なぜ虐待の問題は自意識の問題とされたのか キャプテン・マーベル

1995年、ロサンゼルス。空からビデオショップに降ってきた謎の女性、キャプテン・マーベル(ブリー・ラーソン)は驚異的なチカラを持ち、身に覚えのない記憶のフラッシュバックに悩まされていた。その過去に隠された“秘密”を狙い、自在に姿を変える正体不明の敵が彼女を狙う。キャプテン・マーベルは、後に最強ヒーローチーム“アベンジャーズ”を結成することとなる若き日のニック・フューリー(サミュエル・L・ジャクソン)とともに、自らの記憶をめぐる戦いに立ち向かう。彼女の記憶に隠された秘密が明らかになるとき、衝撃の真実が現れる……。

キャプテン・マーベル | 映画-Movie Walker

(キャプテン・マーベル|映画|マーベル公式|Marvel

キャプテン・マーベル
(Marvel Studios' Captain Marvel - Official Trailer - YouTube

スクラル人は何を意味するか


後のキャプテン・マーベルことヴァースは断片的な夢を見ている。彼女は青い鼻血を出していて、傍には自分の知らない女性が倒れている。霧の向こうから銃をこちらに向けたスクラル人がやってくる。彼女の夢はそこで途切れる。クリー人とスクラル人は敵対していて、クリー人側のヴァースはスクラル人はわれわれを脅かすテロリストだと聞かされている。クリー帝国を支配するAIのスプリーム・インテリジェンスは対話の際にその人が最も尊敬する人物の姿をしてあらわれるのだが、ヴァースがそれと対面したとき、それが夢の中で倒れていた女性と同じなのでスクラル人が敵で悪いやつなのだといっそう思わせられる。彼女は他の者にはない力を持っているが、記憶喪失でそのことについては深く掘り下げられることはなく、クリー帝国の精鋭部隊”スターフォース”の一員として訓練に励んでいる。

映画の終盤で明らかになるが、スクラル人はクリー人を滅ぼそうとしている側ではなくクリー人から逃れている立場だった。ヴァースの所属するスターフォースはただ一方的にスクラル人を殲滅しようとしていた。ヴァースの信じていたことは違っていた。自分が敵だと思っていたものはそうではなくて、味方だと思っているほうが敵だった。彼女はだまされていた。味方だと思っていたものが敵だったと、物語のレベルでは単に善悪が交代したもののように見えるが、スクラル人の能力ゆえにこの物語は単純にそのようなものにとどまらない。

スクラル人の能力は自分の見たものに変身できることである。彼らはDNAレベルで見たものに擬態できるために見た目や身体検査などでは本物か偽者か見分けることができない。しかも彼らは変身することで、その者の近い過去の記憶も手に入れてしまう。それゆえ、スターフォースは隊員の潜在意識に認識コードを埋め込むことで本物かどうかを見分けようとするのだが、スクラル人は宇宙船の中に他人の遠い過去の記憶を掘り下げて調べる技術を有しており、その少々大掛かりな技術が使えれば認識コードも読み取ることができる。

この能力をもとにして、スクラル人がクリー人に狙われる理由が二つあると思われる。一つは彼らの能力が、クリー帝国を支配するスプリーム・インテリジェンスととても似ていることだ。スプリーム・インテリジェンスは対話者の最も尊敬する人物になって助言を行うが、スクラル人も似たようなことができてしまう。彼らは自分の見たものに変身できるのだから、対話者の尊敬する人物になることも可能だろう。そして相手の記憶を見ることも可能なので、それにもとづいて尊敬する人物を演じたり助言を行ったりということができてしまう。唯一者のコピーがいる状況をクリー人やスプリーム・インテリジェンスは放置できないだろう。

自分自身と戦え?


もう一つの理由がメタレベルでこの映画の中でとても重要なのだが、スクラル人は鏡のようになれるということである。スターフォースがスクラル人に包囲されているというソー・ラーというスパイを救助する作戦のブリーフィング前に、隊員の一人のコラス(ジャイモン・フンスー)が「以前に戦闘でスクラル人が自分と同じ姿をして目の前に現れてゾッとした。」という。ヴァースが「顔がイケメンじゃないから?」と冗談ぽくいって誰かが「あなたはイケメンだから」とフォローするのだが、コラスという人物は冗談が通じないという設定らしく(コラス|キャプテン・マーベル|マーベル公式)彼はそれをまじめに話している。彼は自分と戦わなければいけないことに本当にゾッとしたのだ。クリー人はスクラル人を敵として自分自身と戦うことを強いられる。それはヴァースも例外ではない。彼女も自分自身と戦うことを強いられるのだ。

ヴァースは最初の夢から覚めた後、眠れなくなってスターフォースの司令官のヨン・ロッグ(ジュード・ロウ)と格闘の練習を申し出る。ヨン・ロッグは彼女の上司としてアドバイスをする立場にあるのだが、「感情をコントロールしろ、でないと隙ができる」「過去にとらわれるな、今に集中しろ」「疑問は持つな」と要するに自制しろ、自分を抑制しろということを延々と言われる。彼女は戦闘員として一人前になるために、自分と戦わなければならない。そうやってヨン・ロッグは彼女の可能性に蓋をしている。蓋が開きそうになれば、スプリーム・インテリジェンスが洗脳を行う。結果を出せとアドバイスをしながら、同時に自分が審査員の役割をして「それではダメだ」といい彼女が永遠に自分と戦うよう仕向ける。なぜうまくできないのか、それは「自分が悪いから」だと思わされる。

――被害者は逃げられないのでしょうか。

「DVは、被害者の自信や自尊心を奪います。被害者は、ただ加害者の言いなりになって、うずくまっている状態です。『なぜ逃げなかったの?』と言われますが、逃げられないのがDVなのです。加害者に依存するように仕向けられているため、離れるとどうしていいか分からず、結局、戻ってしまうこともよくあります」

(インタビュー)DV減らすには NPO団体「アウェア」代表・山口のり子さん:朝日新聞デジタル

母親が暴力を振るうのは「自分が悪いから」と考え、それが虐待だとは気付かずに受け入れていたという。

殴られ、ののしられる日常 保護されて「虐待」と知った:朝日新聞デジタル

こうしてヴァースはスクラル人と戦うことと自分をコントロールすることという二つの意味で自分と戦わなければならない。

外の世界に墜落して

ソー・ラー救出作戦はスクラル人の罠でヴァースは彼らに捕まってしまう。彼らはヴァースの記憶の中で自分たちを助けるローソン博士(アネット・ベニング)の存在を探そうとしていた。彼女は過去の記憶をフラッシュバックするのだが、関係ない記憶ばかりが流れてくる。そのどれも彼女が何か無謀に見えることをして失敗している様子だ。カートの走行中に事故を起こしたり、空軍の訓練中にロープから落下したりと失敗して、父親や空軍の同僚の男性が彼女を批判している。空軍の同僚はコックピットは男のものだとにやけている。そこからの記憶はないように見えるのだが、スクラル人はローソン博士を探すために強引に記憶の続きを掘り起こそうとする。ローソン博士が記憶に現れたところで彼女は自分で拘束を解き脱出するが、脱出ポッドが墜落しアメリカのレンタルビデオ店に墜落してしまう。ヨン・ロッグやスプリーム・インテリジェンスと連絡の手段が途絶えたことで自由になったヴァースは、スクラル人が掘り起こした記憶をもとに自分の出自を明らかにしていく。

ヴァースはフューリーや空軍時代の友人のマリア・ランボー(ラシャーナ・リンチ)と出会うことで自分が何者だったのかを思い出していく。彼女の記憶はスクラル人が持ってきた、ローソン博士とヴァースが行ったテスト飛行時のブラックボックスによって明らかになる。

ヴァースの見させられていた夢では彼女に銃を向けているのはスクラル人だったが、実際に彼女に銃を向けていたのはヨン・ロッグだった。ヴァースはもともと地球人で空軍パイロットをしており、彼女の上司のローソン博士が空軍内でスクラル人をクリー人から逃がし戦争を終わらせるための研究を行っていて、ヴァースもそれに協力していた。ヨン・ロッグはその研究をスクラル人に渡さないためにローソン博士を追ってきたのだ。ローソンはクリー人でヴァースはクリー人とスクラル人との戦争に巻き込まれてしまった。ローソン博士はライトスピードエンジンの実験中にスターフォースに襲われ、彼女たちの乗る機体が墜落してしまう。ヴァースは赤い鼻血を流している。ヨン・ロッグはローソン博士を射殺し、ヴァースにコアを渡せという。彼女がそれに逆らってエンジンに銃を撃つと彼女は青い光に包まれて意識を失ってしまう。ヨン・ロッグは彼女のドッグタグの破片から彼女をヴァースと名づける。ヴァースの本名はキャロル・ダンヴァースである。

スクラル人はキャロルの敵ではないことが明らかになる。スクラル人と戦うことは自分と戦うことなのだが、それはスクラル人が敵ではないことが明らかになって、自分と戦うということ自体が間違いであると明らかになる。彼女の敵はスクラル人のことを敵とみなしていた者、同時にキャロル自身がキャロルの敵であると忠告してくる者である。彼女はもう一度スターフォースに捕まり拘束され、スプリーム・インテリジェンスとの対話を余儀なくされるが、キャロルは自分が思い出した記憶の続きによって、自分自身を奮い立たせる。『インサイド・ヘッド』(ヨロコビとカナシミのモーニングワーク インサイド・ヘッド | kitlog)ではヨロコビの記憶だけが重要であると思われていたために、それ以外の記憶が封印されていたことが物語になっていたが、この映画では彼女を支配するために記憶の一部が封印されていた。彼女は失敗のシーンばかりを思い出すように強いられていたが、それには続きがあって、彼女は何があっても諦めずにそこから立ち上がってきたのだ。彼女はスプリーム・インテリジェンスが「私がいなければお前は何もできない」という助言に従う必要はないし、「自分をコントロールしろ」「素手で勝負ができて本物だ」とハンデ戦を別の言葉で申し込む審査員のような司令官も必要がない。スクラル人が敵でない今、彼女が本物か偽者かは重要ではない。彼女の敵は自分自身ではない。

キャプテン・マーベル
(Marvel Studios' Captain Marvel - Official Trailer - YouTube

一九九五年の悪い夢、新世紀エヴァンゲリオン

文書は小学生が一人で思いつくような内容ではなく、児童相談所も、父親に書かされている可能性が高いと認識したと言います。そうでありながら、児童相談所はその2日後、心愛さんを両親のもとに戻す判断をしました。児童相談所は学校で心愛さんが活発に活動していることなどを総合的に判断して虐待の再発はないと考えたと説明します。しかし、その時点では父親と同居していません。虐待の事実は否定しながらも、当初はおとなしく面会に応じていた父親が娘を戻すよう態度を一変させた時点で、同居による虐待のリスクはむしろ高まっていると判断すべき状況です。

こうしてみますと、心愛さんの命を救うチャンスは何度もあったにも関わらず、それがことごとく逆の判断によって見逃されてきたことがわかります。最悪の事態から目をそらせ、事態は好転していると予断を持って判断してしまったと言えます。激高する父親を刺激したくないとの判断が働いたこともあるでしょう。「もっとも弱い立場である子どもの安全を最優先とする」という視点が欠けていたことは間違いありません。

「児童虐待 なぜリスクを疑わなかったのか」(時論公論) | 時論公論 | 解説アーカイブス | NHK 解説委員室
※強調は筆者による

『キャプテン・マーベル』の世界は一九九五年が舞台とされている。九五年といえば日本ではアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』を放送していた年だ。このアニメは使徒と呼ばれる謎の巨大な生命体が地球を襲い、それに対抗するために少年や少女がエヴァンゲリオンと呼ばれるロボットのような兵器に乗り込んでそれを迎え撃つというものだ。主人公の少年はキャロルのように記憶喪失というわけではないが、エヴァのある基地の中に突然連れてこられて、これが何なのか、この組織は何を目指しているのか、敵は何なのか、何も知らされないという記憶喪失に近い状態に置かれる。彼は世界の全貌を知ることも知らされることもないまま、とにかくエヴァに乗り込めといわれる。キャロルのようにクリー帝国から地球に落ちて、その帝国を他の一面から知るということもないし、自分の知りたいことを知ることができる手段もない。情報を制限されたまま主体性を発揮しろといわれても無理な話で、なぜなら自分なりの手段を見つけたり実行したりできないから『エヴァ』の少年は自分の殻に籠もることになる。これは『キャプテン・マーベル』の世界で言えばヨン・ロッグの「感情をコントロールしろ」「過去にとらわれるな」という自制を促すやり方が成功してしまった悪夢なのだ。『エヴァ』は老人が少年少女に自制を促し犠牲にすることを神話化するというイメージを、「人類補完計画」という人間の主客が曖昧になる神秘主義によって達成する。

そもそもエヴァンゲリオンの面白さとは、一回の放映分にちりばめられた聖書用語やカバラの要素を(次回までの一週間かけて)ああだこうだ解釈したり、以降の展開を予測したりすることだったのだから、それを一気に98分で見るのは無理がある(そしてもったいない)。

超映画批評「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」60点(100点満点中)

虐待の物語は上のような無意味なキリスト教のモチーフで隠されている。そして主人公の虐待に対する抵抗は自意識の問題なのだとすりかえられてしまう。それは社会の問題ではなく私小説や文学の問題なのだとすりかえられてしまう。彼には彼を別様に捉える他者がいない。虐待を訴える場所もない。そうしているうちに、それは虐待だと誰にも気づかれることがない。そうしてあらゆることで転倒した逆の判断がなされる。ここではキャロルはクリー帝国からいまだ脱出できていない。

日本発のマンガ、アニメなどが海外で高く評価されていると報道され、コンテンツ立国、クールジャパンなどという言葉が喧伝される中、オタクという語のイメージも、現在では、大分、ポジティブな意味合いを持ってきている。

しかし、今、多くの人々がオタク向けと聞いて連想するのは、綾波レイや惣流・アスカ・ラングレーという美少女キャラクターだろう。実際、ゼロ年代では、オタクの定義自体「美少女に萌えること」となってしまった感がある。だが、そうした萌えの流行は、『エヴァ』以降に進行した事態であり、あえて極論を述べれば『エヴァ』こそが、オタクの定義をそのように変えてしまったとさえ言える。(p34)

セカイ系とは何か ポストエヴァのオタク史』前島賢

参考
(オリジンにお手本は必要か スパイダーマン:スパイダーバース | kitlog

(キズナアイたちのワンダーウォール | kitlog
9/10/2020
更新

コメント