物語内の自由とも重ね合わされる。

デス・スターからレイア姫を助けたあと、ルークは反乱軍に加勢する。ルークはハン・ソロにも一緒に帝国軍と戦おうと誘うが、彼はそれを拒否する。ルークは「周りを見てみろ、皆自由のために戦っているんだ」というがハン・ソロは金が貰えればそれで十分だといって、そこから立ち去ってしまう。反乱軍はデス・スターの設計図から弱点を割り出し、そこを攻める計画を立てたが、作戦中、ダース・ベイダーの妨害にあいパイロットはルーク一人になってしまった。そのルークもダース・ベイダーに追い詰められ、ダース・ベイダーは「終わりだ」という。すると、物語の結末を支配しているみたいに、どこからともなくハン・ソロが現れて、ダース・ベイダーを追い払ってしまう。彼はそこにワープをしてやってきたのだ。彼は映画を支配するモンタージュを能動的に駆使して、自由を行使し、帝国軍から自由を勝ち取った。ここでは自由は他の自由を救うためにある。

愛機ミレニアム・ファルコン号でその名を馳せる伝説の運び屋から、反乱同盟軍のヒーローとなった“愛すべき悪党”ハン・ソロ(オールデン・エアエンライク)は、いかにして銀河最速のパイロットになったのか。生涯の相棒チューバッカとの運命的な出会いとは。友情、冒険、そして、謎に満ちた美女キーラ(エミリア・クラーク)との秘められた恋……。ルークとレイアに出会う前の、若き日のハン・ソロの知られざる物語が明かされる。

ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー | 映画-Movie Walker

(ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー|映画 | スター・ウォーズ公式

ハン・ソロ
(Solo: A Star Wars Story Official Trailer - YouTube

これはハン・ソロの物語である。ハン・ソロはどこから来てどこへ行くのか。その問いの中に、「どこからともなくやってくる」という概念はない。常にハン・ソロに焦点があたり、どこから来たのかと答えが求められる。なので『Ep4』のようなモンタージュ批評をも含んだような自由は行使できない。だから彼が自分のことをアウトローだというときどこか虚しい。この映画は大事なシーンがほとんど暗い印象だが、それはコマとコマの間の暗闇から脱しきれない、モンタージュの不可能性を示唆しているのかもしれない。この映画でどこからともなく現れたのは、ハン・ソロの師匠のような存在であるベケットだった。彼は、帝国軍がハイパー燃料であるコアクシウムを手に入れるのを阻止しようというハン・ソロの計画に対して、興味が無いというふうに立ち去る。まるで『Ep4』でルークに反乱軍に入るよう誘われたハン・ソロのように。そしてベケットもハン・ソロのようにどこからともなくいつの間にか戻ってくる。しかし、ハン・ソロがその自由を仲間を救って帝国軍から自由を得るために行使したのに対し、ベケットの方は自由を裏切りのために行使した。ベケットは帝国軍とつながっているドライデンと共謀してハン・ソロを裏切りコアクシウムを手に入れようとした。ここでは自由は単に裏切りと結び付けられている。この映画では裏切りに裏切りを重ねてストーリーが組み立てられている。ドロイドが奴隷として労働させられている世界で、自由を叫んだドロイドL3-37は銃弾に倒れてしまう。まるで自由を行使することがただの裏切りであるかのようではないか。そのような世界観を人々はスター・ウォーズに求めているのだろうか。そのような裏切りの連続が世界観の否定を意味し、スター・ウォーズ自体嘘の話なのだと冷めた目線を鑑賞中の観客に提供することにならないだろうか。これは『Ep4』のハン・ソロにつながっているのだろうか。
9/10/2020
更新

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