大都市から遠く離れて スパイダーマン:ホームカミング

舞城王太郎の小説に『熊の場所』というのがある。主人公の父親は息子に大学生の時にユタの原生林で熊と遭遇した時のことを話していた。現地でロッククライマーのオーストラリア人に出会い、その彼が突然身を震わせたかと思うと、目の前にグリズリーがいた。彼らは視線を熊に合わせながら、ゆっくり後ずさりした。「スロウリイ、ショウイチ、ステップバック・スロウリイ」熊と彼らの距離が元々十メートル、後ずさりして三メートル距離を稼いだところで、熊は彼らを獲物と決めた。熊はその場で大きく吠え、彼らは体を反転させて全力で走った。ショウイチは高校の時に陸上部で四百メートルの選手だったが、オーストラリア人のほうが足が速かった。このままでは、自分が囮のような形になってオーストラリア人は助かるだろうとショウイチは思った。そのとき、何かに足を引っ掛けてオーストラリア人が転んでしまった。状況が逆転した。ショウイチはそのまま全速力で逃げた。後ろの方からは熊の吠え声とオーストラリア人の喚き声が聞こえた。ショウイチはオーストラリア人の車のところまで走ってきて、無線で助けを呼び、ハンドルに突っ伏して考えた。

「あーこのままやったら、俺もうこの林ん中には二度と入れんなあ。それどころか、下手したら、もうどの山にも林にも、独りでは怖うて絶対入れんようになるやろうってな、そんな感じが何かひしひしとしたでなあ、やっぱり福井に住んでる俺が、いもせん熊にビビって山ん中入れんかったらまずいやろう?だいたいこ~んな山ん中にウチあるんやでなあ。まあなあ。でもそれよりなにより、この世のどっかに、自分の行けん場所があるなんて、俺、嫌でなあ」と父は語っていた。(p21)

『熊の場所』舞城王太郎

ショウイチはとっさにダッシュボードから拳銃とオーストラリア人が死んでいたときに埋めるためのスコップを手にして、熊のいる場所へ戻った。拳銃を撃ったことのない彼は中々熊に命中させることができない。発砲音で近づいてきた熊に至近距離でようやく命中させるも、弾丸が小さいせいか熊の足を止めることができない。そうしてマガジンが空になったとき、彼は持ってきたスコップで熊の頭を槍のように突いた。熊は動かなくなった。オーストラリア人は頭と腕から血を流していたが、命は無事だった。ショウイチはオーストラリア人から感謝されたのだが、本当は助けようという意志はなかったのだと正直に言った。それから父親は息子に言った。

恐怖を消し去るには、その源の場所に、すぐに戻らねばならない。(p25)

『熊の場所』舞城王太郎

前回『トランスフォーマー・最後の騎士王』を見に行った時、映画館の座席に座った瞬間から(車で映画館へ向かってるときからかもしれない)なんとなく体が緊張した感じになっているのが分かって、体のどこが悪いのかわからないけれど、それ以前に映画館に行くことがトラウマになりそうで嫌だった。なので、「すぐに戻らないと」と私も思った。でないと「失われた20年」のように、トラウマのほうが正常化してしまって何がいいことなのかわからなくなってしまう。というわけで、『スパイダーマン:ホームカミング』無事観ることができました。多少、危ないかなと思うときもあって、集中が途切れて時々シーンの記憶が薄れている感じもありますが、次も大丈夫でしょう。

ニューヨーク。スパイダーマンである15歳のピーター・パーカー(トム・ホランド)は、部活のノリで街を救う、ヒーロー気取りの高校生だ。アイアンマンことトニー・スターク(ロバート・ダウニー・Jr.)は、そんなピーターの能力を見出し、真のヒーローとしての“道”へと導こうとする。ピーターはスタークに新しいスーツまで作ってもらい、興奮して自分の力を認めてもらおうと日々街に飛び出していく。そんなある日、巨大な翼で空を飛ぶ怪物が突然街に現れる。ニューヨークの平和のために、ここぞとばかり怪物退治に乗り出そうとするピーターだったが、スタークは「アベンジャーズに任せておけ」と彼を止める。ピーターは子ども扱いに我慢ならず、スタークの忠告を振り切って戦おうとするが……。
スパイダーマン:ホームカミング | 映画-Movie Walker

スパイダーマンホームカミング
(映画『スパイダーマン:ホームカミング』予告① - YouTube

物語の大部分がニューヨークのクイーンズ区を舞台にしていることも、ユーモアを生み出すことに繋がっている。クイーンズには高い建物は少なく、スパイダーマンは側にあるものを手当たり次第使って、移動しなければならないのだ。これは、ピーターにとってチャレンジになるだけでなく、マンハッタンの高層ビル群をウェブシューターで駆け抜けるというお馴染みの姿とは一味ちがったスパイダーマンを見せる賢いやり方だ。
スパイダーマン:ホームカミング - 映画レビュー - Spider-Man: Homecoming Review

スパイダーマンと言えば都市戦だろう。彼は蜘蛛の糸をつかってビルとビルの間を駆け巡るが、振り子の糸が長いほうが振り子が長い距離を移動するのは自明のことで、その振り子運動によるダイナミックな移動がスパイダーマン映画の魅力の重要な要素である。しかし、この映画ではそのようなダイナミックさは封じられている。それはトニーがピーターに「何も大それたことをするな、ご近所ヒーローをやっていろ」と忠告することが画面に現れた結果だ。トニーはピーターを未熟だと思っているが、それは中層の建物が並ぶクイーンズ地区でスパイダーマンとしては地味に移動する様子そのものである。まだ大都市を移動するのは早いのだ。

もう一度書くがスパイダーマンと言えば大都市での戦いだ。しかしそれは封じられている。そのことで力を出しきれず(彼の未熟さもあるのかもしれないが)彼は迷走し、郊外へ行くことになる(偶然にも敵は大都市で暴れたいのではなく、監視の目が行き届かない郊外でひっそりと武器を売りたいのだ)。それは彼が最も苦手とする地形である。糸を発射して移動するための背の高い構築物が全然ないのだ。あったとしてもそれはまばらにしかなく、糸を使ったあとに次の糸を狙う対象が存在しない。彼は郊外での事件に遭遇し犯人を追うのだが、スパイダーマンに似つかわしくなく全力で地面を走る様子が描かれる。

ピーターはこの映画で一貫してスパイダーマンとしては不利な戦いを強いられる。ATMなどの狭い場所、周りが開けている郊外、つかまるところがほとんどないはるか上空、周りに何もないワシントン記念塔、船の上(彼は泳げるのだろうか)。いずれの場所でスパイダーマンが戦ったとしてもただの力勝負になるだけだろう。実際この映画で目立ったのは彼の筋力や耐久力だ。それだけではスパイダーマンの特性を理解していることにならない。最新のスーツを着て、補助輪モードを外し、機能をフルに活用してもそれは変わらない。

そのような不利な場所でスパイダーマンは敵を倒せるだろうか、同時に彼は市民を守らなければならない。彼にはおそらくそのような葛藤はなかった。彼は何らかの手柄を上げたいという思いだけで、船の上という不利な場所でバルチャー(マイケル・キートン)と戦い、乗客を危険にさらしてしまう。彼はそこで戦う必要があったのだろうか。彼は少なくとも船が港につくまで待つべきではなかったか。彼は海上を移動できないのだ。バルチャーとの戦闘で船が真っ二つに割れ、ピーターはそれを無数の糸でつなぎとめようとするが、船の崩壊が止まらない。彼は最後に力技に頼るのだが、どうにもならない。結局そこはアイアンマンが来て助けられてしまった。そして、ピーターはトニーに「君にはスーツを着る資格がない」と言われスーツを取り上げられてしまう。

ピーターは一時、スパイダーマンであることを忘れ、普通の人間の日常を生きていく。彼は好きだったリズ(ローラ・ハリアー)に告白し、ホームカミング(同窓会)に一緒に行こうと誘う。彼はネクタイの仕方をユーチューブとメイおばさん(マリサ・トメイ)にならい、パーティの作法も身に着けその日を待つ。パーティ当日、彼はリズを迎えに彼女の家に行く。ブザーを押して出てきたのは、バルチャーだった。彼の敵は恋人の父親だった。最初はピーターがスパイダーマンだとバルチャーにバレていなかったが、車中のピーターとリズとの会話で彼がそうだと気づかれてしまった。ピーターとヴァルチャーは二人で車に残り話をする。バルチャーは自分は家族のためならなんでもするつもりだという。そしてお前が俺の仕事の邪魔をするなら殺す、今回はお前が娘を一度助けた代わりに見逃してやる、といってピーターを車から降ろす。

ピーターはこの時この映画の中で初めて人を助けたいと思ったに違いない。ワシントン記念塔やフェリーの上の事故で、彼は巻き込まれた人を助けたいと思ったかもしれないが、それはほとんど彼が自分で招いたことなので、自分が何とかしないといけないといわば罪の意識のようなもの(「No,No,No」)で動かされていたと思う。しかし、最後のバルチャーの作戦を止めに行くところでは、彼が恋人の父親だから助けたいのだ。バルチャーは『アベンジャーズ』の時に襲来したエイリアンの一部から武器をつくりそれを裏で売りさばいていて、それは武器を売って富を得ているアイアンマンがやってることと同じだという。アイアンマンとやってることは同じなのになぜ俺のほうは止めるんだという理屈だが、ピーターにはそれに対する回答はない。ただ、恋人の父親を助けたいのだ。

彼はまたしても自分の得意の地形ではない場所へ、トニーからスーツを貰う前のスパイダーマンのコスプレのような服で、慣れない車を運転して行く。彼は何かスーツに新しい機能を持っているからヒーローであるわけではないのだ。





9/10/2020
更新

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