才能が使われないもどかしさ バンブルビー 運び屋

1987年、海辺の田舎町。思春期の少女チャーリー(ヘイリー・スタインフェルド)は、父親を亡くした哀しみから立ち直れずにいた。18歳の誕生日、海沿いの小さな町の廃品置き場で廃車寸前の黄色い車を見つけた彼女は、自宅に乗って帰る。ところがその車が突然、トランスフォームする。驚くチャーリーに対し、逃げ惑う黄色い生命体。お互いに危害を加えないことを理解すると、似た者同士のふたりは急速に距離を縮める。記憶と声を失い“何か”に怯える黄色い生命体に“バンブルビー(黄色い蜂)”と名付けたチャーリーは、バンブルビーを匿うことにする。ボロボロに傷ついたバンブルビーと心に傷を抱えたチャーリーの間に思いがけない友情が芽生えるが、予測不能の事態に巻き込まれていく……。

バンブルビー | 映画-Movie Walker

バンブルビー
(『バンブルビー』日本版予告 - YouTube

(映画『バンブルビー』公式サイト 大ヒット上映中!

なぜ遠くに行かないのか


全体としては1987年の田舎町の閉そく感を表していて、チャーリーとバンブルビーが話を引っ張っていかないといけない。ふたりの視点からなるべく物語を描きたかったんですね。たまにメモとかエージェント・バーンズの視点というのもあったんですけど、やっぱりこのふたりを通して描くことに焦点を当てました。

トランスフォーマー、80年代への回帰!『バンブルビー』プロデューサーインタビュー

『グリーンブック』(手紙は届く(芸術の可能性について) グリーンブック | kitlog)や『運び屋』のようなロードムービーが続いたせいか、この映画の車の扱いには不満が残る。もちろんバンブルビーはただの車ではないので、それが車扱いされないのは正当かもしれないが、主人公のチャーリーはずっと車が欲しいと思っていたはずだ。それがなぜなのか明示されない。彼女は車に乗って遠くに行く描写はあるが、最大限遠くに行ったあとで彼女の嫌味な知り合いが何かパーティーをしているのに遭遇して不快な思いをするというだけだ。その描写は単に彼女が田舎をグルグルドライブしていただけなのかと思わせる。なぜもっと遠くへ行かないのだろうか。彼女は死んだ父が残したガレージの車を修理すれば何か変わるかもと思いつつそれができないでいる。父との思い出はガレージにしかないのだろうか。他の場所に父の面影を探すために車を使ってもよかったのではないか。

『グリーンブック』ではイタリア系白人のドライバーが黒人のピアニストを南部に運ぶという話だった。『運び屋』では仕事も家族の信頼も失ってしまった元トラック運転手があるきっかけによって麻薬を運ぶことになるという話しだ。両者に共通しているのは、車の移動に目的があるということだ。『グリーンブック』ではピアニストを運び、『運び屋』では麻薬を運ぶ。しかし、『バンブルビー』では車の運転はただのドライブで何の目的もない。乗っていて気持ちいいという描写がほとんどだ。一度、母親が犬が病気になったためにバンブルビーに乗って病院までいこうとするが、チャーリーがそれを止めにいく。バンブルビーが外でおかしなことをして正体がばれないようにするためだろうが、まるで目的を持って外に出ようとすることが禁じられているようだというのは言いすぎだろうか。バンブルビーは留守番を強いられ、家のサイズとは不釣合いな自らのボディを動かしただけで家の中はメチャクチャになってしまう。彼は家の中にいるには大きすぎる。

チャンスに恵まれなければ、より良い場所を求めて移動するのが米国人の伝統的スタイルであり、自然な反応だ。屈強な肉体をもつ野心的な若者の移住は、1930年代に中西部のダスト・ボウル(黄塵地帯)からカリフォルニアへの大移動を引き起こし、1980年代に黒人の北部から南部への回帰が始まるきっかけとなった。

ところが今や、米国の人口移動率は、第2次世界大戦終了時に集計を始めて以来、最低水準にとどまる。直近のピークだった1985年に比べ、ほぼ半分に落ち込んだ。

ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)の分析によると、米国の田舎から2015年に郡境を超えて移住した人の割合はわずか4.1%と、1970年代後半の7.7%から大幅に低下。大都市圏よりも急速なペースで落ち込み、今では大都市圏の移動率を若干下回る。

身動きとれない米国人、田舎に足止めの訳は - WSJ

彼女はなぜ劇中で歌わないのか


2010年公開のコーエン兄弟監督作『トゥルー・グリット』に出演し、14歳という若さで【アカデミー賞】助演女優賞にノミネートされた演技派女優、モデル、そしてシンガー、ヘイリー・スタインフェルド。『はじまりのうた』、『ピッチ・パーフェクト2』らの音楽映画への出演を経て、2015年8月にはシンガーとして本格的に始動。

自身初の全米TOP20入りした新星ヘイリー・スタインフェルド 来日インタビュー | Special | Billboard JAPAN

(ヘイリー・スタインフェルド | Hailee Steinfeld - UNIVERSAL MUSIC JAPAN

バンブルビーは劇中で声を奪われる。バンブルビーは自分の星の危機から逃れて地球にやってきたのだが、追っ手につかまってしまい「オプティマスはどこだ」と尋問を受ける。バンブルビーがそれに答えないので、分かりやすく「喋らないならこれは必要ないな」と敵は音声の部品を破壊してしまう。バンブルビーは喋れなくなってしまった。その後、チャーリーが壊れていたバンブルビーを修理するのだが声は戻ってこなかった。しかし、バンブルビーはチャーリーのガレージで音楽を知り、音楽で自分の気持ちを伝えられることを理解する。彼はオーディオ機器のラジオをチューニングして歌の歌詞でチャーリーとコミュニケーションをとるようになる。そうやって不完全ではあるが、彼は自分の声を取り戻そうとする。

劇中、チャーリーは「こいつ高飛び込みの選手だったんだ、やってみろよ」と崖から海に飛び込むよういわれる。車で遠くに行ったときに会ってしまった嫌味な知り合いからだ。その中の一人が先に飛んで、「来いよ」と促されるが彼女は飛ばなかった。彼女と彼女の父とが一緒に写ったホームビデオが飛び込みの大会の時のもので、父が死んで以来飛び込みから距離を置いていた。ここで思うのだが、なぜ彼女が封印しているものを高飛び込みにしたのだろうか。映画の最後、彼女の高飛び込みによってバンブルビーを救うという半ば『シェイプ・オブ・ウォーター』のようなシーンが彼女の成長の証として描かれる。これはこれでいいと思うのだが、父親が音楽にこだわりがあり、バンブルビーが声を失って音楽でコミュニケーションをとろうとしている中で、なぜ彼女は歌わないのだろうか。父親が亡くなって彼女が封印したのは、バンブルビーと同様、声のほうがよかったのではないか。

『運び屋』ではアール(クリント・イーストウッド)が麻薬の運搬という普通ならとても緊張を強いられることの最中に車の中で陽気に歌っている。アールが仕事を逸脱しないか監視して盗聴している麻薬カルテルの連中も、最初はまじめにやる気があるのかと難しい顔をしていたが、すぐにアールの歌につられて気分よく歌ってしまう。バンブルビーのコミュニケーションのための音楽のサンプリングだけではこうはいかないだろう。使われている音楽はチャーリーも歌ったほうが印象に残ったのではないだろうか。

Oh, I love you more today than yesterday
But not as much as tomorrow
I love you more today than yesterday
But, darling, not as much as tomorrow

『More Today Than Yesterday』Spiral Staircase

運び屋
(映画『運び屋』特別映像 エンディング曲 Toby Keith "Don’t Let The Old Man In"【HD】大ヒット上映中! - YouTube

『運び屋』ではアールが居眠りをしている運び屋の若い監視役を陽気に起こすシーンや携帯ばかりいじっている人物を注意するシーンがあるが、それも何かのもどかしさかもしれない。

アール・ストーン(クリント・イーストウッド)は金もなく、孤独に暮らす90歳の男。商売に失敗し、自宅も差し押さえられかけた時、車の運転さえすればいいという仕事を持ちかけられる。それなら簡単と引き受けたものの、それが実はメキシコの麻薬カルテルの“運び屋”だということを、彼は知らなかった……。
運び屋 | 映画-Movie Walker

(クリント・イーストウッド監督・主演最新作『運び屋』公式サイト 大ヒット上映中!
9/10/2020
更新

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