2種類のシミュレーション ハドソン川の奇跡
2009年1月15日、極寒のニューヨーク。160万人が暮らすマンハッタン上空850メートルで突如、航空機事故が発生。全エンジンが完全停止し、制御不能となった旅客機が高速で墜落を始める。サレンバーガー機長(トム・ハンクス)の必至の操縦により、70トンの機体は目の前を流れるハドソン川に着水。“乗員乗客155名全員無事”という奇跡の生還を果たした。着水後も、浸水する機内から乗客の避難を指揮した機長は、国民的英雄として称賛を浴びる。だが、その裏側では、彼の判断を巡って、国家運輸安全委員会の厳しい追及が行われていた……。
ハドソン川の奇跡 | Movie Walker
(映画『ハドソン川の奇跡』30秒TVスポット【HD】2016年9月24日公開 - YouTube) |
事故が起こったのは、1月15日の15時30分ごろ。米ニューヨーク州ラガーディア空港を離陸したUSエアウェイズ1549便は、高度850mの上空に到達した段階で鳥がエンジンに入り、両エンジンが停止してしまう。
本来、飛行機のエンジンは1つでも可動していれば飛び続けられるのだが、異例なことにこの事故では2つ同時に故障してしまうアクシデントに見舞われる。エンジンが故障した飛行機は、もはや飛ぶことができず、70トンの鉄の塊と化してしまう。可能な操縦はただ2つ、舵によって方向を変えることと機首の上げ下げのみ。
機長は当初、ラガーディア空港に戻るという判断を下す。しかし、仮にたどり着くことができなければ、機内の搭乗者ばかりか、地上の人たちにも莫大な被害をもたらしてしまうことを考え、ハドソン川への不時着を決意する。少しでも翼が傾けば、片翼だけが先に着水する可能性もある。そうなれば機体が大破してしまうケースも多い。強いプレッシャーの中、機長は見事、着水を成功させる。
ところが着水してもホッとする間はなく、飛行機はいつ沈んでもおかしくない状況下に置かれている。外気温はマイナス6度、水温は2度という凍る寸前の状態なのだ。そんな危機を民間フェリーの活躍などで乗り越え、不時着からわずか24分で全員の救出に成功する。
乗客乗員の無事が伝えられると、40年以上のキャリアをもつベテラン機長ならではの仕事に、メディアも「ハドソン川の奇跡」と称賛し、国中がサリー機長を英雄視していく。だが一方で、一部の専門家からは「空港まで戻れたのでは?」と機長の判断に疑問を呈す声が上がり始める。かくして機長は「国家運輸安全委員会(NTSB)」に何度も呼ばれ、自身の判断と行動を弁護しなければいけなくなってしまう。
なぜ、大勢の命を救った彼が、こんな酷な目に遭わなければいけないのかと、これらのシーンを見て憤りを覚える人も少なくないだろう。映画は、そうしたサリー機長にかけられた嫌疑をしっかりと考察し、映像化していくことで、エンジントラブルから着水までわずか208秒という短い時間の中で、コックピットでは何が行われ、どう対処していったかを描き、改めて機長と副操縦士が起こした決断がいかに奇跡であったかを描き出していくのだ。
不時着からわずか24分で全員の救出 - 日経トレンディネット
全米での公開が9月11日の週末と重なったことで、中には2001年の米同時多発テロのトラウマ(心的外傷)がよみがえる人もいるかもしれない。映画ではコンピューターグラフィックス(CG)を使ってマンハッタン上空を旅客機が低空飛行するシーンや、夢の中で旅客機がビルに激突するような様子も描かれている。
旅客機が不時着するシーンでの乗客がおびえた様子や、旅客機が下降する中で落ち着いて指示をだすアテンダントを見ていると、あの日に感じた思いがいやでも思い起こされる。劇中で乗客の救助を行う人物が、「今日は誰も死なせない」と話す場面もある。
しかしサレンバーガー氏はハドソン川への不時着を「いろいろな意味で、2001年の同時多発テロにピリオドを打つようなイベントだった」と表現する。
コマーニキ氏は「他の人が作り上げてきた米国の歴史を、自分がさらに書き足していくような感覚が好きだ」と話す。「ニューヨーカーとして、ハッピーエンドで終わる飛行機事故の映画を切望していた。これこそが誰もが心から望んでいたことなんだ」
「ハドソン川の奇跡」映画化までのハードル - WSJ
映画の概要を書こうと思うとそれがすでに有名な物語、もちろん事実に基づいたものだが、であるために引用でだいたい済んでしまう。しかし、そのような概要は映画のシミュレーションにすぎないだろう。それは人的要因を無視している。ではこの映画に描かれた人的要因とは何なのだろうか。
バードストライクによるエンジントラブルで旅客機が墜落を開始する。サリー(トム・ハンクス)とジェフ(アーロン・エッカート)はエンジンが再起動するかどうかを確認しながら管制室と連絡を取り近くの空いている滑走路へと誘導してもらう。旅客機は旋回しラガーディア空港に引き返そうとするも高度が足りず、ニューヨークの比較的低層のビルに落下してしまう。9.11後のそれは悪夢のような光景だが、それはサリーが「ハドソン川の奇跡(本人は奇跡と言ってもらいたくないらしいが)」のあとで頭に描いたシミュレーションだ。心理学の用語でフラッシュバック、過去の出来事が何度も思い出され、そのことによって大きなストレスを感じるというのがある。サリーの場合は何か失敗を犯したわけではない。失敗のおそれがあるのだ。違う方法を取ればもっと安全に乗客を運ぶことができたのではないか。しかし、彼の頭に浮かぶのはそういったヴィジョンではなく、自分のようにしなければ9.11が再現されていただろうというものだけだった。彼の中で起きているフラッシュバックは何か心的な病気のように見えるが、そのシミュレーションはもし自分の判断を信じて操縦をしていなかったら、マニュアルの手順をショートカットし管制室の判断を疑っていなかったらそうなっていただろうという彼の確信のようなものである。それは彼の責任と判断の証のようなものだ。しかし、それが調査委員会のシミュレーションによって揺らがされている。事故を調査した航空エンジニアによればバードストライク直後のシミュレーションでラガーディアやテターボロ空港に着陸することに何度も成功したらしいのだ。
最後に国家運輸安全委員会(NTSB)の追求を受けるシーンでサリーはそのエンジニアらによるシミュレーションを先に見せてくれと注文していた。彼が考えていたのは一回きりの事に対してシミュレーションが可能だろうかという疑問だった。バードストライクによって片方のエンジンが不能になることはあるらしいが、両方不能になることはほとんどないという。片方でもエンジンが残っていれば飛行は可能だ。だから管制室の担当者も事故当時そのことを何度も確認していた。両方なのかと。NTSBによるシミュレーションを見て明らかになったのは、一回限りの事象に対してシミュレーションのためのシミュレーションが行われていたことだ。つまりシミュレーションを成功させるためにシミュレーションに参加するパイロットがシミュレーションの練習をしていたのだ。NTSBが明らかにするが、シミュレーションが成功するまでに17回の練習が必要だったという。しかもそのシミュレーションでは実際の事故があった時に必要な手順が省かれていた。それらを考慮して出来上がったシミュレーション映像はサリーが頭に思い浮かべていたものと瓜二つだった。シミュレーションの再現映像はCGの質がひくいので余計ひどいことをしているようにみえる。
人々はふだんは時代精神やエディプス・コンプレックスなどのさまざまな理由を口実にして、自分は人間というよりも、何かの機能にすぎず、一人の人であるよりも他人と交換することのできる部品のようなものであると主張し、自分を抽象的で特定できないものであるかのように語りたがるものですが、法廷ではそれが急にできなくなるのです。(p97)
『責任と判断』ハンナ・アレント
サリーは自分の責任と判断を引き受けようとしていた。NTSBが調査で追求しようとしたのは上の引用とは逆で、機長は航空ビジネスの部品にすぎずシミュレーションと交換可能なものにすぎないというものだった。そして一回限りの事象をシミュレーションと同一のものとするためにシミュレーションのためのシミュレーションも行っていた。練習すれば似たような訓練を受けている人なら誰でも同じことができるのだろう。それは特殊な事柄を一般的な事柄に偽装することに等しい(シミュレーターに次に起こる特殊な事柄についてシミュレートせよと命令することは可能か)。けれど、最後にはそのシミュレーションは一致しサリーの疑いが晴れると同時に彼のトラウマも解消する。幾度も出てくるサリーが頭に描いたビルに航空機が墜落するシミュレーションは誰にも理解されない全く孤独なものだったが、NTSBのシミュレーションによって皆とそのイメージを通じ合うことができた。最後にはNTSBが申し訳なさそうにしているので悪いことをしているようにしているのかもしれないが、それはサリーの精神的な負担への予備的な将来的な緩和ケアとして必要なプロセスだったのだろうと思う。
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9/10/2020
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