「Losers」 tell the truth ヴェノム
敏腕記者エディ・ブロック(トム・ハーディ)は、人体実験で死者をだしているという<ライフ財団>の真相を追う中、ある“最悪な”ものを発見し、接触してしまう。それは<シンビオート>と呼ばれる地球外生命体だった。
この意思を持った生命体との接触により、エディの体は寄生され、その声が聞こえるようになる。「一つになれば、俺たちはなんだってできる」とシンビオートはエディの体を蝕み、一体化し、ヴェノムとして名乗りを上げる。ヴェノムはそのグロテスクな体で容赦なく人を襲い、そして喰らう。相手を恐怖に陥れ、目玉、肺、そしてすい臓…体のどの部位も喰い尽くす。
エディは自分自身をコントロールできなくなる危機感を覚える一方、少しずつその力に魅了されていく――。
映画『ヴェノム』 | オフィシャルサイト | ソニー・ピクチャーズ
ギリシア文化のような文化だけが、哲学者の任務とはどのようなものかという問いに答えることができる。そういう文化だけが、さきほど述べたとおり、哲学というものを正当化できるのである。なぜならそういう文化は、哲学者がなぜ、またどのようにして、たまたま出現した行きずりの旅行者ではないのかということ――あるときはこちら、あるときはあちらという具合に思いがけずに通り過ぎる旅人ではないのかということをよく知っており、またそれを証明することができる文化だからである。つまりある種の鉄則のようなものが存在していて、その法則によると哲学者は正真正銘の文化に緊密に結ばれており、それから離れてはありえないのである。しかしそれではそういう正真正銘の文化が欠如するとすれば、どういう事態が起こるのか。そのとき哲学者は、思いもよらぬケースに出現してくる彗星のようなものであり、しかもこの予期できないという理由で人々を怯えさせる彗星なのである。実は、もっと恵まれた状況を想定してみると、哲学者はその文化がなしている太陽系のうちで、一等星のように輝くことができるのであるけれども。(p106,107)
『ニーチェ』ドゥルーズ
ライフ財団はある彗星からシンビオートと呼ばれる地球外生命体を地球に持ち帰ろうとする。ライフ財団のリーダー、カールトン・ドレイク(リズ・アーメッド)は地球の資源の減少や気候変動を見越して宇宙開発に取り組んでいた。ドレイクは地球外生命体の性質を研究して人間が宇宙に適応するためにはどうすべきかを探ろうとしていた。そしてようやく地球外生命体を発見し研究材料にしようとしていたのだが、シンビオートの親玉ライオットは「お前たちが見つけたのではない、我々が見つけたのだ」という。シンビオートたちはライフ財団の探査船に研究材料として乗り込み、地球を侵略するつもりなのだ。
エディは通信社(?)と契約して有名記者として活動している。彼はホームレスの不審死など弱者救済のための報道を行っていて、マリア(メローラ・ウォルターズ)というホームレスとも親しくしていた。彼女はその日に売れ残ったり捨ててあった新聞を回収して売り、生活していた。エディはある日、恋人で弁護士でもあるアン(ミシェル・ウィリアムズ)の持つライフ財団の極秘裁判資料を勝手に見てしまい、その資料がホームレスの不審死とつながっていることを発見する。エディはライフ財団のドレイクにインタビューをして提灯記事を書くよう会社から言われていたのだが、そのインタビューの場でホームレスの人体実験と不審死について追求してしまう。エディはその後ライフ財団の圧力で会社をクビになり、恋人のアンも情報を漏らした疑いで事務所をクビになってしまう。アンは会社をクビになったのはエディのせいだとして彼から離れていってしまう。
無職になったエディは、酒に頼るようになり、彼を労働に駆り立てるものなどまるで何もないかのように振る舞っている。近所の雑貨店で店の売上をせびろうとする男を見て見ぬふりをし、お隣の騒音にも不快に感じているにも関わらず文句の一つも言おうとせず我慢している。理不尽な報復を受けて記者時代の正義感は消えてしまったのだろうか。彼はライフ財団の研究員ドーラ(ジェニー・スレイト)が良心の痛みに耐えかねて「あなたの言っていたことは本当だった。ライフ財団はホームレスで人体実験をしている」と告げに来てこのことを報道してほしいと頼んだときも、「ライフ財団に関わったせいで何もかも失った」と彼女を一度は追い返してしまう。エディはアンとよりを戻そうと彼女の家に行くが、彼女には新しい恋人ができており、エディはドーラの依頼を受けることを決める。エディはドーラとともに研究所に潜入し、そこで実験台にされているホームレスのマリアを発見する。彼はガラスの壁を叩き割って彼女を救い出すが、彼女からシンビオートが這い出てきてエディに乗り移ってしまう。警報装置が鳴る中で重装備をした警備員に追われながら、エディはシンビオートのヴェノムとの融合で飛躍的に向上した身体能力とともにその場から逃走する。
(映画『ヴェノム』予告3 (11月2日公開) - YouTube) |
エディが驚異的な身体能力とともに得たのは飢餓感である。エディはヴェノムと融合してから常に腹を空かせている。彼は家に戻ってきてから、冷蔵庫にあるものを手当たり次第食べて、それでも足りないとなるとゴミ箱から残飯をあさって食べ始める。こうした自分の異常をアンに相談しようとレストランに行ったときも、そこにあるものを手当たり次第食べてしまおうとする。テーブルにあるものは誰のものであろうと構わず口に入れたり、生け簀に浸かって生のオマール海老を手づかみで食べたりして、アンはもちろん周りの客を困惑させる。
一七八五年、ウィリアム・タウンセンドはその『救貧法を論ず』の中で、旧制度に反対して、次のように、淡々と述べております。
「飢餓は、極めて獰猛の動物も馴らしてしまうもの、また、手に負えぬ片意地な人間にも慎みと礼儀、従順と服従を教えるものである。一般に、彼ら〔貧民たち〕を駆り立てる力があるのは、飢餓だけである。ところが、わが国の法律では、彼らを飢えさせてはならぬ、と規定している。また、正直のところ、法律では、彼らを強制的に働かせろ、とも規定している。そこで、この法律上の拘束に伴ない、いろいろの騒ぎや暴力沙汰が生まれ、悪感情を作り出し、結局、良い立派な労働力を生み出すことが出来ない。そこへ行くと、飢餓は、穏かで無言の絶えざる圧力であるのみか、人間を勤勉と労働とへ向かわせる極めて自然な動機となり、非常な努力をさせるものである。また、飢餓が他人の寛大な恩恵によって満たされた場合には、善意と感謝との永続的な堅い基礎を作るものである。奴隷には労働を強制しなければならない。しかし、自由な人間の場合は、自己自身の判断と思慮とに委ねなければならない。そして、多少に拘らず、自分の財産を十分に享楽できるように守ってやり、万一にも隣人の財産を犯す時には、これに罰を加えねばならない。」(p64)
南阿戦争後のイギリスにおける失業の波が一つの転回点でありました。ここに、初めて、誤解や隠蔽の余地がないまでに明白になったことは、失業や貧困という不幸は決して怠惰や無能に対する刑罰ではないということ、それは、神の降らせ給う雨と同じように、正しきものの上にも、正しからざるものの上にも見舞って来るということ、その原因は、個人が変更することは愚か、正しく診断することさえ不可能なほど深いものであるということでした。(p71)
問題は、いかにして人々を働かせるかという一般論だけでなく、更に、どうして特殊な個人を特殊な仕事にうまく調和させるか、どうしてその仕事の能率を上げさせるか、ということなのです。自由放任の民間企業的資本主義制度は、タウンセンドが「穏かで無言の絶えざる圧力」と名づけた飢餓の圧力でこれを成し遂げたのです。こういう強圧の方法を断乎として斥けた新しい社会は、同じ目的を達成するために、これに劣らず効果的な他の方法を見出さなければならないのです。(p84)
『新しい社会』E.H.カー 清水幾多郎訳
エディは最初はヴェノムの飢餓感に振り回されるのだが、次第にそれをコントロールしていく。ヴェノムは自分から自分がシンビオートの中でも負け犬の側だというのだが、エディはヴェノムの中に彼が失業中に求めていたものを見つける。シンビオートは宿主の性格に影響されるため、エディはヴェノムに自分の鏡像を見ているだけという可能性もあるのだが、それでもエディは自信を回復していく。一方でライフ財団のドレイクもシンビオートのライオットに寄生されるのだが、ドレイクはライオットをコントロールすることができない。ライフ財団は自由資本主義の寵児のような存在だが、その制度の副産物、その制度に警告を発しているのが、道端で暮らしているホームレスの存在だろう。ライフ財団は自分たちの成功の影の存在に背を向けるために、ホームレスを尊い犠牲だと嘯き人体実験をして存在を抹消しているかのようである。ドレイクの飢餓感は人類の宇宙開発という名目で、ホームレスを喰っている。そうしている限り現行制度の問題は明るみに出ないのだ。自らの飢餓感を反省させるホームレスのような存在を抹消する限り飢餓感は止まらない。そうしたドレイクの飢餓感はライオットと融合することで暴走し、人類そのものを犠牲にするに至る。そこで、ヴェノムは双子のようなライオットと戦うことになるのだ。
ヴェノムはライオットは強力で自分の力ではほとんど勝てないという。けれどヴェノムたちは勝つことができた。それはなぜか。負け犬らしさのせいなのかヴェノムは自分から自分の弱点をペラペラ喋ってしまう。ホームレスとホームレスの不審死を隠蔽しようとした財団とは正反対だ。しかもそのホームレスが新聞を売っているというのが示唆的だ。具合が悪そうなエディを見てアンが「MRI検査をしたほうがいい」というと、MRIの動作音の波長が弱点なのだとあっさり言ってしまう。ついでに火も弱点なのだと言ってしまう。ヴェノムの弱点はライオットの弱点でもあるので、結果的にヴェノムとライオットの戦いにアンが協力してヴェノムのピンチを救うことが可能になり、弱点を直視した(バラした)ヴェノムがライオットの野望を打ち砕くことになる。飢餓感をホームレスに向けたライフ財団、人類全体に向けたライオットを経由して、ヴェノムとエディは悪人にそれを向ける。ただ、「善人か悪人かどう見分ける?」というヴェノムの問にエディは「何となく分かるものだ」と答えるにとどまり、その基準は不確かなようである。
宗教改革がそうしたようにひとが司祭を内面化したとき、つまり司祭を信者の内面に入れたとき、宗教は廃棄されただろうか。ひとが神の代わりに人間をすえたとき、つまり神を逐ったように見えて、実はその本質部分を、すなわちその場を保持したとき、ひとは神を殺しただろうか。唯一生じた変化は次のことだけである。人間は外から荷物を担わされる代わりに、自分自身で重荷を手に取り、背中に背負ったのである。(p39)
『ニーチェ』ドゥルーズ
9/10/2020
更新
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