キャラクターと自然描写の摩擦 アーロと少年

巨大隕石の墜落による恐竜絶滅が起こらなかったらという仮説に基づき、恐竜が地上で唯一言葉を話す種族として存在している世界を舞台に、弱虫の恐竜アーロが、孤独な人間の少年スポットとの冒険を通して成長していく姿を描いたピクサー・アニメーション。兄や姉に比べて体も小さく、甘えん坊の末っ子アーロは、何をするにも父親がいてくれないと始まらない。そんなある日、アーロは川に落ちて激流に飲み込まれ、家族から遠く離れた見知らぬ土地へと流されてしまう。ひとりぼっちの寂しさと不安にさいなまれるアーロは、そこで自分と同じ孤独な少年スポットと出会い、一緒にアーロの故郷を目指す冒険に出る。
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アーロの父の死は、『ライオン・キング』における父子の別れと共通点がある。『ライオン・キング』では、渓谷に入り込んだ幼いシンバを助けるため父ムファサが駆けつけ、危機一髪でシンバを救出。しかし、弟スカーの手で渓谷に落とされたムファサは、ムーの大群に巻き込まれて死んでしまう。本作でも、アーロの父はまだ幼い息子を助けるため、悲しい死を迎える。どちらも子どもを愛するがゆえの行動であり、アーロの父の死は『ライオン・キング』のムファサの死以来、最も切なく悲しい死とも言われている。
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マシューも「風景もキャラクターも一つであり、感覚的に感じられるものではならなかった」と言い、「自然は悪役的な役割を担っている」と説明。「背景を恐ろしくリアルに描くことで、アーロが危険を感じていることに真実味が生まれる」とリアルな描写の重要性を語った。いつ何が起きるか分からない自然の怖さを描くことで、ひとりぼっちのアーロの恐怖心を表現したのだ。特にマシューが注力したのが3Dの雲で、すべての雲が3Dというのは本作が初めてとのこと。「3Dの雲は、本当に生きているようなリアルな感覚が生まれる」とその効果を熱弁した。

そして、アーロの成長も雲に反映されているという。マシューは「アーロがスポットを救うシーンでは、雲が分かれて太陽が見え始める。そして、翌朝にはとても晴れた朝になっている」と例を挙げ、「すべてがストーリーの感情面をサポートしている」と語った。

実写のように感じられるほどリアルな自然の描写に、アーロの内面や心情を反映させた本作。アニメーションの限界に挑戦した『アーロと少年』の美しい自然にも注目が集まっている。
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何より驚かされるのが、この映画におけるCGの自然の描写だろう。上のインタビューにもあるようにほとんど実写と区別がつかないくらい美しい。背景の自然へのこだわりはエンドロールにもその画が使われてることから感じられる。しかし、その分ある違和感が生じてくる。『アナと雪の女王(kitlog: 「ありのままで」からありのままに アナと雪の女王から)』を見た時にも思ったのだけど、背景がリアルになりすぎるとアニメっぽいキャラクターは浮いて見える。特にアーロの造形は物理演算でシーンをつくってるせいなのかわからないが、異様に足が大きくてすごく気になる。恐竜の皮膚は誰も見たことがないのだけど、アニメの顔とリアル調の皮膚を交互に見ると何故かゴムボールみたいに見えてしまう。崖から落ちたり川で流されたりしてアーロが膝などに内出血している様子もリアルに描かれるのだが、キャラクターの傷つき方はこれでいいのかなという変な感じがした。キャラクター無しの画とキャラクター有りの画が別の世界に見えてしまう。

「実は、最初はそれほどリアルではないアニメーションの背景を作り、そこにアーロを置いてみました。でも、それだと容易く生きていけそうで生命の危険を感じなかった。また、リアルな自然描写にあわせてアーロもリアルな恐竜に近づけてみましたが、それも生きていけそうに見えてしまって(苦笑)。僕らが作ろうとしたのはサバイバル物語。生きていそうな雰囲気だと困るわけです。野生の自然のなかに放り出されたアーロが危険にさらされないと意味がない。アーロは恐竜ですが、少年のように感じてもらわないとならなくて。自然のリアリティと恐竜のリアリティ、それぞれのバランスを見つけることは難しかったけれど、クリエイターとしてはとても面白い作業でした」
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リーム
まず自然や背景をリアルに描いたのは、冒険に危機感を持たせるためです。アーロが遭遇する嵐や洪水を、ある種のパターンのように戯画化して描くこともできました。でもそれでは自然の脅威を表現できなくなってしまう。観客にインパクトを与えるためには本物の自然らしくする必要があったんです。
一方でアーロとスポットを可愛らしいデザインにしたのは、たった二人で見知らぬ土地に放り込まれた不安な気持ちを描くためです。キャラクターに愛らしさがないと、そういった心象を描くのは難しいですからね。そこでリアルな自然とデフォルメしたキャラクター、二つのスタイルを組み合わせようと決めました。
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最初からそれらがオモチャや怪物のキャラクターだということであれば何も疑問に思わない。キャラクターのデフォルメに合わせて背景がデフォルメされていれば変な感じはしない。下のファインディング・ニモの最新作の宣伝のように海の中であれば、海中自体がすでに神秘的でファンタジックだからキャラクターとよく調和している。『アーロと少年』はそれを避けたということなのだけど。



『アーロと少年』はアーロとスポットが川に流されて自分たちの棲家まで帰るまでの物語だが、途中彼らは落ちている変な木の実のようなものを食べてラリって幻覚症状を起こしてしまう。アーロの目玉は増殖し、アーロとスポットの顔と体が入れ替わったイメージが映し出される。これを見た時に何かキャラクターがリアリスティックな描写の中で悲鳴をあげているような気がした。彼らは何かに不満のようなあるいは別の欲望をもっているのかもしれない(単に私のそれかもしれないが)。その時は背景は消え去っていて、画面とキャラクターがよく調和しているように見えた。

しかしそれでも、100分の映画である『アーロと少年』は、本編の前に上映された6分の短編映画『サンジャイのスーパーチーム』(原題『Sanjay’s Super Team』)ほどの衝撃を与えることはできなかった。
「セラピーのような」新作映画、ピクサーの『サンジャイのスーパーチーム』 « WIRED.jp

追記:リアリスティックな自然描写におけるキャラクターの欲望というのは例えば(Research Blog: Inceptionism: Going Deeper into Neural Networks)こういうキメラのような不気味なものを志向するもののこと。
9/10/2020
更新

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