落とし物が残ること 風の谷のナウシカ
木々を愛で 虫と語り 風をまねく鳥の人…
かつて"火の七日間"と呼ばれる最終戦争があり、人類が誇ってきた文明は壊滅した。それから約1000年後、生き残った人類は巨大な昆虫類と"腐海"と呼ばれる菌類の森におびやかされながら、細々と暮らしていた。そんなある晩、腐海のほとりにありながらも、海から吹く風で腐海の瘴気から守られている"風の谷"に、トルメキアの巨大輸送船が墜落する。王女ナウシカの指揮のもと、事故処理に当たっていた風の谷の人々は、輸送船の残骸から、古の大戦争で人類を滅ぼした殺戮兵器"巨神兵"を発見する。そこへトルメキア王国の皇女クシャナが攻め寄せ、ナウシカたちは巨神兵を巡るペジテ市とトルメキア王国の争いに、否応なく巻き込まれてしまう...。
風の谷のナウシカ | テアトルシネマグループ
(TOHO THEATER LIST/一生に一度は、映画館でジブリを。『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『ゲド戦記』シアターリスト)
(『風の谷のナウシカ』 特報【6月26日(金)上映開始】 - YouTube) |
人間のスコープ、王蟲のレンズ
コロナ禍にあって登場人物の多くがマスクをしているとして、この映画は注目されるかもしれない。しかし、ここに描かれている病気は人から人へ感染する類のものではない。ナウシカは旅から帰ってきたユパと再会し、彼女の父ジルがもう飛べなくなったと明かす。ジルは腐海がもたらす瘴気によって、体が硬直しつつあり、寝たきりの状態になっている。ここでは彼の健康状態を気遣う人物はいるが、自分が彼から病気をもらうことを心配する人物はいない。ユパが帰ってきて旅の話をしている時、ジルの寝ているベッドのまわりで、マスクをしている人物は誰もいない。マスクはあくまで腐海に近づいたときのみ必要なものになっている。風の谷では酸の海から吹く風が瘴気から谷を守っているとして、そこでマスクをしている人はいない。同時に、そのような環境に守られているため、その外に出る理由がないように見える。旅をするユパと腐海の植物を集めているナウシカだけが自由に谷の外に出ている。彼らはマスクをしている。二人とも、腐海がなぜ存在するのかについて知りたいと思っている。
ナウシカはマスクをして腐海に赴き、そこに群生している植物を試験管の中に集めている。彼女はそこでぽっかりと開けた場所を見つけ、先へ進んでみると王蟲が脱皮したあとの抜け殻を発見する。彼女は王蟲のレンズを持って帰ろうとしたが、その殻にはナウシカのセラミックのナイフが通らず、火薬の爆発で傷をつけナイフで掘るようにそれを取り外した。そのうち腐海に胞子が溢れる時間になり、彼女は透明な王蟲のレンズを傘にしてその場に寝そべり、それが降り積もるのをレンズ越しに眺めていた。しばらくすると、近くで大きな音がし王蟲が暴れているのではと、ナウシカはその音の方へ駆けつける。高いところまで上り、彼女がスコープを覗くと一人の男が王蟲に追われている。彼女はメーヴェの大きな羽で風に乗り、その現場に追いつき両者の間に入って、王蟲の怒りを鎮めてしまう。
ここでは王蟲のレンズとスコープが対比、類比的に使われている。ナウシカは腐海や王蟲について知りたいと思い、そのために王蟲の目で腐海を眺めたいと思っている。と同時に、自分が人間であることも忘れない。王蟲のことを知りたいとはいえ、王蟲が暴走し人間が何らかの被害にあうのを見過ごすことはできない。王蟲が暴走するのをそのまま観察していれば、王蟲のリアルが見られるかもしれないが、それはナウシカの望むところのものではない。男が王蟲に追われているときには、ナウシカの状況を見る目が変わっている。序盤のシーンでナウシカがそのような二つの目を持っていることが示唆される。その二つが彼女の中に両極を作って、時には自己を犠牲にする英雄に見えたり、時には憎しみに駆られて王蟲のように見えたりすることになる。
(『風の谷のナウシカ』 特報【6月26日(金)上映開始】 - YouTube) |
移動がもたらすもの
通信や輸送のネットワークは、あらゆる種類の新しいものが旧来の世界システムの中でどのように広がるかに明らかに影響を及ぼした。輸送が飛躍的に進歩するたび、文化や政治の境界を越えた遭遇のパターンが変化した。道具や芸術様式、ほかの材料技術の普及(と適用)は明確な痕跡を残すことも多く、こういった事柄に敏感な歴史家によって発見されている。病原菌や他の微生物が新しい環境に入り込み、人間の生活にきわめて重大な影響を及ぼすこともあった。ヨーロッパやアフリカから持ち込まれた伝染病がアメリカ先住民の間で猛威を振るったのは、新たな輸送網が確立したときに何が起こりうるかを示す典型例である。一八四〇年代にはジャガイモの葉を食い尽くす病原菌がヨーロッパに侵入したため、一八四五年から四六年にかけてアイルランドで飢饉が発生し、イギリスやアメリカだけではなく、世界の歴史に大きな影響を及ぼした。(p17)
『マクニール世界史講義』ウィリアム・H・マクニール
映画の冒頭、ユパが腐海に沈んだ町の調査を行っている。無人になった家の入り口をくぐるとそこに人形のようなものが落ちている。ユパがそれを拾い上げると、それはパラパラと崩れだし、粒子にまで分解されたように跡形もなく消え去ってしまう。それがこの映画の最初の落とし物である。そして、腐海では落し物が残らない、痕跡を残さないのだ。それはすべてを分解して、もとの形状を記憶させない。この最初のシーンが映画内で起こることに深くかかわっているが、先に「落とし物」という現象がどう描かれているかについてみてみる。落とし物はその所有者がそこから離れたことを意味する。
冒頭のシーンでユパは自身の移動、旅によって落とし物を発見したが、この映画では移動が多く描かれそれが落とし物をもたらすことを描いている。最も分かりやすいのは、ナウシカたちがトルメキアの船を脱出した後パニックになる風の谷の老人たちに、ナウシカがマスクを外して荷物を捨てるよう呼びかけるシーンだろう。それまではトルメキアの船に引っ張ってもらっていたが、それが攻撃され墜落し自分たちで飛行機を動かさなければならなかった。同時に彼らのいるのは腐海の真上であり、周りで飛行機が爆発したこともあって虫の攻撃を受ける可能性もあった。老人たちは助からないと思いパニックになっていたが、ナウシカは彼らに「大丈夫」という顔をマスクを取って見せる。老人たちの船は風の谷の物資を大量に運ぶために重くなっていたので、飛行が不安定になっていた。それを見て、ナウシカは荷物を捨てさせた。多くの物資が腐海の表面に落ちただろうが、それらはどうなっただろうか。冒頭のシーンを思い出せば、それらは腐海の様々な作用で分解し粉々になって跡を残さなかっただろう。
移動の失敗によっても落とし物は生じる。トルメキアの船は「なんちゅー脆い船じゃ」と登場人物にいわせるような代物で、それらはほとんど地上に落ちてしまう。トルメキアと対立しているペジテという国の戦闘機一機に沈められてしまったり、虫に襲われて風の谷に墜落してしまったものもある。そこで、映画内で最も大きな落とし物として巨神兵の卵があらわれるが、それも兵器として使われたときには未完成だった。腐海に落ちたときのようにバラバラにはならないが、肉体がドロドロと自身の原形を留めないほど溶けてしまい、それは後には残らない。
トルメキアの船はもう一つ大きな落とし物を落とす。それは腐海の植物の胞子である。普段は酸の海で守られている風の谷に外からそれが持ち込まれてしまった。風の谷の人々は、トルメキアの船が墜落した際、胞子を除去しようと火炎放射器で消毒するが、見逃しがあり一つの木についた胞子が大きく成長してしまう。それはその木の中に寄生するだけでなく、ある程度時間が経ってしまったせいで、他の木々にも侵食してしまっていた。風の谷の人々は木の根っこを切り、そこに胞子の侵食を見て、ここはもうダメだという。そういって、彼らは風の谷にある植物を全て焼き払ってしまう。そうしてしまえば、後には何も残らないかもしれないが、彼らはそうする。巨神兵で腐海を焼き払うというトルメキアの計画の前段階がここにある。人間は腐海のものが自分たちのいるところから全て消えるように意志し、腐海は人間のものを機械的に分解し痕跡を残さない。
(『風の谷のナウシカ』 特報【6月26日(金)上映開始】 - YouTube) |
キツネリスの恐怖と知識
マンダン族やカヤポ族を見舞った完全な壊滅の例は別としても、メキシコやペルーで起こったような、百二十年すなわち人間の五―六世代の間に人口が九十パーセントも落ち込むという事態は、ドラスティックな心理的・文化的影響を伴う。既成の制度や宗教への信頼がこれほどの災禍に抵抗することは容易でない。伝えられてきた技術や知識も消滅する。(p89)
『疫病と世界史(下)』ウィリアム・H・マクニール
ナウシカ、クシャナ、風の谷の老人たちは腐海の湖のような場所に不時着する。老人たちはトルメキアの姫のクシャナがいることを知らず慌て、クシャナは彼らを従えようと銃を向ける。しかし、そこは腐海の中である。銃を撃てば、それによって王蟲の群れが彼らを襲ってしまう。ナウシカはクシャナに銃を下ろさせようとする。ナウシカは「あなたは何を怯えているの、迷子のキツネリスみたいに」という。キツネリスとはユパが旅から帰ってきたときに連れてきた小さな動物で、ユパがそれをナウシカに渡すと、キツネリスはナウシカの指を噛み歯型をつけるが、ナウシカがそれに反撃しないのを見てナウシカに懐いてしまった。キツネリスは最初はナウシカを恐怖していたが、ナウシカを知って恐怖が消えたのだろう。恐怖とは、嫌悪と違って将来の不快なものの予測である。嫌悪は現在の不快である。現在の不快が将来の不快もあらわすことがあるので区別は難しいかもしれない。幽霊は出てきていないが、ある人がドアが勝手に開くのを見て、そこに幽霊が出てくるかもしれないと思い恐怖する。ドアの向こうに幽霊がいるかどうかは将来の出来事である。ドアの向こうを調べれば、その時点での恐怖はなくなる。そこでは恐怖という将来的な予測に対し、ドアの向こうの知識が満たされる。キツネリスはナウシカを噛んでみることでドアの向こうを確かめた。これは理にかなった方法であるように見えるが、人間であるクシャナも同じことをしなければならないのだろうか。
問題は腐海で銃を撃ってはいけないみたいな知識がなぜ人間たちの間で共有されていないのかということだ。クシャナが銃を下ろしたあとに、ナウシカが腐海の異変を感じた先でペジテのアスベルも虫に対してバンバン銃を撃っている。腐海がうまれてから千年らしいが、その間に腐海に関する知識は保存されなかったのだろうか。おそらくされなかったのだ。やはり冒頭のシーンがすべてを物語っている。腐海に飲み込まれた町で、人形がユパの手の中で跡形もなく消えてしまう。落し物が痕跡を残さず砂になって消えてしまう。同じ作用で、腐海に関する知識が書かれたものやその知識を持つものが失われてしまったのではないか。人が移動して知識を伝えようとすれば、同時に胞子も運んでしまい、胞子が広がらないように街を一度焼いてしまうか、気づかずに腐海に埋もれてしまうだろう(ユパやナウシカはそのリスクをどう避けているのだろうか)。それゆえ、人の移動ができず、知識はそれぞれの部族や町ごとに限定されざるを得ない。トルメキアの飛行機が脆いのは航空機に関する知識が断片化していて、いくらか欠けているためではないだろうか。
ペジテのトルメキアを滅ぼそうという策略に風の谷が巻き込まれる。トルメキアと巨神兵のいる風の谷に打撃を与えるために、ペジテ兵の二人は王蟲の子供を傷つけて吊るし王蟲の群れを誘導した。目を赤くした数えきれないほどの王蟲の群れが風の谷に向かって移動している。このままでは王蟲がそこを何もかも破壊し、破壊しつくした後で絶命しそこを腐海にしてしまうだろう。とんでもない厄災だが、それでも風の谷、ペジテ、トルメキアが初めて同じものを見た瞬間だったに違いない。そこに共有の知識が生まれるきっかけがある。ナウシカは傷ついた王蟲の子供を助け、王蟲の群れの先頭に届けて暴走を止めようとする。ナウシカは王蟲にはねられるが、しばらくすると王蟲の動きが止まり、王蟲の赤い目はある中心から徐々に青くなっていく。ナウシカに助けられた王蟲の子供が触手でナウシカを治療しようとしている。他の王蟲がそれを見守り、彼らも触手を差し出し治療に手を貸す。ペジテ、トルメキア、風の谷の人々は皆その光景を注視している。ナウシカが回復し王蟲に迎えられている。それは彼らの脳裏に残ったに違いない。王蟲のあるいはナウシカの落としたものが彼らの中に残ったのだ。その瞬間に腐海に関する知識が生まれた。映画の最後に腐海の底でナウシカとアスベルが落としていったチコの実が芽吹いているのはそのことを表している。落し物が残るところがまだあるのだと。
(『風の谷のナウシカ』 特報【6月26日(金)上映開始】 - YouTube) |
地中海世界の各地方においてミクロ寄生マクロ寄生が増大した結果出来した、政治上、経済上、文化上の諸現象については、あまりに分かりきったことなのでここで特に詳述する必要もなさそうである。繰り返される蛮族の侵入、それに伴う都市の荒廃、職人たちの地方への逃散、読み書きのわざを含めて様々な技術の衰微、国家行政機構の崩壊――、これらが、西ヨーロッパにおけるいわゆる暗黒時代の、誰でも先刻御承知のしるしである。
時を同じくして、キリスト教の発展と確立が、旧来のもろもろの世界観を根底から一変させることになる。キリスト教徒が同時代の異教徒に対して持っていたひとつの大きな強みは、悪疫の荒れ狂っている最中であろうとも、病人の看護という仕事が彼らにとって自明の宗教的義務だったことである。通常の奉仕活動がすべて絶たれてしまった場合には、ごく基本的な看護行為でも致死率を大きく下げるのに寄与するものである。(p199,200)
『疫病と世界史(上)』ウィリアム・H・マクニール
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