読むことの物語 思い出のマーニーから

スタジオジブリ最新作 『思い出のマーニー』は、都会で暮らす12歳の少女・杏奈が主人公です。「この世には目に見えない魔法の輪がある。輪には内側と外側があって、私は外側の人間。でもそんなのはどうでもいいの。私は、私が嫌い。」杏奈は幼い頃に両親を亡くし、養父母とともに暮らしています。あることがきっかけで周りに心を閉ざしてしまった杏奈は、悪化する喘息の療養のため、養母・頼子の親戚・大岩夫妻が暮らす海辺の村へ旅立つことになりました。それが、杏奈が経験したひと夏の不思議な出会いの始まりでした。

療養先の海辺の村で、杏奈は入江に面して建つ古い屋敷を目にします。「何だろう、あのお屋敷……知ってる気がする」村の人たちが湿っ地屋敷と呼ぶその屋敷には、長い間、人が住んでいません。初めて見るはずの湿っ地屋敷に、杏奈はなぜか心惹かれます。屋敷は夢の中にまで出てくるようになりました。奇妙なことに、その夢には決まって青い窓に閉じ込められた謎の金髪の少女の姿があったのです。

ある晩のこと、村のお祭りで地元の中学生と揉めごとを起こした杏奈は、その場から逃げるように立ち去り、気が付くと湿っ地屋敷の見える海辺に立っていました。「私は私のとおり。 不機嫌で、不愉快で。 私は、私が嫌い……」苦しみと悲しみのあまり、その場に泣き崩れる杏奈。 そのとき、杏奈の前に現れたのは、夢の中に出てきた謎の金髪の少女でした。
イントロダクション | 思い出のマーニー

21日に原作を全く知らずに観に行ったのですが、映画を観ていると途中からずっと頭を離れなかったのは『永遠の0』でした。これはふわふわした(銃火器の出てこない等)女性が主人公バージョンの『永遠の0』ではないか。最後まで見てもその感想は変わりませんでした。

『思い出のマーニー』、『永遠の0』ともに主人公が周囲に馴染めない描写があって、自分の知らないうちに自分の起源をめぐる物語に巻き込まれていくことになります。両者とも最初はその物語に対して受動的だが、何かのきっかけでその物語に積極的に関わろうと思うようになる、具体的には物語の中の人物を守ろうとします、『永遠の0』では実の祖父の名誉を。

「あたしたちのことは秘密よ、永久に。」 少女の名はマーニー。 美しく華やかなマーニーに杏奈は憧れ、マーニーとの日々を過ごすようになります。杏奈にとってマーニーは心を打ち明けられる唯一の存在となっていき、同時に杏奈はマーニーの中にある深い悲しみを知ります。「私、マーニーを助けたい!」 大雨が降り、雷鳴が轟くなか、ふたりはマーニーの怖れを克服すべく、崖の上のサイロへと向かいました。しかしそのとき、マーニーが忽然と姿を消してしまったのです――。
イントロダクション | 思い出のマーニー

例えば、2人の手。「最初は、マーニーが杏奈を引っ張っていってあげるんだけど、マーニーの境遇を聞いたりしているうちに、杏奈がマーニーの手を引っ張って、助けてあげたいと思うようになる」。そのような「手と手の触れ合い」や「会話での微妙な反応」といった「地味だけど難しいアニメーション」の作業に時間をかけた。
「思い出のマーニー」米林宏昌監督 読売新聞

「私たち入れ替わったみたいね」とマーニーは言います。その後主人公の佐々木杏奈は物語の中から引き離されていくようになります。映画が進んでいく家庭で杏奈がマーニーから和彦と呼ばれるようになることで、物語が記録になり、思い出は日記に取って代わられてしまったことに気づかされます。同時に杏奈とマーニーの両親の在、不在も入れ替わってきます。「わたしはあなたがうらやましいわ」「わたしこそあなたがうらやましい」

一つ上で”その後”と気軽に書きましたが、「私たち入れ替わったみたいね」のきっかけが何だったかちょっと思い出せないんですね。思い出そうとすると様々なシーンが前後して思い出されてしまって、一度見ただけだとこのシーンのあとにこのシーンが来たなということについて何故か確信がもてなくなるような作りになっているような気がします。

マーニーの存在は夢か現実か。判然としないが、杏奈にとっては、「そばにいて、現実以上に現実のように感じられる存在」だ。そんなマーニーと触れ合いながら、「杏奈の心がほぐれていく過程を描きたかった」という。しかも、「ぱっと変わるんじゃなくて、少しずつ変わっていく」ように。それは、「繊細な作業だった」と振り返る。
「思い出のマーニー」米林宏昌監督 読売新聞

それはこういうことを予期していなかったからかもしれません。

さて、もう一度『永遠の0』と比べるんですが、気になるのは杏奈の養母とマーニーの関係ですね。ここは何か関係がないんでしょうか。『永遠の0』であれば主人公-祖父-実の祖父の間に三角関係が成立しています。祖父と実の祖父(この書き方はなにか変だが)の間には同じ戦場にいて実の祖父が祖父に妻と子を託したという関係があり、そのことが物語の重要な要素になっています。しかし、マーニーと養母の間にはそれらしいものがなかったように思います。もちろん「同じにしろ」ってことではないんですが、あまりにもあっさりというか、養母がマーニーの湿っ地屋敷があるところに杏奈を行かせたのは偶然なんでしょうか、そうだとすると養母はなぜ杏奈が元気になったのか気にならないのかなあとか、「自治体からお金をもらっているのよ」にしても何か奇妙な感じがして、どこか繊細さに光を当て損ねたのかもしれません。

今振り返ってみるとジブリアニメっぽいシーンは杏奈が田舎の駅に着いてそこから田舎の家に行くまでの間のゴミゴミした車の中だけだったように思いますが、これで終わりではないでしょうけど何か寂しい気がしますね。それは物語からの決別というテーマが同時にかかっているからかもしれません。

9/10/2020
更新

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