失われた因果性を求めて イコライザー2

昼の顔と夜の顔を合わせ持つ元CIA エージェント、ロバート・マッコール(デンゼル・ワシントン)。昼はタクシードライバーとしてボストンの街に溶け込み、夜は冷静残虐に悪人を始末していく。彼の“仕事請負人=イコライザー”としての顔は誰も知らない。ただひとり、CIA時代の上官スーザン(メリッサ・レオ)を除いては。だがある日、スーザンがブリュッセルで何者かに惨殺される。唯一の理解者を失い、怒りに震えるマッコールは極秘捜査を開始。スーザンが死の直前まで手掛けていたある任務の真相に近づくにつれ、彼の身にも危険が。その手口から身内であるCIAの関与が浮上、かつての自分と同じ特殊訓練を受けたスペシャリストの仕業であることを掴む。今、正義の《イコライザー》と悪の《イコライザー》がついに激突する!

映画『イコライザー2』 | オフィシャルサイト | ソニー・ピクチャーズ

イコライザー2
(映画『イコライザー2』予告(10月5日公開) - YouTube

第二次世界大戦後、マイネッケは、過去四十年間に亙るドイツの不幸を偶然の連鎖――カイザーの虚栄心、ヒンデンブルクがヴァイマル共和国の大統領に選出されたこと、ヒトラーの偏執狂的性格などなど――に帰しておりますが、これは自国の不運にうちひしがれて偉大な歴史家の精神が破産したことを物語るものであります。歴史的事件の絶頂でなく、その谷底を進んで行く集団や国民にあっては、歴史におけるチャンスや偶然を強調する理論が優勢になるものです。試験の成績なんか宝籤のようなものさ、という見解は、いつも劣等生諸君の間で人気を博するものであります。(p147,148)

あることを不運として描くのは、その原因を究めるという面倒な義務を免れようとする時に好んで用いられる方法であります。誰かが、歴史は偶然の連鎖です、と私に向かって語ったといたしますと、私は、この人が知的に怠惰なのか、知的生命力が弱いのかと思うでしょう。(p150)

歴史とは何か』E.H.カー

ブリュッセルで自殺に見せかけて夫婦が殺害される事件が起きた。犯人はマッコールと同じ、元CIAのエージェントたちだ。彼らは失業したものの他に受け入れてもらえるところがなく、殺し屋になった。リーダーのヨーク(ペドロ・パスカル)だけはおそらく情報を得るためだろう、CIAに在籍している。他の三人が主な実動部隊だ。彼らは依頼人から渡された紙に書かれた名前の人物を殺しに行く。それだけだ。CIAはその事件の真相を探っていた。マッコールの親友のスーザンもCIAとして調査していたのだが、彼女も真相に近づいたとしてヨークに口封じのために殺されてしまう。スーザンの死を知ったマッコールは血相を変えて、CIA時代に身に着けたあらゆる手段を使ってスーザンの死の真相を暴こうとする。彼は暗殺などの危機を回避して、ヨークに辿り着く。マッコールがヨークの家に行って、ある証拠とともにそのことを問い質すと彼はそれを認めた。彼は殺し屋になった経緯を話し始めた。そして彼の世界観のようなものも口から溢れる。「世の中には善も悪もない。ただ不運があるだけだ。たまたま紙に書かれた名の人物を殺すだけだ」マッコールが「スーザンは?」と問うと「彼女も不運だった」という。ヨークは精神が破産している。彼は依頼を絶対視し、それを邪魔するものや自分の不利になりそうなものの口を封じる。その依頼が降ってくる紙のところで因果の糸は切れている。その因果を探るのがCIAの仕事だが、彼はそのことをもう諦めている。そしてなぜ殺されたのか分からない人間を増やそうとしているのだ。因果の糸を切るのが彼の仕事だ。自分が誰にどういう意味で依頼されているかを知らず、何が起こっているのかわからないという彼の状態が増殖していく。

新しいコスモポリタン・エリートが居住する脱領域的な領域は、十分な規定、十分な組織、十分な規制を欠き、恒常的にアノミー〔無規制状態〕化しており、確実性や安全性――とりわけ「何が起ころうとしているのかが確実に分かる」という安心感――がこれほどまでに崩れた社会的環境は、類を見ないからである。「崩れている」と言うと、この確実性の残滓を買いかぶることになるかもしれない。古い地図が時代遅れになって、不案内な土地について信頼できる位置づけを提供してくれない、というわけではない。むしろ陸地測量が行われたことはなく、それを行う役所もまだ作られておらず、近い将来作られることもなさそうだというのが実情である。(p93)

コミュニティ』ジグムント・バウマン

マッコールはヨークに復讐を誓う。彼はヨークたちの不確実な不運の世界よりももっと不確実で不運な世界に敵を誘い込む。マッコールはハリケーンが迫っている自分の故郷を戦場とした。今度はヨークたちが何が起こるかわからない視界不良に陥る番だった。マッコールは荒々しい自然を味方につけるような形で、1対4の劣勢をはねのける。彼は不確実性を一瞬だけ利用して世界に確実性を回復させる。

権利上の個人がコミュニティを追求するとすれば、倫理的なコミュニティであって、それはほとんどあらゆる点において、各種の「美的」コミュニティの対立物にあたる。倫理的コミュニティは、長期の関与、譲ることのできない権利と揺るぎない義務から作り上げられる必要がある。永続性が期待できる(制度的に保証されていれば、なおさらよい)からこそ、未来を計画したりプロジェクトを構想したりするときに、既知の変数として扱うことができるのである。そして、コミュニティを倫理的なものにする関与は、「友愛の分かち合い」といった類のものであり、個人の生活とは切っても切れないリスクであるところの錯誤や不運について、すべてのメンバーがコミュニティから保証を受ける権利をもつことを再確認する。(p110,111)

コミュニティ』ジグムント・バウマン

殺し屋にならなかったマッコールはLyftというUberのような配車サービスで運転手をしていた。彼は乗客や隣人に困った人を見つけては助けていた。彼はアメリカからトルコに高飛びした誘拐犯を探し出し、近所の本屋のもとに娘を送り返す。通常では助けられない、解決がうやむやになってしまうどうにもならない距離だ。彼はドラッグを飲まされレイプされたらしき乗客の犯人を痛めつけ、警察に突き出す。彼は夢をなくしてギャングに入りかけた隣人をすんでのところで救出する。彼は殺しを遂行するためにドラッグを吸わされそうになっていた。ドラッグは意識を混濁させ、記憶力や判断力を奪い因果性を外から見たり探したりしにくくする。ドラッグのために自分が何をしていたのか何を考えていたのかを言うことができない可能性があるからだ。それは一種の口封じである。彼は妹を探している老人を手伝う。その老人の訴えは周りから「ただ寂しさを紛らわしているだけ、妄想だ」と決めつけられていたが、マッコールはその老人が持つ証拠から姉を探し出し、その老人の訴えが妄想ではなく因果性があることだということを証明する。

すでに十分にのべたような有閑階級の生活様式の特徴のなかでも、この階級の知性的関心を、科学の内容を形づくる諸現象の因果系列とは別の題目にふりむけるように作用するものもある。この階級の生活の特徴となっている思考習慣は、人格的な支配関係や、名誉、価値、功罪、品性などのような第二次的、差別的な観念を基礎として動いている。科学の主題を形づくる因果系列は、このような観点からは、とらえられない。また、世間的声価は、世俗的に有益な事実にかんする知識には、ともなわない。この点から、おそらく、金銭的もしくはその他の名誉ある功績についての差別的比較の関心が、有閑階級の注意を占め、認識的関心がおろそかになるということがおこりがちとなるにちがいない。(p355)

有閑階級の理論』ヴェブレン 
9/10/2020
更新

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