理念は予め存在し宙吊りにされあとからやってくる ヘイトフル・エイト

南北戦争後のワイオミング。雪の中を走る1台の駅馬車。乗っているのは賞金稼ぎのジョン・ルースと手錠をはめられた賞金首の女デイジー・ドメルグ。そこへ、馬が倒れて立ち往生していた元騎兵隊の賞金稼ぎマーキス・ウォーレンが、お尋ね者3人の死体と共に乗り込んでくる。共にレッドロックを目指す一行は猛吹雪を避け、道中にあるミニーの紳士洋品店に立ち寄ることに。そしてその途中でもう一人、レッドロックの新任保安官だというクリス・マニックスを拾う。ようやく辿り着いたミニーの店にミニーの姿はなく、見知らぬメキシコ人のボブが店番をしていた。そんな店には他に、絞首刑執行人のオズワルド・モブレー、カウボーイのジョー・ゲージ、南軍の元将軍サンディ・スミザーズという3人の先客がいた。一見、まるで無関係な8人は、ひょんな成り行きから、この店で一晩を一緒に過ごすハメになるのだったが…。

映画 ヘイトフル・エイト - allcinema

ヘイトフル・エイト
(ヘイトフル・エイト(字幕版) - YouTube

ハングマンの名で知られる賞金稼ぎのジョン・ルース(カート・ラッセル)は異常に慎重であることをまず伺わせる。彼は駅馬車で1万ドルの賞金首デイジー・ドメルグ(ジェニファー・ジェイソン・リー)を運んでいる最中、賞金稼ぎらしき黒人のマーキス・ウォーレン(サミュエル・L・ジャクソン)と出会う。ウォーレンは駅馬車に乗せてくれないかと頼むが、ジョン・ルースははじめは拒みつつ、やたらと注文をつけウォーレンを武装解除させようとする。ウォーレンは8000ドルの賞金首の死体3体を運ぶ最中に馬が負傷してしまったのだと説明する。彼らは会話の途中で二人は知り合いであることを知り、ルースは武器を御者に預けることを条件にウォーレンを駅馬車に乗せることを選ぶ。当然だがウォーレンは向かいに乗っている鎖で繋がれた女のことが気になるが、ルースは彼女について具体的なことを喋らない。1万ドルの賞金がかかった重罪犯であることは確かだが、ルースはそれ以上は話さない。あとで明らかになることだが、彼女はギャングの頭(チャニング・テイタム)の(姉)でルースはその姉を奪還しようとしているギャングたちに追われている(実際は先回りされているが)。だから、彼は慎重なのだ。それでも相手の素性が分かれば駅馬車に同乗することを許す。マーキスもそうだし、クリス・マニックス(ウォルトン・ゴギンズ)もそうだ。マニックスは新任保安官だと名乗るが、それは本当かどうかはわからない。ただ、ルースは彼が南部の有名なギャングの一員であることを知っていた。もちろんルースは彼らを無視することもできたが、知っている人間であればドメルグ奪還のギャングたちに対抗する手段になりうるか、それじゃなくてもなにか役に立つと思ったのかもしれない。実際に、ルースはマーキスに駅馬車に乗せる条件としてドメルグと自分を守ることを約束させている。うまく目的地のレッドロックまで到達すれば8000ドル支払われるのだから、俺と1万ドルを守れというわけだ。

駅馬車にマニックスが乗り込む前、ルースはウォーレンにリンカーンの手紙を見せてくれと頼む。ウォーレンは回りくどく、本当は見せたくないのだが今回は特別だと言ってルースに見せる。ルースは涙を浮かべながら、その手紙を読み「メアリー・トッドの箇所が感動的だ」と声を漏らす。ルースは読みながらそう言っただけで、手紙に何が書いてあるのかは分からない。ただ、直後にドメルグが手紙につばを吐いた時、とっさにウォーレンが殴りかかって駅馬車の外に落ち、鎖で繋がれたルース共々馬車から放り出されてしまう。そのウォーレンの動作があまりに機敏で、手紙の真実性を疑うことが難しいほどだった。なので、ミニーの紳士服洋品店でシチューを食べている最中にウォーレンがあの手紙が嘘だと言ったことの意味がよくわからなかった。当時、自分の信用度をあげるために白人の手紙を持ち歩くことがあったらしい。ウォーレンもその文脈でルースを信用させるためについた嘘だと言った。しかし、ウォーレンは嘘をつく必要があっただろうか。ルースとウォーレンは知り合いで、そのことでルースはウォーレンを馬車に乗せた。既に信用を得ているのだ。もちろん、リンカーンの手紙をもっていることを知っていたから余計ルースが信用したということもあるかもしれない。重要な事はウォーレンがその手紙を嘘だといったその時から、小屋の内部で殺し合いが始まることだ。

ウォーレンはミニーの紳士服洋品店に来たことがある。彼は小屋の中の状況が明らかにおかしいことに気づいている。メキシコ人お断りの店でメキシコ人が主人の代わりだといって店番をしていたり、ジェリービーンズがこぼれ落ちた跡があったり、メキシコ人ボブ(デミアン・ビチル)はミニーが何日か前に出かけたと言っていたが今朝ミニーが作ったと思しきシチューがあったりと、この空間は怪しいということを通り越してボブの下手くそなきよしこの夜のように不気味である。相当まずい状況だ。駅馬車の定員は4人である。小屋の中には少なくともミニーとデイブがいて、彼女らを片付けるのに単独犯では不可能だ。つまり怪しい人物は複数で最大4人、ウォーレンらの前に小屋にいた人物4人全員が怪しいということになる。小屋から出ることができないのなら、何かをはじめなければならない。ルースはドメルグの仲間がいることを見越して、怪しい4人の中で武器をもっている人物からそれを取り上げ捨てさせた。彼がハングマンとして皆に知られているからこそできた芸当だろう。それでも得体の知れない相手について油断することはできない。

オズワルド・モブレー(ティム・ロス)は死刑執行人という肩書を提示してみせた。自分が何者かでなければルースは信用しない。モブレーはそういった役柄で演説を始める。「世の中には二つの正義がある。正義と西部の正義。」正義は全く中立に偏見なく法に則って冷静に行われるが、西部の正義はそうではないのだという。ここでウォーレンが持つリンカーンの手紙が関係してくる。彼の持つ手紙とはここでは正義そのものである。結末で語られるウォーレンに宛てたリンカーンの手紙には「君の戦績は君にとっての名誉というだけでなく君たちの人種にとって名誉なことだ。君のことを誇りに思う。君と私の思う将来、つまり差別のない世界が来ることを願っている」と書かれている。この手紙の主によればウォーレンこそが正義の人物なのだ。しかし、この小屋の中では違う。モブレーは正義を語るが、彼の実行したいことは罪人を奪還するという西部の正義である。

西部には女性が少なく、過酷な生活には数々の危険があるため、誕生してまもない社会においては、女性と馬を守らなくてはならなかったのである。馬泥棒に対しては、縛り首という刑罰があれば十分かもしれない。だが女性に敬意を払わせるためには、命を危険にさらすのも平気な男たちにとって大した意味もないそんな刑罰への恐れを上回る何かが必要となる。つまり、実際に効力を持つ神話の力である。

映画とは何か(下) (岩波文庫)』アンドレ・バザン p18

彼らは西部の正義(神話)を実行するためにこの山小屋へやってきた。別の物語であれば、ギターを優雅に引き鳴らすドメルグはヒロインであったかもしれない。しかしここではそうではない。

ウォーレンはそんな西部の正義に対抗するために、打ちかけのチェス(完全情報ゲーム)や天井からぶら下がる輪っかを結んだロープのように正義を宙吊りにして西部の正義で挑む(を利用する)ことになる。誰もこの小屋の中では中立といった超越的な位置に座ることはできない。最初にウォーレンがターゲットにしたのは南部の元将軍として名が知られているサンディ・スミザーズ(ブルース・ダーン)だ。スミザーズはミニーやデイブを始末した連中とどういう関係があるのかわからないが、ウォーレンらの前にいたのであれば、何らかの繋がりがあることは確かだろう。ウォーレンは自分の因縁を利用してスミザーズを挑発する。ウォーレンは自分がスミザーズの息子を陵辱し殺害したと生々しく語り出す。そのシーンの映像が回想として映されるのだが、そのイメージの具体性とは裏腹に彼の言葉にはあまり具体性がないように思った。何かスミザーズとウォーレンだけが知っているような息子に関する事実でも喋るかと思ったが、特にそういう会話はなくスミザーズは挑発に乗り、ウォーレンに返り討ちにされてしまった。ウォーレンは正当防衛を主張した。ウォーレンの見立てでは共犯者はあと3人以下である。

ウォーレンとスミザーズの決闘の間に誰かがコーヒーに毒を入れていた。それを飲んだルースと御者のO.Bは血を吐いて豪快にぶっ倒れる。死にかけになりながら、すんでのところでルースは「コーヒーだ」と注意しマニックスは間一髪毒を飲むのを免れる。容疑者はモブレーかカウボーイのジョー・ゲージ(マイケル・マドセン)しか考えられない。他の人間にはアリバイがある。ウォーレンはボブ、モブレー、ゲージ、マニックスの4人を壁に後ろ向きに並ばせる。マニックスは毒を飲む寸前だったことからドメルグの仲間でないことは明らかで、ウォーレンはマニックスと共闘する。ウォーレンは、明らかに怪しい店番のメキシコ人を撃ち殺す。残りは二人。ウォーレンとしては二人とも殺しておいたほうがいいと考えていたと思うが、床下から闖入者あらわれウォーレンは下半身を負傷し、マニックスとモブレーは撃ち合いになり両方共負傷してしまう。床下にいたのはドメルグの(弟)、ギャングのリーダーだったが、彼はあっけなくやられてしまう。ウォーレンとマニックスはドメルグを人質にとった形で展開を有利に進め、あとの仲間を全員始末する。残ったのはその三人だけである。

ウォーレンはマニックスにドメルグを吊るすことを提案する。それはハングマンのジョン・ルースがやりたかったことだ。彼ら二人は彼女の首に縄をかけてそれを梁に上からまわして引っ張る。引っ張るに連れてドメルグは空中を上に上がっていくが、あまり苦しんでいる様子がない。もしかしたら既に死んでいるのかもしれない。その死刑執行を終えると、マニックスはあのリンカーンの手紙を読み始める。この死刑執行で、ある正義が実行されたのだ。女性を吊るす意味がどこにあるのか。

西部劇の描く神話は、社会道徳の代弁者としての役割を女性に担わせ、その役割を確立する。社会道徳こそ、いまだ混沌とした状態にある西部の社会が何よりも必要とするものにほかならない。女性は肉体に未来を宿すだけではない。植物の根が大地を求めるように、女性は家庭的な秩序を求める。そして家庭的な秩序という形で、女性は未来の道徳的な土台をも内に秘めているのである。

映画とは何か(下) (岩波文庫)』アンドレ・バザン p18

この西部劇仕立てだが荒野とは全く正反対の小さな閉じられた山小屋という舞台で行われたのは、女性を未来の象徴として語る西部劇の神話の抹殺である。いまや女性をそのような未来の象徴として何かを語ることは差別なのだ。この映画ではそのような未来の象徴を失った世界が描かれている。だから西部劇でありながら舞台が密室で出口(フロンティア)がないのだ。登場人物は西部劇の女性を吊るし出口のない世界で窒息し皆死ななくてはならない。ここで描かれるのはそういった正義である。

Chris Mannix: That's a nice touch.

Marquis Warren: Thanks.
9/10/2020
更新

コメント