未来が分かるなら メッセージ

言語学者のルイーズ・バンクス(エイミー・アダムス)は湖畔の家に独りで住み、今はいない娘ハンナとの何気ない日常を時おり思い出す。ある日、地球各地に大きな宇宙船のような物体が出現する。ルイーズは、宇宙船から発せられる音や波動から彼らの言語を解明し、何らかの手段でこちらのメッセージを彼らに伝えるよう、国家から協力を要請される。スタッフのなかには、物理学の見地から取り組むよう招集されたイアン(ジェレミー・レナー)もいた。ウェバー大佐(フォレスト・ウィテカー)に急かされながら、スタッフは少しずつ相手との距離を縮めていく。ルイーズは忙しくなるほど、ハンナの思い出が色濃く蘇る。
メッセージ | 映画-Movie Walker

メッセージ
(映画『メッセージ』本予告編 - YouTube

わたしたちの意見が分かれるのは、ある人が他人よりも理性があるということによるのではなく、ただ、わたしたちが思考を異なる道筋で導き、同一のことを考察していないことから生じるのである。というのも、良い精神をもっているだけでは十分でなく、大切なのはそれを良く用いることだからだ。大きな魂ほど、最大の美徳とともに、最大の悪徳をも産み出す力がある。また、きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。(p8)

『方法序説』デカルト

アニッシュ・カプーアの(金沢21世紀美術館 | L'Origine du monde)を思わせるような宇宙船(それはシェル、殻と呼ばれている)が突然地球に姿をあらわす。それも地球上の12ヶ所の地点に同時にだ。正体不明の宇宙船に人類はコンタクトを試みる。その宇宙船は18時間毎に入り口を開け人類を招き入れる。船内には宇宙人が二体いて、隔離された部屋のなかで人間を待っているといった風だ。アメリカはその宇宙人が何を目的にやってきたのかを聞き出すために、言語学者を呼び寄せる。それがルイーズ・バンクスだ。彼女たちは最初は宇宙人の放つ音声に注目していたが、ルイーズの機転で文字でのコミュニケーションをすることを思いつく。ルイーズがホワイトボードに書く「HUMAN」という文字に宇宙人は初めて違った反応を示し、彼らは足から墨のような物質を放出し、空中に円のような模様を描き出した。それは彼らが何らかのコミュニケーションが成立することに希望を持つことができた瞬間だった。宇宙人は七本の足を持つことから、ヘプタポッドと呼ばれた。

ウェバー大佐はルイーズとヘプタポッドとのやり取りに、焦りを感じていた。宇宙人の言葉を理解することはもちろん重要なのだが、宇宙船は他の12の地域にもあり、ヘプタポッドとのコミュニケーションが実質的に国家間の競争状態にある。彼らからより多くのものをより早く引き出すことができれば、その国家は優位に立ち、世界のバランスは崩れるかもしれない。ウェバー大佐はルイーズに「こんな単語をそれぞれちまちま確認する作業をしていて大丈夫なのか、われわれが知りたいのは『What is your purpose on earth?』だけなんだ」といって急かすのだが、ルイーズはそれにデカルトのように答える。『What is your purpose on earth?』がそれを知らないものにとっては簡単な言葉ではないこと、youはあなただけのことではなくあなたたち全員がという意味で理解してもらわないといけないこと、?は疑問文のしるしであることなどなど、それぞれの文法的、意味的な基礎がしっかりしていないと彼らに本質的な質問をすることはできないという。そうしなければ道をそれてしまうという。ウェバー大佐はそれに納得する。しかし、宇宙人相手にそれが可能なのか。

その時に、ルイーズは自分の娘とのやり取りを「思い出す」。彼女はそこで明らかに自分の娘に言葉を教えることを参考にして、ヘプタポッドに言葉を教えていた。彼女は何が地球なのかについて娘に教えた記憶を「思い出す」。言葉の分からないヘプタポッドと言葉の分からない子供はここでは対等というわけだ。宇宙人と子供は同時に到来(ARRIVAL)した。なので、ヘプタポッドとのやり取りを通して、自分が育てた娘とのやり取りが何度も「思い出さ」れることになる。彼女はそれを参考にする。けれど、彼女は独身で娘などいたことがないのだ。これは物語の終盤に明らかになる秘密だが、人間の認識は言語に関わっているという仮説のもとヘプタポッドの言語がルイーズの世界観や認識能力を変えてしまったのだ。具体的には、その言語によってルイーズは過去も未来も同時に見ることができるようになった。彼女が娘の記憶として思い出していたのは、全て未来の出来事だった。(ゼロサムゲームの会話は現在が過去に影響を及ぼしているようなミスリードを誘うようになっている?)ルイーズには光が過去(後ろ)からだけでなく前からもやってくるようにみえる。ヘプタポッドとのコミュニケーション作業での相棒イアンは、ヘプタポッドの言語から光よりも速い装置を作る方法を教えているのではないかと仮定するが、もしかしたら、光より速いものを扱うことのできる言語というのがあるのかもしれない。それにしても光が前からやってくるというのはとても示唆的である。なぜなら、それはサイエンス・フィクションの構造そのものだからだ。それは未来の可能性の姿から現在を照射する。前から光がやってくるというのはSFの自己意識のようなものだろう。

ヘプタポッドの言語の解析が進んだところで、ヘプタポッドは12ヶ所同時に「Use weapon」というメッセージを人類に送る。ここでテキスト解釈の政治性問題が明るみに出てくる。その問題は物語の最初から表れている。宇宙船が地球に出現したとき、人類は何もそれについて考える材料を持っていない。それなのに、人々はそれを宗教的に解釈したり、それらは戦争のためにやってきたのだ、人類を滅ぼすためにやってきたのだなどと、言わば政治的な言説が跋扈しはじめる。しかし実際には何もわからないのだ。それでも、何もわからないから何もしなくていいのかという言説が続き、人々は妄想をふくらませる。宇宙船が出現した頃、ルイーズのもとに心配になって母親から電話が来る。母親が何を言っていたのかは分からないが、ルイーズは答えて「そのメディアは信じないで」という。イラク戦争の教訓もあるらしいが、ルイーズの母親のようにでたらめな解釈、でたらめな洞察力を発揮しているメディアを信じることをやめるよう忠告するような人がいなかったために、ルイーズのいる調査隊の軍人のメンバーが宇宙船を破壊しようとして爆弾を設置するというようなことまで起きてしまう。解釈の政治性は、未来については人は完全に知ることはできないというところから来ている。「Use weapon」という言葉にしても、主語が抜けていて曖昧な言葉だが、誰が使うのか、武器とは何なのか、何のために使うのか、いつ使うのかということが、全く宙に浮いていてそれだけでは固定することができない。それがどういう意味なのかということは結局未来にだけ存在している。しかし、人はそれを待つことができない。宇宙船が武器を使うのなら、何らかの対応をしなければ人類の全滅を意味するかもしれないからだ。ヘプタポッドの「Use weapon」は結局はルイーズが武器を使えということだった。武器とは未来が分かるということである。なぜそれが武器なのかというと、それが言葉の解釈を終わらせることができるからだ。未来がわかった途端に解釈は意味をなさなくなる。多くの解釈は未来においてすでに振り落とされている。

文学批評の領域では、バルトがいったように、「作者は死んだ」ということで言い表すことができます。さらに、角度をかえていえば、「読者」、つまりテクストを解釈する主体、あるいはそれを透過するかのような主体が死んだというのが、ディコンストラクションの批評であると考えてよいでしょう。それは、ある解釈に対して、それを否定して別の解釈を提示するのではなく、それに対立するような解釈を同じテクストから導き出すことにより、その決定不能性によって、いかなる解釈も成立しえないことを示すのです。(p332)

『柄谷行人講演集成 1985-1988 言葉と悲劇』

当然だが未来が分かるということはこのような認識の先をいっている。実際は未来に関する認識、因果性は習慣によるのかもしれないが。

ルイーズはヘプタポッドとのコミュニケーションと未来の自分とのコミュニケーションによって、その言語を完全に理解し過去と現在と未来の時間が一体になったような認識を得る。そして彼女は、娘が生まれるが若くして病気で死んでしまうこと、彼女の夫はイアンなのだが別れることになることを認識する。ルイーズは未来の夫であるイアンに「もし未来が分かるなら、選択を変えようと思う?」と尋ねた。イアンは「もしそんなことができるなら、その時感じたことをちゃんと伝える。」という。ここでは「分かる」ということと「経験する」ことが比較されている。

現に、あなたが明日果たす行動を、どういうふうにおこなうかを知っているとしても、今日思い浮かべてごらんなさい。おそらくあなたの想像はおこなうべき運動を思い浮かべるでしょう。しかしそれをおこなう際に考えたり感じたりする事を今日少しも知ることができないのは、あなたの心もちが明日になると、それまであなたが体験した全生活のほかに、その特別な瞬間を付けくわえることもできるからである。その心もちをそれがもつべき内容をもってあらかじめ充たすためには、今日を明日から隔てている時間をちょうど必要とする。あなたは、心理的生活の内容を変更することなしに、そこから一瞬間だけでも減ずることはできないのである。あなたには一つのメロディーの持続を、その本性をそこなうことなしに縮めることができますか。内生活はまさにそのメロディーである。そこであなたが明日する事を知っているとしても、あなたはその行動の外面的な輪郭だけしか予見することができない。(p23,24)

『思想と動くもの』ベルクソン

この場合、ルイーズは未来のことについて確かなことを知っているのだから、それを普通のわたしたちがするように未来を想像すること同じに見ることはできないのかもしれない。しかし、記憶についてコンディヤックはわたしたちが何かを記憶することができるのは記号があるからで、それ故に記号を知らない(記号どうしの連関が未発達な)幼児の頃の記憶をわたしたちは明瞭に思い出すことができないといっている。

一六九四年に、リトアニアとロシアにまたがる森の中で、熊たちと一緒に暮らしていた一○歳くらいの若者が捕まえられたのである。彼は理性の刻印を全く示さず、四つ足で歩き、一切の言語を持たず、普通の人間の声とは似ても似つかぬ声を上げた。彼が言葉を発するようになるまでには長い時間がかかったし、話せるようになってもなお、その話し方は非常に野蛮なものであった。彼が話せるようになるとすぐに、[熊と一緒に暮らしていた]初期の状態について人は彼に質問した。しかし、ゆりかごにいた赤ん坊の頃のことを我々が思い出せないのと同じように、彼もその頃のことについて何も思い出せなかったのである。(p197,198)

人間認識起源論(上)』コンディヤック

記憶があるとしてもそれは記号的なものにならざるをえない。だから、ルイーズは宇宙船の問題を解決して、イアンと抱き合った時に「この安らぎはひさしぶり」だという。ルイーズとイアンはまだ結婚していないのだから、その「ひさしぶり」は未来の記憶をもとにしたものである。けれど、その今感じていることは記憶や記号とは違う。彼女はすでに「未来が分かるなら……」という問いのイアンの答えを実践しているのだ。それは映画のあらすじを知っているからといって、映画の結末を知っているからといって、それがそのまま映画を観たことになるわけではないのと同じである。もし何かのために映画の結末やあらすじを知ってしまっても、その映画を観ない選択をすることはないだろう。そして、その映画を観た後で、その時感じたことをちゃんと伝えることをしようと思う。

9/10/2020
更新

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