復讐は創造主の手で:密室と荒野 レヴェナント:蘇りし者
アメリカ西部の未開拓な荒野。狩猟中に熊に喉を裂かれ瀕死の重傷を負ったハンターのヒュー・グラス(レオナルド・ディカプリオ)は、狩猟チームメンバーの一人、ジョン・フィッツジェラルド(トム・ハーディ)に見捨てられ置き去りにされたばかりか、最愛の息子を殺されてしまう。グラスはフィッツジェラルドに復讐を果たすため、厳しい冬の寒さに耐え、交戦中の部族の熾烈な襲撃を交わし、約300キロにわたる過酷な旅に出る……。
レヴェナント:蘇えりし者 | Movie Walker
(映画「レヴェナント:蘇えりし者」予告3(30秒) - YouTube) |
歴史の根幹が、(国の歴史を研究する者にとってそうであるように)政治的な物語である限り、意図と現実に起きたこととの不一致は、一般には国の内外での敵同士の政治権力をめぐる思惑の衝突に帰せられるだろう。その結果、歴史家は神の存在などの究極的な問いに自身で答えなくてもよくなった。彼らは、支配層の言動を間近で見聞きでき、同時代の人々が認識していないような要因については考慮しなくてもよかったのだ。
『マクニール世界史講義 (ちくま学芸文庫)』p15 ウィリアム・H. マクニール
良くも悪くもタランティーノ監督の『ヘイトフル・エイト』と多くの点で対照的な印象を受ける映画だった(理念は予め存在し宙吊りにされあとからやってくる ヘイトフル・エイト|kitlog)。『レヴェナント』の方は南北戦争前の『ヘイトフル・エイト』は南北戦争後の時代設定になっているのが大きいのかもしれない。『ヘイトフル・エイト』ではオープニングで雄大な雪原を駅馬車が走る映像がかなり長い時間使われている。70mmフィルムが画面の端から端全てを使って自然の壮大さ雪原の雄大さを表現するが、徐々に密室の方へつまり狭いところへ人工的な空間へと舞台は移っていく。『レヴェナント』ではヒュー・グラス(レオナルド・ディカプリオ)は自然の雄大さや脅威から逃れられることはほとんどない。このことが物語をすすめる上でも重要な役割を果たしている。
グラスのいるアンドリュー・ヘンリー(ドーナル・グリーソン)の部隊は狩猟中に原住民に襲われ、毛皮等獲物より生命を優先させながら川を下ってなんとか逃げのびた。この弓矢で原住民が襲ってくるシーンは圧巻で、夢のなかで急に足下の地盤が消え落ちて目が覚める時と似たような感覚で、目を背けたくなるような矢が画面のこちらまで飛んできそうな矢が部隊を襲う。生き残ったのはグラスと原住民との間の息子のホーク(フォレスト・グッドラック)とヘンリー、フィッツジェラルド(トム・ハーディ)、ジム・ブリッジャー(ウィル・ポールター)ら全部で10名ほど。川下りの途中もそのまま川を下るか途中で降りて山を登るかで部隊は分裂した。グラス達は原住民の縄張りを考慮して山登りのルートを選ぶ。部隊のキャンプ中にグラスは斥候として周囲のルートを警戒して見まわるが、途中熊に襲われなんとか退治するも瀕死の重傷を負ってしまう。部隊のメンバーは最初はグラスを安全な砦までタンカで運ぶのに同意していたが、道が悪くなりグラスの体調も悪化し始めると彼を置いていくことに同意する。隊長のヘンリーはグラスに恩を感じているためか、その場でグラスが死ぬまで看取る3人を金で募集し、息子のホーク、ブリッジャー、フィッツジェラルドが名乗り出る。ホークとブリッジャーは金は必要ないといったがフィッツジェラルドはそれなら3人分もらうぜと言って300ドルと引き換えにそこに残る。フィッツジェラルドははじめのうちは言われたとおり3人でグラスを見ていたのだが、彼らは一応原住民に追われている身でそのために怖くなったのか、グラスを残してその場を出発しようと苛立つ。実際にしばらくしてそこに原住民がやってくるのだ。フィッツジェラルドはグラスが生きた状態で置いていくのは他の二人が納得しないだろうと考え、グラスを殺そうとする。その時にフィッツジェラルドはグラスに「お前が足手まといなのは分かるだろ、もうすぐ原住民らがやってくる。そのことを理解して同意するならまばたきをしろ。」同意を求める。目を見開いていたグラスはしばらくしてゆっくり目を閉じる。それをサインと受け取ったフィッツジェラルドはグラスの口と鼻をふさぎ窒息死させようとするが、グラスの息子ホークに見つかってしまい銃口を向けられる。が、ホークは返り討ちにあいフィッツジェラルドに殺されてしまう。このシーンがこの映画の犯罪である。この場面はホークが死んでしまったことでグラスとフィッツジェラルド以外は誰も見ていない。そこは人が屯している洋品店の密室とは違うのだ。誰も見ていないということが重要だ。
『ヘイトフル・エイト』ではオープニングの広大な雪原を駅馬車が走るシーンでキリストの木像が映る。神は外にいるのだ。そして駅馬車は人だらけの密室へと運ばれていく。人の多い小さな密室であれば人同士で誰かが誰かを見ている、もしくは何か痕跡が必ず残るから人がいればその中で起こったことは比較的容易に把握できる。マーキス・ウォーレン(サミュエル・L・ジャクソン)が探偵のように事態を粗方把握できてしまうために、デイジー・ドメルグ(ジェニファー・ジェイソン・リー)が「ジーザス・クライスト」と叫ぶのを嘲笑って神を軽視するということも理解できる。この小さな密室の中では神がいなくてもすべてが分かるように思えるからだ。しかし、自然のうちではどうか。人々がてんでんばらばらに散在している荒野ではどうか。人物が二人いて二人が何か証拠が残らないようなかたちで口約束で契約を交わしたとすると、それについて誰が保証してくれるのだろう。他に誰も見ていないのになぜそれが成立するのだろうか。『レヴェナント』のフィッツジェラルドも神を馬鹿にするような人物のように見える。お金を優先したり簡単に人を裏切ったり、無宗教だった父親が宗教を信じるようになり神を食ったなんていうエピソードを披露したりする。誰も見ていなければ何をやってもいいのか。バレなければ証拠が消えさえすればどんな犯罪を犯してもいいのか。フィッツジェラルドはイエスとこたえるかもしれない(金庫から奪ったのは300ドルの経費の証拠も含まれるだろう)。それでも最後の最後彼はグラスに追われて対峙した時に「あの時お前がまばたきをして死ぬ契約をしただろ。神ならそれを知っているはずだ。」と言い、契約の概念に神を必要としていることがわかる。公平な第三者が契約には必要なのだとして、それが契約のときだけに限られる理由があるだろうか。
グラスはそのフィッツジェラルドの問いにノーとこたえる。まばたきをするのは生理的な現象だ。それをいつまでも我慢できるはずがないのだから、まばたきによる契約が成り立たないのは当然だ。グラスはそういうフィッツジェラルドに敵意をむき出しにし彼に襲いかかりとどめを刺そうというところで、旅の途中で出会った「復讐は創造主の手で」という言葉を思い出す。グラスは自分と似たような境遇で家族を殺されていた原住民の一人に助けられていた。「復讐は創造主の手で」はその彼の言葉だがどういった考えや思想でそういった言葉がでてくるのかは劇中だけでは分からない。彼はとても良いやつで出会ったばかりのグラスを信用して獲物を分けてくれたり馬に乗せてくれたり寒さを防ぐために簡易な木製のテントをつくってくれたりする。が、グラスが寝ている間に彼はフランス人らの交易部隊に殺されて「我々は皆、野蛮なり」という看板とともに吊るされる。誰も見ていなければ何をやってもいいのだろうか。ヨーロッパから移ってきた白人とアメリカの原住民のどちらが野蛮かと問われているのかもしれないが、神を信じていないものが野蛮なのだ。グラスはフランス人の交易部隊から馬を奪うとともに(その馬は元々その死んだ原住民のものだが)捕らわれていた原住民の女性も救った。フィッツジェラルドに対する復讐を終えたところでグラスは追ってきていた原住民の部隊に遭遇してしまう。復讐のためになりふり構わず遠い所まで来てしまった。フィッツジェラルドとの戦闘で足を刺され容易には動けない。殺されると思ったところで馬に乗る女性が彼を見つめている。フランスの交易部隊に捕らわれていた女性だ。グラスが助けた女性だ。原住民の部隊は彼を素通りする。グラスは許されたのだ。帰り道に痛めた足を引きずって風景の向こうに死んだ家族とこちら側を見つめながらグラスは神を信じたに違いない。彼は野蛮に転落することを免れたのだ。密室ではそうはいかなかっただろう。
9/10/2020
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