すべての日を二回目のものとして アバウト・タイム

「ラブ・アクチュアリー」のリチャード・カーティス監督が、タイムトラベルを繰り返す青年が本当の愛や幸せとは何かに気づく姿を描いたロマンティックコメディ。イギリス南西部に住む青年ティムは自分に自信がなく、ずっと恋人ができずにいた。21歳の誕生日に、一家に生まれた男たちにはタイムトラベル能力があることを父親から知らされたティムは、恋人を得るためタイムトラベルを繰り返すようになり、やがて魅力的な女性メアリーと出会う。しかし、タイムトラベルが引き起こした不運によって、その出会いがなかったことになってしまい、再び時間をやり直したティムはなんとか彼女の愛を勝ち取るが……。
アバウト・タイム 愛おしい時間について : 作品情報 - 映画.com



監督デビュー作「ラブ・アクチュリー」を世界中で大ヒットさせ、2作目「パイレーツ・ロック」 で音楽ファンの心も射抜いたカーティスだが、今回の映画を最後に監督から退くことを発表した。まだ監督3作目にも関わらず、その決断にいたった理由につい て尋ねると、「答えは映画の中にあるよ。歳をとるにつれて、何気ない時間の大切さが身にしみてくるけど、監督をしながら日常のありがたみを実感することは 困難だ。2年間近く作品に没頭するからね」とのこと。

「私は監督をする前から、脚本家、編集者としてたくさんの映画に関わってきた。だか ら、もうそろそろいいだろうと思うようになったんだ。私の父は普通の仕事をしていて、ある年齢に達してリタイアした。私も父のような選択をしたいと思った んだよ。この映画の撮影中、とても暑い日に100人近いスタッフと海辺のシーンを撮った後、(ティムの父役を演じている)ビル・ナイとビーチを歩きながら、“今度は2人だけでのんびり散歩しよう”と約束した。これからは愛する人たちと、より多くの時間を過ごしたいと思っているよ」

とはいえ、人気脚本家としての仕事は今後も続く。先頃、カーティスが執筆した2本の新作が完成したばかりだ。「1本は、スティーブン・ダルドリーが監督し、ブラジルで撮影したポルトガル語のアクション映画『トラッシュ(原題)』。3人の少年がゴミ箱から拾った財布が、政府を巻き込む騒動に発展する作品で、子供版『ボーン・アルティメイタム』だね。3人の少年はリオで貧しい生活を送っている演技未経験の新人で、ほかにルーニー・マーラマーティン・シーンが出ているよ。あともう1本、ダスティン・ホフマンジュディ・デンチ主演のテレビ映画『Roald Dahl's Esio Trot(原題)』も撮影が終わったところだ」
アバウト・タイム 愛おしい時間について インタビュー: メッセージは“How to be happy” リチャード・カーティスが監督引退作を語る - 映画.com

あらすじにもあるように、ティム(ドーナル・グリーソン)とメアリー(レイチェル・マクアダムス)は一度、目の見えない人がウェイターをやっている真っ暗闇のレストランで出会う。日本でもダイアログ・イン・ザ・ダークというアートイベントみたいのがあったが、ああいうところで彼らは出会う。画面は暗闇の中で字幕だけが浮いているのでほとんどネットでチャットをしてるだけのように見えて、これはちょっと前のネットの比喩なのかもしれない。今はFacebookがあるので、ネットで顔が見えないということに一般性があるかはわからない。

『ダイアログ・イン・ザ・ダーク(DID)』とは、アテンドと呼ばれる視覚障害者の方のサポートのもと、定員8人で一組のグループを組んで、一筋の光もささない真っ暗闇の空間を進んでいくといったプロジェクト。

暗闇の中には、日常生活におけるさまざまな“場面”や“道具”が設定されていて、手で触ったり、匂いを嗅いだり、音を聞いたり、舌で味わったり……視覚以外の触覚、嗅覚、聴覚、味覚を使って体感していきます。

このDIDは、1989年にドイツのアンドレアス・ハイネッケ氏の発案により誕生。以来、ドイツをはじめとしたヨーロッパ諸国、米国、メキシコ、韓国、イスラエルなど世界25カ国120都市で開催、600万人以上が体験しているという。
『ダイアログ・イン・ザ・ダーク』に参加してきた - Excite Bit コネタ(1/3)

そこで一度出会い良い雰囲気にもなり連絡先も交換したのだけれど、帰宅するとティムが住まいを頼っている演劇脚本家ハリー(トム・ホランダー)が「役者がセリフを思い出すのに30分もかかった」とか言って、自分が本を書いた劇が失敗してうなだれている。ハリーの話を聞いたティムは彼を助けるために今日の時間を戻す。メアリーと会うはずだった時間にハリーと舞台を見に行き、台詞を忘れてしまうことになる役者に忠告をしたり、その後も別の役者が大事なシーンの台詞を忘れてしまい、目を見開いて「やべえ」という顔をして棒立ちしているのを助けたりして、舞台の失敗をなかったことにする。ハリーは演劇のタイトルにかけて「その才能が罪」と批評され大成功をおさめるのだが、一方でタイムトラベルの結果ティムとメアリーの出会いは無かったことになってしまう。「ダサい携帯電話が宝物になりそう」といって交換した彼女の連絡先がアドレス帳から消えているのだ。ここで、私は勝手に『エターナル・サンシャイン』を思い出してしまい(DVDだと気が散るので)、ティムのタイムトラベルの結果としてメアリーからティムの記憶は消えてしまったものの、それでもまた運命的にまた出会うのかと予想した。それ以降の展開は予想とは違って、ティムのやり方は結構強引で驚いてしまった。

タイムトラベルで消えてしまった暗闇での出会いの日から一週間後くらいに、ティムとメアリーは再び出会う。ティムはメアリーがケイト・モスを好きだというのを暗闇で聞いて覚えていたので、一週間の間ちょうど開催されていたケイト・モスの展覧会で待ち伏せをする。一週間ほど待ち伏せて、ようやくティムはメアリーと再会するがメアリーにはティムの記憶は当然ない。二人が出会った日はタイムトラベルの結果、なかったことになっているからだ。しかもティムにとって悪いことにメアリーには彼氏ができていた。彼とは暗闇のレストランの少し後くらいのパーティーで知り合ったのだそうだ。それを聞いてティムは無茶苦茶なことに(と私は思ったのだが)そのパーティーまでタイムトラベルをして、その彼とメアリーが出会う前に話しかけ、彼からメアリーを奪っていく。もちろん、その彼になるはずだった男は何も知らないのだけど。

時間を操作して、何かを成し遂げるというのは、映画の画面を見てる上では面白いと思う。なぜなら、人の成長が見やすいからだ。テイク1、テイク2と同じ場面を繰り返すにつれて、彼は学習し違うことを行う、そして成功する(しない場合もあるが)。その過程で今まで光が当たらなかったものに光があたったりする。そのことが画面に明確に現れる。だから面白いというのはわかる。確かに面白い。しかし、

二五(10)個人の行為について、他人に関係のある部分と自己のみに関係のある部分とを分つことが果たして可能であるか否か、またミルの時代にそれが可能であったとしても、今日においてそれが可能であるか否かは、『自由論』について最も頻繁に論議された点である。ミル自身もその難問であることを承知していたことは、序説中の後節において、また第三章において充分にそれを示している。 

自由論 (岩波文庫)』ミル p238,239脚注

時々ティムが何を考えているのか、何を感じているのか分からなくなる。ティムは友人のローリー(ジョシュア・マクガイル)と演劇を鑑賞したあとの劇場内で初恋の相手のシャーロット(マーゴット・ロビー)を見つける。当然話しかけに行くのだけど、彼女と一緒にいた友人との関係でめんどくさいことが起こって、その話しかけたことをなかったことにして(もちろんタイムトラベルで)劇場を出ていってしまう。けれど、ティムとシャーロットは劇場の外で偶然出会ってしまう。『エターナル・サンシャイン』を事前に想起した私としては、こっちの方も何かあるのかと思ったが、ティムはシャーロットの部屋の前まで来て、用事があると言って逃げ出し、走り、メアリーのもとまで走り、彼女に結婚してほしいと告白する。この一連のシーンはティムが何を考えているかとか何を感じているかについてはなんとなく分かる、というか想像できる。

問題はその後だ。その告白は一度目は些細な失敗に終わらせる。メアリーが眠い…と言ってなんとなく取り合わなかったからだ。そこで彼は時間を戻してもう一度告白し成功する。その後で、彼は後ろのドア用のカーテンを開けると楽器を持った集団とともにローリーもいる、ティムは彼らに告白用のBGMを演奏してもらっていたのだ。メアリーにはそれはラジオと言ってある。ここは些細なギャグシーンなのだがなぜかとても気になる。問題はなぜそこにローリーもいるのかということだ。ティムがシャーロットの部屋に行きかけた時空では、ローリーはティムとシャーロットが出会った直後に彼らと別れて帰っている。だとすると、ティムはどこまで時間を遡ったのだろうか。それが全くわからない。シャーロットの再会はなかったことになっているのか、演劇鑑賞自体なかったことになっているのか。彼は一体何を経験しているのだろうか。もちろんあらゆる映画において省略はつきものだが、ある経験がちょっと前には存在したにも関わらず、次のシーンではなかったことになっているかもしれないというのは省略ではなく消去でそれについてどう考えればいいのかよくわからない(もちろん映画鑑賞中にそんなことを考えてる時間はないのだが)。この時点ではティムはタイムトラベルで他人の経験を奪っていることに余りにも無自覚だが、それがなぜかわかりにくい。

ティムはタイムトラベルの不必要さや限界を徐々に知っていく。ティムとメアリーの結婚式は嵐のために野外でのパーティーが台無しになってしまったが、メアリーがそれでもいいのというので、ティムは時間を戻さなかった。もし時間を戻していたら、父親の(ビル・ナイ)スピーチは聞けなかったかもしれない。限界については妹の事故後の経験で知る。彼の妹キットカット(リディア・ウィルソン)はなんというか、昔から陽気なようでいていつも目が死んでいるような女性で、男運が無いとか色々あるけど、とにかくティムから見てあまり幸せそうでない妹で、ティムはそれをなんとかしてあげたいと思い、キットカットと一緒に過去へ戻る。そして、現在付き合っているジミーと過去で出会わないようにしてから、現在に戻ってくる。彼女はティムの悪友のジェイとつきあって幸せになったのだが、過去が変わったことでティム自身の現在も変わってしまった。具体的には彼の娘ポージーが息子に変わったいたのだ。父親に相談すると要するに子どもが生まれる直前に戻ると精子と卵子が出会うほとんど天文学的な確率がほんのちょっと撹乱されただけで、子どもの性質が変わってしまうのだという。その自然の選択についてティムができることは何もない。ティムは娘のために妹を過去から更生させるのを断念し、今からやり直すように言う。「ジェイはいいやつだ」と。

ティムは映画の終わりにタイムトラベルがもう必要ないと悟っていう。

Tim: And in the end I think I've learned the final lesson from my travels in time; and I've even gone one step further than my father did: The truth is I now don't travel back at all, not even for the day, I just try to live every day as if I've deliberately come back to this one day, to enjoy it, as if it was the full final day of my extraordinary, ordinary life.
9/10/2020
更新

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