レポートの代筆 ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル

1996年。
父親がビーチで偶然拾ってきたボードゲーム「ジュマンジ」 に、高校生の息子は古くさいからと興味を示さない。ある夜、ジュマンジの箱から太鼓の音が響き、息子は箱の中にテレビ ゲームのカセットを見つける。そのカセットをマシンにセットすると――。

そして現代。
4人の高校生が学校で居残りとなっていた。気弱なゲームオタクのスペンサー、頭が悪いアメフト部員のフリッジ、セルフィー大好きうぬぼれ美人のベサニー、そしてシャイで真面目なガリ勉のマーサ。地下倉庫の片付けを言い渡された彼らは、そこで古いテレビゲーム「ジュマンジ」を発見する。それぞれプレイするキャラをセレクトして遊び始めると、なんとそのままゲームの中へ吸い込まれてしまった・・・気がつくと、周りはジャングル!しかも選んだゲームキャラの外見に!!
案内人ナイジェルによると、ジュマンジの世界が危機を迎えているという。ヴァン・ペルトという男が伝説のジャガー像から聖なる宝石を奪い、平和だったジュマンジに呪いがかけられてしまったからだ。その宝石をジャガー像の眼に戻し、「ジュマンジ!」と叫んで呪いを解く、というゴールが4人に託された。

恐るべき強敵に、危険な野生動物たち、ジャングルの大自然・・・それぞれのスキルを駆使し、次々と立ちふさがる難関と戦う4人。各自に与えられた「ライフ」は3回。つまり3回命を落とすとゲームオーバーになるのだ。現実世界に帰るには、ゲームクリアしかない!
ジュマンジ内で出会った仲間も加わり新たなチームとなった5人は、果たして全員生きて帰ることができるのか?

映画『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』 | オフィシャルサイト | ソニー・ピクチャーズ

ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル
(映画『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』新予告 - YouTube

「もちろん、私も皆さんに説明したいし、日本で知名度もありますし、サポーターの皆さんも私の説明を待っている。全てのことに関して話す場を設けます。そこでは真実を明かします。この嘘とでっち上げを私は受け入れられない」(ハリルホジッチ氏)

ハリルホジッチ前監督、JNNの単独取材に応じる TBS NEWS

『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル(以下ジュマンジWJ)』は『ジュマンジ』の続編である。『ジュマンジ』は1969年と1995年、『ジュマンジWJ』は1996年と2016年を巡る話である。続編であるが、それらの映画の趣向はだいぶ違っている。『ジュマンジ』のほうは真実をめぐる物語だ。

1969年にアランはジュマンジのボードゲーム(すごろく)を見つける。彼は学校でいじめられており、父親は彼を転校させようとしている。父は「困難に立ち向かえ」と何度も言ってきたが諦めて環境を変えることにしたのだろう。アランはそれを聞いて家出をしようと試みるが、そこでサラがいじめられて盗まれたアランの自転車を持って現れた。アランは昼間面白いものを見つけたと言ってサラをゲームに誘う。サラとアランがそれぞれサイコロを降ると、ジュマンジはすごろくの出た目の場所に書かれていることを実行し、アランはサラの前でジュマンジのゲームの中に吸い込まれてしまう。サラは自分の出たマス目の命令で出現したコウモリに怯えてアランの家を飛び出して出て行ってしまう。アランの進んだマス目には「5と8の目が出るまでジャングルで待つこと」と書かれており、時間が26年経過して1995年にジュディとピーターの姉弟が同じ屋敷でジュマンジを見つけサイコロを振りアランを生還させる。ジュマンジから出てきたアラン(ロビン・ウィリアムズ)は子供ではなく中年のおじさんになっている。彼ら三人がもう一人のプレーヤー、アランのガールフレンドのサラをもちろん26年経って中年の女性になったサラを探して4人でゲームをクリアする。

26年後のサラは友達もおらず心理カウンセラーの世話になっていた。26年前にアランがゲームに吸い込まれたことを周りに伝えるも、そのことを信じてもらえず精神的におかしいのではないかとみなされてしまったからだ。サラが本当のことを言っていると皆に伝えることができるのはアランだけだが、アランはジュマンジの中にいる。つまり、ここでは真実がジュマンジに封印されたまま26年経った世界が描かれている。その被害者はもう一人いて、アランの父の靴工場で働いていたベントレーだ。彼はアイデアマンを自称し、新しいバスケットボールシューズを提案しようとしているところだった。しかし、それをアランが不注意で革の裁断機においてしまい、バッシュはボロボロになり裁断機は壊れてしまった。アランはそれを見ていたが、黙って帰ってしまった。裁断機を壊したのはベントレーのせいになってしまった。そしてアランはジュマンジに吸い込まれる。真実は封印される。26年後ベントレーは警官になっていた。靴工場は潰れて廃墟になっていた。

アランはジュマンジをクリアする中で、サラ、ジュディ、ピーターという疑似家族の父親として振る舞い、自分も嫌っていた父のようになっていないかを反省しつつも父を求めている様子だ。ジュマンジのクリアを邪魔しようとするヴァン・ペルトはアランの父親との一人二役で、「困難に立ち向かう」ことの寓話になっている。ジュマンジをクリアするとアランとサラは子供時代に戻り、真実がジュマンジの中に隠されていた未来は消え、1969年から彼らはやり直すことになる。サラが不幸な26年を過ごす未来は消え、アランは父親に靴を裁断機に入れたのはベントレーではなく自分だと真実を告げる。父親はよく言ったという。「困難に立ち向かう」とは真実を告げることなのだ。アランとサラは子供時代をやり直し1995年にまだ会ったことのないジュディとピーターに幸せな状態で出会うことになる。

不安ヒステリーの中からは、動物恐怖症の十分に分析された例を取り上げてみる。ここで抑圧に屈した欲動の動きは、父に向けられたリビドー的な態度であり、それはまた父に対する不安と対になっている。抑圧が起こったあと、この動きは意識から消え、父はリビドーの対象としては意識の中に現れなくなる。その代替として、多かれ少なかれ不安の対象としてふさわしい動物が同じ場所を占める。表象部分の代替形成は、ある仕方で決められた関連に沿って、移動の方法によって作り上げられる。量的部分は消えたのではなく、不安に変換されたのである。その結果、父への愛の要求に変わって、狼に対する不安が生まれる。(p52)

『メタサイコロジー論』フロイト

『ジュマンジWJ』では真実を巡る物語は冒頭でほとんど済んでしまう。スペンサーはフリッジの代わりに宿題のレポートを書かされていた。スペンサーはイケてないオタクのひょろっとした青年でフリッジはアメフト部の大柄の選手だ。フリッジはスペンサーから化物屋敷の前でレポートを受け取る。その屋敷ではそこの息子アレックスが1996年にジュマンジの中に吸い込まれている。アレックスの父親はひどく病んでいる様子だが、そのことについてはあまり掘り下げられない。フリッジはレポートを提出するもそれがスペンサーの書いたものだとバレてしまう。彼らは校長室に呼び出される。校長にレポートの記述が過去のスペンサーのレポートの多くと類似していることを聞かれて、フリッジは嘘をついてごまかそうとするが、スペンサーは「僕が書きました」と正直に言ってしまう。そのせいで彼ら二人は居残りになる。そこに自撮り大好きで他人のこと考えていないベサニーと暗くて協調性のないマーサが加わって罰として倉庫の掃除をしていたところジュマンジを見つけてゲームをプレイすることになる。

『ジュマンジ』はジュマンジから動物たちがやってきて仮想の現実世界を侵食していくというものだったが、それは封印されていた真実が明るみに出てくることの表現でもある。『ジュマンジWJ』にはそのような重みはない。むしろとても軽い。彼らはジュマンジの中でゲームキャラクターになり、現実とはほとんど切り離されて現実と影響も持たない。彼らはジュマンジをクリアしたあと仲良くなって登山をしに行くことが終わりで描かれるのだが、ジュマンジの中の出来事も皆で協力して登山のようなレクリエーションを行うこととそう変わらない。

大人の体に子どもが入ってしまったというコンセプトがものすごくパワフルであり最高のコメディ的な装置で、見ている人を強く引き付けてくれたんじゃないかと思う。本作は、ヒーローの体に入り込むことで、“こんなことが自分には可能なんだ”と気づいていく物語だ。人というのは、自分でも気づかないうちに制限を設けてしまって、本当だったらできることを押さえ込んでしまっている。でもこの経験を通して彼らは変化し、自分たちがやれることを実感し、自己肯定していく。本作には、そういったメッセージも盛り込まれているんだ。

世界興収9億ドル超、「ジュマンジ」はなぜここまでヒットした?監督&来日キャストが考察 : 映画ニュース - 映画.com

ジュマンジの公開は昨年12月20日。最初の週末の北米(米・カナダ)興行成績は3620万ドルと、その1週間前に公開されたスター・ウォーズの新作「最後のジェダイ」の7160万ドルを大きく下回っていた。

だが口コミによる強力な追い風を受け、次の週末までにはジュマンジはスター・ウォーズとほぼ肩を並べるまでに躍進。それ以降、チケット販売のペースが鈍化するのに伴い、首位に躍り出た。

ソニー映画復活ののろし、「ジュマンジ」が大旋風 - WSJ

『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』(人種主義と多文化主義の共犯、ハン・ソロの不在 スター・ウォーズ/最後のジェダイ | kitlog)はポー・ダメロンは組織に従うよう強要され、主人公とされるレイは重要な場面で舞台から退場させられるという何とも不満の残るヒーロー批判、否定の映画だった。そのためキャラクターに感情移入することが難しかったと思う。ヒーローが活躍する姿が描かれずヒーロー気分になれないのだ。あの映画を見て子どもたちはライトセーバーを振ってジェダイのマネをしたいと思うだろうか。『ジュマンジWJ』も一種のヒーロー批判が描かれるがそれは単純ではない。そこではヒーローに感情移入ならぬ肉体移入することが描かれる。肉体移入するゲームのキャラクターは現実の高校生のキャラクターとはほとんど正反対になっていて、単に強いというだけでなくそれぞれ長所短所があり、自分がヒーローになるにはどうすればいいかを考えなくてはならないようになっている。彼らはヒーローになるために肉体に精神を一致させるよう努力することを強いられる。そしてヒーローになったとしてもそれはゲームの世界で肉体を借りている状態、ここで最初のシーンに戻ってくるのだがそれはレポートを代筆してもらっている状態と変わらない、他人の物を借りて自分のものではない何かで成果を出していることと変わらないのだ。スペンサーは皆の中で最も能力の高いゲームキャラクターを得て、ゲームの世界を出ることを渋ったがジュマンジの中で好き同士になったマーサを追いかけていく形でジュマンジを出ていく。真実はジュマンジを始める前にすでに語られてしまっている。ジュマンジの中にはもう探すべき真実、隠れている真実はないのだ。
9/10/2020
更新

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