ノスタルジーと秘密 ジョジョ・ラビット

舞台は、第二次世界大戦下のドイツ。心優しい10歳の少年ジョジョ(ローマン・グリフィン・デイビス)は、空想上の友だちのアドルフ・ヒトラー(タイカ・ワイティティ)の助けを借りながら、青少年集団ヒトラーユーゲントで立派な兵士になろうと奮闘していた。


しかし、ジョジョは訓練でウサギを殺すことができず、教官から”ジョジョ・ラビット”という不名誉なあだ名をつけられ、仲間たちからもからかわれてしまう。


そんなある日、母親(スカーレット・ヨハンソン)とふたりで暮らしていたジョジョは、家の片隅に隠された小さな部屋で、ユダヤ人の少女(トーマサイン・マッケンジー)がこっそりと匿われていることに気付く。ジョジョの頼りとなるのは、ちょっぴり皮肉屋で口うるさいアドルフだけ…。臆病なジョジョの生活は一体どうなってしまうのか!?


ジョジョ・ラビット - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ | Filmarks映画

映画『ジョジョ・ラビット』公式サイト

ジョジョ・ラビット
JOJO RABBIT | Official Trailer [HD] | FOX Searchlight - YouTube

ナチズムの台頭とノスタルジー

「生きるための闘争は、自然が人間に課した運命である」とするダーウィンの進化論(1)も重視された。《闘争の喜び》は精神の充実であるとみなされ、本能の開放、本性の重要性も称揚された。このような、いわば非合理的ロマン主義の風潮のなかでは、火、夜、山といった原初的な力の概念が大きな意味をもっていた。冬至夏至の儀式、野外キャンプ、集団をなしての放歌高吟、口頭による政治教育などが奨励されたのも非合理的ロマン主義の風潮を反映したもので、これらの活動をつうじて総統の生命、人格、業績がたえず称賛された。歴史の話といえば、アルミニウス、ヴィドゥキント、フリートリッヒ大王、フリートリッヒ一世、アンドレーアスホーファーなどゲルマン民族がうんだ英雄たちの業績がきまって引き合いにだされたものである。と同時にナチズムは、第三帝国を破壊しようとする者、ユダヤ人、共産主義者、ドイツを敵視する外国などへの憎しみを国民にふきこむこともわすれなかった。(p94,95)


(1)実際には、人類の優劣は不変であると信ずるナチズムの考え方は、ダーウィンの進化論とはあいいれない概念であった。

ファシズム』アンリ・ミシェル

子どもたちが山でキャンプをしている。ナチスの兵士になるためだ。体力の基礎的な訓練や模擬的な戦闘、ドイツの歴史やナチスが考えるユダヤ人の実態などの講義が行われている。夜になって焚書を行い、彼らは本に書いてあるような過去のこと、現在を批判可能にするような過去ではなく「今、ここ」だけを見るように、そのほかのことはナチスの教育を頼るように強制される。


戦闘の訓練をしているときにジョジョはヒトラーユーゲントの先輩に目をつけられる。彼だけが怯えていて消極的に訓練に参加しているように見えたためだ。ジョジョたち訓練生が集められ、「戦争では人殺しをしなければならない、人殺しを恐れてはならない」といわれ練習としてウサギを殺すことがジョジョに命じられる。ジョジョは「人殺しは大好きだ」と口で言って見せるが、ウサギを殺すことができず逃がそうとして先輩や皆に臆病な「ジョジョ・ラビット」だと笑われて、彼はその場から立ち去ってしまう。


ジョジョが林の中で一人落ち込んでいると、イマジナリーフレンドのヒトラーがあらわれて、ジョジョを慰める。ヒトラーは「言いたい奴には言わせておけばいい。私だっていろんなことをさんざん言われた。」といったあとで、「本当はウサギは臆病ではなく、ライオンなどのように勇敢で強いのだ。ウサギになれジョジョ」といって励ます。ジョジョが臆病で弱いことに変わりはないし、ウサギがライオンやサイと対等なくらい強いとは思えないが、ジョジョはそのことで自信を取り戻す。ウサギが弱いと認めなければいいのと同じように、自分も臆病であると認めなければいい。どこかにライオンを倒すことのできる「完全なウサギ」、ウサギのノスタルジーを具現化したものが存在するかもしれない。ジョジョは訓練生たちが手榴弾の訓練をしているところに文字通り飛び入りで参加し、教官の手榴弾を奪って林の向こうへ投げようとする。しかし、手前の木に当たってしまい、跳ね返ってきてジョジョの足元に落ち爆発し、ジョジョは顔に傷を負い足を引きずる大けがをしてしまう。ジョジョの敗戦である。ウサギを殺せなかったことで逃げたのが敗戦で、これはその結果かもしれない。


ナチズムの誕生をうながした出来事としては、一九一八年のドイツ敗戦、《三〇年代の経済恐慌》、それになによりも、有能な扇動家、アードルフ・ヒトラーの登場をあげなければならない。だが、それ以前から、全体主義の台頭をうながすかずかずの要因がはたらいていたのも事実である。民族の統一をはたしたのが他の国々よりもおそかったドイツでは、そのかわり、いったん統一の動きがみえはじめると、その速度ははやく、その方法もまた強引であった。国内の工業化にしても、出発はおそかったものの、その速度は急であった。それやこれやで、当時のドイツ国民のあいだには、一方にすべてに生産性を尊重する気風があったものの、全体として過去への郷愁が根強く蔓延し、がっちりした組織をそなえた民族共同体の必要がさけばれるようになっていたのである。このような風潮のなかでは、神秘主義を基礎とした侵略精神と、力への信仰がつよまったのは無理からぬことといえる。一九一八年の敗戦は、社会主義者とユダヤ人の裏切りによるものとされたが、ともかくも敗戦と、それにともなう領土の喪失とで、ドイツ国民は屈辱感にうちひしがれ、それが国民のなかに民族主義の風潮と、国内の裏切り者や戦勝国への復讐心をうみだす原因となったのである。(中略)


《民族社会主義労働者党》(ナチ党)は民主主義をも敗戦をもがんとしてみとめようとしない数多くの民族主義集団のうちの一つとして、一九二一年に誕生した。(p63,64)


ファシズム』アンリ・ミシェル

ジョジョは自爆によって障害を負ってしまうが、この映画では意図的に多くの障害者が画面に映っている。ヒトラーユーゲントの教官クレンツェンドルフ(サム・ロックウェル)は戦争で片目を失って、戦地へ行けずに子どもたちに教える側にまわっている。彼は訓練生の前で、片目を失っても自分は優秀だといって銃の腕前を披露し「両目のやつにこんなことができるか」と強がっている。彼の障害は同時にドイツの劣勢を物語っており、彼自身ドイツの将来について悲観的な予測をしている。彼はウサギはウサギだとわかっている。他にも訓練生がプールで着衣で泳ぐ練習をするシーンがあるが、そこでは足や腕を失ったものたちが療養しておりプールサイドで彼らを見つめている。彼らはノスタルジーとは無縁である。


03.“障害者は生きる価値なし”ナチス・ドイツ|太平洋戦争開戦75年特集 障害者と戦争|NHK 戦争証言アーカイブス

ジョジョ・ラビット
JOJO RABBIT | Official Trailer [HD] | FOX Searchlight - YouTube

ジョジョはいつからヒトラーを見ているのか

「大衆とは、本能のおもむくままに行動する動物みたいなものである。私は大衆を熱狂させたが、それは大衆を政治の道具にするためであった。私は大衆のなかに、政治にとって好都合な感情をめばえさせるのをつねとしており、そうすれば大衆は私のいうあいことばに即座に同調してくるものである。大衆集会の場では、人々はものを考える余裕なぞもちあわせているはずがない」とヒトラーはラウシュニングに語ったことがある。(p90)


ファシズム』アンリ・ミシェル

映画のはじめから、ジョジョにはイマジナリーフレンドのヒトラーが存在している。彼らはそこで「ハイル・ヒトラー」の練習をしている。ヒトラーはジョジョに動物の特徴で人物を評価し、ジョジョに対してヘビの眼やヒョウの勇気、オオカミの強さをもつようにいう。そこでは人間と動物に明確に線が引かれていて、動物は人間が命令する対象である。それはヒトラーに熱狂するための下準備である。ただ、ジョジョの目の前に現れるヒトラーは扇動家というよりはコメディアンのようである。映画は最初からヒトラーが登場していて、そこから過去を回想することがないから、イマジナリーフレンドがいつからいるかということについて明確な答えは出せない。ゲッペルスの映画やラジオによる宣伝がジョジョにヒトラーをヒーロー、あるいは頼りになる存在と見せているということはありうる。ただ、彼の親友のヨーキー(アーチー・イェーツ)はヒトラーやナチスに対しては順応的であるがドライである。ヒトラーを崇拝しているというよりは状況によってナチスはもうダメだなどといったりする。ジョジョはその意味で特殊に見える。それはなぜなのか。


口先にかけてはだれにもひけをとらないほどの雄弁家で、根っからの喜劇役者でもあったゲッペルス博士は、ナチ政権で宣伝部門を一手にひきうけ、歴史上初めてラジオと映画とを宣伝の媒体として最大限に利用してみせた人物である。ビヤホールでの扇動家でしかなかったヒトラーに、予言者、民族の救済者としてのイメージを植えつけるのにみごとに成功したゲッペルス博士は、総統を神格化し、《ヒトラー万歳(ハイル・ヒトラー)》をあいことばとして普及させたばかりでなく、ヒトラーが超人的な本質をそなえた人物であることをドイツ国民に徐々に信じこませるのにも成功した。しかし、そうしたゲッペルス博士の努力は、そうでなくてさえ躁鬱症になやんでいたヒトラーの症状を一層悪化させたこともまた事実であった。(p73,74)


ファシズム』アンリ・ミシェル

ジョジョ・ラビット
JOJO RABBIT | Official Trailer [HD] | FOX Searchlight - YouTube

無意識のアーリア人、秘密のユダヤ人

ジョジョにヒトラーが見えている理由は二つあるのではないかと思われる。理由の一つはノスタルジーで、もう一つは秘密である。


ノスタルジーについていえば、ジョジョの家族は戦争で父親を失っている。彼は戦地で逃亡したことになっており、今も家族のもとに帰ってきていない。同時に、ジョジョの姉は病気で最近亡くなっている。ジョジョはそれ以前の家族の「完全さ」を失って母のロージーと二人で暮らしている。特に父親は死亡が確認されておらず、喪失を感じさせながらも少し期待を残している。そういった曖昧な喪失を埋めるものとして、過去の完全さの感覚を呼び起こすものとして父親のようなヒトラーが呼び出されたのではないだろうか。敗戦を認めずアーリア人の完全さを訴えるヒトラーを信じていれば、ジョジョは父が生きているかもと思えるかもしれない。


秘密の方はもう少し複雑である。ジョジョには父の代わりにヒトラーがあらわれていたが、彼の家には病気で亡くなった姉の代わりもあらわれていた。母のロージーがユダヤ人の女性を匿っていたのだ。ロージーは街中に「ドイツに自由を」といったビラを配るといったような反ナチ運動をしていた。それが彼女の夫の失踪と関係があるかはわからないが関係はありそうである。彼女はドイツが敗北しかかっていることを認識しており、戦争が終わったらダンスや恋愛が大切になるのだとジョジョに説いている。ユダヤ人の女性はジョジョの姉と友人で同じくらいの年齢だ。彼女は姉の部屋の壁の中に隠されていた。そのことが見つかってしまうと、ユダヤ人はもちろんナチスに殺されてしまうが、ユダヤ人を匿っていたものも協力者として殺されてしまう。実際にそのユダヤ人のエルサにジョジョは「私のことをばらすとあなたも協力者として殺される」と脅されてしまう。私はジョジョはこの潜在的な恐怖についてなんとなく知っていたのではないかと思う。家の中に秘密がばれてしまうと、家が崩壊してしまうものが存在していると。それゆえ、その秘密を知らない間にロージーとともに守ろうとしたのではないか。そのために完全なナチス党員に見えるものになろうとして、ヒトラーを心の中に召還したのではないだろうか。


ジョジョはナチスの模範的な存在になりきることで母親を守ろうとした。しかし、そのためにジョジョとロージーの間には悲しい距離ができてしまう。ロージーが愛や自由を語るたびにジョジョはナチス的あるいは唯物論的な考えでそれを斥けようとする。ジョジョのそれは結局ポーズでしかない。無意識に高貴なアーリア人と思われるものを演じているだけなのだ。それゆえエルサに「あなたはナチスなんかじゃない。ただの十歳の子どもで、おかしな衣装を着たいと思っているだけ」と指摘されるシーンがとてもかわいそうで悲しいシーンになっている。


社会的―イデオロギー的空想の最重要課題は、実際に存在する社会のヴィジョン、すなわち敵対的分割によって引き裂かれていない社会、その中の部分どうしの関係が有機的・相補的であるような社会のヴィジョンをつくりだすことである。いちばん明快な例は、いうまでもなく、〈社会〉を有機的〈全体〉として、すなわちさまざまな階級がちょうど手足のようにそれぞれの機能に応じて〈全体〉に貢献する社会的〈身体〉としてとらえる、コーポラティズムのヴィジョンである。「協同組織的〈身体〉としての〈社会〉」というヴィジョンは、根本的なイデオロギー的空想であるといってもよかろう。では、このコーポラティズムのヴィジョンと、敵対的闘争に引き裂かれた実際の社会との距離を、どう考慮したらよいのか。答えは、もちろん、ユダヤ人である。ユダヤ人とは、健全な社会組織に腐敗をもちこむ外的な要素であり異物である。要するに、「ユダヤ人」は「社会」の構造的不可能性を否定すると同時にそれを具現化するフェティッシュである。(p241,242)


イデオロギーの崇高な対象』S.ジジェク

ナチスはユダヤ人が社会を分断しているという。それは間違いだが、それを真だとしたナチスの政策のために、ユダヤ人によってジョジョの家族は引き裂かれてしまっているように見えてしまう。ロージーは愛や自由を語り、ジョジョはそれをナチスから隠すためにヒトラーに傾倒する。そのすれ違いの狭間にユダヤ人のエルサがいる。ロージーとジョジョはともにエルサについて知っているが、大事になってナチスに見つかってしまうのをおそれてお互いにエルサについて語ることができない。


ゲシュタポが理由も言わずジョジョの家を捜索に来た時、ジョジョのナチスへの傾倒が役に立ってしまった。ゲシュタポの一人はジョジョの子供部屋を見て「ナチスに憧れる模範的な子供の部屋だ」といって喜ぶ。それでごまかせるかと思ったが、ゲシュタポはジョジョがヒトラーユーゲントのナイフを持っていないことに気づき、疑いを強める。そこにエルサが亡くなった妹のフリをしてあらわれジョジョにナイフを返す。エルサは最初にジョジョと出会ったときに危ないからとそれを預かっていた。ゲシュタポは怪しむが、身分証を見せて事なきを得た。心配してやってきたクレンツェンドルフがゲシュタポに嘘をついてくれたおかげだ。ユダヤ人の弾圧下にあって、ナチスの嘘のために皆が嘘をつかなくてはならない。


ゲシュタポが帰った後で、現実的な危険を感じたジョジョはエルサに自分たちは友達だと母に言おうといって、三人で協力しユダヤ人が家族を分断している状態を解消しようとするが、母親は広場で反ナチ運動の見せしめのために首をつって死んでいた。ジョジョは勢いでユダヤ人のせいだと言わんばかりにエルサをナイフで刺すが、そこにはあまり力がこもっていない。


たとえば囚人や刑務所の医師のそれのようなディスクールが闘争であるというのは、そのディスクールがせめて一瞬なりとも、こんにちではただ管理者のみが、そして改革論者の仲間たちが占有している刑務所について語る権力を、没収してしまうからです。闘争のディスクールは無意識なるものと敵対するのではない。秘密なるものと敵対するのです。秘密なるものとの対決は、とても頻繁に起っているとはいえないように思われる。だが、それがいまより遥かに数を増したとしたらどうなるか……。《隠蔽されたもの》、《抑圧されたもの》、《言葉にならないもの》をめぐる一連の曖昧な申しあわせが存在し、それは闘争の対象たるべきものを廉価で《精神分析》することを許してしまうのです。(p91)


知識人と権力『フーコー・コレクション4 権力・監禁

ロージーはユダヤ人がたとえ一人でも生きていることが重要だと考えていた。ナチスにとってはユダヤ人が社会の敵として存在していることこそが重要だった。ヒトラーは「もしユダヤ人がこの世にいなかったとしたら、ユダヤ人をつくりだしてでもやっつけてやらなければならない」といっているほどである(『ファシズム』(p96,97))。ユダヤ人がいてもいなくてもユダヤ人を敵として扱い続けることがナチスの考える社会の安定を形成していた。ユダヤ人は魚と交尾をし、頭に角が生えていて、悪魔のような恰好をしている。ジョジョはナチスに貢献するために本を書こうとして、エルサにユダヤ人の秘密についてインタビューをしそれをまとめていた。エルサの言っていることは自分のいる部屋にあるものから連想したデタラメだったが、それを見たゲシュタポはとてもおもしろいと感心していた。そのような空想はナチス政権を維持するために人々の無意識に作用するが、それはユダヤ人がたった一人いれば反証されることである。ユダヤ人がいること自体が秘密であり、空想が現実のように存在するためにユダヤ人は隠されなければならない。そのための弾圧である。ユダヤ人が語らなければヒトラーが前面に出てくる。


ジョジョ・ラビット
JOJO RABBIT | Official Trailer [HD] | FOX Searchlight - YouTube

嘘が明らかになる出会いを

善良なユダヤ人がいるというだけではユダヤ人差別は解消しない。


一九三〇年代のドイツの典型的な個人を例にあげよう。彼は、ユダヤ人は悪の化身だとか、怪物だとか、陰謀家だといった反ユダヤ的なプロパガンダをさんざん聞かされている。だが、帰宅の途中で、隣に住むシュテルン氏に出会う。彼は好人物で、よく晩におしゃべりをするし、子どもどうしも友達だ。この日常体験は、イデオロギー構成物にたいして不屈の抵抗を提供するだろうか。(中略)


もしわれらが哀れなドイツ人が良き反ユダヤ人主義者だとしたら、彼は、イデオロギー的なユダヤ人像(陰謀家だ、策士だ、われらが善良な男を食いものにしている、等々)と、シュテルン氏という善良な隣人にたいするごくふつうの日常体験との間のギャップにたいして、どう反応するだろうか。彼の答は、このギャップそのものを反ユダヤ人主義を援護するための議論へと転化するというものだろう。すなわち、「やつらがどんなに危険か、わかっているのか。やつらの本性を見抜くのはむずかしい。やつらは日常生活では仮面をかぶり、自分の本性を隠している。そして、自分の本性を隠すというこの二重人格こそがまさにユダヤ人の本性の基本的特徴なのだ」と。イデオロギーというものは、初めは矛盾しているように見えた事実さえもが、そのイデオロギーを支持する議論として機能しはじめたときに、真の成功をおさめたといえるのだ。(p97,98)


イデオロギーの崇高な対象』S.ジジェク

ジョジョとエルサの関係は中盤あたりからナチ党員とユダヤ人の関係と恋愛関係の混合物のようだった。ジョジョはエルサにネイサンという婚約者がいると聞いて、ネイサンになりすましてエルサに手紙を送る。リルケの詩が好きだったというので、ジョジョはそれを図書館にまで調べに行く。リルケの詩を見ながらジョジョはエルサに手紙を書く。ヒトラーはその様子を苦々しく見ている。ヒトラーがユダヤ人は洗脳をしてくるから逆に洗脳してやれといって、ジョジョは手紙を書いているのだが。ジョジョは一枚目の手紙にネイサンから来たようにリルケを引用して婚約を解消するつもりだと書いた。ジョジョの予想以上にエルサが傷ついた様子だったので、彼は慌てて二枚目を用意して、一枚目に書いてあったことは嘘だと書いて朗読した。


そのように嘘の手紙の送付が何度か行われるのだが、戦争が終わったあとでジョジョはまた嘘をつく。戦争はドイツが勝った、だからエルサはまだここにいなければならない、と。ドイツが負けてしまえばユダヤ人は自由である。ジョジョは戦争捕虜になりかけたとき「こいつはユダヤ人だ」とクレンツェンドルフに嘘をつかれて解放された。その嘘は関係の行き詰まりをあらわす嘘である点で、ユダヤ人は悪魔だといったような嘘と似ている。しかし、それはナチのイデオロギーからくる嘘ではなく恋愛関係からくる嘘である。ヒトラーはすでに死んでいる。


ジョジョはネイサンに嫉妬していたことを反省して、エルサにネイサンと三人で脱出する計画があるのだという手紙をその場の思いつきで朗読する。「三人でフランスに脱出しよう」と。すると、エルサはネイサンは一年前に結核で死んでいる言い始める。ジョジョはこれまでの手紙を思い直して、自分がエルサのことを好きだと認める。エルサもジョジョのことが好きだと。ただし、弟として。


ネイサンが死んでいると知ってからもジョジョは脱出の計画はあきらめない。ジョジョは外はとても危険だと言いながら、二人で玄関のドアを開けると、米軍が旗を振りながら車で公道を走っている。ジョジョの嘘がばれて、エルサはジョジョにビンタをする。ドイツが勝ったのではないことは一目瞭然、視覚的に明らかだった。エルサを閉じ込めていて洗脳あるいは情報操作をできるような環境ではなくなってしまった。ジョジョはそれを恋愛に利用していたが、そのこともエルサにばれてしまった。ジョジョはビンタを受けて「うん、そうだよね」と自分が下手な嘘をついていたことを納得し、二人はロージーが望んでいた戦争が終わったあとのダンスを始める。ここではもう秘密そのものが真実を知るために動くことができ、語ることができる。


ジョジョ・ラビット
JOJO RABBIT | Official Trailer [HD] | FOX Searchlight - YouTube


9/25/2020
更新

コメント