自信と優越感 ブルックリン

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大人しく目立たない性格の少女エイリシュは、妹の将来を案じた姉の勧めで、アイルランドの小さな町からニューヨークへとやってくる。それまでとはあまりに異なる大都会での生活に戸惑うエイリシュは、しかし、イタリア系移民の青年トミーとの恋をきっかけに大きく変わっていく。洗練されたニューヨーカーとして生き生きと日々を過ごすエイリシュだったが、そんな彼女のもとに故郷からある悲報がもたらされる。
http://eiga.com/movie/83694/
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この映画で一番良かったところは、トニーがエイリシュを映画に誘ったところで彼女はそれに対して予め「二回チャンスをあげる」という。一回目の映画が趣味に合わなくて悲惨なデートになってもいいように、という意図なのだが彼女がそういったあと少しトニーが半笑いになるような間が置かれていてとても幸せそうに見えると共に、彼女の自信がうまく表されていると思う。もう一度アイラブユーと言ってくれるならのところもよかったですが。

この映画ではブルックリンに向かう道中や寮、職場でエイリシュは様々な女性と出会うが彼女たちは時にエイリシュを馬鹿にしながらもエイリシュを引き上げるようにアドバイスすることを忘れない。寮の女たちはエイリシュに対して、牧場の牛みたいだというが「こうしたらよくなるでしょ」といって口紅や化粧の仕方を教えてフォローすることを忘れない。これは身近にいて軽口もアドバイスも同一人物がやっているからこそ意味があるのだろう。彼女たちはブルックリンで生きていく自信があると同時にエイリシュにここにいてほしいと思っている。

後半エイリシュは姉の死をきっかけに一時的にアイルランドに戻ることになる。トニーは心配からか行く前に結婚しようという。エイリシュは必ず戻ると約束するが約束するなら結婚するのも同じじゃないかといって役所に行くことになる。しかしいざ戻ってみると以前では得られなかった仕事や恋人が簡単に得られブルックリンに出発する前にこうだったらなと思いはじめる。半分恋人のようなジムは町一番の富豪の息子でエイリシュはトニーからくる手紙も読まずにここで暮らし直すことを考えはじめている。

そんなある日、エイリシュは町の売店の嫌味で年老いた女主人から呼び出される。エイリシュは以前にそこで働いていた。老婦人はいう。「わたしにはブルックリンの親戚がいて、彼らがいうにはあなたがイタリア人と結婚届を出すところを見たそうだ」エイリシュはドキッとするもここで強さを見せる。「ここがこういう町だというのを忘れてた。あなたは何がしたいの?私をここにとどまらせたいの?あなたは自分がどうしたいのかわからないんでしょうね。わたしはエイリシュ・フィオレロよ」と言い捨てて、部屋を出てドアを閉める。ドアを後ろにエイリシュは涙を浮かべている。

彼女はなぜ涙を浮かべたのだろう。エイリシュはその老婦人と別れたあとですぐにブルックリンに帰る決意をする。ジムには何が書かれているのかわからないが手紙をおいて町をあとにした。アイルランドに戻ってからのエイリシュは明らかに一度ブルックリンに行っていたという優越感によって行動していた。ジムのような紺のブレザーを着たラグビークラブの一員(?)は以前には憧れだったが、今はそうではなくジムに対して「皆の中でも知的な方ね」などと評価する立場をとっている。海へ行けば、コニーアイランド流の着替えと水着を披露し、町なかでも場違いなサングラスをして近所の人に何アレ?と言われるが全く気づいてない様子だ。彼女はここの人よりなんでも知っていると思っていたがそれが態度に出ていることに気づいていなかった。そこに現れたのがあの老婦人だ。エイリシュが気づいたのは老婦人の言葉の意図が単に優越感によるものではないか、そして私も老婦人のようになってしまうのではないかということではないかと思う。エイリシュは常に姉が目標だったが亡くなってしまった。この町で目標がなくなって知らないうちに意地悪な老婦人のようになる将来が見えたのではないだろうか。老婦人にはブルックリンに親戚がいてそこにも行ったことがあるのだろう。老婦人はブルックリンに戻らなかったエイリシュなのだ。お前の秘密を知っているといって半ば脅す老婦人は単に優越感に浸りたいだけなのだ。ここにいると彼女とそうなることを予見して悲しくなったのだと思う。かつて長い間暮らしていただけに。それにこの町はうわさ話ばかりだ。

エイリシュはブルックリンへ戻る。彼女は他人を前へ進めることをためらわない。船上でかつて自分が受けたアドバイスを自分の経験をプラスして後輩に授ける。トニーは仕事をして待っていた。ロングアイランドに土地を持つ彼らならこのあともうまくやっていけるだろう。




9/10/2020
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