短期の勇気と長期の勇気 サウスポー
誰もが認める無敗の世界ライトヘビー級王者、ビリー・‘ザ・グレート’・ホープは、ボクシングの聖地マディソン・スクエア・ガーデンで行われた試合で強烈な右で逆転KOを決め、脚光を浴びていた。彼の武器は怒りをエネルギーにする過激なスタイルだが、妻と娘の心配は絶えない。そして、その怒りが引き金となり、最愛の妻の死を招いてしまう。悲しみに暮れ自暴自棄な生活を送るビリーは、ボクシングにも力が入らず世界チャンピオンの称号を失い、信頼していた仲間、そして娘まで失ってしまう。もはや何もない。明日の生活にさえ困るどん底の境遇の中、ビリーは第一線を退き古いジムを営むティックに救いの手を求める。彼は、無敗を誇った自分を唯一苦しめたボクサーを育てたトレーナーだった。
「お前にはしばらくグローブを握らせない」「お前の短気は命取りだ」「ボクシングはチェスのようなものだ」ボロボロの元チャンプ、ビリーへのティックの罵詈雑言。しかしその言葉には再生のための鍵が隠されていた。やがてビリーは、過去の自分とひたむきに向き合うことで、闇の中に光を見出していく。「娘を取り戻したい」ビリーはプライドも名声もかなぐり捨て、父として、ボクサーとして最愛の娘のために自分を変え、再びリングに上ることを決意する。そして、ティックは復活のための秘策をビリーに授けるのだった…。
映画『サウスポー』オフィシャルサイト
(映画『サウスポー』予告編 - YouTube) |
四 勇気とは、広義には、いかなる悪に直面しても恐怖を感じないことであります。しかしより狭義のふつうの意味においては、ある人が目的へ向かう過程において、それに立ちはだかる負傷や死への恐怖をなんら意に介さないことであります。
五 怒り(つまり突発的な勇気)とは、目前の対抗物を打倒しようという欲求もしくは欲望にほかなりません。それはふつうには、自分が軽蔑されていると認識することによる悲しみと定義されてきました。ただ、怒りに追いやられるといっても、それは生気もなければ感覚もないもの、したがいましてわたくしたちを軽蔑することさえできないものへの、よくある見当ちがいの怒りに過ぎないという見方もできます。
『法の原理――人間の本性と政治体 (岩波文庫)』ホッブズ p85,86
ビリー・ホープ(ジェイク・ギレンホール)のボクシングの特徴は「怒りと攻撃」だ。彼はわざと相手に殴らせて相手を憎み怒りを増幅させ、それをパワーに変えて敵を打倒しチャンピオンを防衛してきた。そのため試合後の彼は傷が多く彼の妻モーリーン(レイチェル・マクアダムス)は心配していた。彼らは二人とも孤児院で育ちそこで出会った。ビリーが二度事件で投獄されても待っていてくれたのだという。その後彼らは結婚した。あるパーティのスピーチでビリーは慣れないながら、孤児院でのそのエピソードを披露しパーティーの参列者に孤児施設への寄付を呼びかけた。その直後同じ階級のボクサーのミゲル・エスコバル(ミゲル・ゴメス)に挑発され(パーティで披露したスピーチを台無しにするようなもので誰でも怒るだろうが)妻が制止するもビリーは挑発に乗ってしまい殴り合いの喧嘩になる。その混乱の途中でなぜか発砲音が聞こえ辺りを見回すとモーリーンが腹部から血を流していた。彼女はそのままそこで息絶えてしまった。その後彼は自暴自棄になり、試合でも反則負けをしプロライセンスの一年間の停止を命じられ自分以外のすべてを失ってしまった。彼は自殺未遂をするも、運良く助かる。しかし、その問題行動のせいで裁判所から娘のレイラ(オオーナ・ローレンス)を養護施設で保護することを命じられる。ビリーが親としての資格があるか試されることになる。
この映画ではレイラが養護施設に入ることになるのだが、そのことがビリーが孤児院に入っていたということと類似させられている。その類似を見ることによってビリーの怒りのスタイルについて理解できるように思う。ビリーは養護施設にいるレイラを見て孤児院にいた頃の自分を見ることになる。裁判所で親子が強引に引き剥がされそうになったときはビリーにすがるように泣きついてきたレイラだったが、養護施設に入って状況を理解し始めると彼女はビリーから距離を置くようになる。ビリーは娘を取り戻そうとかつて自分を苦しめたボクサーのトレーナー、ティック・ウィリス(フォレスト・ウィテカー)を頼り、そこで仕事ともう一度チャンプになるための足がかりを得る。彼は努力するも娘の保護期間の30日で結果が出せず、期間の延長を強いられる。彼は娘にそのことを告げるために会いに行き、同時にボクシングで退役軍人のためのエキシビジョン・マッチに出場できることになったことを告げる。しかし、それを告げたものの妻との約束で娘にボクシングの試合を見せられない。レイラはその二つのことに怒って「大嫌い。嘘つき、いつも約束を破って、ママじゃなくてパパが死ねば良かった」とはげしい憎悪をビリーに向ける。これがビリーの怒りと並んでこの映画に出てくる怒りだ。そのことを話すとティックはそれを肯定する。「娘がお前のことを憎んでいるなら、そうさせてやれ。そうすれば彼女は良くなる。彼女も母親を亡くしている。お前を憎むことで自分のことを考えることができる。」ビリーはレイラの怒りを受け止め、レイラは状況を変えるためのほんの少しの勇気(怒り)をあらわすことで家族を再生するきっかけを与えた。孤児だった彼らにとって「go home」は特別な意味を持つが、レイラが願ったのもそして怒ったのも「go home」のためである。そしてビリーがボクシングの怒りを力に変えるスタイルもこのレイラが思ったような「go home」への期待と怒り(帰りたいが帰るところがない)のあらわれだったのではないか。ビリーは孤児だったということに怒りそのことを強さに変えて戦っていたのだ。そうやって彼は自分が孤児であることに固執する余り自分の娘までも孤児にするところだった。妻はそのボクシングスタイル(自分が孤児であるということ)から抜け出してと何度も注意してきたのに。孤児だった頃は「go home」は単なる夢だったかもしれないが、今はそうではなく娘がいて帰るところがあるのだ。そのことをビリーはレイラの怒りを見て再確認できたのではないだろうか。ビリーには自分の怒りを受け止めてくれる親はおらず、それをボクシングに向けることになったかもしれないが、レイラの怒りはビリーが受け止めることができる。ビリーはティックの助言もあって今までの怒りを力にするスタイルを捨てて、レイラの怒りを受け止めたように守備を中心としたボクシングスタイルに180度変化させる。そして彼の人生についての考え方についても。
そして彼はもう一度チャンピオンになる。
9/10/2020
更新
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