蟻たちのカント 虐殺器官
9.11以降、テロとの戦いを経験した先進諸国は、自由と引き換えに徹底的なセキュリティ管理体制に移行することを選択し、その恐怖を一掃。一方で後進諸国では内戦や大規模虐殺が急激に増加。世界は大きく二分されつつあった。
クラヴィス・シェパード大尉率いるアメリカ情報軍特殊検索群i分遣隊は、暗殺を請け負う唯一の部隊。戦闘に適した心理状態を維持するための医療措置として「感情適応調整」「痛覚マスキング」等を施し、更には暗殺対象の心理チャートを読み込んで瞬時の対応を可能にする精鋭チームとして世界各地で紛争の首謀者暗殺ミッションに従事していた。
そんな中、浮かび上がる一人の名前。ジョン・ポール。
数々のミッションで暗殺対象リストに名前が掲載される謎のアメリカ人言語学者だ。
彼が訪れた国では必ず混沌の兆しが見られ、そして半年も待たずに内戦、大量虐殺が始まる。そしてジョンは忽然と姿を消してしまう。
彼が、世界各地で虐殺の種をばら撒いているのだとしたら…。
クラヴィスらは、ジョンが最後に目撃されたというプラハで潜入捜査を開始。ジョンが接触したとされる元教え子ルツィアに近づき、彼の糸口を探ろうとする。
ルツィアからジョンの面影を聞くにつれ、次第にルツィアに惹かれていくクラヴィス。
母国アメリカを敵に回し、追跡を逃れ続けている“虐殺の王”ジョン・ポールの目的は一体何なのか。対峙の瞬間、クラヴィスはジョンから「虐殺を引き起こす器官」の真実を聞かされることになる。
虐殺器官 - 映画・映像|東宝WEB SITE
虐殺器官をつくるにはどうしたらいいのだろうか。まずはこうだ。
反ユダヤ的なレッテルがはじめて反ユダヤ的なのではない。レッテル貼り的なメンタリティがそもそも反ユダヤ的なのである。そういうメンタリティに目的論的に含まれている差異への怒りは、自然を支配していながら、社会的には支配されている諸主体が抱くルサンチマンであって、彼らがさしあたり社会的マイノリティを脅かしているところでも、自然的マイノリティへ矛先を向けようとする。社会的責任のある地位にいるエリートは、いずれにせよ他のマイノリティと比べて、はるかに理論的に規定しにくい。(p322)
『啓蒙の弁証法』ホルクハイマー アドルノ
レッテル貼りをする思考を一般化する。そのためには人々を微妙な距離に遠ざけることである。そうすれば彼らは個別的なものを確認することができない。
一度も訪れたことがない国について無知であることは、なんら驚くべきことではない。しかし、その国を知らないのに、その国について判断し、しかも、ほとんどつねに好意的な判断は下さないということ、これは説明を要する事実である。国外に滞在し、自分の同国人に外国人の「気性」(mentalite)と呼ぶものを教授しようとしたことがある人は誰でも、同国人の本能的な抵抗を確認しえただろう。この抵抗は、より遠方の国が問題である時それだけよりいっそう強いというわけではない、まったく逆に、抵抗はむしろ距離に反比例して変化する。われわれが最も出会う可能性が高い人々が、われわれが最も知ろうとは思わない人々なのである。自然は、外国人すべてを仮想敵とするのに、そうするほかなかったのだろう。なぜなら、完全な相互理解は必ずしも共感であるわけではないが、いずれにせよ憎悪を除去することにはなるからだ。われわれはこのことを先の戦争中に確かめることができた。ある〔フランス人の〕ドイツ語の教授は、他のどんなフランス人とも変わらず立派な愛国者で、彼らと等しく自分の命をかける用意ができており、また、彼らと同じくらいドイツに「憤慨」してさえいたのだが、それでもやはり事情は同じではなかった。ある一点が留保されていた。ある民族の言語と文学を深く知る者は、完全にその国の敵になることができないのである。(p394)
『道徳と宗教の二つの源泉』ベルクソン
それから、自他共に「虫」であることを認めることだ。
ルワンダの首都キガリ(Kigali)にあるほぼ誰もいない法廷で、レオン・ムゲセラ(Leon Mugesera)被告は、20年前に「ゴキブリ」を皆殺しにしろ、などといったヘイトスピーチ(憎悪発言)を繰り返し、少数派のツチ(Tutsi)人を標的とした暴力を扇動した罪の裁きを受ける──。
1994年に起きたジェノサイド(大量虐殺)では、約100日間で80万人以上が殺害された。これまでの調査によって、多数派のフツ(Hutu)人の指導者たちが民兵を組織し、虐殺を行ったことが明らかになっている。
ルワンダ大虐殺から20年、今も続く責任追及 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News
優しいということを「虫も殺さないような」という形容の仕方がある。われわれは動物は中々殺すことができないがあっさりと虫は殺してしまう。ホームセンターに行けば殺虫剤はいたるところに売っているし、夏になれば蚊を邪魔だと思うのになんとも思わない。考えてみると、植物や動物(この場合脊椎動物)に対する信仰は聞いたことがあるが、虫に対する信仰というのはあまり聞いたことが無い。例えば植物は豊穣を願って、動物は人間がそれを食べるために殺す罪悪感から逃れるために信仰の対象となる。『生きるよすがとしての神話』にはアイヌの例で動物を神が動物の衣をまとって現世に降りてきていると考え、儀式とともにそれを殺して食べることで、神様が解放されるのだという神話があると書かれている。しかし、虫に対してそのような信仰をもつことができるだろうか。虫を食べて生活をしている民族は聞いたことがあるが、彼らは虫に対して何か神話を有しているだろうか。
暗殺の任務の最中ウィリアムズはクラヴィスに「これは仕事なんだ」と言い聞かせる。しかし「仕事」というのは何かの理由になるだろうか。「仕事」という時それ以上考えを巡らせることは許されない。彼らが痛覚をマスキングしているように、「仕事」より上位の概念に対しては靄がかかっている。
根拠もなく、問い返しも許さない軍事司令は「しなければならぬからしなければならぬ」とまさに言う。とはいえ、いかに兵士に命令の理由が与えられなくとも、兵士は後で何らかの理由を想像するだろう。純粋な定言命法の事例を求めるなら、われわれはそれをアプリオリに構成するか、さもなければ、少なくとも経験を様式化しなければならないだろう。そこで、一匹の蟻のことを考えてみよう。反省的思考の閃きがこの蟻をよぎり、そのとき蟻は、他の蟻たちのために休みなく働くのはまったく間違っていると判断するだろう。けれども、怠けたいという漠たる意志は、少しの間しか、すなわち知性の光が輝いている間だけしか続かないだろう。その最後の瞬間、本能が再び優勢になって、力ずくでありを本来の仕事へ連れ戻すだろうが、そのとき、本能に吸収される間際の知性は、別れの挨拶代わりに「しなければならぬからしなければならぬ」と言うだろう。(p31,32)
『道徳と宗教の二つの源泉』ベルクソン
どのようにして何百もの小さな個体がまるで一つの生命体であるかのように意思決定をし、動くことができるのだろうか。もっとも完璧な社会…超個体の秘密の世界をのぞいてみよう。この1時間スペシャルでは、特殊なカメラが超個体の内部を映し出す。極小の文明の一部になれば、巨大な人間が巣に踏み込んだ時の怒りも理解できるだろう。アリの視点に立って、人間との総力をあげた戦いの初めての目撃者になろう。
驚異のアリ帝国|番組紹介|ナショナル ジオグラフィック (TV)
ジョン・ポールはクラヴィス・シェパードに「絶望してこんなことをしているのか」と問われて、「そうではない」といった。しかし人間に絶望することなしに人間を殺し合わせるなんてことができるだろうか。ジョン・ポールは虐殺器官は英語圏に伝播しないと簡単に言ったが、このどこにでもカメラがあってマイクがあって翻訳が簡単な時代に、虐殺の言語が拡散しないと言う根拠はどこにあるのだろう。そんなことも思い至らないのは世界に絶望しているからではないのだろうか。もしも絶望していないなら虐殺器官など発見して使おうなどと思わず、彼はその才能を別のことに使ったのではないだろうか。言語が人の行動に与える影響についての可能性を考えたなら、虐殺器官(genocidal organ)よりも天才器官あるいは守護器官(genius organ)を発見するほうがおもしろいはずだ。
そのような天才を開花させるのにふさわしい状況とは、ある国の言語が揺るがぬ原則と明確な性格を持ち始めるような、そういう時代に現われる。それゆえそれは、偉大な人々が輩出する時代なのである。(中略)様々な国の言語の破片から作られているような国語は、この進歩を阻むやっかいな障害にぶつかるものだ。そういう国語は、あちらこちらの言語からあれこれの言葉を借りているので、互いに無関係な言い回しの奇妙な寄せ集めにしかならないからである。こういう国語の中には、作家たちの精神を照らし、一つの言語としての性格を与えるような[言葉の間の]類比関係というものが決して見いだせないのである。(p184)
想像力と記憶の働き[訓練exercise]は観念結合liaison des ideesに完全に依存しているということ。そして後者[記憶]は記号と記号との関連や類比によってつくられるのだということ(本書第一部第二章第三~四節)。以上のことを思い出してもらえるならば、ある国語に、類比関係に富む言い回しが乏しければ乏しいほど、そういう国語は想像力と記憶の助けを受けるところが少ないということが分かるであろう。それゆえ、こういう国語は才能を開花させるのに向いていない。(p185)
『人間認識起源論(下)』コンディヤック
9/10/2020
更新
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