キズナアイたちのワンダーウォール

京都の歴史ある学生寮「近衛寮」は、一見無秩序のようで、私たちが忘れかけている言葉にできない“宝”が詰まっている場所。そこに老朽化による建て替え議論が巻き起こる。新しく建て替えたい大学側と、補修しながら今の建物を残したい寮側。議論は平行線をたどり、ある日両者の間に壁が立った。そして1人の美しい女性が現れる。
乱される心と秩序。純粋で不器用な寮生たちの青春物語。

京都発地域ドラマ「ワンダーウォール」 | NHKドラマ

木造の歴史ある学生寮が建て替えられようとしている。そこに住む学生たちが大学に抗議に行く。学生たちはそれを修繕しながら使用していきたいと思っている。彼らは集団になって学生課か何かの窓口へ行き、そこの事務員に彼らの主張を伝える。しかし、その事務員はバイトか非正規社員でなんの責任も権限もない人物である。大学にとってその事務員は交換可能な存在に過ぎず、事務員を論難しても事務員を疲弊させるだけで何も事態は変わらない。学生たちは責任のあるものにも権限のあるものにも会うことができない。そういう状況がドラマで描かれ、登場人物たちがその状況知ってどうするのかが描かれる。目に見えて限界は二つある。一つは彼らが大学の手続きにきちんと従って窓口に誘導されていること、もう一つは彼らの集団が学生だけであることである。そのような限界と日本建築で最も窮屈な建築空間の茶室に掲げられた「和敬静寂」という標語の中で、彼らは彼ら同士で窒息し、それでもその中で幸福を見つけなければならないのだろうか。

現代国家の市民は、見通しもきかないほどに厖大で、いくつもの段階の上部機関によって操作されて機能している、官僚機構の手に引き渡されていることを自覚しているが、この上部機関たるや、下部の多くの執行機関自体にすらも、まして、これらの執行機関に振り回されている人間には当然にも、はっきりした姿を見せないでいるのだ。(p125)

カフカについての手紙『ボードレール 他五篇』ヴァルター・ベンヤミン

朝日新聞10月2日

あるコンビニで不満がある男性とただのアルバイトが対立している。男性がお酒を買おうとするとバイトの店員は年齢確認のため手続き的にボタンを押してくれと頼んだ。すると男性が「俺が未成年に見えるのか」と拒んだという。投稿者の店員はこれに対して、なぜ自分にそんなに偉そうにするのか、単にボタンを押せばスムーズに会計がすむではないか、と憤っている。ここでは客とバイトの対立が心理的なもの個人の感情的なものに解消されて、問題は偉いと偉くないといったようなものに矮小化されようとしている。だが、男性が問題にしているのは年齢確認のシステムとそれを考えた本社の責任者やその制度を作ることになった政治システムあるいは政治家である。男性はバイトに文句を言っているように見えるが、実際はその背後にあるものに文句を言っているのだ。なぜこのようなくだらない手続きを増やすのだと。けれどその背後のシステムや人物は問題となったコンビニにあらわれることはない。もしかしたら店員の若者はそのようなシステムが昔にはなかったことを知らないのかもしれない。結果、要領を得ない者同士が対立するという滑稽な場面が現実に登場することになる。

ブロッキング反対派を後押しするような新事実も相次いで判明していた。一つが、米国の司法制度を活用することで、米国のCDN(コンテンツ配信ネットワーク)事業者、クラウドフレア社から、同社のサービスを使っていた「漫画村」運営者の情報を開示させた事例。もう一つは、日本の裁判所が、クラウドフレア社のサービスを使うサイトについて肖像権などの人格権侵害を認め、差し止めと発信者情報開示の仮処分命令を決定したことだ。
……
「漫画村」に作品を勝手に掲載されていた漫画家を原告として、米国の連邦地方裁判所で、漫画村運営者を氏名不詳のまま被告とし、著作権侵害による損害賠償請求訴訟を提起。そして、裁判所から被告を特定するためのディスカバリー(証拠開示手続き)を行う許可を求め、漫画村にサービスを提供していたクラウドフレア社に対し、漫画村に対する課金関係の資料を提出させた

空中分解…海賊版サイト対策検討会はなぜ迷走したか : 深読みチャンネル : 読売新聞(YOMIURI ONLINE) 1/4

政府の有識者会議でコンテンツの海賊版サイトによる被害が大きいとして、ブロッキングが不可避だという声が大きくなっていた。ブロッキングは憲法に違反する可能性が高いが、他に対処法がないため緊急避難としてブロッキングを行うという主張がされていた。しかし、米国で権利者(出版社ではなく漫画家)が弁護士を通してクラウドフレアを訴えればそれで済む話だった。これは、コミュニケーションをとれば問題を解決する者同士が意図的に引き離されていたということではないだろうか。問題が他の論点にずらされていた。権利者でない彼らが解決をブロックしていたのはなぜなのだろうか。コンビニの例に倣えば、文句のある男性は例えばコンビニの本社に文句を言えば良かったのだが、延々とバイトに文句を言わされていた。

(まるわかりノーベル賞2018|NHK NEWS WEB

キズナアイというバーチャルユーチューバーがNHKでノーベル賞の解説のメインキャラクターに選ばれていることが問題になっている。ネットではオタクとフェミニスト、社会学者がキズナアイは性的か否か等とかいう趣味的な問題で盛り上がっているが、私はそれらについてあまり関心はない。なぜならそれらはいずれも、この問題を女性キャラクターやアニメ絵の是非、あるいは社会学の方法といったような一般的な問題に拡散させようとしているからだ。しかし問題として示されているのは「NHKがノーベル賞の解説にキズナアイを使った」という個別的なものであって、「秋葉原が街の解説にキズナアイを使った」とは別のことである。キズナアイがYouTubeで秋葉原の紹介をしていようが、アニメ雑誌の表紙になっていようが大抵の人は構わないだろう。そのことがわかれば「NHKがノーベル賞の解説にキズナアイを使った」ということについて説明できるのはNHKだけだということがわかるだろう。ある表現の説明は一義的にはそれを表現したものが行う必要があり、他の人はそれを推測するしかできない。これについての意見を見ると「NHKは〇〇だからキズナアイを使ったのだと思う」というような言い回しが見られるが、それはNHKがこの企画の意図を説明していないからだ。もし、この問題を深く議論したいのであればNHKにその意図をまずは聞いてみるべきだろう。でなければ、我々はまた学生と非正規の事務員、コンビニの店員と客というような要領を得ないカテゴリー同士の言い争いを繰り返すことになるだろう。

まず分割して統治せよdivide et imperaの原理がある。これは古く、また十分試し尽くされたものであるが、いかなる時代の権力も、あちことに散乱しているばらばらの不平不満が、互いに照合され濃縮されることに驚異を感じたときにはいつでも、好んでこの原理に訴えてきた。受難者が、心配したり立腹したりしていることを、一つの川に流すのを邪魔しさえすれば、すなわち人々が、多くのさまざまな圧制にそれぞれ別個のカテゴリーの被害者として苦しむよう仕向さえすれば、どうであろう。そうなれば、川が一つにならないように支流の向きはそらされ、種族間やコミュニティ間の敵意が過度に高まるなかで、反抗のエネルギーは消え失せ、たちまち使い果たされてしまうであろう。……貧しい者同士が戦うことほど、豊かな者にとって喜ぶべきことはない。(p155,156)

コミュニティ』ジグムント・バウマン
10/31/2019
更新

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