なんでこんな眠いんじゃろ BFG ビッグ・フレンドリー・ジャイアント

ロンドンに暮らす、好奇心旺盛な10歳の少女ソフィー。ある真夜中、彼女は窓から侵入した “巨大な手”によってベッドから毛布ごと持ち上げられて、“巨人の国”に連れ去られてしまう。ソフィーを連れて行ったのは、夜ごと子供たちに“夢”を送り届ける、やさしい巨人BFG(=ビッグ・フレンドリー・ジャイアント)だった。

ひとりぼっちだったソフィーは、巨人にしては優しすぎる孤独なBFGと心を通わせ、いつしかふたりの間には身長差6メートルの“奇妙な絆”が生まれてゆく。しかし、BFGとは正反対の凶暴な巨人たちによる恐るべき計画が…。このままではイギリスの子供たちが危ない──。この危機を救う唯一の鍵は、何事も恐れない小さな少女ソフィーの勇気だった…。
作品情報|BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント|映画|ディズニー



理解されない夢は開かれない手紙のようなものである。

ユダヤ教典

とにかく見ている間眠たかった。普通の映画ならばこのような言い方は貶している意味になるのかもしれないが、この映画に関してはどうだろうか。

夜中に手紙が届いたのか、届いたのはチラシや雑誌でチラシと一緒に郵便受けの手紙がまとめて落ちたのか、女が玄関のドアの前で無造作に落ちている郵便物の中から雑誌を取り上げどこかへ行ってしまうとソフィー(ルビー・バーンヒル)はその中から手紙を取り出しそれを整理する。それが彼女の仕事なのかそれとも何か待ち望んでいる手紙があるのかどうかわからないが、彼女はその仕事を終えると児童養護施設の仲間がいる寝床へ戻る。彼女だけが起きていて他は皆眠っている。彼女は懐中電灯片手に本を読みはじめるが、ふと猫がベランダに飛び出していき、猫についていくとBFG(マーク・ライランス)が散らかったゴミ箱を元通りにしようとしているのを発見してしまった。人間に見つかってはいけないと思っているBFGはソフィーを施設から誘拐し、巨人の国まで連れ去っていってしまう。

巨人の国には10人の巨人がいる。BFGとそれ以外の9人の粗暴な巨人たちだ。彼らは人間を食うことからペロリンとかマルノミとかいったような名前がついている。BFGは他の9人よりも体長が小さくいつも彼らにいじめられているらしいのだが、彼は他の巨人とは違って夢を採り保存し合成し人間に見せるという秘密の仕事を行っている。BFGは夢を自由に創作して他人に見せることができるのだ。ソフィーはBFGにつかまって最初はそこから逃げようとし、BFGは他の巨人が食べに来るから危ないという。BFGはソフィーに口で注意しただけでは信じないと思い、彼女に夢を見せることを思いつく。BFGはソフィーの読んでいた本を読み上げるとソフィーは子守唄を聞いているかのように眠ってしまう(私も眠気を感じてしまった)。ソフィーは夢の中で目を覚まし、BFGが眠っているのを確認して外に出る。すると草むらの下に隠れていた巨人に見つかり捕まってそのままソフィーは丸飲みにされてしまう。と、そこでソフィーは目が覚め、それがBFGが見せた夢だと知る。彼女は今まで夢を見たことがなかったのだ。彼女はその夢の忠告を理解し脱出することを断念するが、BFGへの嫌がらせなどを見てこのまま隠れていていいのかと奮起し巨人たちを倒すことを考え始める。

そこから英国王室の助けを借りて巨人を倒すのだが、注目すべきはそのBFGをいじめていた巨人たちとは一体何なのかということだ。そのことがこの映画の眠さとも大きく関わっている。BFGは夢を操る巨人で、他の巨人は人間を食う巨人だ。実際に巨人が人を食うシーンはBFGがつくった夢でソフィーが丸飲みにされるところしかない。けれど、この夢がこの映画の全体に大きな意味を与えている。ソフィーは巨人に丸飲みにされると巨人の体内に取り込まれるというよりは暗闇のなかに放り出されるような描写がなされる。そして彼女が目を覚ます。この暗闇に放り出される描写は私たちが(少なくとも私が)どこかへ落ちる夢の描写とそっくりなのだ。足を支えていた何かが急になくなってしまうようなそれと。9人の巨人たちは目が覚めることを司っているのではないかと思われる。彼らは人間を丸飲みにすることで人間の目を覚まさせるのだ。人間の世界と巨人の国は昼夜が逆転していて、人間の世界の夜は巨人の世界の昼になっている。巨人の世界の昼(つまり人間世界の夜)ではBFGは起きていて他の巨人たちは人間と同じように寝ている。BFGは夢の世界を他の巨人は現実の世界(夢からさめた世界)を象徴している。9人の巨人たちは水が嫌いである。夢の中で水といえば、おねしょのことだろう。人間が夢から醒めることを前提としている彼らは、人間が(子供が)おねしょをしないように気を使っているのかもしれない。夢から覚めなければおねしょもない。(ソフィーがBFGと出会う前にベランダから街路を見ていて、うるさい酔っ払いたちが水たまりで「びしょびしょになってしまうじゃないか」とかふざけあっているのを見つける。彼らは皆が眠っている時にうるさくして、他人を眠りから覚まさせる存在だが、巨人を彼らと見ることもできるのかもしれない。)

BFGが夢で他の巨人がその覚醒を象徴しているとすれば、この映画は夢と現実の逆転が主題となっている。そして覚醒の存在感が薄いためにこの映画は全体的に眠いのだ。最後9人の巨人が捕らえられ誰もいない何もない島に運ばれてお化けきゅうりの種だけで暮らすように命じられるが、その巨人たちがいなくなった国でBFGは今までになかった様々な野菜を植え優雅に暮らしている。夢のほうが豊穣で現実の方はつまらないとかくと陳腐だが、実際最後の描写はそのことをあらわしているようにみえる。夢と現実が逆転してしまったのだとすると、ソフィーが英国王室に迎えられるというのも、ソフィーの夢を閉じ込めた瓶の存在も相まって、これは何を見せられているのだろうと不安を感じざるを得ない。

9/10/2020
更新

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