マックスのいないマッドマックス オン・ザ・ハイウェイ
超高層ビルの工事を手掛け、翌日に重要な作業に控えている大手建設会社のエリート社員アイヴァン(トム・ハーディ)。妻と息子たちの待つ家に帰ろうと愛車のBMWに乗り込むと、1本の電話がかかってくる。それを機に、彼は自宅ではなくロンドン方面の高速道路に車を走らせていく。電話で部下に翌日の作業を一方的に押し付け、妻に自宅に戻れなくなった原因を告げるアイヴァン。一刻でも早くロンドンに向かおうとする中、困惑する部下、解雇を宣告する上司、憤怒する妻からの電話を受け取る。
映画『オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分』 - シネマトゥデイ
「そうなんだ。初めてトムが脚本を読んだ時、彼はこう言ったよ。『これは僕にとって初めての“ストレートな”役になる。アイヴァンは平凡な男だ』。私はアイヴァンを全く平凡な仕事をしている世界で最も平凡な男にしたかった。誰にでも起こりうる悲劇ではあるが、平凡な男の身に起こる国家的悲劇であるかのような深刻なものにしたかったんだ。巻き込まれた人たちにとっては、そのことが世界の終わりになってしまうように」と作品のテーマを語る。
異色のワンシチュエーションサスペンス「オン・ザ・ハイウェイ」監督が語るトム・ハーディ : 映画ニュース - 映画.com
県内では高速道での逆走事故が相次いでいる。8月には三条市の北陸道下り線を軽乗用車が約6キロにわたって逆走、4人が重軽傷を負った。1月にも燕市の北陸道上り線を乗用車が10キロ以上逆走して2人が重軽傷を負った。昨年4月には糸魚川市の北陸道上り線で逆走車が乗用車と正面衝突、3人が死傷した。
高速道逆走 県内で相次ぐ|社会|新潟県内のニュース|新潟日報モア
高速道路は指定された方向にしか進めません
高速道路上でのバックやUターンは法律で禁止されています
逆走防止対策 - 対策内容 | NEXCO 西日本
高速道路では逆走してはいけないし、Uターンもできない。そしてそのルールがこの映画のルールでもある。一度行き先を決めてしまったら、その方向を変えることはない。たとえ同僚に狂ってると言われても、妻に泣かれても。『マッドマックス 怒りのデスロード』(kitlog: 子どものいない女たち マッドマックス 怒りのデスロード)では、緑の地を目指すワイブズがその目的地がすでに消失していることを知ったにも関わらずさらに東へ進もうとした時に、マックスは「戻れ」と説得する。これ以上行っても何もないのだと、何かあると分かっている方を選ぶべきだということで、マックスとワイブズ、鉄馬の女たちは砦の奪還を目指すことになる。その選択の際、鉄馬の女たちがワイブズの将来の一つの可能性であると書いた(タイトルの子どものいない女たち)。そのような可能性を見せられたことで、彼らの将来が変わったのかもしれないと思わせる。
しかし『オン・ザ・ハイウェイ』では、マックスのような人物(上のリンクでは批評家と書いたが)や鉄馬の女たちのような未来を暗示するような人物は一切描かれない。高速道路は戻ってはいけないのだ。物語はそこから一切転換しない。どこかにインターチェンジや休憩所でもあれば、何かが変わったかもしれない。しかしそのようなものは現れない。マックスのように戻って欲しいと思っても、この映画でアイヴァン・ロックに対してメタ視点から話しかける人物はいないのだ。
単独者は自分の過去の人生の中の非難されるべき側面を悔やみ、顧みて自分として恥ずかしくないような行動を今後も引き続き選ぶ決断をする。このようなかたちで単独者は、他人から見てそのように見られたい、またそのようなものとして認めてもらいたい人格のあり方を自分なりに表現するのである。事実として自分の前にある過去の人生の閲歴に道徳的に容赦のない自己評価を加え、かつ、それを批判的に探りながら自分のものとして消化吸収することで、単独者は、自己の人格を構築するのである。
『人間の将来とバイオエシックス (叢書・ウニベルシタス (802))』ハーバーマス p17,18
いや、一人いるのかもしれない。劇中でアイヴァンは何度もバックミラーにむかって「お前とは違う」「俺は逃げない」といって「父」に対して話しかける。もしも、その父から返事があれば彼の行方は変わっていたかもしれない。もちろん、独り言を言っているだけなので、誰からも返事はない。アイヴァンはたった一度の不倫でできてしまった子どもの出産に立ち会うことについて彼は言っているのだが、それは何か責任を果たすというよりは罪を償うといった風である。であるから、彼には逃げ場がないのだ。高速道路のように。罪はいつも自分につきまとう。
責任を罪というように解釈するならば、それはたちまち、われわれは罪の赦しを必要としているという知を意味する。さらにそれは、われわれは絶対的な力を持った存在に希望をかける以外にないという知でもある。つまり、歴史の流れに後から顧みるかたちで事後的に介入して、損壊された秩序と犠牲者の全一性を再建する絶対的な力を持った存在への希望以外にない、ということである。
『人間の将来とバイオエシックス (叢書・ウニベルシタス (802))』ハーバーマス p19
アイヴァンはただ救済を求めている。自分の犯した罪からの。それが罪だとしてアイヴァンには無かったことにはできないのだ。不倫相手が子どもを産んだ病院に行って何らかの救済があるかは誰にもわからない。というか、普通はそんなものはないと考えるだろう。しかし、アイヴァンは空想の父との対決というかたちでそれが救済であるということを自己暗示していく。アイヴァンの息子はアイヴァンとサッカーの試合を家で観る約束をしていたが、それはアイヴァンの選択によって叶えられない。息子は自分の両親の間に何か決定的な亀裂が走ってしまったのを悟ったのか、アイヴァンに対してこう言う。「いい考えがある。サッカーの試合は録画してあるから、帰ってきたら、結果を知らないふりをしてもう一度観よう」。息子は”歴史の流れに後から顧みるかたちで事後的に介入して、損壊された秩序と犠牲者の全一性を再建する絶対的な力を持った存在”を自分と父の間に擬似的に誕生させようとする。二人の約束で事後的に歴史が変わったことにしようというわけだ。しかし、その願いは叶えられない。アイヴァンが罪に対して変えるべき歴史はここ数時間のものではなくもっと前からのものだが、息子はそれについてはまだ知らない。
9/10/2020
更新
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