真実か挑戦か あるいは外側の危機と内側の危機 バードマン
人間にいちばんふさわしい、また多くの他の情念を含んでいる情念は、愛と功名心である。愛と功名心とはほとんど相互の関係を持たない。が人はそれらをかなりしばしば結びつける、しかしそれらは、お互いを打ち消しあうとはいわないまでも、お互いを弱め合う。
『愛の情念―他一篇 (1968年) (角川文庫)』パスカル p9
映画シリーズ終了から20年、今も世界中で愛されているスーパーヒーロー“バードマン”。だが、バードマン役でスターになったリーガンは、その後のヒット作に恵まれず、私生活でも結婚に失敗し、失意の日々を送っていた。
再起を決意したリーガンは、レイモンド・カーヴァ―の「愛について語るときに我々の語ること」を自らの演出も兼ねてブロードウェイの舞台に立とうとしていた。
ところが、代役として現れた実力派俳優のマイクに脅かされ、アシスタントに付けた娘のサムとは溝が深まるばかり。しかも決別したはずの“バードマン”が現れ、彼を責め立てる。果たしてリーガンは、再び成功を手にし、家族との絆を取り戻すことができるのか?
バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)
地球の外側から敵がやってくる。とにかく巨大な何かが。こちらは相手のことを知らないし、向こうもこちらのことを知らないだろう。まるで未開人どうしの出会いである。
ひとりの未開人が他の未開人に出会えば、まずびっくりするだろう。彼は恐怖のため、それらの人間を自分よりも大きくて、強いと見てしまうだろう。そこで彼はそれらの人間に「巨人」という名称をつけてしまうだろう。多くの経験をつんだ後、彼はそれらのいわゆる巨人たちが、自分よりも大きくも強くもなく、その身の丈は彼が巨人という言葉(語)に与えた観念とは少しも似つかわしくないことを認めるだろう。そこで彼は、自分にも彼等にも共通な別の名称、たとえば「人間」というような名称を作り出すだろう。そして「巨人」という名称は、錯覚の間彼に印象を与えていた偽りの対象のために残しておくだろう。
『言語起源論―旋律および音楽的模倣を論ず』ルソー 第三章 p26
しかし、ヒーローの世界では「巨人」は「巨人」のままである。ヒーローにはヒーローのための二分法が存在し、それはいわゆる善と悪だが、巨大さ・異様さ・非現実的な様子などこちらを驚かせ恐怖を与える形をしたものとヒーローは対峙する。彼はイメージと対峙するのみで、善悪という真実を見るばかりで、現実的なものを何一つ見ようとはしない。そこではほとんどが観念的な問題になる。「巨人」という名称を「人間」に変更するような経験、多くの経験は一切与えられない。
Tabitha: It doesn't matter, I'm gonna destroy your play.
Riggan: But you didn't even seen it... I mean, did I did something to offend you?
(中略)
Riggan: let's read. Lacklustre... That's just labels. Marginality... You kidding me? Sounds like you need penicillin to clear that up. That's a label. That's all labels. You just label everything. That's so fuckin' lazy... You just... You're a lazy fucker. You know what this is? You even know what that is? You don't, You know why? Because you can't see this thing if you don't have to label it. You mistake all those little noises in your head for true knowledge.
グレッグ元大使は敵対国に対する“悪魔化戦略”により米国が重大な打撃を受けた代表的な安保・軍事的失敗事例として、北朝鮮とベトナム、イラク、ロシアなどを挙論した。韓国支局長勤務(1973~75年)を含めて 1950年代初めから31年間にわたり中央情報局(CIA)に携わったグレッグ元大使は、「私たちが嫌いな、あるいは理解できない外国の指導者や集団を、無条件に悪魔化しようとする傾向」が無知と偏見を生み、それが悪宣伝と煽動政治の増幅過程を経て敵だけでなく米国自身をも絶えず苦境に追いこんでいると話す。
[書評]“悪魔化政策”は成功した試しがない : 文化 : ハンギョレ
リーガン(マイケル・キートン)はそのような観念的な世界に飽きているのだ。髪は薄くなり、体はヨボヨボでだらしない、娘はクスリをやっている。心のなかのバードマンが外側の危機を煽りもう一度バードマンになるよう促すが、そのようなありえないほど外側にありすぎて観念的な問題よりも、明らかに彼にとっては内側の問題、老いや娘の将来、家族、財産をつぎ込んだ舞台の成功といったような現実的な問題の方が重要だ。バルトが現代の文化はコマーシャルやコミックが作っていると言おうが関係がないのだ。しかし、若き日のバードマンがいつまでも彼に囁く、彼は過去の栄光に取り憑かれながら迷っているのだ。彼はカツラをかぶり、クスリをやっている娘を隠している。そして娘のサム(エマ・ストーン)に言うのだ。「クスリをやって俺のイメージを悪くするな」と。すかさずサムは反論する。
Sam: And let's face it, Dad, it's not for the sake of art. It's because you want to feel relevant again. Well, there's a whole world out there where people fight to be relevant every day. And you act like it doesn't even exist! Things are happening in a place that you willfully ignore, a place that has already forgotten you. I mean, who the fuck are you? You hate bloggers. You make fun of Twitter. You don't even have a Facebook page. You're the one who doesn't exist.
「パパはイメージを気にしてるけど、どこにも存在してないの。Twitterやブログ、Facebookでは話題にもなってない。存在してないも同然なの。」と。サムが本当にSNSで話題作りをすればいいと思っているかどうかは分からない。が彼女の言いたいことはこのようなことだろう。
Sam: Truth or dare?
Mike Shiner: Truth.
Sam: That's boring.
真実か挑戦か。リーガンにとって真実とはバードマンとの栄光の過去だが、そこから一歩進んで挑戦する気が本当にあるのかとサムは言っている。彼はバードマンに取り憑かれていた。バードマンはイメージの世界であり、善悪の観念の世界であり、彼にとっていつまでも真実の世界であるが彼から最も遠い世界のことである。それは今の現実と全く関係がないか関係は薄い。バードマンが彼の脳内に過るたびに観念の世界で遊戯し彼は現実から遊離する。その遊離した時間の分だけ現実から遅らされていた。
おのれを殺す、これはある意味で、そしてメロドラマでよくあることだが、告白するということだ。生に追い抜かれてしまったと、あるいは生が理解できないと告白することだ。
『シーシュポスの神話』カミュ p14
リーガンは舞台上での拳銃自殺未遂の前に、批評家とタビサと上で引用したやりとりをしている。お前はレッテルを貼ってるだけで俺のことや舞台のことは全然見てないじゃないかという、しかし彼もまた娘のことは見てなかったし家族のことは見てなかった。元妻とのやりとりのあとで彼は舞台上でそのことを告白する。
愛は盲目であるという言葉が古くわれわれの常識となっているようだ、が、はたしてそうだろうか。むしろ愛は眼を与えてくれるものではあるまいか。
『愛の情念―他一篇 (1968年) (角川文庫)』パスカル p3 訳者はしがき
Sam: If you weren't afraid, what would you want to do to me?
Mike Shiner: I'd pull your eyes out of your head...
Sam: That's sweet.
Mike Shiner: ...and put them in my own skull, and look around, so I could see the street the way I used to when I was your age.
こめかみ辺りを狙って完全に拳銃自殺をしたと思ったが、実際には鼻を削っただけだった。批評家は舞台に血をもたらしたとして絶賛した。血は観念からは最も遠いものだ。それは皮肉かもしれないが、とにかく彼女は最後まで舞台を見たのだ。
Riggan: That guy is the worst actor I've ever seen in my life. The blood coming out of his ear was the most honest thing he's done so far.
その後、SNSを中心に劇中のエマ・ストーンの台詞「すべての花から汚いキムチの臭いがする(It's all smells like fucking kimchi)」について、韓国人を卑下する台詞ではないかという議論が広まった。
これに対し「バードマン」の関係者は24日午後、TVレポートとの電話取材に対し「マスコミ向け試写会や一般試写会を通じて映画を見た観客は、同台詞について全く何の言及もなかった」とし「映画全体から見ても重要なシーンではない」と語った。
「バードマン」側が釈明“エマ・ストーンのキムチの台詞に韓国人を卑下する意図はない” - MOVIE - 韓流・韓国芸能ニュースはKstyle
米国のウェンディ・シャーマン国務次官(政治担当)は2月27日、ワシントンで開かれた国際関係に関するセミナーで基調演説を行い、「(東アジア)の歴史問題は韓中日3カ国にいずれも責任があるので、早期に整理し、北朝鮮の核問題など当面する懸案に集中すべきだ」と述べたという。
シャーマン国務次官は「民族の感情は悪用されかねず、政治指導者が過去の敵を非難し、安っぽい拍手を受けることは容易なことだ。しかし、そんな挑発は発展ではなくまひをもたらす」と述べ、日本に対しては、一言も謝罪と反省を求めなかった。
Chosun Online | 朝鮮日報 【社説】看過できない米国務次官の「韓中日共同責任論」
9/10/2020
更新
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