交換と了解 そして父になる

映画「そして父になる」公式サイト

大手建設会社に勤務し、都心の高級マンションで妻と息子と暮らす野々宮良多は、人生の勝ち組で誰もがうらやむエリート街道を歩んできた。そんなある日、病院からの電話で、6歳になる息子が出生時に取り違えられた他人の子どもだと判明する。妻のみどりや取り違えの起こった相手方の斎木夫妻は、それぞれ育てた子どもを手放すことに苦しむが、どうせなら早い方がいいという良多の意見で、互いの子どもを“交換”することになるが……。
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その際に病院側から言われるのが、「世間では100%血のつながりを選んで交換する。できるだけ早い決断を」という言葉だ。実際には100%ではないものの、本作の参考文献にもなっているルポ「ねじれた絆─赤ちゃん取り違え事件の十七年」(奥野修司著)でも、著者の調べた限り、実際に取り違え事件が起きた場合、ほとんどのケースでこれまで育ててきた“情”よりも“血”を選び、お互いの子どもを交換するのだという。
親は「血か時間か」で子どもを選べるか? 子の取り違えをテーマにした『そして父になる』の重い問い - ほとんどのケースでこれまで育ててきた“情”よりも“血”を選ぶ現実 日経トレンディネット

物語の発端には交換がある。幸せそうな家族を妬んだ看護師(中村ゆり)が、彼らの子どもとどこの誰とも知らない子どもとを交換したのだ。それで不幸になればいいと思ったのだという。野々宮良多(福山雅治)とみどり(尾野真千子)はそのことを子どもが六歳になったころに知る。向こうの親、斎木雄大(リリー・フランキー)、ゆかり(真木よう子)夫妻が、息子の琉晴の血液型が小学校に上がるときの血液検査で二人からは生まれるはずのないものだと判明したことが上の事件を知るきっかけとなった。事情を知ったお互いの夫婦は子どもを交換するかどうか、

親子を結ぶものは血なのか、それとも一緒に過ごした時間なのか……。
REALTOKYO | Column | Interview | 094:是枝裕和さん(『そして父になる』監督・脚本・編集)

ということでストーリーが展開していく。とされ、血か時間かということが大きいテーマとしてあるようなのだが、重要なのは「交換」であると思う。つまり、登場人物が、ある何かを交換可能かどうか、ある何かを交換可能かどうかと見なすかどうかについてどう理解しているか、その理解がどう変化するかという物語になっている。最も典型的なシーンは、おもちゃに関するものだ。雄大は壊れたおもちゃを直す。なぜ電気屋が選ばれているのか知れないが、彼は近所の子供のラジコンを直し、良多の息子・慶多の青いロボットも直す。しかし良多は琉晴のラジコンを直すことができず「今度ママに買ってもらいな」という。重要なのは雄大は子どもが持っているおもちゃを交換不可能だと思っていて、一方の良多はおもちゃを交換可能だと思っていることだ。同じものを買えば済むのかもしれないが、それは形は同じだが同じおもちゃなのか。そのような態度がそのまま子どもに対する接し方に表れている。

良多はこの問題はお金で解決可能だと思い、傲慢にも両方の子どもを引き取れると思っていた。お金はほとんどあらゆるものと交換可能で交換可能性の権化のようなものだが、良多は子供のことを最初から交換可能だと思っている。彼は自分が選べると思っているのだ、お金を持って色々な商品の前に立つように。しかし、実際は自分が選ばれなければならない。お互いにお互いのことを交換不可能であると思っていなければ父子関係は成り立たないだろう。良多は事件を起こした看護師が謝罪の意味も込めて送ったお金を返しに行く。新しく来た琉晴とうまくいかずイライラしていた彼はその看護師に「あなたのせいでうちの家族はめちゃくちゃですよ」と言ってしまう。すると、ドアを開けて彼女(看護師)の息子が出てきて、良多と彼女の間に立って良多をじっと睨む。「お前には関係ないだろ」良多は言うが、すぐさま反論される。「おれの母さんだぞ」と。とても当たり前な答えだ。しかし、良多にとってはとても衝撃的な答えだったに違いない。その息子が叫んだのは、自分にとって母親が交換不可能だということだ。

子どもの交換を果たす少し前に、良多は公園で慶多の写真を撮る、慶多にも自分のカメラを貸して撮らせてあげる。良多は慶多に「そのカメラあげるよ」というが慶多は「いらない」という。慶多がデジカメがどういうものか知っていたのか分からないが、なぜ良多が自分のものを簡単に手放そうと思うのか不思議に思ったのかもしれない(追記:というよりも、単に「あげる」という行為が他人として接してる風に感じるからかな。)。後に良多は慶多がデジカメで自分の知らない間に自分を撮っていたこと、息子に必要とされていたことを知る。

最後のシーンは交換の問題を解消した、交換とかどうでもいいじゃんということなのだろう。

母親の場合は、“そして”がいらないんですよね。うちの場合は、子供が生まれた瞬間に嫁さんが別の生き物に変化したような気がしたんです。急に強くなったような。「そうか、そんな風に人って変わるんだ」と思ったほどでした。でも、それほどには自分は変わったという実感もないし、実際に変わっていない。

それは性差なのか、10カ月という時間を抱えた人とそうじゃない人との差なのだろうか、ほかのなにかだろうかと考えたんです。しかも、子供が小さいときは、父と母では日々の密着度が違う。だから子供は母親がいないとまったくダメだけれど、父親は必要とされることがあまりない。そこで自分の存在意義みたいなもの、果たして必要とされているのか、必要とされるためにはどうしたらいいのかを考えたんです。
INTERVIEW|映画『そして父になる』是枝裕和監督インタビュー | Web Magazine OPENERS
9/10/2020
更新

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