上を見ることと上から見ること ジャングル・ブック
ジャングルにひとり取り残された人間の赤ん坊、モーグリ。死を待つだけの幼き命を救ったのは、黒ヒョウのバギーラだった。彼がモーグリを母オオカミのラクシャに託した時、モーグリはジャングルの子となった。バギーラから自然の厳しさと生き抜くための知恵を教わり、ラクシャから惜しみない愛を注がれ、モーグリは幸せだった。人間への復讐心に燃える恐ろしいトラのシア・カーンが現れるまでは…。「人間は、ジャングルの敵だ…!」果たしてシア・カーンの言うように、人間であるモーグリはジャングルの“脅威”なのか? それとも、ジャングルに光をもたらす“希望”なのか?そして、モーグリを守ろうとするジャングルの仲間たちの運命は…?
作品情報|ジャングル・ブック|映画|ディズニー
(The Jungle Book Official Big Game Trailer - YouTube) |
最近観た映画で似ていると思ったのは『オデッセイ』だった。(RU f- kidding me? or RU f- kidding me? オデッセイ|kitlog)ここで科学はユーモアなのだと書いたが、動物だらけの世界で一人道具を使う人間がいることは、それ自体がユーモアである。
デカルトの『気象学』の冒頭の文は、われわれの世界よりも尊敬すべき天体世界という、アリストテレス的観念を放棄するための文である。天体の機構を構成しようとすれば、冒涜のそしりを招かざるを得なかったように、屍体解剖に反対して、屍体を尊重したならば、人体解剖学の飛躍的発展は不可能だったろう。心理学のほうも科学として確立されるには、あらゆる種類の偏見を打ち破らねばならなかった。実際、このようなさまざまな涜聖は、尊敬というものを深め、それをいっそう純粋に、精神的にするという結果だけをもたらしたのである。
『イロニーの精神(ちくま学芸文庫)』ジャンケレヴィッチ p258,259
主人公の人間、モーグリ(ニール・セディ)は森のなかを狼の子供と走り、黒豹のバギーラ(声ベン・キングズレー)に追いかけられている。が、走る途中に足をかけた枝が腐っていて折れてしまいバギーラに追いつかれる。黒豹は外敵なのかと見せかけてモーグリの師匠のような存在であることが分かる。この冒頭の追いかけっこのシーンは多分今まで観たことがないような疾走感とカメラワークでモーグリが走りながらカメラが近くにいてしかも自由についてきていて驚いた。アスレチックのような空間をブルーバックにして撮っているのだという。モーグリは狼に育てられていた。人間の成長は狼に比べて遅くモーグリは狼の子供に狼としての能力だけを見る限りすぐに追いつかれ追い越されてしまう。そんな狼としては落ちこぼれのモーグリだが、狼たちの母ラクシャ(声ルピタ・ニョンゴ)は彼を自分の子供のように大事にしている。
ある日ジャングルに乾季が訪れる。川は干上がり、川底に水たまりが残るだけになっている。このジャングルには平和協定があるらしく、乾季が訪れてなおかつ川底の目印の岩が現れたら、そこで水を飲む間はどの動物も他の動物を襲わないことがルールになっている。水場を求めて争ってしまうと動物たちが全滅するという危機が予想されるかららしい。動物たちはそのルールを頼りに少なくなった水を求めて、ぞろぞろとその水場訪れる。動物たちは水たまりの水際に並んで水を飲んでいる。そこにモーグリが道具を持って現れ、道具を使って水を飲もうとする。その道具とは井戸にかかっている桶のようなもので、中身をくりぬいたココナツの実のようなものを半分にしたものに縄がついている。それを水たまりに落として水を掬って飲んでいた。ここでその場面を想像してもらいたい。水たまりはどんなものでも必ず閉じた形になるが、単純に円を考えてもらってもいい。その円の水際に動物たちが並んで水を飲んでいる。それを上から見てみると水たまりの真ん中が使われていないことに気づくだろう。モーグリが考えたのはその水たまりの真ん中を使うということである。水たまりの真ん中にココナツの殻みたいなバケツを落として水を掬う。これは単に道具を使ったということ以上のことである。そうすることができるには、動物たちと同じ地上にいながらその光景を同時に上から見ることが可能でなくてはならない。モーグリはそれをやっていた。そのことが、単に3Dの立体性以上の立体性を映画に与えている。しかし、それは狼の掟ではやってはならないことになっている。トリックを使ってはダメなのだ。
似たような場面はすぐに訪れる。モーグリは人間を憎む虎のシア・カーン(声イドリス・エルバ)に襲われ命からがら逃げた先でモーグリとシア・カーンの過去の関係を知る大蛇のカー(声スカーレット・ヨハンソン)に出会い、モーグリはカーに飲み込まれそうになるも熊のバルー(声ビル・マーレイ)に助けられる。バルーは蜂蜜好きで、助けた代わりにモーグリに崖の上の方にある蜂蜜を落としてきてくれと頼む。蜂の巣は崖のかなり上の方にあり、バルーは崖を登るのが苦手なのだという。猿に似ている人間なら崖登りは得意だろというわけだ。モーグリはその依頼を渋々受け入れるが、猿のように崖を登ることはしない。ここでもモーグリは状況を上から見ている。ここでは崖を登るよりも上から降りたほうが楽なのだ。彼は太めの蔦を用意し、それを崖の一番上から垂らし、その蔦を頼りに蜂の巣のところまで降りていく。繰り返すがここでモーグリが行っていることは単に道具を使うということではない。もしもバルーに道具を作る能力だけがあったとしたら、彼は下から大きな梯子などの構造物をつくって蜂の巣にたどり着いていただろう。しかしそれでは効率が悪い。バルーのように下から上を見て崖を登るのは大変だという見方だけではモーグリのような考え方は出てこない。下から上から見ることができてはじめてそのような芸当が可能になるのだ。そして下から上から見るということは動物たちにとっては大変なユーモアである。違った考え方でその状況が大したことがないと表現してしまうのだから。下から登るのは大変だが上から降りたら?
モーグリはシア・カーンに襲われて殺されないように人間の村へ戻ることにしていたのだが、バルーに騙されて嘘の冬眠の準備をさせられていた。それをバギーラに見つかり本来の目的に戻ろうとするが、今度は猿に襲われる。猿は大量にやってきてモーグリをさらい、ルートを微分するようにというかバケツリレーをするように大量の猿はモーグリを次の猿へとパスしていき、彼らのボスのところまで連れて行った。猿たちのボスのキング・ルーイ(声クリストファー・ウォーケン)は人間が使う火、動物たちの間では「赤い花」と呼ばれるものの秘密を知りたがっていた。キング・ルーイはその秘密さえ知れば、つまり火を使いこなすことができればジャングルを支配できると思っている。もちろんモーグリは知らないので「できない」といい、あとから追いついたバルーやバギーラの助けでそこを逃げ出す。しかし、途中でそのことに気づかれモーグリはキング・ルーイに追われることになってしまう。ここでも動物が上から見ていないことが示唆される。キング・ルーイたちは人間のつくった遺跡をアジトにしていたのだが、柱が並ぶその遺跡の中でキング・ルーイは必死にモーグリを追いかける。キング・ルーイはギガントピテクスで身長が約3.7mある。そんなでかいのが狭い柱の空間で何も考えずに追いかけるのでキング・ルーイが移動するたびに遺跡の柱は崩壊していく。そして、自重に耐えられなくなった遺跡は崩壊しキング・ルーイは瞬間上の方に目をやるが既に遅く瓦礫に潰されてしまう。身近にある建物の構造も理解していないのに火をうまく使えるとは思えない。状況を上から見ることができれば、柱を壊していけば上のものが落ちてくるのが分かっただろう。
ここで対比の場面が現れる。モーグリはキング・ルーイから育ての親の狼のアキーラ(声ジャンカルロ・エスポジート)がシア・カーンに殺されたことを聞かされる。モーグリは復讐を思い立つ。そうすると彼はここまでできていたことが急にできなくなる。上からものを見る冷静さあるいは熟慮を無くしてしまうのだ。シア・カーンは人間にというかモーグリの父親に火で顔を傷つけられ人間への復讐を誓っていた。モーグリはそのことをカーに聞かされて知っている。モーグリはキング・ルーイが火があればジャングルを支配できると言ったこともあってか、人間の村までおりていき火を取りに行った。火を手にしたモーグリはシア・カーンのもとへと走る。しかし彼はここまで多くの道具を使ってきたがそれらは彼が自分で発明したもので、それがどういう性質のものかほとんど完全に理解していた。しかし火は違っている。火はどうやっておこすことができるのかモーグリは知らない。火がどういうものなのかよく知っているとは言いがたい。モーグリはそこにあるもの盗ってきただけなのだ。モーグリは火を持ちながらシア・カーンのもとへ走る間に、森のなかに火を落としていく。彼が盗ってきたのは村の門にかかっていた火だが、おそらく鉄の容器にロウや油などの燃料が入っていて火がついているというものなのだろう。彼はその燃料をこぼしながら走っている。火のことを知っていればおそらくやらなかったことだ。モーグリはキング・ルーイと同種の間違いを犯してしまった。復讐の火に駆られてモーグリは動物になっていたのだ。
ジャングルが火に包まれるなか、シア・カーン対モーグリ含め他のジャングルの動物たちという構図ができあがる。ここでもモーグリは動物のままである。狼の掟を守っているのだ。しかしそれではモーグリは全く弱い狼そのもので何の役にも立たないし何もできない。黒豹のバギーラはそれまではモーグリは狼の子供として育てられているのだから狼の掟を守れというのが信条だった。しかし彼はジャングルの外でのモーグリの人間としての資質を認め、モーグリに「狼ではなく人として戦え」といって間違った道から引き戻す。モーグリは以前の蜂蜜をとっていた頃の上から見ることのできるモーグリを取り戻す。モーグリはこの映画で身につけた知識や道具を総動員してシア・カーンと対峙する。上を見ることのできる虎に対して、上から見ることのできる人間として。
9/10/2020
更新
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