風景と記憶と映画 星ガ丘ワンダーランド
星ガ丘駅の落とし物預り所で働く温人は、幼い頃に母に捨てられた過去を持っていた。持ち込まれる落とし物の持ち主の顔を想像し、名札の裏に似顔絵を描く。落とし物として行き場を失い、ここにやってきたモノたちは、なぜここに来たのか、どんな人に愛されてきたのか、そんなことを想像するのが温人のありふれた日常だった。そんな温人の元に母が自殺したという一報が届いた。その知らせにより、温人の人生が静かに動き始める。
星ガ丘ワンダーランド : 作品情報 - 映画.com
『アリスのままで(kitlog: 『映画とは何か』 アリスのままで)』では主人公アリスが記憶を失っていくという設定で、彼女が自分の記憶に靄がかかったような状態になったときなどに背景がぼやけていた。それでもニューヨークで撮られたこの作品は街の様子や大学、アイスクリーム店などのつながりがなんとなくわかるように撮られていたと思う。それは人物の移動の間に風景が存在していたからだと思う。
『星ガ丘ワンダーランド』の主人公温人(中村倫也)は子供の頃の記憶を抑圧している。彼の不確かな記憶は星ガ丘という街そのもので、この街は全くバラバラにしか見えない場所どうしから出来ているが、ロマサガのマップと地名にあるキャラが動く舞台の関係のように、それらは駅にある奇妙な模型の中でつながっている。街が全くバラバラに見えるというのは、移動のシーンが少ないか、あったとしても背景がぼやけていたり暗かったりするせいだろうと思う。ある場所と違う場所どうしのつながりが薄くみえてしまうが、彼の記憶もそうなのだ。この映画自体、温人の『インサイドヘッド(kitlog: ヨロコビとカナシミのモーニングワーク インサイド・ヘッド)』といっても過言ではないかもしれない。
物語は彼の子供時代から始まるが、親子四人車を移動しながら中でなにか深刻な話をしている。父親(松重豊)が母親(木村佳乃)にむかって「子供が怪我をしたんだぞ」「全部お前のせいじゃないか」と怒鳴っている。後ろで子供二人がその様子を伺っている。子供が誰か怪我をしたらしいが、後部座席の子供らに何か変なところはない。誰か他の子供の話なのかと思うものの、その間に父親と母親の雰囲気はどんどん悪くなり母親は「止めて」といって車を降りてしまう。母親を置いて車は出発するが、温人は父親に止めてとぐずり母親を連れ戻そうとする。車を降りた温人は途中で母親が落とした手袋を拾い、それを彼女のもとに届けるが母親は「また取りに来るから持ってて」といってその場を去ってしまう。
それから20年がたって温人は星ガ丘駅の駅員かつ落し物預かり係として働いているのだが、奇妙なことに彼は落し物の持ち主がどういった人物か落し物を見ただけで分かるのだそうだ。彼は落し物を見て何かひらめくと紙に鉛筆で落とし主の顔をを想像して描き、それを落し物に結びつけておいて落とし主が現れたらそれらが似ているか密かに答え合わせをして、それを仕事をする上での些細な楽しみにしている。映画は「夢」のメディアだから基本的にはなんでもありだが、やはり理屈をつけたくなる。この映画は二つの手袋やスノードームや不釣合なニット帽など様々な象徴的なものが散りばめられていて、ファンタジックというか現実的なように見えて現実離れしたような印象を受ける。それが彼の記憶の曖昧さと調和して見えるので、映画自体が主人公の脳内とか記憶そのものと言った風に見たほうがいいのだろうと思う。とすると、この映画の中で落とし物とは彼の失った(落とした)記憶そのものかそれを知らせるものである。彼は落し物を預かることで自分のことを思い出しているのだ。
ある日温人はスノードームがついたキーホルダーを拾う。それについて何かを思い出そうとする(紙に落とし主の似顔絵を描こうとする)がうまく焦点を結ぶことができない。しばらくして、星ガ丘ワンダーランドで母親が自殺したという知らせが届く。彼は母親が手袋を取りに来るのをずっと待っていたのだが、それは叶わなかった。霊安室に赴いた温人は母親に家族が泣きついている様子を見るのだが、私はそのシーンが最初見たときよくわからなかった。この母親の死体を取り囲んでいる人たちは一体誰なのだろうかと。温人の背景はぼやけている。彼は母親のことを「良い母親」という風にして、他の記憶を一切閉じ込めていた。母親は温人らの家族から離れて、別の家族のもとで暮らしていたのだ。彼のもとに落し物の傘がないかという風に訪ねてきた母親がいるのだが、駅での保存期間が過ぎていて傘をちょうど処分したところだった。彼はその母親が息子の絵が書いてある大事な傘だというのでゴミ処理場までいって探して届けるのだが、その母親は新しい傘に子供がまた描いてくれたのといってその傘を見せびらかす。そのシーンはあとから考えれば、彼の忘れていた別の新しい家族を選んだ母親の記憶の相似形(暗示)だったのかもしれない。
温人は母親が自殺するのはおかしいと思う。なぜなら、母親は高所恐怖症だからだ。高所恐怖症の母親が観覧車にのぼって飛び降りるなんてことはありえないと地元の刑事(杏)に主張する。その刑事は尋ねる「その記憶は確かなんですか?」。確信の持てない彼は、母親が一緒に過ごしていた別の家族の娘七海(佐々木希)と連絡を取る。彼女がスノードーム付きキーホルダーの落とし主で連絡先を一度聞いていたのだ。最初にキーホルダーの落し物がないか訪ねてきた時は母親を奪っていった家族のひとりということで無視をしていたのだが。温人は母親が高所恐怖症だったか七海に尋ねる(?)がそれが全く的はずれなものだと聞かされる。「覚えてないんですか?」温人の記憶には星ガ丘ワンダーランドの観覧車に自分と兄と父の三人が乗っていて、それを下から母親が見て手を振っているというものだった。しかし、実際は三人が観覧車に乗っている間に母親は別の家族と会っていたのだ。それが七海たち三人の家族だった。温人はそのことを全く覚えていなかった。温人はそれを聞いて呆然としていて、七海は咳をしている温人のためにりんごスープをつくって帰り、彼はそんな彼女にひどい捨て台詞で応えることしかできない。
子供二人が駅にある星ガ丘の街の模型を壊しているのを温人は発見する。もしも、星ガ丘が彼の記憶だとすれば、間違った記憶を正すために一旦壊して、それは作り変えられなければならないという風に。同時に今度は七海の弟(菅田将暉)が駅を訪ねてくる。母親の借金の件がどうだとか言って。温人には何のことか分からないが、雄哉の苛つきは温人も苛つかせて二人は喧嘩になり、結果温人は顔にひどい怪我をするのだが、結果彼は思い出す。観覧車に乗った日、母親が別の家族と楽しそうにしているのを見た温人は、観覧車が下まで来ると急いで母親の元へ駆け寄ろうとして、途中の階段で転び顔に大怪我をしてしまう。映画冒頭の怪我をしたと言っていたのは温人のことだった。母親が別のところに行ってしまうが怖かったのだろう。実際に母親が別の家族のところに行ってしまって、温人は傘みたいに捨てられたと思うのが怖かったためそのことをずっと抑圧していた。良い母親だと思おうとしながら別の家族を選んだ母親を恨んでいたのかもしれない。
母親の事件は最後にあっけなく解決する。母親の事故を目撃した子供が警察に名乗り出てきたのだ。それは駅の模型を壊していた子供たちだった。彼らは温人に記憶を作り変えて正すよう促す存在だ。彼らは兄弟でワンダーランドの観覧車にのぼって遊んでいて降りられなくなった。それを見た母親が子供を助けようと思って、観覧車にのぼるも足を滑らせて落ちてしまったのだという。子供の弟の方が温人に告げる。「お兄ちゃん、温人っていうんでしょ?その人が僕に向かってそう言ってたから」温人は母親に見捨てられていなかったのだと、半ば恨んでいたことを恥じて涙を流す。そうして場面は変わり星ガ丘など存在していなかったかのように、それらは山の向こうの遠くの存在になり、温人は映画の冒頭で子供の頃に通った道を歩いて行く。
象徴的なことやモノだらけなので、ほとんど書くことになってしまった。
9/10/2020
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