過去・現在・未来と表情 光をくれた人

戦争の傷跡で心を閉ざし孤独だけを求め、オーストラリアの孤島で灯台守となったトム。しかし、美しく快活なイザベルが彼に再び生きる力を与えてくれた。彼らは結ばれ、孤島で幸福に暮らすが、度重なる流産はイザベルの心を傷つける。ある日、島にボートが流れ着く。乗っていたのは見知らぬ男の死体と泣き叫ぶ女の子の赤ん坊。赤ん坊を娘として育てたいと願うイザベル。それが過ちと知りつつ願いを受け入れるトム。4年後、愛らしく育った娘と幸せの絶頂にいた二人は、偶然にも娘の生みの母親ハナと出会ってしまう――。
映画『光をくれた人』 | 大ヒット公開中



ヤヌスは天上の門衛でありました。彼は年を開きます。それで一年の最初の月は彼の名によってJanuaryと呼ばれます。彼は門の守護神であって、門は必ず二つの道に面しているから、ヤヌスには首が二つあるとされていました。ローマにはヤヌスの神殿が無数にありました。戦争のときにはその主な神殿の門はいつも打ち開かれてあり、太平の世になるとしめられました。ヌマと、アウグストゥスの代にはただ一度しかしめられたことはありませんでした。(p29)

『ギリシア・ローマ神話』ブルフィンチ

ヤヌスには二つの顔があり、一方の顔は過去を、もう一方の顔は未来を見ている。オーストラリア西部、インド洋と南極海の二つの大洋がぶつかる大海の孤島、ヤヌス島と呼ばれるその島に立つ灯台の灯台守になることをトム(マイケル・ファスベンダー)は選んだ。多くの仲間が死に多くの敵も死んだ第一次大戦での心の傷から彼は人生を拒みただ単に生きることだけを望み、誰も傷つけることのない島で孤独に暮らしたいと思ったからだ。彼は灯台守の契約の際にバルタジョウズの町で出会ったイザベル(アリシア・ヴィキャンデル)という女性に過去のことを聞かれる。けれど、彼は無口で無表情で両親のことについては答えるが、ほとんど過去のことについて答えようとしない。イザベルは「それなら未来については?」と尋ねるも、願望や想像については言えるけど未来はそれとは違うものだといってトムはなんとなくはぐらかしてしまう。イザベルは「じゃあ、あなたの望んでいることは?」と聞き、トムは「ただ生きること」だと答える。

トムは過去についても未来についても心を閉ざしている。彼が過去も未来も同時に見るヤヌスの島で働いているにもかかわらず。そんな彼にイザベルのほうが結婚を申し込む。彼女はトムが隠れて暮らしているところを見てみたいというと、トムは規則で灯台守の妻しか島に入れることはできないという。それなら、ということでイザベルは私と結婚してという。トムは冗談だと思い、彼女にそんなことは気が狂っているという。けれど、トムが灯台に戻った後、二人は何度か手紙のやり取りをして、トムはイザベルにプロポーズをし彼らは結婚する。そしてトムとイザベルは灯台のある孤島でたった二人で暮らしはじめる。トムはイザベルとの出会いで感覚や感情を取り戻し始める。トムはそのことをイザベルに手紙で告げ、そのことをとても感謝しているのだという。そこでヤヌスの神が顔を出し始める。彼の未来については、それが願望とか想像といったような言葉の問題ではなく、現実のものとなり、それは感情や表情としてあらわれるようになった。彼の顔の表情は多声的になり、それは過去を表すと同時に未来をも含むような豊かなものとなった。

このような感情の発展を、言葉による抒情詩は描くことができない。というのは、おのおのの言葉は、限定された一つの段階しか意味することができず、そこから生じてくるのは、孤立した心理的スナップの短い断奏(スタッカート)でしかありえないからである。一つの言葉は次の言葉が始まるまで、最後まで話されなければならない。しかし、一つの表情は、すでに他の表情がその中に入り込み、それをじつにゆっくりと呑みこんでしまう場合には、ズットしまいまで残っていなければならないのである。視覚的連続性のレガート(音楽用語。区切らずになめらかに)の中では、過去の表情は現在の表情にまだ続いており、未来の表情はすでに現在の表情の中にふくまれている。そして個々の魂の状態ばかりでなく、発展自体の秘密にみちたプロセスを我々に見せてくれる。それゆえ映画はこの感情の叙事詩を通して、まったく独特な何ものかを生み出すのである。(p75,76)

『視覚的人間』ベラ・バラージュ

彼が感情(それは過去と未来を含んでいる)を取り戻すに連れて、現実に過去と未来が彼に迫ってくる。イザベルは二度目の流産をし、打ちひしがれている二人のもとに一艘のボートがあらわれる。島に漂着したボートの中には、一人の男の死体とその娘らしき赤ん坊がいた。トムはそのことを上に報告してから養子にとろうとしたが、イザベルは島は条件が悪いから養子を認めてもらえない、子供を養護施設に入れないために私が産んだことにしようという。トムは強く反対したが、二度も流産をした彼女のことを思ってか、死体を埋葬し、日誌にもイザベルが赤ん坊を産んだと嘘を書き、赤ん坊をルーシーと名付け、島で育てることにする。けれど、トムは以外にも早くルーシーの洗礼の日に教会でその赤ん坊の母親と海に出て死んだとされている夫と赤ん坊の墓を発見してしまう。トムはもともと戦争が人を傷つけることにうんざりして、誰も傷つけないように孤独に島で暮らそうとしていた。しかし、他人の赤ん坊を無断で育て、しかも本当の母親は赤ん坊が死んだと思って悲しんでいるその実情は、誰も傷つけたくないという彼の意志とはまったく反対のことだった。彼ははじめに匿名の手紙で「娘さんは無事に暮らしています」と伝え、その後灯台の記念式典で本当の母親、ハナ・ポッツ(レイチェル・ワイズ)と会うことになり、そこでイザベルも本当の母親のことについて知り、トムはもう嘘はついておけない、他人を傷つけたままにしておくことはできないとイザベルにいう。彼は将来にわたって嘘をついたまま他人を傷つけ続けることに耐えられなかった。トムは娘が無事な証拠としてボートに落ちていた鈴のガラガラをポッツ家のポストに入れ、それがきっかけでハナの子がトムのもとにいることがバレてしまう。

トムとイザベルのもとに警察がやって来る。トムは船を見つけて「もう終わりだ、ルーシーを本当の母親のもとに返す時が来た」とイザベルにいう。イザベルは「なんでそんなことを…」といってトムに詰め寄る。トムとイザベルは警察署で尋問を受ける。警官はトムの過去を知っている。「戦争で何人も殺したのだろう。それなら後にまた一人殺すのも同じだろう。」とトムがボートの死体の男を殺害したのではないかと警官は疑う。トムは最初から死んでいたという。確かに島に来たとき男はすでに死んでいた。けれど、イザベルはトムがルーシーのことを本当の母親に告げようとしたことを恨んでいた。イザベルはトムに殺人罪まで負わせた。トムはやはり誰も傷つけたくないと思っていた。彼はイザベルの証言に何も反論しなかった。彼女が罪に問われるようなことはできない。牢屋の中からトムはイザベルに手紙を送る。彼はそんな仕打ちを受けてもイザベルに感謝していた。イザベルがいなければトムには過去も未来もないままだった。そして彼は彼女を傷つけたくないのだ。トムはそのことを手紙に記して送った。

イザベルは手紙を受け取ってすぐにはそれを開いて読むことができなかった。トムを恨んでいたからだ。ルーシーがハナのもとに戻されたある日、島やイザベルのもとに帰りたいと思っているルーシーは一人で外出し行方不明になってしまう。疑いは真っ先にイザベルに向けられる。けれど、犯人はイザベルではなかった。単にルーシーが島に帰りたいと思って家出をしただけだった。ルーシーは「灯台を探していた」といったのだという。ルーシーは本当にイザベルのことを慕っていたのだ。そのことを知ったハナはイザベルを赦そうとする。ハナは、ドイツ人であり日常的に差別をされているハナの夫フランクに、それでもどうして幸せなのかと問うたことを思い出したからだ。それは一度赦すことだという。そうしなければ、そのことをずっと抱えて生きることになるからだという。そしてハナは赦した。ここで観客にはイザベルが最初に流産したときのことが思い出される。彼女は流産した後に医者の診察をうけることを嫌っていた。それは自分に何か問題があると分かるのが怖かったからかもしれない。ある日トムは見慣れない人物を連れてきて、イザベルはその人を勝手に医者だと思い家を飛び出してしまった。すると不意にきれいなピアノの音色が聞こえる。彼が呼んだのは医者ではなくピアノの調律師だった。誤解が解けてもちろんイザベルはトムを赦した。ハナに赦されたイザベルは机の奥にしまった手紙を開ける。彼女はトムとともに犯した罪を受けいれることを決意し、嘘の証言をしたこと自分が赤ん坊を育てたいと言ったことを警官に告白した。トムにとってはそれは彼女に最もしてほしくなかったことだが、そのおかげ彼は孤独に殺人罪の刑に服することも免れた。イザベルはルーシーは自分が産んだ子供だという嘘が赦されたあとで、トムが男を殺したという嘘を、それに伴う偽りの人生を未来を抱えることはできなかった。

9/10/2020
更新

コメント