Would it help? ブリッジ・オブ・スパイ
保険の分野で着実にキャリアを積み重ねてきた弁護士ジェームズ・ドノバンは、ソ連のスパイとしてFBIに逮捕されたルドルフ・アベルの弁護を依頼される。敵国の人間を弁護することに周囲から非難を浴びせられても、弁護士としての職務を果たそうとするドノバンと、祖国への忠義を貫くアベル。2人の間には、次第に互いに対する理解や尊敬の念が芽生えていく。死刑が確実と思われたアベルは、ドノバンの弁護で懲役30年となり、裁判は終わるが、それから5年後、ソ連を偵察飛行中だったアメリカ人パイロットのフランシス・ゲイリー・パワーズが、ソ連に捕らえられる事態が発生。両国はアベルとパワーズの交換を画策し、ドノバンはその交渉役という大役を任じられる。
ブリッジ・オブ・スパイ : 作品情報 - 映画.com
(映画『ブリッジ・オブ・スパイ』予告A(120秒) - YouTube) |
この映画は前半と後半があるように見える。アメリカでソ連のスパイであるアベル(マーク・ライランス)をドノヴァン(トム・ハンクス)が死刑から救うまでと、ベルリンで米ソのスパイをグリーニッケ橋の上で交換するまで。この二つが舞台が変わっていることもあって、この映画を分けているようにみえる。さらにドノヴァンは一見して弁護士として信念を持って仕事に取り組むという一貫したキャラクターを与えられているように見える。常識的には信念というのはコロコロ変わってはそれが信念ではなくなってしまうが、彼の信念がアメリカにいてもベルリンにいても持続されているようにみえることで、二つの舞台の違いを際立たせている。逆に舞台が変わっても彼は信念を変えずにそれを貫き通したというふうに見える。それは本当にそうだろうか。
「彼は確かな正義感があり、職務にも忠実だった。ただし彼はスパイの世界を知らなかった。ウソやハッタリがまかり通る世界なんだ」。本作の主人公ドノバンは強い信念を持ち、自分や家族に危険がおよぶ可能性があったとしても、公平に裁判が行われるために行動する“正義”の人だ。しかし、彼がスパイ交換のために乗り込んだベルリンでは、東西を隔てる高い壁があり、治安は悪く、判断を間違えれば拘束、あるいは殺されてもおかしくない状況だ。
「役者冥利につきる」トム・ハンクスが語る『ブリッジ・オブ・スパイ』|ニュース@ぴあ映画生活(1ページ)
ドノヴァンは登場からして信念の人というよりは、人に平気でハッタリを言うような人物であるように見える。ドノヴァンは保険専門の弁護士で、一人の加害者が五人を被害にあわせた交通事故の一件に関して、相手方はこの事故は被害者それぞれの観点からして五件の事故だと主張し、そのようにして保険の手続きが行われるようにいうのだが、ドノヴァンはそれは五件ではなく一件の事故であると主張する。ドノヴァンはボウリングの例えを出して、いかにも筋の悪い主張をする、「ボウリングのピンが全部倒れたらそれは一つのストライクだ」という風に、もちろん相手方は反論して被害者はボウリングのピンではないという。そこで、ドノヴァンはハリケーンの例もだすのだが、彼の認識はまず何らかの「全体」があるというもので、もしも個別の一つの案件を無限に分割するという方法で多数の案件を保険の対象として認めていたら、全体としての保険のシステムが維持できず、結果として誰の生活も保険によって守ることができないというものだ。彼の信念は個別のケースの中では見えにくいところにあるのだろうか。とはいえ、このシーンを見る限りでは詐欺師のような人物とそれほど大差ないのではないかと思える。
そんな彼がアメリカで捕まったソ連のスパイを弁護することになるのだが、何か信念があって最初から乗り気でやっていたというわけではなかった。上司から急に呼ばれて、ほとんど偶然彼が選ばれたというだけのように見える。
当初アベルは、自分の弁護士だと名乗るドノヴァンをさほど信用していない。時代背景を考えれば自分の運命は決まっており、弁護は形式的なものだろうと思い込んでいたのだ。ドノヴァンの周囲の弁護士事務所上司やFBIも、当然そう思い込んでいた。だが彼らの意に反し、ドノヴァンはアベルの弁護に真剣に取り組み、死刑ではない判決を勝ち取る。このことがアベルからの信頼を獲得すると同時に、見ている私たちの心をも捉えていく。
真摯な姿勢がスパイの心も観る者の心も捉える - 日経トレンディネット
ドノヴァンは文字通り真摯にアベルの弁護を続け、彼を死刑から救う。しかし、それはなぜなのだろうか。彼は偶然選ばれたに過ぎなかったのだ。それなのになぜ彼を助ける必要があったのか、なぜ彼を助けようと思ったのか。
Insistently dialectical, the movie is filled with such doubling, of seeming opposites who are set up as mirrors of each other: Abel and Donovan, Abel and Powers and, of course, the Soviet Union and the United States. This isn’t a matter of forcing false equivalences (though, really, it will all be one big ash heap after nuclear Armageddon), but of posing philosophical questions and positing legal truths, like those that Donovan presents when he explains why he’s defending Abel. He explains himself a lot, largely, it seems, for the benefit of the audience, as when he tells a C.I.A. operative with a German surname, Hoffman (an excellent Scott Shepherd, twitchy and steely), that it’s the Constitution that makes them both American. It’s as corny as an Iowa summer, corny enough to make you weep.
Review: In ‘Bridge of Spies,’ Spielberg Considers the Cold War - The New York Times
(philosophical questionという言い方がとても気になるのだが)
去年はスパイの映画がとても目立ったが、『007 スペクター』でジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)はマドレーヌ・スワン(レア・セドゥ)にこう尋ねられる。「なぜスパイをやっているのか」と。それに対してボンドは子供の頃からそうなることが決まっていて選択肢がなかったと答える。スパイになったのは最初から自分の意志でというわけではなく何かに巻き込まれたというのが正しいのかもしれない。それはドノヴァンの立場とちょうど同じである。彼は自らアベルの弁護を志願したわけではない。単に巻き込まれたに過ぎない。けれど、巻き込まれた以上CIAに追われたりアメリカ国民から非難の対象となるのは免れない。その過程で彼の自由は制限されていく。最初アベルの件を引き受けた時に「これは偉大な仕事ですよ」と意気込んでいたドノヴァンの部下がいたが彼は途中で姿が見えなくなる。そのことが象徴しているように(些細な事かもしれないが)、国家的な仕事を背負わされたためにドノヴァンは孤独になっていくようにみえる。ベルリンに行く時にも彼は家族にも本当のことは言えず、ロンドンでサーモンフィッシングとしかいうことができない。こういった境遇はアベルも同じではないのか。もしそれに気づいたとしたら、ドノヴァンは彼に一部共感していたことも確かだろうが、1960年前後のアメリカとソ連の区別がつきにくくなっている冷戦下で(映画ではそういう描写がされている)アベルを救うことは、ドノヴァン自身をも救うことでもあるのではないか。CIAに言った「憲法が我々をアメリカ人にしている」という方便も、それがいかに陳腐だとしてもアベルどうこう以前にドノヴァン自身を救うためのものだ。
「誰であろうと公正な裁判を受ける権利がある。そして、憲法に忠実であることが、アメリカ人がアメリカ人たる根源である。規則を守ることこそアメリカ人の証しである」
【銀幕裏の声】死刑免れたソ連のスパイは…機密文書が明かす米偵察機U2撃墜の真実(上)「ブリッジ・オブ・スパイ」(2/3ページ) - 産経WEST
アベルは裁判中ドノヴァンに「不安はないのか」と訊かれて「それは役に立つか(Would it help?)」とそれと似たような質問に対しても何度もそう答える。この「Would it help?」の細かいニュアンスはよく分からないのだが、疑問文に対してアベルは疑問文で答えているのは確かだ。つまりアベルは答えていると同時にドノヴァンにも尋ねているのだ。それは役に立つか?と。アベルは自分を弁護するドノヴァンの境遇を理解している。アベルは不屈の男の昔話をしドノヴァンがそのように見えるということを打ち明けるのだが、不屈の男というのはアベル自身でもある。アベルはずっと不屈の男だったが、ドノヴァンはスパイのような国家的案件での仕事は初めてで不屈の男になりかけである。そんな人物に対するアドバイスが「Would it help?」ではないだろうか。もちろんそれがドノヴァンを教育しようと思ってなされたことかどうかはわからない。しかし、ドノヴァンはアベルに出会わなければ国家的な仕事を成功させることはできなかったかもしれない。
Abel: The boss isn't always right. But, he's always the boss.
だからこそ、「Would it help?」ということを常に気にしていないといけないのだろう。ここでは上司は信念でもありうる。
われわれは信念を基礎にして懐疑に赴き、懐疑から探求へと向かうことで、新しい信念に達する。この【信念―懐疑―改定された信念】のサイクルでは、あらゆる信念は互いに関係し合っていると同時に、すべての信念内容が潜在的には誤っている可能性がある。すべての信念は連携しあっているとともに、すべて改訂にさらされる可能性をもつという意味では、「可謬的」である。
『プラグマティズム入門 (ちくま新書)』伊藤邦武 p50
信念は疑いを終結させることができれば、それだけで信頼可能というものにはならない。というのも、疑いはたしかにそれを抱く人の心における、不確実、不安の感じが伴われているが、しかし、この感じがなくなったからといって、主観的な安心感や信頼感が取り戻されれば知識もまた手に入っている、ということにはならない。なぜなら、もしも思考や探求がこのように理解されるならば、思考とは客観的な状況において変化をもたらそうとする知的努力のことではなくて、感じや「意識」における変化のことだという、デカルト的な内面の次元へと戻ってしまうからである。
『プラグマティズム入門 (ちくま新書)』伊藤邦武 p103
アベルは橋でのスパイ交換のシーンで同じことを言っている。
James Donovan: You’re not worried?
Rudolf Abel: Would it help? To answer your question, my friend, I acted honorably. I think they know that. But sometimes people think wrong. People are people.
9/10/2020
更新
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