虐待・法・忘却・トランク ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅

優秀だけどおっちょこちょいな魔法使いニュート・スキャマンダーは、世界中をめぐって魔法動物を集めては不思議なトランクに詰め込んでいる。ニューヨークに立ち寄ったところ、トランクが普通の人間のものと入れ替わり、危険な魔法動物たちがトランクから逃げ出してしまう。ニューヨークは大パニック。ニュートは魔法省から追われ、さらには魔法省の壊滅を狙う謎の組織も現れ、思わぬ事態に。新たに出会った仲間たちや奇想天外な魔法動物とともに、ニュートは冒険を繰り広げる。
ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅 | 映画-Movie Walker



ざっくりとした印象を最初に書いておくと、この映画はミニオンズのスタジオの『ペット』と『君の名は。』を足して二で割ったような作品だった。もちろんこれだとざっくりしすぎている。この映画に特徴的なのは三つの抑圧で、それがタイトルの虐待・法・忘却である。抑圧といえばファンタスティック・ビースト=魔法動物はいつもニュートのトランクの中に閉じ込められているが、トランクの中は4次元ポケットのように十分に広く抑圧されているっていうほどではない。それに動物たちは『ペット』の動物たちのように何の不平不満も言うことはないし、トランクから逃げ出したのも特に理由があるような感じでもなく、ただ開いていたから出たという感じで、魔法動物はその身体的な特徴や癖などであらわされている。逃げ出した彼らはまたトランクにしまわれる(とてもコミカルに)ことになるのだが、それに比べると人間の閉じ込めは深刻であるように描かれる。


映画の舞台は1926年。冒頭、ニュートは蒸気船からニューヨークへ降り立つ。彼はすぐ、不安と不信が街に渦巻いていることを知る。謎めいた力(目撃者によれば「目のある黒い風」)による地割れや建物の倒壊が発生。ノーマジ(魔法使いでない普通の人間「マグル」を、アメリカではこう呼ぶ)の政治家たちは不和をあおり、新セーレム救世軍なる組織が人間界に潜む魔法使いの根絶を訴えている。

ニュートは大切な魔法動物が詰まったトランクを抱えているが、とあることから動物たちが脱走。米魔法議会の元捜査官ティナ・ゴールドスタイン(キャサリン・ウォーターストン)やノーマジのジェイコブ・コワルスキー(ダン・フォグラー)と一緒に捜し回る。一方、魔法議会の長官パーシバル・グレイブス(コリン・ファレル)は新セーレム救世軍の青年クリーデンス(エズラ・ミラー)と秘密のやりとりをしている。
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ニュートとコワルスキーがトランク内で魔法動物の世話をしているときに、コワルスキーが偶然見つけたのが、他の魔法動物とは様子が違う「オブスキュラ」と呼ばれる黒い雲のような塊だ。オブスキュラはとてつもない破壊力を秘めている。今作を観ただけではよくわからなかったのだが、劇中の説明としては魔法使いが魔法を使うことを抑圧されると発症するものらしく、そういう環境にいたものは通常10歳までに「オブスキュラ」化(オブスキュラに取り憑かれ?)し、その後死んでしまうのだという。魔法使いが魔法を使えなくさせられるという状況がよくわからなかったのだが、劇中で唯一「オブスキュラ」化するクリーデンスを見てもよく分からなかった。彼はセーレム救世軍という魔法根絶を目的とする怪しげに見られている団体のメンバーにいるのだが、そこのリーダー的というか母親的存在のメアリー(サマンサ・モートン)に虐待を受けている。それに理由があるのかないのか判然としない。彼の中に魔法を嗅ぎ取っているのか(メアリーはクリーデンスが魔法を使えることを知っているはずはないと思うが)、ヘンゼルとグレーテルの魔女のような存在なのか(『生きるよすがとしての神話』p65)。とにかくメアリーのもとで鬱屈したクリーデンスは「オブスキュラ」としての才能を開花させる。オブスキュラ化してしまえば普通十歳で死んでしまうところをその年齢をすぎてもオブスキュラでありながら生きている。ここでは虐待が転化してオブスキュラを生んでいる。


北アメリカの魔法界の歴史 - Pottermore)J.K.ローリングによるもので今回の映画の舞台以前のアメリカの歴史が書かれている。そこにラパポート法というのがある。

リンク先によれば、18世紀の終わりに魔法使いの女とノーマジの男が恋をして女が男に魔法や魔法に関する知識、魔法界と人間界の関係などを見せてしまった。男は運悪くスカウラーと呼ばれる反魔法族の子孫で、魔法を使えないがノーマジと違い魔法の実在を信じており、彼らのなかでは魔法使いや魔女を殺さなければいけないとされていた。男は彼女の存在によって魔法使いの実在を世に知らしめ魔法族をいぶりだそうとするも失敗する。その過程で魔法使いのアジトが世間にバレたり、ノーマジの魔法に関する記憶を全て消去できたのか疑いが残り、人間界と魔法界の接触は最低限の範囲に抑えられ、それに違反するものは罰が加えられることになった。それが1790年制定のラパポート法なのだという。その事件をきっかけに人間界と魔法界の溝は深くなり、それを踏まえて今作の1926年のアメリカを観なくてはならないようだ。

グレイブスはオブスキュラを利用して人間界と魔法界の壁を取り払おうとしていた。もっといえば人間界の魔法による破壊。「なぜ魔法使いがこそこそしていなければならないのか。」「(ラパポート)法は一体誰を守っているんだ?」グレイブスは魔法使いのほうが圧倒的に力を持っているのになぜ隠れていなければならないのか、人間に気を使わなければならないのかと問う。魔法使いはその法にわけもわからない理由で抑圧されているというわけだ。グレイブスはそれに抵抗して革命を試みる。魔法使いが人間の何を恐れているのかいまいちよく分からなかった。ニュートはニフラーを見つける過程で宝石店を荒らしてしまい、警察に見つかるも難なく切り抜ける。こんな人間離れした芸当ができるにも関わらず、人間を恐れる理由は何なのだろう。魔法使いの側の一部が人間に味方をして魔法界が分裂してしまうことか、単に魔法使いが少数派だからか。いずれにせよ、グレイブスはクリーデンスを裏切ることで偶然にもオブスキュラを発見し、オブスキュラ化したクリーデンスは怒りに任せてニューヨークの都市を破壊していく。クリーデンスは集まったMACUSA(アメリカ合衆国魔法議会)によってあっさりとやられてしまうが、魔法の存在が世間に暴露され写真に撮られ都市は破壊にあってしまった。そこで出てくるのが最後の抑圧の忘却だ。


破壊された都市は魔法によって復元され、人びとが見てしまった魔法の記憶はニュートの魔法動物の知識を使った方法で強制的に忘れ去られることになる。魔法使いは人間界で魔法を使っておきながら、自分の正体がバレないように検閲を行っているのだ。しかし、検閲は検閲をしたという行為を消すことはできない。ラストのシーンでは検閲という抑圧から逃れたものが、想像力として回帰してくる。コワルスキーはニュートたちの助けもあって念願のパン屋をオープンさせ、変わったパンをつくって店を繁盛させている。そのパンは彼がニュートと出会ったときに見た魔法動物の形をしている(トランクの中から魔法動物が逃げ出したみたいだ)。コワルスキーが客に「このアイデアはどこから?」と聞かれて「分からないけど、こういうのが出てくるんです」といった。検閲によって検閲したという行為は消すことはできず、それは別の形態をしてその痕跡を露わにしてしまう。この映画ではそのことが人間界と魔法界を橋渡しにするかもしれないものとして希望的に描かれている。

もしもみなさんが自分にとって不愉快なものを拒否するならば、みなさんは夢を形成するメカニズムを理解して、それを克服するのではなく、かえって夢のメカニズムと同じことをくりかえしていることになるのです。(p193)

『精神分析学入門(中公文庫)』フロイト

追記12/1
コワルスキーは普通の人間(ノーマジ)だが、記憶を消される前の彼の実体験が記憶を消された後の思考や意識と相似形になっている。ニュートのトランクはコワルスキーの頭の中そのものである。魔法動物が両方共勝手に出てきてしまう。魔法使いは記憶を司る番人としてある。
9/10/2020
更新

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