羊たちの寛容論 ひつじ探偵団

ひつじ探偵団
<🔍名(メェ~)探偵、誕生❕>映画『ひつじ探偵団』 予告/5月8日(金)全国の映画館で公開🐏 - YouTube

イギリスの田舎町で、愛するひつじたちと共に一人で暮すひつじ飼いのジョージ。彼は毎晩、たくさんのひつじたちに探偵小説を読み聞かせています。

彼らが物語を理解し、その時間を楽しみにしていることも知らずに・・・

ある日、そのやさしいジョージが死体で発見されます。これが事故だと信じようとしないひつじたちは、最も賢いリーダーのリリーを筆頭に、老若雄雌!?のひつじたちが結束して捜査を開始!

手がかりを追ううちに、ジョージには47億円の巨額な遺産があったことが発覚!

みんな、みんな、あやしい!果たしてひつじたちは犯人を見つけ出し、愛するご主人の無念をはらすことができるのか??

映画『ひつじ探偵団』オフィシャルサイト | ソニー・ピクチャーズ

ボス探しと犯人捜し

ひつじ探偵団
<🔍名(メェ~)探偵、誕生❕>映画『ひつじ探偵団』 予告/5月8日(金)全国の映画館で公開🐏 - YouTube

羊たちは、羊飼いのジョージに大切に育てられていた。彼はすべての羊にそれぞれ違った名前を付け、それぞれ違った性格を把握し、羊たちを愛していた。彼は羊たちに探偵小説を読み聞かせるのが日課で、彼は羊には内容がというか言葉が通じてないだろうなと思いながらなぜかそうしているのだが、羊たちは彼の読む小説を理解し、自分で推理を行っていたりする。ジョージが探偵小説を読み始めて、犯人が明らかになりそうなところで急に読むのをやめると、羊たちは途中でやめんなよと憤るが、彼らはそこから皆で集まって誰が犯人かを当てようと話し合い楽しんでいる。

しかし、そのような幸せな時間は続かず、ジョージが教会で皆が礼拝をしている前で牧師に借金を返したり、同業の羊飼いと口論になったりと不穏な空気が流れ始め、ある夜にジョージは殺されてしまう。彼は自宅のトレーラーハウスの前で倒れており、それを羊たちが発見する。町の警官は最初事件性なしとするが、ジョージに莫大な遺産があることが明らかになるなどして、ジョージの娘レベッカが犯人だとして逮捕される。

ここまでのところで、物語は『ミニオンズ』に似てくる。ジョージが死んだ後で羊たちがボスを探す物語が展開される。他方、ジョージが死んだ後で、その犯人捜しも行われる。犯人捜しは主に警官が行う。これは物語的に『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』に似てくる。『ひつじ探偵団』は羊たちのミニオンズ的要素と警官に代表されているマリオ的要素がコミュニケーションをとることと死んでしまったジョージという存在によって、それぞれの物語の欠陥を修復していく。以下でそれらについて見ていく。

ひつじ探偵団
<🔍名(メェ~)探偵、誕生❕>映画『ひつじ探偵団』 予告/5月8日(金)全国の映画館で公開🐏 - YouTube

試行錯誤の怪物 ミニオンズ

人類よりもはるか昔に誕生し、Tレックスからナポレオンまで、常にその時代の最も強いボスに仕えてきた黄色い生物、ミニオン。やがて、仕えるボスがいなくなり、生きる目的を見失ってしまうが、ミニオン滅亡の危機を救うため、ケビン、スチュアート、ボブは、新たな最強最悪のボスを探すための旅に出る。

ミニオンズ:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画
ミニオンズ
映画『ミニオンズ』 予告B 吹替え版 - YouTube

ジョージが死んだことで、羊たちは選択を迫られることになる。ジョージを忘れるべきなのかどうか。そして、誰をボスに選ぶべきなのか。

羊たちはジョージに探偵小説を読み聞かせられていた。そのなかでは殺人事件が起こるので当然登場人物の何人かは死んでしまうのだが、羊たちはそのような死は探偵小説の中だけのことだと思っていた。そのうえ、彼らは自分たち羊の死についても逃避した考えを持っていて、羊は死なずに雲になるのだと思い込んでいた。なぜそのような虚構が可能なのか。それは彼らが集団で忘れる能力を持っていることで可能になる。彼らはどんな出来事も3つ数えれば大事なメモを捨てるように忘れることができる。彼らはそうやって辛い記憶を消して、死やそれにまつわる出来事を無いことにしてきた。

しかし、羊たちは別の牧場に迷い込んだ際に、羊も死ぬのだと理解する。そこではジョージの牧場とは違って羊を肉にして売っている。羊が雲になるのならこのような肉があるはずがない。加えて、その牧場でセバスチャンという群れから外れていた黒い羊が番犬から仲間の羊を守ろうと犠牲になって死んでしまう。羊たちは自分たちの死についてはっきりと理解する。

羊も死ぬのなら、羊たちには死活問題が待っている。羊飼いのジョージが死んだあと、誰が羊たちを飼うことになるのか。その羊飼いは果たして安全なのか。もともとジョージは離れて暮らす娘のレベッカに羊飼いの仕事を継がせたいと思って、羊の良いところ、羊を飼うことの楽しさなどを手紙に書いて伝えていた。ジョージはレベッカになら任せられると思っていたのだと思うが、彼女はジョージ殺しの容疑者になってしまった。このまま起訴されれば、ジョージの牧場に戻ることができないだろう。そうなると、羊たちは羊肉を裏で売っている牧場に送られることになってしまう。おかしな話だが、羊たちは自分たちの生存のため、ジョージが教えてくれた探偵小説の知識を使ってレベッカの潔白を示さなければならない。

いたるところで同じような「シミュラークルの生成」がみられる――モードにおける美と醜、政治における左翼と右翼、メディアのあらゆるメッセージのなかの真と偽、モノのレベルでの有用なものと無用なもの、意味作用のあらゆるレベルでの自然と文化、の互換性がすなわちそれだ。偉大な人間主義の価値基準、道徳的・美的・実践的判断の文明化のための諸基準はすべてイメージと記号のシステムのなかでは消滅する。あらゆるものが決定不可能になる。(p29)

『象徴交換と死』ジャン・ボードリヤール

『ミニオンズ』もボスを選ぶ話だったが、ミニオンは羊と違っておそらく本当に死なないために、ボスを選ぶという過程がない。強そうであれば何でもいいのだ。彼らが行うのは完全な試行錯誤である。作中ではそれはドジと呼ばれている。ミニオンは人間が生まれる前から存在しており、彼らはボスを探して強そうな生物についていき、弱肉強食の世界の中で自分たちが選んだボスが食べられれば、その食べた生物をボスとしてついていく。ただ、そのボスもいつかは食べられてしまうか、ミニオンのドジに巻き込まれて死んでしまう。やがて人間が生物として誕生すると、それぞれの文明や時代の支配者についていこうとする。

エジプトがピラミッドを建設している時代、ミニオンもそれに関わろうとするが、彼らはピラミッドを逆に建設してしまい、つまりピラミッドの頂点を下にしてつくったので、完成後ピラミッドは倒れて、エジプトの指導者や国民を下敷きにしてしまう。四角錐、もっと単純に三角形でもいいが、子供のころに積み木などで試行錯誤をして、それらの形がどうしたら安定するか、とがってる部分を下にしたらどうなるかをたいていの人は知っているだろう。三角形でなくても、つま先で片足立ちと両足が地面についた状態のどちらが安定しているか経験的にわかるだろう。ミニオンはそうではなく、迷惑のかかることが少ないおもちゃならまだいいが、その文明が試行錯誤の結果たどり着いた最重要なもの、文明そのものを表すもので一から試行錯誤をはじめてしまう。結果ピラミッドは倒れ多くの人が死んでしまう。ミニオンは生き残るが。

続いて、ミニオンはナポレオンについていき、戦争中に大砲を空中ではなく地面に向けて発射する。地面で砲弾が爆散して、ナポレオンは死ぬがミニオンは生き残る。彼らはボスが死んだとき、基本的にはがっかりするだけであり、次のボス探しのための試行錯誤を始めてしまう。彼らは死んだ者のことを覚えているのかもわからない。羊たちはそうはいかない。ボス選びを間違えば、彼らは死んでしまうからだ。どのボスでもいいと試行錯誤することはできない。彼らは何としてもレベッカの潔白を証明して、彼女に牧場主になってもらわないといけない。でなければ、行き場を失った羊たちは肉屋と結託した牧場に行かなければいけなくなる。そのために、羊たちは彼らの文明のなかでもっとも重要なもの、ジョージの教えてくれた探偵小説の知識を利用しなければならない。ミニオンのようにそれをおもちゃにすることや推理をどうするかについて人間の歴史の初めから行うといった試行錯誤をすることはできない(ひまがない)。

(『ミニオンズ』についての話は、あくまで『ひつじ探偵団』と対照したときの見え方であって、『ミニオンズ』自体は独裁者や権力者をからかうタイプのギャグアニメで、ミニオンのやってることは独裁者などに対するサボタージュやラッダイト運動のようなものだろう。)

ひつじ探偵団
<🔍名(メェ~)探偵、誕生❕>映画『ひつじ探偵団』 予告/5月8日(金)全国の映画館で公開🐏 - YouTube

スケープゴートの誘惑 ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー

ニューヨークで配管工を営む双子の兄弟マリオとルイージ。謎の土管で迷い込んだのは、魔法に満ちた新世界。はなればなれになってしまった兄弟が、絆の力で世界の危機に立ち向かう。

ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画
ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー | 任天堂) (スーパーマリオブラザーズ・ムービー - Universal Pictures Japan
ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー
『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』セカンド予告(吹替版) - YouTube

自己保存競争における人間の優越性は、当初は信号の領域の広さ、反射機能を総合する能力の大きさ、試行錯誤からすばやく学習する能力、等にあるとされてきた。しかし少し考えてみればもっと根本的な特徴である、人間の「記号」の特殊な使用が明らかになったはずである。(p79)

『シンボルの哲学』S.K.ランガー 塚本明子訳

人間の「記号」の特殊な使用とは、例えばゲームであれば死をも含めて試行錯誤ができることを指摘できる。テレビゲームのスーパーマリオでは、キャラクターのマリオが穴に落ちるなどして死んだとしても、そのステージの最初に戻るか、ゲームオーバーになって1-1に戻るだけである。実質的にゲームのマリオのキャラクターには死がない。ただ、それでもプレーヤーは死を意識して、マリオの自己保存に努め、各ステージの発する信号(どこから敵が出てくるか、ブロックはどのように動くか)について幅広く認識し、それを総合して反射的にコントローラーを操作し、試行錯誤を繰り返す。

ゲームならこうなるが、マリオを映画にして物語を作るとするとどうなるか。やはり、キャラクターは死にゆく存在でないといけない。もしも、ゲームのように死んだとしてもどこかに戻るだけならば、ルイージを人質にとったり、拷問をしたりといったことがすべて無意味になる。死ねば必ず戻ってくるのなら、さらわれたり拷問を受けたりしても何も心配はいらない。絶対的ピンチの場面で、ゲームのリセットボタンを押したり、わざと死んだりするのと同じことだ。

映画のマリオは現実の人間のように描かれており、最近務めていた会社を辞めて独立し配管工の会社をルイージと起ち上げるも、まだ集客がうまくいっていない。アメリカに渡ったイタリア系移民のような描写もあり、大所帯の家族からは、会社を辞めなきゃよかったのになどと小言を言われ、不満を感じながら生活している。

このことがマリオたちが生きているということを表から表現しているが、他の箇所では裏から、つまりメタ視点的にゲームの側から表現している。それはルイージがクッパにとらわれてマグマの上の牢屋に閉じ込められている時のことだが、そこでは青いスターのルマリーというキャラクターも閉じ込められている。彼はいう。「逃げ道はあるよ。唯一の希望、それは死による開放さ。」これはゲームのマリオの世界観そのものを表しているだろう。ゲームのなかでは困ったら死んでやり直せばいいのだと。ルイージはそのセリフを聞いて怖がり、そのようなゲーム的世界観が事実でないことを示している。何よりルマリーは監禁されている。ゲーム的な考えが外に出てはいけないことになっていることが死があることを奇妙な形で裏付けている。

このように、ゲームの物語化はうまくいっているように見えるが、最後には破綻してしまう。それはクッパやキノピオ、ピーチ姫がいた世界が現実のマリオのいた世界につながったときである。もともとマリオとルイージがブルックリンで何をしていたのかといえば、水道の設備が故障してブルックリンが水浸しになっているのをニュースで見て、それを直しに行ったのだった。原因を探りに地下へ行って、途中で土管に吸い込まれてしまった。彼らは水道管を直しに行ったのだ。しかし、マリオとルイージは水道管を直して戻ってきたのではなく、別の形でクッパたちの世界から戻ってくることになる。その原因は、クッパの特大キラーから逃れるためにマリオが土管を利用したことだ。キラーが土管に吸われて爆発したことで二つの世界がつながり、クッパ城がブルックリンに墜落する。マリオとルイージは更なる被害を食い止めるために、ブルックリンの住人やマリオの家族の前でクッパを倒し、「よくやった」みたいなかたちになるのだが、もともと水道管の修理はどうなったのか、クッパをブルックリンに召喚したのはマリオではないのかといった疑問が残る。トラブルメーカーが関係のない人物をスケープゴートにしたような図に見えてしまうのだ。物語の序盤に金持ちの家の水道を直しに行き修理を終えるのだが、その前にちょっかいを出していた犬に邪魔をされ、浴室がめちゃくちゃになるシーンがある。最後のクッパのシーンはこのシーンの反復なので、余計にそう見えてしまう。このシーンはマリオたちの失敗だが、クッパのシーンではマリオたちの成功になっているために。

ひつじ探偵団
<🔍名(メェ~)探偵、誕生❕>映画『ひつじ探偵団』 予告/5月8日(金)全国の映画館で公開🐏 - YouTube

「犯人はメイドだ。」ある羊はどのような事実があきらかになってもこう言う。これはギャグパートだが、それが本気であろうとなかろうと、生死や運命のかかっている場面でそれがなされるとかなり怖いものがある。別の映画『ウィキッド』では国の形を保持するために魔女をでっちあげて、天災が起こったのも魔女のせいだと、魔女狩りが行われるという完全なスケープゴートが描かれた。その羊も『ウィキッド』の国民も完全に混乱している。

それは或る生物がどのくらいさまざまな信号を受け取れるか、その信号の相異なる結合にどの程度反応できるか、さらにその反応が固定されているか、柔軟性があるかによって違ってくる。もし彼が決まった反応しか持ち合わせていなければ、多様なあるいはたえず変化する環境に適応しきれないのは明らかである。もしいくつかの活動をたやすく結び付けたり、統合したりすることが出来なければ、一度に複数の刺激が起ったなら彼は完全な混乱に陥るだろう。(p79)

『シンボルの哲学』S.K.ランガー 塚本明子訳

羊たちはレベッカをスケープゴートにしないために、探偵小説での推理に詳しいリリーと、今までに羊の忘却を行っておらず、あらゆることを覚えているモップル、外の世界の知識がある冬生まれのセバスチャンで事件の真相にたどり着くだけでなく、その内容を町の出来の悪い警官ティムに伝えなくてはならない。そこにあるのは、単なる試行錯誤ではなく、試行錯誤後の成果物の伝達である。彼らは途中で間違うかもしれないが、レベッカの代わりに別のスケープゴートをでっちあげるということをしない。あくまで探偵小説のように真相にたどり着こうとする。なぜならそれがジョージが教えてくれた探偵小説のやり方だからだ。羊たちの頭のなかは探偵小説のおかげで人間世界と接続して拡張されている。そこにおかしな点があるにしても、それは人間一般のやり方でもある。動機を探したり、証拠を提示したり、アリバイを探したりなどといった手続きを重視し、犯罪に対する基本的人権の体系に則っている。この基本的人権を単純な試行錯誤で一からひねり出し、レベッカを救うのは難しいだろう。その試行錯誤の歴史的な過程の犠牲をもう一度再現するわけにはいかない。羊たちは巨人の肩の上に乗らなくてはならない。警官のティムは巨人としては頼りないが、それでも刑事事件の手続きを理解し、その規則を守っている。ティムもまた、羊たち同様、そして羊たち経由で、ジョージから与えられた探偵小説によって拡張された試行錯誤後の環境世界を活用し、人々と羊たちを混乱から救うことになる。

犯罪の疑いのある者に対して、強制を加えて、公正な裁判による処罰に必要な準備手続きを行うことは、国家が犯罪に正しく対処するためには必要なことであるが、同時にしかしそれが一たん誤りであるということが明らかになれば、国民に対してつぐなうことのできない損害を加えたことになるので、憲法は十分慎重に、国民の権利を保障するための配慮を加えているのである。ことに戦前の日本では、国家権力は、ほとんど無制限に、その疑わしいと考える者に対して強制力を加えることを許されていた。国家の存立のためには、ただ一人でも真に罪ある者がまぬかれることがないようにすることが必要であるという口実の下に、九九人の無実の者が強制力を加えられることが是認されていたのである。(p140)

『憲法』鵜飼信成
ひつじ探偵団
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代表と象徴

『ひつじ探偵団』は差別の問題も抱えている。人間ではなく、羊たちのなかでの差別だ。羊たちは冬生まれの羊をなぜか受け入れようとしない。そのため羊たちは冬生まれの羊の証言を途中まで聞かず、推理を遠回りをしてレベッカを危険にさらすところだった。これは一種の時間的な差別である。もう一つ、羊たちは舗装された道路をなかなか渡ること、足を踏み入れるが出来なかった。冬生まれのセバスチャンは普通に通れて、後ろからやってきた鶏も通れるが、羊のリリーとモップルは通れない。これはギャグシーンだが、羊たちに空間的な差別があることを表している。それは死を忘却していることと無関係ではないだろう思う。道路をまたいだ向こう側には、あるいは道路自体に、羊たちが忘れている死があるからだ。彼らはそれを記憶からも空間からも遠ざけていた。

象徴は、同じく表現関係の一種である代表とは区別された概念規定をすることによって、その性格が明瞭になる。代表するものと代表されるものとの間には、同質性が存在し、したがって代表は主体を内在的関係において表現しているの対して、象徴するものと象徴されるものとの間には、異質性が存在し、したがって象徴は主体を外在的超越的関係において表現し、そのことによって主体を存在的に確保するのである。(p324)

代表関係は、時間的現実的であるのに対して、象徴関係は、無時間的永遠的であり、したがって神秘的である。

『憲法』鵜飼信成

羊たちは、時間的空間的な差別的認識を通して、同質的な存在として暮らしていた。冬生まれの羊も道路の外側も無いものとしていればよかったのだが、ジョージの死によってそうもいかなくなった。殺人事件の真相を明らかにし、それを警官に伝えるために、それらを踏み越えねばならない。そうすると、それまでとは違った考え、冬生まれとか牧場の外とかを考えるのとは違った考えの様式が必要になってくる。それがジョージである。いつでも忘れる選択肢のある羊たちがジョージについては忘れるのをやめた。彼はそこで永遠になったように思われる。羊たちが忘れるのをやめ、そのことは羊たちにとって大きな決断なのだから。羊たちのなかには永遠にジョージがいて、羊たちが自分たちとは違うと考える冬生まれの羊も、大事にして牧場に連れてきたのはジョージである。ジョージが連れてきたのなら、その羊たちもジョージに愛されていた羊として、ほかの羊たちと何も変わりがない。

お前たちのことごとくがそろって同じ見解を持つことは、とうていありえぬが、もしそんな場合にたった一人のものが見解を異にしたとしても、お前たちはこの者を大目に見なければならない。なぜなら、この者にそのように考えさせているのは、ほかならぬこの私なのである。私はお前たちが大地を耕すために二本の腕と、その身を処するために理性のささやかなひらめきとを授けた。私はお前たちの心のなかに、この生涯を堪えうるためにお互いに助け合うように憐憫の情の芽を植えつけておいた。この芽を枯らしたり、台なしにしてはならない。この幼い芽が尊いことを心して、党派のおぞましい狂乱によって、自然の声をすり替えてはならない。(p179)

『寛容論』ヴォルテール 中川信 訳
ひつじ探偵団
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8/10/2026
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